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【19】通今博古~寮を守るは先輩の義務

再来年には大人だよ

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「……先輩は、親にペットとして育てられた奴らが嫌いなんですね」
 周布は皮肉な笑顔を浮かべて言った。
「そうだよ。お前らみてえなのがな」
 その表情は、見えないのが不思議なほど、『大嫌いだ』と描かれてあるように見えた。
 周布は壁に向き直り、言った。
「人間様ならちゃんと頭で考えろ。いい年してんだから、てめえの親がどういう奴で、てめえがどういう奴かくらい、ちょっと考えりゃわかんだろ」
 そんな事考えたこともなかった。
 親は単純に親でしかなかったし、自分の環境も、自分がどんな奴かなんて考えたこともなかった。
 児玉と同じ立場になって、やっと自分がどんな風に児玉に見えていたのかが判ったくらいで。
 周布は続けた。
「ボスに尻尾振ってりゃおいしい残飯にありつけるっての、もう止めろよ。みっともねえし見たくもねえから。考えた結果、あえてそれやってんのなら、もうどうしょーもねえけどな」
 伊藤に必死にすがりつく自分たちは、とっくに周布にばれていたのだ。
 野山にとって、自分の中では児玉といい勝負をしているつもりだった。
 邪魔をしてやって、戦って、その結果あいつのほうが贔屓されたからこんな目にあっているのだと。
「……俺ら、邪魔なんすね」
「そうだな。邪魔だ。けど報国院にとってはお前らも必要なんだぜ」
「そんなバカな」
「だってお前らみたいなバカ、社会に出たら腐るほどいるんだぜ?鳳みたいな連中が、そんな馬鹿がいるってどこで学ぶんだよ。実際タマちゃんもいっくんも、お前らに手を焼いてんだろ?こうして頭いいのも悪いのも全部混ぜて対策学べってのが、報国院のやり方なんだよ」
 壁をさっさと塗り終わり、ふー、と周布が立ち上がる。
「お前ら、壁削った小学生みたろ?千鳥って馬鹿にしてたろ。現場ってな、ああいう目にあうんだよ」
「なんでっすか」
「誰にでもできるからだろうな」
 そう言って、周布は野山に小手を渡した。
「塗ってみろ」
 言われたとおり、野山は壁を塗った。
 丁寧に塗ったつもりだった、自分では。
 だけど周布が「もういい」と言って、野山の塗った後を塗りなおす。
「一見、同じに平べったく見えるけどな、泥の厚みが違う。小手に触れる部分でもう判るんだよ。お前らは目で見て同じようにするから、泥の厚みまで判らねえんだ」
 だから、と小手をさっと動かす。
「段差があるから、こうして模様がつくんだ。段差がなけりゃ、んな模様にはならねえんだよ」
 そうして野山の塗ったものを綺麗に塗りなおした。
「見ての通り、塗るだけならお前らみたいな素人でも出来る。多分、何週間、運が良けりゃ、何ヶ月くらいかは持つだろうよ。けど、こういうのは年単位でもたせなくちゃならないんだよ。家も同じだ。今日だけの家なら、誰だって作ることはできる。だけど、何年も、何十年も持つ家は、誰にでも作れない。神社なんか下手したら何百年も建てっぱなしだ。だったら修理する時どうするんだ?今の材料使って便利に作ったはいいけど、数百年後にどうやって修理したらいいんだって悩ませるわけにはいかねえだろ」
 だから、と周布は続けた。
「土塀も蔵も家も、その土地の泥を使うんだよ。その地域にずっとあって、地域に残っている、気候にも耐えうる上にタダ同然でそこいらにいくらでもある。便利だろ?」
 野山は黙る。周布の言うとおりだからだ。
「とはいえ、まさか昔の人も、こんなに人件費がかさむことになるとは思わなかったろうな。おまけに材料なんか、このあたりほじくるより買ったほうが安いし早いし」
 正直、馬鹿にしていた。
 いくら伝統建築なんて立派な名前であっても所詮千鳥で、報国寮で、いつもにぎやかに騒いでいるみたいに見えたから。
 なのに周布の態度や言葉は何だ。
 これはまるで大人と同じじゃないか。
(再来年、こうなってろって?)
 周布ならきっと、すぐ社会人になっても困らないだろう。
 でも自分はどうなる。
 幾久や児玉を嫌いなことに変わりはないけれど、まるで小学生じみたことをあと二年も続けるのか。
「周布先輩」
「ん?」
「俺、退学じゃあないんですよね」
「一応な」
「じゃあ、質問ですけど、転科って出来るんですか」
 野山の質問に周布は苦笑した。
「言っとくけど、クラスは千鳥でも内容は鷹と変わりねーぞ。建築関係するなら数学は必須だしな。鳩じゃ厳しいぜ」
「勉強してなんとか追いつきます」
「現場って土塀どころの騒ぎじゃねえぞ。馬鹿にされんのなんか日常だからな。それに今盛り上がってても、どうせ続かねえぞ、お前みたいな奴」
「判ってます。だからです」
 野山の言葉に周布は首をかしげた。
 野山は言った。
「俺はあいつら―――――乃木や児玉がどうしても嫌いなんです。それにどうせ俺はさぼるし、何もできないし、何にもなれない。変わろうと思ったって変われない」
「じゃあなんでわざわざ転科なんかするんだよ」
 周布が尋ねると、野山は答えた。
「意識するのを止められないから」
 同じ場所に居たら、どうしても目に付く。
 だったら、自分が違う場所に行くしかない。
「あいつらをずっと大嫌いでいたいんす。じゃあ、俺がなにをやったのか、判るくらいにはならないと。あいつらを大嫌いだと言い続けたい」
 伝築なら、地球部の活動だって見えるし、桜柳祭の準備にも参加できる。
「絶対に、地球部の活動も、桜柳祭の準備も、伝築もたいしたことねえって言って馬鹿にしてやりたい」
 周布の事も、野山を馬鹿にした二年の伝築の連中も、地球部の連中の事も。
 ほらみろ、たいしたことねえじゃねえかって。
 今のままではきっと本当の意味で、御堀の怒りも幾久の呆れも、玉木の失望も判らない。
 周布は噴出すと、笑って野山に言った。
「じゃあ、やってみろよ。もし運よく後期もお前が退学にならずに済んだら、だけどな」
 ニヤッとする周布に、野山は頷いた。
 周布はその態度を見て爆笑した。
「いやー、すがすがしいほどのクズだなおめーは。でもそういうのいいんじゃねえの。嫌いな連中馬鹿にしたいからってわざわざ現場に頭突っ込むバカ、嫌いじゃねーよ」
 あ、ついでに、と周布は言う。
「伝築から元のクラスには戻れねえぞ。単位の関係で、絶対に無理になってるからな」
 一瞬、野山は口ごもるも、それでいい、と頷く。
 周布は苦笑し、「まあいいや」と笑った。
「じゃ、せいぜいやってみろ。言っとくけどせめて数学では満点くらいとっとけよ。冬休みは数学、誰かに教えて貰え」
「―――――はい」
「あと、もうひとつ。俺はどうせ卒業するし、お前が本気で再来年までこの学校に居るとはちっとも思ってねえけどさ」
「……」
 明らかに周布は野山を見下した言い方だが、これが素の周布なのだろうと思うと、逆に安心した。
 正直な態度のほうが、心の中で見下されるよりまだマシだった。
 このときの野山にとっては、だが。
「もしお前が三年まで伝築に残ってたとしたらだけど、お前、泣きながら乃木に謝りたいって言うぜ」
 なにをバカな、と野山は思う。
「……ならないっすよ」
「いや、俺は断言するね」
 だから、と周布は言った。

「俺が卒業しても、俺の連絡先、ちゃんと控えとけよ。お前の泣き言聞きてえから」




 翌日、野山の希望を玉木に伝えると、玉木は一言、そう、と言って頷いた。
 じゃあ暫く様子見ね、とわざわざ周布に告げたのは、まだ許すつもりはないと教えてくれたのだろう。
 怖いサービスだけど、知らないよりはマシか。
 そう思い、周布は職員室を出た。
 この後、雪充と約束をしていたからだ。
「雪、終わったぞ」
 職員室の前で周布を待っていた雪充は心配げな顔だ。
 周布は雪充に告げた。
「良かったな。あの二人退学じゃねーってよ。ただし、中期はってことだから、来期次第ではわかんねーけど」
「そ、っか」
 野山が伝築に転科を希望したのは、すでに雪充には伝えてある。
 かなり驚いた様子だったが、一応はおさまった事に安心したようだ。
 周布は呆れ顔で雪充に言った。
「お前なあ、いくら元寮生だからって、そこまで気を回さなくていいだろ」
 しかし雪充は首を横に振る。
「僕が恭王寮に居たのに、片付けられなかった問題だよ。そういうわけにはいかない」
 まじめだねえ、と周布はため息をついた。
「ったく、関係ないって言ってりゃいいのに」
「そうはいかないよ。僕の采配ミスだからね。タマにもいっくんにも余計な目にあわせたし、御堀だってとばっちりくらったろ?」
「あー、でもあのお坊ちゃんは負けてねえみたいだぞ。そこだけはまったく心配しなくていいみたいでな」
「それはそうだろうと思うけどさ」
 雪充は苦笑する。
 御堀は最初はおとなしいお坊ちゃんだったのに、桜柳祭でゲージを振り切った後はなにかふっきれたかのように、文句や不満を隠さなくなった。
 だから御堀に関してはそんなに心配はしていないのだが。
「僕らが卒業した後、やっぱり出来るだけ問題は残したくないじゃないか」
「お前、ほんっと後輩に甘いな。どうにかするだろそこは。信じてやれって」
 現場でももう二年生に仕事を投げまくっている周布にしてみたら、雪充の感覚はずいぶんと後輩に甘い気がする。
 しかし雪充は言った。
「思いっきり甘やかしておきたいんだよ。だってあとちょっとしか出来る事はないのに」
 なんだ、と周布は笑った。
「おせっかいじゃなくお前のわがままか」
「そう」
 雪充は頷いた。
「ま、でも結局、どいつが一番運がよかったのかねえ」
 周布が言うと雪充も「まあね」と返す。
 うっかり恭王寮に選ばれて入ってしまった児玉か。
 それとも、いつの間にか後継者にされている一年の桂か。
 呼ばれた割には、資料室に入り浸っている服部か。
 朶寮になじめず、だけど上には立ちたがっていた入江次男か。
 それとも、性格に問題がある同士、退学になるところをうまくすり抜けた野山と岩倉の二人か。
 もしくは、あの、東京から来た眼鏡君か。
 雪充が言った。
「やった事はもう変わらないけど、結果だけはいつになっても変わるからね」
 未来は誰にも判らない。
 だから、今は思う限りの精一杯をするしかない。
 周布が言った。
「桜柳は一年が気をつかっているから落ち着いてるし、恭王寮は風通しがよくなったし。朶寮は入江が抜けて、次がどうなるかってところみたいだし。なんとか、受験前に落ち着くべき場所へ落ち着いたって感じか」
「そうだね。できればこれを前期にやっとくつもりだったけど」
「それも化け物じみた考え方だよ」
 それを雪充が出来ると信じていた、御門の二年、三年連中もどうかだ。
 結局、雪充は御門には帰れず、一年が新しく御門に所属してしまったが。
「しっかしさ、御門は贅沢だな。恭王寮の提督になるはずだった奴と、桜柳寮の提督になるはずだった奴が引っ張られてんだからな」
 笑う周布に、雪充も微笑んで頷いた。
「いっくんって不思議な子だよ」
 強引に引き寄せるタイプではないのに、その寮の中心にだってなれる児玉と御堀をかっさらっていってしまった。
 まるで最初はおまけのような扱いだったのに、とっくに本人の自覚のない間に、環境は見事に整っている。
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