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【22】内剛外柔~天に在りては比翼の鳥、地に在りては連理の枝

おいしさ国宝級

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 さっきまでの上品な笑顔が嘘みたいに、目を見開いてまるで猫とネズミのアニメみたい、と幾久が見ていると、奥様は次に芙綺を見て悲鳴を上げた。
「お、お、お、お嬢様まで!!!!お着物が!帯が!草履が!ななななな、なななんて事を!なんて事を!!!!!」
 多分、とんでもなく、想像もつかないくらいにお高いものを、やってしまったんだろうなと幾久でも想像がつく。
 人間国宝ってどのくらいなんだろう。こええ。
 ハル先輩に聞いたら知ってるかな。
 しまった、池に落ちる前に写真とっとけばよかった。
 幾久が呑気にそんな事を考えていると、黒田の奥様は怒り心頭で、きれいにまとめてアップにされた髪がまるで不動明王の炎がめらめらと燃え上がっているかの如く、凄まじい怒りの形相でそこに居た人々全員を睨んで怒鳴った。

「誰?!こんな、こんな恐ろしい、おぞましい、恐れ知らずのことをしでかしたのはっっっ!!!!!」

 御堀、幾久、芙綺の三人は顔を見合わせて、三人同時に宇佐美に押さえつけられている男を指さして言った。

「あいつ」

 黒田の奥様は怒りのままに、中年男の前につかつかと歩いてゆくと言った。
「―――――裁判ですわ。いえ、犯罪ですわっ!!!!」
 中年男は舌打ちして鼻で笑った。
「なにが犯罪じゃ、着物くらいで」
 すると黒田の奥様は「着物くらい、ですって?」と一層怒りをあらわにした。
「一体、一体、あのお二人の着物に、どれっほどの価値があると思ってるんですのぉおおおおおおおおおおお!!!!」
 中年男は成金らしく、表情を汚くゆがめて笑って言った。
「そんなもの、請求書を回しておけ。なんぼぉでも払っちゃるいや」
 大したことないと笑いながら、宇佐美に押さえつけられたまま中年男は御堀の父を見たが、御堀の父は小さくため息をつくと言った。
「ええ、お宅様ほどの財産があれば、大したことはないでしょう。なに、建売の家を買ってすぐ燃やしたと思えばよいのでは」
 御堀の父の言葉に、中年男の表情がさっと変わった。
「み、御堀様、あの」
 御堀の父は微笑んで言った。
 ただ、ひたすら冷たい笑みだったが。
「さすが価値をよくご存じでいらっしゃる。黒田様、ああおっしゃいますので、この場は怒りを収められて、着物とお手入れの請求をされては」
「当然ですわ。よくよくご自慢の財産で解決頂きます。お覚悟なさいませ」
「あ、あの、あの、」
 中年男は途端、慌てだすが多分もう何もかも手遅れだろう。
 やっと大人しくなった中年男を宇佐美が離した。

 御堀の父親は、宇佐美に深々と頭を下げ、御堀は驚く。
 父のそんな姿を見たのは初めてだったからだ。
「私の失態とはいえ、報国院には大きな貸しが出来てしまいました。……私の代もこの見合いのせいで危うい。なにもかも自業自得だが」
 宇佐美は笑って肩をすくめた。
「お分かりになられるだけ、救いはあると思いますよ」
 理解できなければ救いなどなにひとつなかった。
 決して手を緩めない宇佐美に、御堀の父は今更、ああ、これは御堀の父に対して厳しく当たった訳ではなく、彼はいつもこうなのだ、と理解した。
(私が彼を見下したように、彼が私を見下した、訳ではなく)
 結局人は、自分が判るようにしか理解できない。
 彼は常に、誰にも厳しいだけなのだろう。

 御堀の父は、幾久と御堀、芙綺の三人を見、正面に立つと頭を下げた。
「この度は、皆に迷惑をかけてしまい、申し訳なかった」
 え、と驚く幾久は御堀を見るが、御堀は表情をこわばらせたまま、びっくりしている。
「芙綺さん、ご両親の方へは私からお詫びしておきます。大人のくだらん遊びに付き合わせて申し訳なかった。なにか望みのものがあれば、誉へ伝えてくれ」
 芙綺は小さく、それでもほっとした様子で「はい」と頷いた。
「誉。お前は一層報国院で励みなさい。私のせいで済まなかった」
「……はい」
 きっと心の中ではいろいろややこしいことになっているんだろうな、と幾久は思って、御堀に軽く体をぶつけた。
 ぼんやりとした、隙だらけの御堀の顔がそこにあって、ちょっと幾久は笑ってしまいそうになった。
「―――――君、は、報国院の?」
 御堀の父に尋ねられ、幾久は頷いた。
「御堀君と同じ寮の、乃木幾久です」
「そうか、君が乃木君か」
 そう言って、御堀の父は、幾久に深々と頭を下げた。
「正月早々、誉の為にこんな遠くまで来てくれたというのに、酷い目に合わせてしまい、本当に申し訳ない」
「いえ、オレが勝手に来ただけです。誉にはいっつも助けてもらってばかりだし」
 首を横に振る幾久に御堀が言った。
「そんなことないよ」
「そんなことあるってば」
 もう、と言う幾久に、御堀の父は目を細めて言った。
「失礼な事をした上に、酷い目に合わせた。勝手だが、さっきの男性の件は、こちらで預からせて頂くことになるのだが……許してもらえるだろうか」
 御堀の父が幾久に言うと、幾久は首を横に振って言った。
「許さないです」
 御堀の父は驚き幾久の顔を見たが、幾久は笑顔で答える。
「オレ、あの小デブ、じゃなかった、あのおじさんの事は多分って言うか、絶対に一生、なにがなんでも許さないです。誉の事も、彼女の事もすげー傷つけてるし失礼って言うかマジ犯罪者だし」
 御堀の父は幾久の言葉に驚きながらも反論はしなかった。
 幾久は続けた。
「だから、許すとかっていう話なら、誰の預かりになっても許さないです。でも、黙っておけっていうのなら、オレは、この二人に頼まれたらそうします。だって被害者はオレじゃなくて、この二人なんすから」
 御堀の父は、ぐっと手を握った。
(―――――これが、報国院か)
 息子と同じ年齢だというのなら、まだ高校一年生、次に二年生になるまだ子供のはずだ。
 だが、許さない、預けない、被害者が言うのなら、とはっきりと自分の意見と理屈を恐れなく御堀の父に言う幾久に、驚き、呆れ、そして諦めた。
(子供と侮っては、ならなかった)
「判った。私が間違っていた。どうか誉、芙綺さん、二人から乃木君に口止めをお願いしてくれ。私の立場が本当にまずいんだ。その代わり、なんでも望みを聞くと約束しよう」
 御堀と芙綺が顔を見合わせ、二人同時に頷いた。
「幾、頼むから黙ってて」
「お願いします」
 そう二人に迫られて、幾久は笑顔で頷いた。
「いーよ、二人がそう言うならね!」
 そして御堀の父に向かうと言った。
「なので、判りました。どうぞ後はお任せします」
 まるで最初から台本でもあるかのように、そう告げた幾久に、御堀の父は心から手を上げるしかなかった。
 賞賛の意味でも、降参の意味でも。

 御堀の父は幾久にも尋ねた。
「じゃあ、乃木君はなにか望みはあるのかね」
「望み?」
 首をかしげる幾久に、御堀の父は頷いた。
「ああ。下品かもしれないが、私にできる事ならなんでもしよう。せめてものお詫びだ」
 企業家としてそれなりの地位も資金も抱えている。
 少々、無茶を言われたとしても、今回の事が表ざたにならないのなら安いものだ。
 この、将来、とんでもなく理屈っぽく面倒くさく、それなりに有能になりそうな若者は、一体御堀の父にどんな欲を願うのだろうかと言う興味もあった。
 すると幾久は難しい顔をして、「本当に、なんでも、っスか?」と尋ねた。
 御堀の父は頷く。
「大抵の事は、出来ると思うよ」
 なんでもいい、なんならブランド物のバッグでも服でも、マンションでも車でも。
 御堀の父がそう思っていると、幾久は眉をしかめたまま、「だったら、言います」と頷いた。

「御堀庵の生外郎、百個ください!」

 御堀の父は、自分が一瞬、なにを聞いたのか全く理解できなかった。


「―――――生、外、郎、かね」

「だって誉のお父さん、御堀庵の社長さんっすよね?だったら生外郎食べ放題っスよね?」
「ちょっと幾!なんでんなしょぼい事言ってんだよ!」
 慌てて御堀が止めに入る。
 そりゃそうだろう、望めば家でも手に入るかもしれないというのに、まるで子供のお駄賃のような望みなのだから。
 幾久はむっとして御堀に言い返す。
「なにがしょぼいだよ!御堀庵の生外郎、最高においしいし百個だよ?地球最強の神の食べ物だよ?百個だよ?」
「もっといいもの言えばいいだろ!」
 父親がどのくらいまでできるか知っている御堀は当然そう言って幾久を止めるが、幾久はむっとしたまま言った。
「生外郎以上にいいものなんかないって。しかも百個とか、夢じゃん」
「……幾、あのね」
「オレは生外郎欲しい!」
 そういえば、同級生が外郎が大好きで食べ過ぎでお腹をこわしてもなお食べようとしていたという話を聞いたことがあったが、ひょっとしてこの子がそうだったのか、と御堀の父は気づいた。
「―――――いいよ。そのくらいお安い御用だ」
「やったー!」
 喜ぶ幾久に御堀はとうとう、肩を落として言った。
「あのさ幾、この際だから言うけど、うちが金持ちって知ってるよね?今だったら絶対にこっちが弱み握ってんだから、車どころか小さい家くらいなら絶対に貰えるのに!よりによって外郎!」
 あまりの事に父の前で素になる御堀に、幾久は鼻で笑った。
「そんなのいらないじゃん。車なら宇佐美先輩いるし家は寮があるし。そもそも高校生に車とか家とかマジで買うの?買えるの?」
 呆れて言う幾久は御堀の父を見るが、御堀の父は黙ったまま頷いた。
 幾久はあきれ顔で言った。

「そういうの、マジで引く」

 呆れた目で御堀の父を見つめる幾久に、御堀の父は、ああ、これは多分息子も勝てない相手だろうと納得したのだった。

 喋り始めた三人に、御堀の父は目を細め宇佐美に告げた。
「わざわざご足労頂き、申し訳ありませんでした」
「いいえ、俺は後輩の為に動いただけなんで」
 そう言ってにこやかに微笑み、後輩を見つめる目は、穏やかで優しい。
(だから、あんなにも厳しいのか)
 きっとこの青年は、可愛い後輩を守るためにわざわざこうして乗り込んで来たのだ。
 多分、報国院の云々はおまけで。
 ただひたすらに後輩への想いで、あそこまで本気でかかってきたのだろう。
 頭の中が策略だらけの自分が、本気でとびかかってくる若い獅子に勝てるはずもない。
 多分、息子を報国院にやったことは、息子にとっては良いだろうけれど、父親の立場としては、失敗だったかもしれない。
 これではあっという間に乗っ取られるかもしれないな、とふと思った。
「―――――報国院には、投資をしなければ」
 それは寄付ではなく、かなりの大きな額が動くと御堀の父が覚悟を決めた言葉だった。
 宇佐美は一言、いつものあの、人の良い、にこやかな笑顔で、御堀の父に告げた。

「まいどあり!」

 そして理解した。
 報国院に、二度と馬鹿な事はすまい。
 今更だが、どんな学校であるか必死で調べないと、と。
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