上 下
173 / 416
【12】四海兄弟~愛しているから間違えるんだ

お前はそういう役目じゃない

しおりを挟む
 山縣は流れるように言葉を続けた。
「デブって別に好きなもの我慢してまで痩せたくねーとか呪文唱えるけど、自分の体が標準オーバーしてる時点で食うの我慢できねえってヤバいよな?酒我慢できねえアル中と一緒じゃん。そもそも、痩せるんじゃなくて標準に戻すんだろ?痩せるって言葉がもはや図々しいよな。痩せるなんて標準からそれ以下の奴が使えってマジで思うわ。デブのは痩せるんじゃねーよ、ありゃ治療でしかねえ」
「なんか説得力あるっすね」
 あの百キロ超えていた山縣が、目の前のスリムな男になったというのなら、その努力はすさまじかっただろうと判る。
「頭おかしいデブよりか、痩せたほうがまだマシだって思って、それから毎日学校行ったわけ。行っても行かなくても同じなら行けばええやんってマジで思ったし」
「でも、いじめられたんじゃないっすか?」
「そりゃなあ。デブって笑われるし、バカにされっけどさあ、家で毎日親が俺のピザ注文して、ダイエットしてるからいらねっつったらさ、泣きながらカワイソウ、カワイソウって言いながらモリモリピザ食ってるの見たら逆に笑えてしゃーなくなって、あーマジキチやべーわって思って、これは学校の方がマシなんじゃねーかと。少なくとも学校には俺に勝手にピザ食わそうとする奴はいねーわけだし」
 栄人が言っていた、『いじめなんかどうってことない』というのはこの事だったのか、と幾久は青ざめた。
「……聞いただけで吐きそう」
「やめろバカ、お食事どころだぞ」
「大丈夫っす。そんな気がするだけっす」
 幾久は、母親が好きではなかった。
 うっとおしいし面倒くさいし、勝手に幾久を思い通りに動かそうとする、それがたまらなく嫌だった。
 けれど山縣のも十分酷い。
「いまから考えたら俺もテンションあがりすぎて、尖りすぎてたわっつうのは判る。動画サイトはおかげで人気出たし、トッキ―んとこダンス行けたし」
「そもそもなんで、ダンスする気に?」
「こんなクソデブが踊ったら最高にうけるわって自分なりに思って」
 自虐にも程があるが、その結果がこれなら、努力は完全に実っているという事だろう。
「ダンス教室に見学に行ったら、まー女子も男子も嫌がるわな。でも俺は気にせずトッキ―のママンに交渉したわけ。体重、今の半分に落とすから、そのかわり痩せたらダンス代金払わなくていいかって。俺の事宣伝に使っていいからって。そしたらトッキ―のママン、面白がってオッケーしてくれてな。痩せなかったら勿論、払うつったけど」
「行動力すげえっす」
「いま思えば、俺だって十分おかしかったし、追い詰められてたなとは思うわ。けど、追い詰められてる時に、そういうのって判るわけねーんだよな。必死なもんだからな」
「そっすね」
 山縣ほどではないが、幾久も今考えれば、中学の卒業間際まで、ずっといろんなことを我慢して、いろいろ溜まっていたのに気づいてなかったと判る。
 ユースを落とされ、多留人とも関わりがなくなり、毎日塾に行かされてストリートのサッカーを見るのも嫌になった。
 折角入学した報国院でも自分の事ばかりしか頭になくて、山縣に喧嘩を売った。
 御堀だって逃げてきて、そのくせあんなにも気を使う性格だから、いっぱいいっぱいになって寮を飛び出してしまったのだろう。
 だったら高杉だって同じはずだ。
 それなのに気づかなかった。
「オレ、ハル先輩とか瑞祥先輩は、出来が良くて当たり前だし普通にそれができるもんだって信じてました。バカだったなって思います」
 しゅんとする幾久に、山縣は頬杖をついたまま、肩をすくめた。
「お前がバカすぎるバカでなくて助かったわ。高杉が追い詰められてるのはずっとなんだよ。成績はともかくとしてだ、それ以上のプレッシャー与えんなよ。お前はそういう役目じゃねーんだ」
「はい……」
 山縣は「やれやれだぜ」と呟いて言った。
「話しても判らない奴だったらなあ、追い出してやったのに」
「残念っしたね」
 追い出されなくて済んでほっとしているものの、山縣に素直にありがとうと言うのも癪で言い返すと、山縣は目を見開いて言った。
「なんでだ?高杉はお前が居たほうが喜ぶぞ?」
「ほんっと、ガタ先輩、変態っすね」
 高杉の幸せの事しか考えていないのは変わらないらしい。山縣は自慢げに言った。
「俺はマナーを守る変態よ」
 変態って所は否定しないんだ、と幾久は山縣の山縣らしさに呆れた。
「でもガタ先輩のことはともかく、トッキ―先輩のそんなトラウマとか、オレに話してよかったんすか?」
「なにが」
「トッキ―先輩の、プライバシーじゃないっすか」
 トラウマとか、家庭事情とか、そういうのはあまり他人に話すべきじゃないと思うのだが。
 だが、山縣は今更何を、という顔で幾久に言った。
「トッキ―にはお前に話す許可貰ってる」
 幾久は驚いて顔を上げた。
「なんで、っすか?」
「御門の一大事だって言や、あいつは逆えねーよ。御門大好きだもんな」
「なんで御門の一大事、なんすか」
 幾久が寮から出て行けば、今回のことはそれで終わり、それだけの話だ。
 山縣の言うとおり、児玉が居れば次世代は問題ないし、なんなら御堀が来てくれれば、御門寮はもっと安泰だろう。
 山縣は呆れて幾久に言った。
「あんたバカぁ?お前が御門になじむかどーか、一大事に決まってんだろ」
「……え?」
「言っただろ。高杉はともかく、久坂は昨日今日のアレが久坂の普通よ」
「あんなピリピリしてたんすか?」
 朝からずっと機嫌の悪さを隠そうともせず、命令口調でひどく冷たい。
 あれが普通とか、もしそうなら幾久はすぐに御門を出て行くだろう。
 山縣はため息をついて言った。
「だからあれが久坂のデフォだっつーの。ま、桂が居た頃はもうちょいマシだが、それでも基本アレよ。高杉も似たようなもんだった」
「そんなに?」
 山縣はほくそ笑みながら「そんなに」と頷いた。
「桂が言ってなかったか?久坂も高杉も、いまのほうがおかしいって」
「……そういえば、前に」
 幾久に対する態度のほうが雪充にとってはイレギュラーで、あの告白してきた女子にとった態度こそが久坂の普通なのだと。
 だとしたら、雪充の言葉は納得できる。
 この数日の間の久坂の態度は本当に冷たく、あの時に見せた態度そのものだった。
「おめーはさ、御門にむいてねーよ。向いてるとしたら、お前が拾ってきた桜柳の優等生ちゃんか、児玉のほうがモロ御門だわ」
「そう、っすね」
 久坂のあれが普通で、高杉の信じられないようなキツサがこれまでの普通なのだとしたら、幾久はずいぶんとぬるま湯につからせてもらっていた事になる。
(良い先輩キャンペーンは、あながちウソでもなかったってことかあ)
 てっきりふざけているのだと思い込んでいたが、案外あれ全部、本気で本音だったんだな、と幾久は知った。
 山縣が続けて言った。
「けどお前は御門に向いてねーから、御門がピリピリしてねーんだよ。麗子さん、楽しそうだろ」
「麗子さんは、いつも楽しそうっすよ」
「だーかーらー、それがもう違うっつってんの!」
 山縣はふんぞり返って言った。
「おめーは御門に向いてないから、こんなバカみてーなトラブル起こすんだ。御門に向いてる奴は基本、こんな問題起こさねえよ」
「でしょうね」
 きっと幾久みたいに甘えたことなんか言わず、きちんといろんなことを上手にこなすに違いない。
「けど、教えてやったろ俺様が」
 そんなの最初から織り込み済みだとばかりに山縣は言った。
「まー、高杉のフォローにお前を選んじまった俺にも原因はあらあな。追い出しゃそれですむっちゃすむけど、それじゃ高杉が楽しくならねーからな」
 幾久は山縣をじっと見つめた。山縣はニヒルな笑みで幾久に告げた。
「高杉のために居ろつったろ」
 あの夏の日、報国院に通うとは決めても、自分にとって本当にそれが良いのか悪いのか判らずに決めあぐねていた時、山縣はただ、自分の欲を幾久に告げた。
「お前が御門に向いていよーがいまいが、御門に居るって決めたんなら、腹くくれ後輩。合わなくても努力しろ。しがみつけ」
 山縣らしい、ちっとも甘くない応援は幾久に響いた。
「そういうの最っ高に御門らしくねーから、お前には向いてる」
 確かに御門らしくないと思う。
 御門の人はみんな涼しい顔で難しい事をやってのける。
 努力なんか当たり前で、優秀なのは普通です、みたいな雰囲気でいるもので、幾久みたいな失敗をしたりしない。
 らしくなくても腹をくくって、そこに無理でも居るしかない。
「気を遣え。無理矢理馴染め。互いに他人って事を忘れんな。寮の連中を家族扱いして甘えんじゃねえ。お前、家族が嫌でここ来てんだろ。なのになんでんな嫌なもんになろーとしてるんだよ」
 幾久は全身が震えた。
 そうだ、母親の干渉がずっと嫌で、報国院に父が逃がしてくれたのに、なぜ自分は家族の役目を、嫌いなものを、先輩に押し付けようとしていたのだろう。
(家族になっちゃ、駄目なんだ)
 今更そのことに気づいて青ざめた。
 家族じゃない。
 兄弟でもない。
 ただの同じ学校の、同じ寮の生徒同士でしかない。
 どうしてだろう。
 家族なんか嫌なのに、家族じゃない関係が、ひどく悔しい。
 でも多分、それこそがダメな感情なのだろう。

 なにか特別だと思っていた。
 でもそんなの幻想だった。
 結局自分たちは他人同士でしかない。
 だから、いつでも簡単に壊れてしまうものなのだ。

 山縣は壊さない為に、こうして幾久を呼んだのだ。
 高杉の為に。御門の為に。

 そうでなければきっと、もうとっくに幾久を退寮させてしまっただろう。

 考えなければいけなかった。
 御門を疑似家族のように扱って追い出された赤根のように、御門での間違いをしないように。

「なんで、こんな簡単な事、わかんないんすかね」
 自分もそうだったし、きっと赤根も同じだろう。
 他人だと判り切っている事実がいつの間にかすり替わっている。
 山縣は言った。

「決まってんだろ。バカだからだよ。オメーだけじゃねえ、どいつもこいつも、んな事がわかんねえんだよ。肩書つくと、もうその気分でいやがるんだ」

 先輩だから、後輩だから。
 同じ寮だから。クラスだから。
 そっか、と幾久は思い出す。

(だから赤根先輩、鷹なら俺の後輩とか、そんな風に言ってたんだ)

 赤根が言っていることは間違っていない。
 でも、同じ後輩という言葉でも、赤根が使うのと高杉が使うのとでは、幾久の中では全然違う。
 話さなければ絶対に判らないのに、言葉だけではどうして通じないのだろうか。
 高杉が、御堀を見失ったときに、手を繋いで帰って来いと言った理由がいま判った。
 言葉は絶対に必要なのに、言葉だけでは足りないのだ。

 沢山考えて、観察して、話して話して、確認し合って、それでも足りなくて手を握るしかない。
 そして多分、それでもきっと、判りあえて足りるという事は決してない。

「どうすれば、いいんスかね……」

 幾久がぽつりとつぶやいた言葉に、山縣はさあな、俺にもワカンネ、と返しただけだった。
しおりを挟む

処理中です...