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【11】歳月不待~ぼくら運命の出会い

get up again

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  結局児玉が先に風呂に入ることになり、流れで寮にあがった時山と御堀に幾久はお茶を用意した。
 お茶を飲みながら御堀は感心して言った。
「幾、ほんと異様に上手いね。知らなかった」
 御堀の賞賛に幾久は首を横に振った。
「いや、そうでもないって。こういうのが得意なだけで、オレはユース落ちてんだし」
「幾のレベルで落ちるなんて信じられないんだけど。どこ落ちたの?」
「ルセロ」
「は?」
「ルセロ」
「……ルセロって、あのルセロ東京?アジアチャンピオンズリーグで優勝した?」
「そうだけど」
 時山は苦笑する。
 自分と同じこと言ってんな、と思ったからだ。
「驚いたな。上手いはずだ」
「いやいやいや、だからプライマリまでだって。オレなんかより全然上手いレベル違う奴ばっかだったし」
「幾のレベルからでも桁違いって、ルセロ凄いな」
 御堀は感心するが、幾久は首を横に振った。
「オレなんかコネみたいなもんで入ってるし、子供の頃に同じルセロに居た奴で海外行ってるのもいるからさ。ホントレベル違うよ」
 あの、やたら上手くて認められている多留人ですら、国内で伸び悩んでいるのだから、幾久のレベルなんか可愛いものだ。
 時山が御堀に言った。
「な?地方の二部のお山っていかんよな?」
「肝に銘じないと」
「いやいやいや、ちょっと前まで現役ユースだった人らがなに言ってんの?オレのは小細工だからね?」
 細かい足技が好きであれこれできるのは否定しない。
 ストリートではそれが有利だし、カッコいいと思っているからだ。
「小細工でも負けは負けだよ」
 御堀はめずらしくため息をついた。
「なんかお山の大将って、今日は思い知らされたなあ、僕」
「反省するのは良い事だぞー後輩」
 ニヤニヤして御堀に言うが、幾久が言った。
「トッキ―先輩もちゃんと反省してください。試験前なのになに後輩の邪魔してるんすか」
「はーい」
 ちっとも反省していない風に、時山が手を上げる。
 と、風呂に入っていた児玉が上がってきた。
「お先。幾、御堀、どっちでもいいから風呂入れよ」
「じゃあ、誉先に」
「いいよ。一緒に入ろう」
 そういう御堀に幾久はそれもそうだな、と思って一緒に入ることにした。


 入浴を済ませ、御堀と幾久と児玉は三人で布団を並べた。
 時山は山縣の部屋に遊びに行っているらしい。
 気が向けば帰ると言っていたので放っておいていいと判断し、三人は眠ることにした。
 児玉と御堀の間に幾久が真ん中に入る。
「あー、つっかれた」
 やっと眠れる、と布団に突っ伏す幾久に御堀が謝った。
「今日はゴメン」
「いいよ別に。いっつも誉にみんな押し付けてんだから、半日くらいどってことないでしょ」
 そう言って布団の上でごろごろ転がる。
「御門、布団なんだ」
「ベッドも言えば入れてくれるっぽいけど、なんかこれで慣れちゃってさ。気持ちいいし」
「二人の部屋は?」
 御堀の問いに幾久と児玉が首を横に振った。
「ないよ」
「ねーな」
「えっ」
 ますます御堀が驚く。
「不便じゃないの?」
「んー、着替えはそれ用に場所があるから、服はそこだし、教科書とか適当に棚に置いてるし、ゲームはガタ先輩の借りてるし、とりたてて不便ってこともないかなあ」
 児玉も頷く。
「俺もこっちに越してきたばっかだし、荷物はかためとけばそれでいいし、あんまり不自由してないっていうか」
「先輩たちもみんなそうなの?」
 御堀の問いに幾久は「違うよ」と答えた。
「ガタ先輩は一室一人で使ってる。瑞祥先輩とハル先輩は同じ部屋使ってて、栄人先輩はオレらみたいに荷物まとめてるだけ。バイト行ってること事多いし、でなかったら寮の仕事してるし」
「部屋欲しいなら好きな部屋使っていいって言われてるけど正直そこまで必要でもねーかなって」
「一人になりたいときとかないの?」
 御堀の問いに、児玉も幾久も首を傾げる。
「そういや、そこまで意識したことねーな」
「あえて一人になりたいってことないなあ」
「嫌にならないの?」
 幾久は考えて、答えた。
「ここってさ、離れあるから一人になりたかったらそこに行けばいいし、先輩がいいよって言えば多分離れに泊まるのも出来るし。庭かなり広いから、散歩してても一人にはなれるかなあ」
 でもそういえば、あえて一人になりたいとか、ほっといて欲しいと思った事は無い。
 家族以外と暮らしたことはないし、殆ど母と二人だった家でも、部屋に閉じこもりきりだった。
 この寮では大抵、誰かの気配があるし、かといって騒がしくていいかげんにしてくれと思った事はない。
 時山の件は別にして。
「誉は、桜柳で一人になりたかったの?」
 幾久の問いに、御堀は息を詰まらせた。
 居心地が悪いわけじゃない。むしろ先輩たちも同級生もみんな鳳だらけで頭がいいし空気も読むし、居心地はいいはずだ。
 気遣いもしているし、毎日笑いだって絶えないし、勉強をする時間も場所もある。
 あえて言うなら部屋がちょっと狭いかな、というくらいだが、皆寝るときくらいしか部屋に居ないので不満を言う人がない。
 不満なんかなにもないのに、どうして一人になりたいのだろう。
「判らない」
 素直に御堀はそう答えた。
 一人になりたかったのか、そうでもなかったのか。
 ただ、居心地が悪いはずもないのに、いつも一人になりたかった気がする。
「そっか」
 幾久は答える。
 ごろんと御堀のほうへ寝っ転がった。
「もう寝よ」
 おやすみ、と言いながらふわあとおおきなあくびをした。
「眠りたくないな」
 御堀はぽつりとつぶやいた。
 幾久は閉じていた目を開けて、御堀に言った。
「ほんっと誉って子供みたいだね。明日また遊んだらいいじゃん」
 早く寝なよ。
 そういって御堀の布団に手をつっこんで、御堀の手を掴んだ。
「明日一緒に遊んであげるからさ、もう今日は、寝よう……」
 言い終わる前に、すう、と幾久は寝落ちしてしまって、御堀は仕方なく目を閉じた。


 多分、夢を見た気がする。
 真夜中に訪れた海岸を、一度しか見ていない海辺のお城の跡の石段を、手を握って青い空の下、全速力で笑いながら駆け抜けた。
 走っても走ってもどこまでも高い場所に石段は続く。
 目指す場所に到着しなくても、別にいいや、こんなにも楽しいし。
 そう思った途端、石段が終わり到着した。

『見てみなよ、誉。月が綺麗だよ』

 そう言って青空を指さした。
 その先には、白い大きな月が見え、信じられないほど青い海の上に、色とりどりの船が浮かんでいた。
 船は進むうちに鳥に変わってはばたきはじめた。
 夢だよこんなの。
 そう夢の中の自分は思っているのに、そう信じたくなくて口を開かなかった。
 いつまでも遊んでいたい子供が、外の暗さに気づかないふりをするみたいに。

 だからこのまま起こさないでほしい。
 ずっとこの夢を見ていたいから。

 せめて鳥が全部、海から羽ばたくまで待ってよ。


 甘ったるい香りがただよっていて、御堀はゆっくり起き上がった。
 数人が話をしている声が聞こえ、起き上がって部屋を見渡すと、布団が敷かれたままで、寝ているのは御堀一人だけだった。
 枕元に着替えがおいてあり、これに着替えろということかと御堀は服に袖を通す。
 カットソーにカーディガンにズボンだが、どれも素材がいいものだ。
(先輩のかな)
 サイズが問題ない、ということは御堀と身長が近い高杉の服だろうか。
 それにしては大人しいというか、イメージと違う。
 着替えて顔を洗いにいくと、タオルと使い捨ての歯ブラシまで置いてある。
 ありがたくそれを使わせてもらい、御堀は外見を整えるとキッチンへ向かった。

「あ、誉おはよう。よく寝てたね」
「おはよう……」
 キッチンに居たのは、幾久と児玉だけだった。
「先輩たちは?」
「出かけてるよ。いま寮にいるのはオレらとガタ先輩だけ。ガタ先輩はほっといていいから」
 すわりなよ、と椅子を勧められ頷き座った。
「なに飲む?コーヒー?紅茶?」
「じゃあ、コーヒー」
「りょーかい」
 幾久と児玉が支度をはじめ、御堀の前にホットケーキを置いた。
「何枚食べる?」
「……これ朝ごはん?」
「そうだけど。嫌い?」
「いや、なんていうか」
 いただきます、と御堀は素直にそれにナイフとフォークを差した。
「御門って寮母さんが作るの基本晩飯だけだから。朝とか自由なんだよ」
「土日はよく粉ものやってんだよな」
 な、ね、と児玉と幾久が顔を見合わせる。
 皿の上にはざっくりと切られたフルーツの大盛りもあるし、クリームもある。
「御門って変わってるね」
「まー、でも慣れた。オレも最初びっくりしたけど」
 幾久が言うと児玉も頷く。
「面倒じゃなくていいけどな」
 食事の途中だった児玉と幾久も、ホットケーキを食べていた。
(子供じゃないのに)
 まるで子供扱いみたいなのに、ちっとも腹が立たないのはこの寮の全員がこれを楽しんでいるからなのだろうか。
 幾久はホットケーキの上にどっさりとクリームをのせて、その上にフルーツをのせ、チョコレートシロップをうずまくみたいにかけ、おまけにメープルシロップまでかけた。
 満足そうに口に運ぶも、「甘すぎる」とまゆをひそめて、御堀はとうとう我慢できずに噴き出した。
「当然だろ、バカなの幾」
「いいじゃん、やってみたかったんだよ」
「やってみた結果は?」
 児玉が尋ねると幾久は答えた。
「やるんじゃなかった」
 その答えに御堀はますます笑って、幾久のホットケーキにフォークを差した。
「食べるの、手伝うよ」
「助かる」
「じゃ、俺も」
 児玉も幾久のホットケーキをつまんだが、全員が顔をしかめて「あまい」と文句を言った。



 御堀は結局、昼過ぎに桜柳に帰ることになった。
 勉強はもう昨日のうちに終わっているからすることもないし、あれだけできたら今回の試験だって大丈夫と二人にお墨付きを出した。

 幾久は門の前まで御堀を送った。
「ねえ誉、やっぱオレ、桜柳寮まで送ろうか?」
「なんでだよ。大丈夫だって」
 笑う御堀に、幾久はでも、と心配げだ。
「オレが一緒の方が気楽じゃない?」
「そりゃ気楽は気楽だけど、別にそこまでじゃないよ。自分の寮だし」
「そうだけど」
 心配する幾久に御堀が肩をすくめた。
「なに?幾、僕が帰っちゃうとさみしいの?」
「またそういう……」
 呆れた顔で幾久が言うも、それが御堀の気遣いだと判っているから文句も言えない。
「そういうことばっかやってると、また行方不明になりたくなるんじゃないの」
 精一杯の嫌味を言う幾久に、御堀は笑った。
「その前に幾を誘うよ」
 にこっと王子様スマイルで笑われると、幾久はため息をつくしかない。
「今度はスマホ持っといてよ」
「わかんないなあ」
 御堀はそういって門の外へ出た。
「じゃ、またね幾。試験がんばろう」
「うん」
 門から出て行く御堀を幾久は見送る。
 背を向け、歩き出した。
 なんとなく見ていると、御堀が振り返って手を振ったので、幾久も手を振りかえす。
 と、御堀の口が動いた。
 なんだろうと門から出て、じっと御堀を見た。
『また、うみへ、いこう』
 御堀の口はそう動いていて、幾久は頷いた。
『うん、いこう』
 そうして互いに笑って手を振って、幾久は門を入り、寮へ帰って行った。


 御堀は寮へ向かいながら、その足取りが軽い事に気づいていた。
 多分子供ならスキップしたくなるようなほどの軽さだ。
 残念だなと御堀は思う。
 もし幾久と一緒だったら、手を繋いでスキップして帰ってやるのに。
 そうしたら桜柳寮の面々は何て言うだろう。
 三吉はきっと大笑いして、山田は呆れて、先輩たちは苦笑いだろうか。
 そうしたら目の前で幾久とサッカーしてやろうか。
 幾久がどれだけ上手いか判ったら、きっと皆驚くだろう。

(御門だったら、面白かったろうなあ)
 自由すぎるくらい自由でほったらかしで、みんな好き勝手にやってるのに統率がとれている。
 おかしな寮と、おかしな人たち。
 そしてあの場所は、海が、近い。

 御堀は足を止め、そしてある考えを思い浮かべて、笑ってしまった。
(そっか。自由なんだ)
 姉が言う、報国院の自由の意味にやっと気づいた。

『ねえほま、あの学校はいいよ。あんたおりこうだから、きっと自由を与えてくれる。普通はあんたみたいなのって勝手に窮屈になるもんだけどね』

 自分が窮屈な場所にいるとも、窮屈な服を着ていることも気づかなかった。
 昔からそれが当たり前で、そういうものと思っていたから。
 場所が代わっても、することは変わらないのになぜわざわざそんな場所へ行くのか。
 だけどいつも間違えない姉のいう事だから興味を持ってついていったその場所で、同じじゃないことに気づいた。
 誰が見たって、この場所はこの場所でしかない。
 だけど御堀にとっては恋に落ちた大切な場所だ。
 まだ全部終わったわけじゃない。
 評価の巻き返しはいくらでもできる。
 落ちたとしても上げればいい。
 落とさないように恐る恐る動くより、落としても挽回できる方法を探せばいい。

 桜柳寮に到着した。
「ただいま」
 玄関を開けると、すぐに迎えに出たのは三吉だ。
「おかえり」
 そのほっとした笑顔に、心配をかけていたのだなと判る。
「みんな試験前でさ、勉強してるんだ」
「そっか。じゃあ静かにしたほうがいいね」
 改めて謝る必要はなく、静かに日常に入ればいい。
 そう言われている気がした。
「御門、めちゃくちゃ広かったでしょ?」
 行った事のある三吉が言うと、御堀が頷いた。
「全部は見てないけど、かなり広いよね」
「そうそう、寮の中で散歩できるとか、半端ない広さだよね。散歩好きなみほりんには合いそうだよね」
 そう三吉が言った時、やはり彼は勘がいいのだなと思った。
 ただ、聞かれないので答えなかったが。
 御堀は尋ねた。
「お金先輩は?」
「勉強してたと思うけど」
 そう言ってリビングに向かうと、確かに梅屋が勉強中だった。
「御堀、おかえり」
「おかえり」
 リビングで勉強中だった寮の面々が、そういって顔を上げた。
 誰も何も、どうしたのか、何があったのかを聞こうとしない。
 御堀は気遣いに素直に甘えた。
「すみません、あの、お金先輩」
「ん?」
 梅屋が顔を上げた。
「試験中なのは判っているのですが、少し散歩におつきあい頂けませんか?」
 御堀が言うと、梅屋は尋ねた。
「真面目な話か?」
「はい」
「そっか。じゃあ、ま、付き合うわ」
「ありがとうございます」
 きっと昨日の話を仲のいい梅屋にするのだろう。
 皆そう思って、御堀と梅屋が散歩に出るのを、暖かく見守っていた。

 まさかそれが、この時止めなかったせいで、後悔と爆笑を呼ぶ羽目になるとは誰も思わなかったのだが。
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