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【16】バッハの旋律を夜に聴いたせいです

嫌いな奴と仲良くしろなんて歪んでる

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 いつの間にか長井は風呂を上がっていた。
 判っていたけれど、一言すら伝えにこない事に、全員呆れたが、もうあきらめることを覚えていた。
「大人でアレって、本当にどうかしてる」
 呆れる幾久に、栄人が首を振った。
「仕方ないよ。ああいう手合いは一定数いるもんだし」
「確かにそういうものかもっすね」
 児玉が頷く。児玉にとっては判りすぎるくらい、判りやすい相手なのだろう。
「話し合いができればどうにかなっても、話する気もなければ、自分の考えが正しいと思ってる奴とはどうにもできないよ。諦めるしかない」
「誉でもやっぱ無理なんだ」
「無理だね。ただ、お互いに無理って判ってれば関わらずに済んでそれはそれで平和なはずなんだけど」
 御堀の不思議な言い回しに幾久はひょこんと頭を上げた。
「え?どういう意味?」
 御堀は続けた。
「長井先輩が僕らを嫌いで、僕らも長井先輩を嫌いなら、お互い関わらないようにするよね」
「わかる!ガタ先輩ってそういうポジションだもん!」
「お前が俺をどう思ってるかはよく判ったわ」
 長井の後に入浴した山縣はさっさと上がってきていた。
「わータイミング良すぎ。いまガタ先輩の悪口言ってたんす」
「大丈夫だ後輩、ちゃんと聞こえてたぞ」
「あ、じゃあおれ次に入ってくる」
 栄人が立ち上がった。

「じゃあお前らはアイツの後に順番で風呂入れ。俺は寝ねーから、明日は早く帰って来い」
「うす、了解っス」
「じゃーな」
 山縣はそう言って自室へと戻って行った。

 残された一年生三人は、お茶を飲んで一息つく。
「なんかばたばたしてた。桜柳祭みたいだった」
「ほんとそれな。久しぶりの空気感だったわ」
 幾久と児玉が言うと、御堀も頷いた。
「桜柳祭の時は、やらなくちゃ!って責任感重かったけど、こういう立場いいね。お祭りみたいで」
「誉は責任感強すぎだからなー。そういうトコ、雪ちゃん先輩そっくり」
 幾久が言うと児玉も頷いた。
「判る。そういう所は元恭王寮の俺から見ても、似てるって思う」
「なんか今更だけど、強引に呼びつけてごめん」
 幾久が謝ると、御堀はいいよ、と笑った。
「協力はするよ。面白そうだし、役に立つことがあるかもしれないし」
 それに、と御堀は続けた。
「ちょっと気になるんだ。さっきも言ったけど、お互いに気にいらないなら関わるまいとするはずなのに、どうしてわざわざ嫌いな奴を逆なでするような事をするのかっていうのが興味があってね」
 御堀は興味深そうにそう言ったが、幾久はなぜそんな事に興味を持つのかが判らなかった。



 翌朝になった。
 高杉と久坂の居ない朝は少し妙な感じがしたが、代わりに御堀がいると、ちょっとほっとする。
 長井はまだ起きていないらしく、そして誰もわざわざ起こすつもりもないらしい。
 栄人が幾久に尋ねた。
「ガタの朝食、どうしようか」
「オレのスマホに持ってくるよう指示入ってますんで、持っていきます」
「やっぱ起きてるのか」
 児玉が言うと、幾久はそりゃね、と言う。
「ガタ先輩、言ったからには絶対やるもん。さて、ごはんごはん」
 幾久は山縣の指示通り、朝食を運びに行った。
「ガタ先輩、あさごはんっすよ」
「おー、いま開けるわ」
 がちゃがちゃっという音がして扉が開く。
「マジで起きてんすね」
「起きてるに決まってんだろ」
「うっかり寝落ちしないように気を付けてくださいよ」
 幾久が言うと山縣がモニターを示した。
「心配ねえよ。大佐が付き合ってくれるからな。リアルタイムで見張り中だ」
 えっと部屋を覗き込むと、インカムを付けた人がモニター越しに見えた。
「大佐?!お久しぶりッス!」
『おお、後輩殿でごわすな!おひさしブリーフ!』
「また変な言葉にハマってんすか」
 幾久は呆れるも、変わらないテンションと笑顔に思わず頭を下げた。
『事情はガタ殿にうかがっているでごわすよ!この不肖東大理三現役でよろしければ、協力しまくりんぐでごわす!』
「ホンっとお祭り好きっすね」
 呆れはするが、山縣をサポートしてくれるのが大佐と言うのは有難い。
「ってなわけで、授業、受験勉強、見張り、同時進行でやってやっからよ、さすがの俺様も夕方までがリミットだ。できるだけ帰りは急げよ。状況はてめーのスマホに報告すっからよ」
「ウス!頼りにしてるッス!」
 じゃあ、と言って幾久は山縣の部屋の扉を締めると、すぐにカチッという音がした。
「ほんっと用心してるなあ」
 あれだけ用心していたら、そうそう長井は手を出せないだろう。
(でも、長井先輩、ほんとマジでなに探してるんだろう)
 もしノートか本なのだとしたら、それは一体どういうものなのだろうか。


 杉松達が卒業し、やれやれと思っていた。
 毛利、宇佐美、椿、全員無事卒業し、これで面倒な連中はいなくなった。
 杉松を心酔していた青木なんかも静かになるだろうし、気は楽になるな。
 あとは一年を最初から締め上げておけばいいだけだ。
 そう思っていた長井だったが、とんでもなかった。
 元々、昔から盛り場に近い場所を遊び場にしていて、そのせいで柄の悪い連中とも付き合いがあった三吉は、暴力に長けていた。
 あっという間に寮では三吉の恐怖政治が始まった。
 三吉は杉松の前では相当猫をかぶっていたのだと、卒業後に長井は知った。
 飲酒、喫煙、暴力。
 毛利の方がよっぽどわきまえていた。
 手加減と無茶を知らないやつのほうが、タチが悪いのだと、そうなって初めて気づく。
 三吉と最初からうまくやっていた犬養は勿論揉めることもなかったし、三吉の飲酒も喫煙も咎めなかった。
 吸う場所を決めろと言うくらいで。
 二年になった青木、福原、来原は元々三吉と仲が良かったし、新しく入ってきた一年は、皆、青木達に懐いた。
 ロックが好きで音楽が好きだとずっとはしゃいでいた。
 結局長井は、望んだとおり、部屋にほとんど引きこもったまま残り一年の生活を終えた。
 互いに関わらなかった。
 それだけの事だった。
 これからもそうするはずだったのに、今更、自慢しか能がない母親のせいで、ばかげたことをしなければならなくなった。
(あんなもん、さっさと処理しとけば)
 そう後悔しても遅い。
 だからこうして、この場所に戻ってきてしまった。
 二度と足を踏み入れたくなかった、この街に、学校に、寮に。
 さっさとあんなものを捨ててしまおう。
 そしてもう、二度と帰ってこない。


 幾久達は学校に向かい、御堀とは教室前で別れた。
 昼に食事しながら作戦を考えようと約束していたら、高杉からも連絡が入った。
 結局、今日は休んでいる山縣以外の御門寮メンバーと、御堀が参加する形で学食に集合した。
 幾久はスマホを出し、皆に報告した。
「ガタ先輩からの報告っスけど、変わった様子はないみたいです。麗子さんからも長井先輩に、後輩のものに触らないようにって注意して貰ったし、オレらが帰るまで出来る限り寮の中で注意してくれるそうです」
「麗子さん、たのもしー!」
「長井の様子はどうなんじゃ?」
 高杉の問いに幾久が答えた。
「なんかずーっと寮でチェロ弾いてるそうです」
「ま、明日が本番だからね」
 明日は勤労感謝の日で、そのコンサートさえ終われば長井はいなくなる。
「しかし、一体何を探しちょるんじゃろうの」
 高杉が首を傾げる。
「判らないね。わざわざ自分で来るあたり、相当見られちゃまずいものなのかなって思うけど」
 久坂も言うが、見当もつかないらしい。
 全員がうなっていると、高杉のスマホに連絡が入った。
「殿からじゃ。幾久、お前に用事じゃと。飯を食い終ったらでええから、職員室に来て欲しいそうじゃ」
「えぇー、なんかもうすっごい面倒くさい」
「悪いが頼むぞ。ああ見えて心配性なんじゃ」
「判ってますけどさー」
 仕方ないな、と幾久は席を立った。
「じゃ、オレ職員室行ってきます。なんかあったら帰りに教えて」
「わかった」
「任せろ」
 御堀と児玉が頷き、皆、うなづき会議に戻った。


「ご無礼しまーっす」
 職員室に入ると、毛利と三吉が待っていた。
「おー、わりーな乃木。わざわざ来て貰って」
「別にいっすけど」
 三吉もどこか心配げに見ているし、ちょっと離れた席には玉木が座っていた。
「ところで長井、どうだ」
「どうだって。普通に嫌な奴っすよ」
「やっぱりか」
 はーっと毛利はため息をつくが、三吉は苦笑して言った。
「乃木君は容赦ないなあ」
「だって他に表現しようがないっす。オレの事杉松さんと間違えるし、バカみたいな嫌味言うし。勿論やり返しましたけど」
「うわそれ見てえなあ」
 そう言ったのは三吉で、毛利がたしなめた。
「みよ、一応生徒の前では本音やめろ」
「だって私アイツのこと嫌いですし」
「俺もだよ。でも教育上よろしくねえだろ」
 毛利が言うと、玉木が言った。
「あら、そうかしら?嫌いな奴と仲良くしろっていうほうが歪んでいるように思えるけど」
「たまきんが言うと説得力出ちゃうからやめて?我慢することを教えるのも大事な教育なの!」
「程度ものよね」
 玉木が言うと、毛利もそこは頷いた。
「そう、程度ものなんだよ。俺だって実際さ、お前自身の問題なら手助けなんかしねーけどよ。長井は杉松の事、ネチネチネチネチ言ってくるだろーと思うのよ」
「もう言ってますよ」
 教育に悪いと言いながら、幾久の事だったらほっとくって、そっちのほうが先生らしくないじゃないか、と思ったが面倒なので当然黙っておく。
「だからさ、ま、だから理不尽だなー、これさすがにオレの問題じゃなくね?面倒くせーなーって思ったら昨日も言ったけどちゃんと呼べよ。どうにかしてやっから。出来る事限定で」
「たのもしいっす」
 幾久が言うと毛利が答えた。
「わー、心がこもってなーい」
 なんだよ、と毛利は言うも、幾久はけろっとして言った。
「まあ、困った時とかは有難く助けて貰うッス」
 そういえば毛利にそんな事を言われていたが、昨日はあまりに頭にきすぎてすっかり抜け落ちていた。
「お前にはとばっちりで悪りーな」
「別にいっすよ」
 幾久が言うと三吉は少し楽しそうに言った。
「乃木君はそういうの嫌いかと思った」
「好きじゃないっすよ。でも、全部とばっちりでもないなって」
 毛利と三吉が顔を見合わせると、幾久は言った。
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