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【12】四海兄弟~愛しているから間違えるんだ

おはよう、御門の兄弟たち

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 翌朝、幾久は目を覚まし、洗面所へ向かった。
 そこにはいつものように久坂と高杉が居た。
 久坂は眉をひそめていたが、幾久は久坂に言った。
「瑞祥先輩」
「……なに」
「ハル先輩に、今夜お話があるんす」
 幾久の言葉に、高杉がこちらを見た。
 目は怒っていない。ただ、どこか心配そうな表情だ。
(そりゃそうか)
 幾久が未熟すぎてバカなことをやらかして、御門から追い出される瀬戸際なんだから、高杉が心配しないわけがない。
 だけど、いまどうこう言うべきじゃなく、きちんと幾久は話がしたかった。
 きちんと考えていると言いたかったし、決めていると伝えたかった。
 幾久は久坂に言う。
「だから、ハル先輩とお話させてもらえませんか」
「僕も同席するよ」
 腕を組み久坂が言うと、幾久は首を横に振った。
「あ、そうじゃなくて、全員お願いできますか」
「全員?」
 久坂は不思議そうな表情になり、幾久は頷いた。
「御門寮の全員っす。ガタ先輩は、オッケーだそうです」
 山縣の名前を出され、久坂は少し考えていたようだったが一言「いいよ」と言った。
「ありがとうございます」
 幾久はそう言って頭を下げた。

(ちゃんとやんないとダメだな)
 失った信用はきっと二度と戻らない。
 そりゃそうだと幾久も思う。
 折角教えてきたのに、やったことはあの女子と同じ。
 おまけに気を使えなんて、バカにしているにも程がある。
「幾久、おはよ」
 児玉があいさつした。
「おはよタマ」
 幾久の表情が暗くないことに児玉はほっとした顔を見せた。
「昨日、遅かったんだな」
「ウン。かなりね。ガタ先輩とめっちゃ話した」
 はは、と笑う幾久に児玉は「そっか」と言っただけだった。
「顔洗おう。先輩ら、もう使った後だし」
「そうだな」
「あ、そうだ。それとタマにも言っとくけど、今日の夜、オレ、御門の全員に話あるんだ」
 児玉は驚き、幾久に尋ねた。
「それって、いま俺が先に聞いたりとかできないよな?」
「うん。できない」
 幾久のきっぱりした言葉に、児玉は肩を落とした。
「あーあ。夜までずっとヒヤヒヤしてろって?昨日のガタ先輩との事もすっげえ気になってんのに」
「タマ正直だなあ」
 笑って幾久は顔を洗い、タオルで顔を拭った。
「ガタ先輩はなんていうか、凄かった。なんかオレ、ホント馬鹿だったってよく判った」
「お、おう……?ずいぶんな変わりようだな」
「ああ見えてやっぱ三年ってことじゃないかなと」
 さーて、頑張るかあ、と腕を伸ばす幾久を、児玉はどこか心配そうに見ていた。


 久坂と高杉は静かに食事をしていた。
「タマちゃん、いっくんおはよう!」
 栄人の元気な声に、幾久も児玉も頷いた。
「おはようございます、栄人先輩」
「おはようございます」
「なに食べる?パン?ごはん?」
 栄人の問いに、幾久が尋ねた。
「いまどっちが余ってます?」
「パン。八木先輩の差し入れがたんまり」
「じゃ、そっち食います」
「あいよ!」
 栄人はパンをトースターに入れた。
「おっはよう諸君!よき朝だなあ!」
 そう言って起きてきたのは山縣だ。
 幾久は椅子から立ちあがった。
「ガタ先輩、おはようございます」
 その幾久の様子に、全員が目を丸くした。
 だけど山縣は「おう、後輩!」とふんぞりかえっている。
「コーヒー、いつものでいっすね?パンは?」
「コーヒーはいつものだ。で、パンは一番甘いやつくれ」
「ウス」
 きびきびと山縣のいう事を聞いて動く幾久の様子を、全員が固まって見ていた。
 だが山縣は一向に気にする様子がなく、幾久もあれこれ動いている。
 固まっている全員に向かって、山縣が言った。
「おい全員、今夜後輩から話があるそうだ。御門についての重要な内容になるからな。よーく覚悟決めて待っていやがれ」
 驚いたのは栄人だった。
「いっくん、重要な話ってなに?」
 山縣が舌打ちして栄人に告げた。
「いま今夜っつったろーが。おめー時間の概念ねーのかよ」
「おれはいっくんに聞いてるんだけど」
 むっとして栄人が言うと、幾久がそれを止めた。
「ガタ先輩の言うとおりっす。今夜、きちんと全員の前でお話するッス」
 頷く幾久に、栄人は納得がいかないという風に山縣に言った。
「ガタ、一体いっくん何そそのかしたんだよ。昨日だって帰り遅かったし、遊んでただけじゃねーだろ」
「は?うっせえな、甘やかすしか能がない奴は黙ってろ」
「なんだよその言い方」
「言い方?お前に刺さったのは俺の言い方じゃねえだろ、内容だろ?図星刺されて言葉ずらして喧嘩売ってんじゃねえよアホか」
「なんだと?」
 苛立つ栄人と山縣の間に入ったのは幾久だった。
「やめてください、栄人先輩。ガタ先輩はなんも悪くないんす!」
 むしろ山縣は被害者だ。
 大切な高杉を、幾久によってバカにされたほうなのだから。
「いっくん、またガタに適当言われて」
「ないっす」
 幾久はきっぱり栄人に言った。
「ちゃんとオレ、自分の頭で考えました。いまオレが言ってることって、ガタ先輩に影響されたわけでも、そそのかされたわけでもねーっす。だから、お願いします」
 ぺこっと幾久が頭を下げると、栄人は渋々引き下がった。
「いっくんがそう言うなら引き下がるけど」
「あざっす」
「言っとくけど、今夜までしか引き下がらないからね」
 栄人が言うので、幾久は「ウス」と返す。
「あ、あとタマ、悪いんだけど、今日は一人で行くか、先輩らと一緒に行ってくんね?」
「いいけど」
 児玉が頷くと、栄人や久坂、高杉が幾久をじっと見た。
「オレ、今日ガタ先輩に話あるから、学校まで一緒に行く。あと。昼も一緒に食うから。今日だけだけど」
「……」
「―――――」
「……は?」
「……お、う」
 児玉は頷き、山縣は言った。
「ま、そういうこった。おめーらのカワイコちゃんお借りするぜ」
 ちゅっと山縣が投げキッスをした瞬間、幾久以外の全員が「しね」「殺す」「きめえ」「……」と捨て台詞を吐いて(あるいは飲み込んで)ダイニングを出たのだった。

「ガタ先輩、投げキッスはやりすぎじゃないっすか?」
 幾久の言葉に山縣はげらげら笑っていた。
「おい見た?あいつらのいやっそーな顔!マジうけるんすけどwwww」
「ハル先輩も嫌がってましたよ」
「いつものことだな!」
 そういって笑っている山縣に、やっぱこの人の言う事間違ってんじゃないのかな、と幾久は一瞬昨日の尊敬をなかったことにしたくなった。


 昼になり、幾久は山縣と約束し、学食で一緒に食事をとった。
 端っこの隅っこの席に座り、ずっと二人で話をしている。
 そんな様子を二年の三人、久坂、高杉、栄人はやや遠くから見つめていた。
 久坂は全く気にしていなかったが、高杉と栄人は二人が何を話しているのか気になって仕方がない様子だ。
「……なにを話しちょるんじゃろうの」
 ぼそりと高杉が言うと栄人が「ろくな事じゃないよ」と腹立たしそうに言った。
「ガタの奴、いっくん遅くまで連れ出しただけならともかく、あの朝の変わりようは何だっての。おかしいだろアレ」
 確かに幾久の様子はおかしかった。
 いつもなら山縣に用事を言いつけられても文句ばかりで、三年が言うから仕方なく、といった風に遣っていたのに、今朝は自ら世話をやいていた。
「ほっときゃいいだろ。どうせ今夜判るんだし」
 久坂は全く気にならないようで、食事を続けているが、高杉と栄人の二人はそれどころじゃないらしい。
「だって瑞祥、もしいっくんがこのままじゃ居づらいからってさ、御門出て行くとかって話だったらどうすんだよ」
 栄人の言葉に高杉の動きは止まったが、久坂はなんでもないと肩をすくめた。
「どうもしないよ。本人が望むならそうさせればいいんじゃない?一年はタマ後輩がもう居るんだし」
「まさか本気じゃないよな?」
 栄人の言葉に久坂が返す。
「本気?僕らがどうこうできる事じゃないだろ?いっくんが自分から出て行くのを望んだなら邪魔する権利はないし」
「でもそれって」
「黙れよ栄人。いっくんは間違えた。僕は許さない。ただ、チャンスは与えてる。それだけでも充分だろ」
 淡々と言う久坂の言葉に、栄人もそれ以上何も言えなくなる。
 実際、その通りだ。
 久坂が誰かにチャンスを与えるなんて、これまで一度もなかったし、そういう相手は限られていた。
 そういう意味では、幾久はかなりの特別待遇ではある。
(絶対、瑞祥だっていっくんに居て欲しいくせによー)
 そんな事を言おうものなら久坂が怒るのは目に見えているから当然栄人も言わない。
 高杉にしてみたら、自分が我慢をすればいいと考えていそうだが、そんなことを久坂が許すはずもない。
 それに実際、同じ失敗は何度も繰り返すものだ。
 幾久が意味をしっかり理解していれば、二度とこんなことをするはずもないが、そんなことがこの一晩であり得るのかどうか。
(ガタのくそやろうめ。あいつ、何考えてやがんだ)
 栄人は朝の山縣の事を思い出して苛立つ。
 そして山縣の言葉を思い出して、それが図星過ぎて自分の発言にも腹が立つ。
 確かに山縣の言っていることは正しかった。
(ほんっと、あいつハルが関わったらIQ跳ね上がりやがる。ゴキブリかよ)
 その、窮地に陥ったゴキブリ並みのIQを持つ山縣が一体幾久に何を言ったのか。
 栄人は心配しかなかった。
 幾久が雪充を慕っていて、いま恭王寮には児玉と幾久に嫌がらせしていた面々は居ない。
 元々恭王寮は幾久のような、穏やかなタイプが入れられるものだ。
 幾久は御門というより、恭王寮に雰囲気が似ている。
(まさか、雪ちゃんとこ行くとか言い出してないよな)
 雪充に尋ねれば早いのだが、もし尋ねて何も知らず、じゃあいっくんこっちに貰おうか、なんて言い出しかねない。
 それは栄人は嫌だった。
「間違える奴は何回も間違える。経験済だろ」
 久坂の言葉に栄人は黙るしかない。
 実際、赤根が居た頃はそうだった。
 時山に免じて皆何度も我慢したし、雪充も何度も説得した。
 その場では判ったと笑う赤根は実際はなにも判ってはおらず、結局誰の言葉も届いていなかった。
 結局時山が泥をかぶって赤根と出て行った。
(またあんな風に減るのかよ)
 嫌だと思っても、久坂は幾久を甘やかしはしないだろう。
 栄人は気になって幾久の居る方を見ると、山縣の話す内容に幾久が何度も頷いているのが見えた。
(ほんっと、なに話してんだろう)
 気にしても仕方がない事は判っていても、どうしても気になってしまう。
 とはいえ、久坂の前でこれ以上ぶつぶつ言う訳にもいかず、栄人は黙るしかなかったのだった。
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