上 下
150 / 416
【11】歳月不待~ぼくら運命の出会い

ロミオと男子ジュリエット、共に女子校から脱出す

しおりを挟む
 さぞかし埃っぽく真っ暗な中かと覚悟して階段を上がった幾久の眼前に広がっていたのは、決していかにも屋根裏部屋、といったものではなかった。
 かなり広い、しっかり鉄骨の組まれた三角の形状の部屋で多分上は屋根だろう場所は補強されていた。
 床はセメントのようなもので固められて、天井や明り取りの窓からも光が入ってくる。
「広い」
「本当だね」
 驚く幾久と御堀に、杷子が「でしょ?」と笑う。
「この旧校舎はね、見ての通り煉瓦造りなんだけど、古いでしょ?で、保管の為に工事して、全部建物は耐震補強されたの。その時にこの屋根裏も作られたんだけど、使い道が決まってなくて誰も使ってないの」
「へー、そうなんすか」
 まるで秘密の基地みたいでかっこいいと幾久が言うと御堀も頷く。
「階段がうちの部の打ち合わせ室にあるのもみんな知らないからね。知ってるのは私とか大バナナとか、ほんの一部メンバーだけ。内緒にしとかないと、たばこ吸ったりするバカが出ても困るし」
「女子校でもそういうの、あるんすか」
「あるよー、ばりばりあるよ。旧校舎を文化部に使わせてるのも、そういうのする連中が少ないからって理由だったりね」
 杷子は迷わずに先を歩いていく。
「この先に非常階段があって、実は外部に繋がる扉の前に出るの。静かに、行動は素早くね?」
 杷子の言葉に、幾久も御堀も頷いた。
 杷子が床の扉をぎっと開けると、そこには梯子がついていた。
 杷子から順番に降り、そっと扉を開け確認すると、杷子が外部へつながる扉をさっと開けた。
『いまよ!』
 幾久も御堀も二人は黙って続いて梯子を下り、杷子について走る。
 煉瓦造りの塀に、小さな通用門があってそこの鍵を杷子が開けた。
「よし、誰も居ない。二人とも、いい?今から黙ってついて来てね?」
 学校の外の通路に出たが、裏はすぐに民家がたくさんある。
 向こうには運動部が使うグラウンドが見え、生徒の姿もちらちら見えた。
「行くよ!」
 杷子が言うと、走り出した。
 民家の敷地内に勝手に入ったまではともかく、家の中の通路まで通ったのだから驚くが、杷子が黙って走り抜けたのでついて通る。
「おばあ!ちょっと通るよ!」
 そう途中である家で杷子が叫ぶと、奥から「はいはぁーい」という声がした。
 民家を走り抜けて、小さな通路に出ると、杷子は様子を見つつ山のほうへ走り出す。
 2人もそろってダッシュして、そうして道を曲がったところでやっと杷子が足を止めた。

「あー、疲れた、ここまで来たらもう大丈夫のはず」
 ここはどこだろうと幾久は見上げた。
 かなり高い木々があって、暗い雰囲気の山だが、坂道の上に鳥居が見えた。
「神社?」
 こんな場所に?と首を傾げる幾久に、杷子はそっか、と頷いた。
「知らないんだ、二人とも地元じゃないんだっけ?」
 幾久は頷いた。
「オレは東京からで、御堀君は周防市です」
「ああ、じゃあ知らないか。よし、じゃ案内するよ。一緒にお参りしてこ?」
 杷子の言葉に、御堀と幾久は顔を見合わせて頷いた。

 うっそうと木が生い茂る山の中、三人は急な坂道を上り、境内へと到着した。
「先にお参りしよう」
 杷子に言われたので手水で手を洗い、三人は小さな本殿にお参りした。
 本殿と言っても新しく、そう大きな神社ではない。
 お参りを済ませて、杷子は本殿の向こうに広がった海を指さした。
「ほら、すごいでしょ」
 目に入った景色に、幾久と御堀は息を止めた。
 眼前に広がるのは一面の海だ。
 広場のような場所を杷子がどんどん歩いていく。
 柵があり、その下は崖だ。
 海の向こうに小さな島がふたつ見える。
「あの島はね、報国院の神社の敷地になるの。飛び地って言ってね。禁則地で入れないの」
「へえ、そうなんすか」
 海の上にある島が、毎日通っている学校の神社の敷地内というのも変な気がする。
「神話の頃からのお話もあってね、このあたりの子ならみんな知ってるよ」
 柵に手をおいて風景を眺めた。とてもいい眺めで、いつまでも見ていられる気がする。
「夜明けもすごいから、初日の出なんかめちゃめちゃ人が写真撮りに来るよ。いい眺めでしょ」
「……綺麗だ」
 御堀がぽつり、呟いた。
 静かに海を見つめるその目は、感動しているように見えた。
「うん、きれいだね」
 幾久も頷く。御堀は海をじっと見つめて、目を離さなかった。


 しばらく海を眺めていると、杷子のスマホに連絡が入ったらしい。
「げ」
「わこ先輩?」
「うーん、ちょっと困ったな」
「困ったとは、何が?」
 ふたりが尋ねると、杷子が腕を組んでため息をついた。
「実は、逃げさえすりゃ、三十分くらいでみんな引くんじゃねーのって思ってたのね。ここ、実は校則で来ちゃいけないことになってるしウチの生徒は来ないのよ。だからちょっと時間潰して、こっそり帰ったらいいかなって」
「引いてないんすか?」
 杷子は首を横に振った。
「旧校舎の中に部活じゃない生徒が乱入したもんで、文化部の連中が超怒ってて、しかもバナナが機転きかせて、いっくんも御堀君も、いま私が本校舎内を案内してるってことになってるから本校舎に移動して探してる連中と、校門前と裏門で張ってるグループに別れてるって」
「うわ」
「……」
 幾久と御堀は顔を見合わせた。
 このあたりの道を考えても、ウィステリアを通過しないとどこへも帰れない。
「どうしよう。これじゃしばらく帰れない」
 幾久が言うと、御堀も困った様子になった。
「いや、それをなんとかするのが私なんで」
 そう言って杷子はスマホを操作する。
「お、二人とも運がいいねえ。丁度引潮だから行ける」
「引潮?」
「?」
 幾久と御堀は顔を見合わせたが、杷子は楽しそうににやりと笑ってみせたのだった。


 神社を降りて、ウィステリアに戻るのかと思ったが、杷子は狭い通路に入って行った。
「どこ行くんすか?」
 神社を降りてからウィステリアの間には古くからの民家がひしめき合っている。
 とてもじゃないけれど車なんか通れないし、たぶん2人並んで歩くのが精いっぱいというくらいに狭い道だ。
「地元民しか知らない道。ウィステリアの子も多分殆ど知らないよ」
 煉瓦造りの塀や、土塀や、全く関係ない近代的な塀もある。
 雑多な人の家の通りを抜けて歩いていく。
 奥へ奥へと進んでいくが、どこへ向かっているのだろう。
 普通の細い家々の路地を抜けた、その瞬間、いきなり視界が開けた。

「うそ」
「えっ」

 幾久と御堀が声を上げた。

「驚いたでしょ」
 杷子が笑い、二人が頷く。
 路地を抜けたその瞬間、眼前に海が広がっていた。
 まさか民家の狭い通りを抜けて、いきなり海への道があるとも思わなかった。
 あまりに突然で、二人とも信じられないような顔をしている。
 杷子は砂浜をがつがつ進んで行った。
「さーて、潮が満ちる前に移動するよ!」
 慌てて二人とも、杷子の後を追いかける。
 海岸は整備されている海水浴場みたいな整ったところではなく、岩もむき出しで歩きづらそうだった。
「いっくんはスニーカーだからいいとして、御堀君は革靴か。気を付けてね。ここすっごく滑るから、注意して」
「はい」
 杷子はさすがに地元っ子の強みか、さくさく進んで行くが、岩場がごつごつしてとにかく歩きにくい。
「御堀君、足元とにかく気を付けて、めっちゃ滑るからね。岩場は転んだら怖いよ」
「はい、」
「ゆっくりでいいから」
 杷子も気を使っているのだろう、できるだけ歩きやすい場所を選んで歩いてくれている。
 足元の岩場にはたくさんの水たまりがあった。
「なんか動いた!」
 幾久が驚いて言うと、杷子が答えた。
「エビでしょ。ちっさいエビがいるから。あとイソギンチャクもいるし」
 確かによく見ると、小さな透明のエビが動いていた。
「なんかワイルド……」
 幾久に御堀も頷いた。
「すごい岩、荒いですね。隆起も激しいし」
 革靴なので御堀は歩きづらそうにゆっくり足を出している。
「そうそう、ここ危ないのよ。ちょっと油断したらすぐに取り残されちゃうし」
「取り残される?」
「満ち引きが早いってこと」
 確かに、岩場はどこも登れるくらいに隆起していて、その上の岩場に立って釣りをしている人がいるが、もし潮が満ちてしまったら戻る為の足場なんか当然ない。
「事故とかないんすか?」
 幾久が尋ねると杷子は「ないねえ」と答えた。
「ぶっちゃけ、ここって地元民しか知らないし、正直よそものがここ通るのは自殺行為ねえ。だから、いっくんも御堀君も絶対にここ通っちゃ駄目よ。トッキ―とか、ハルちゃんとかが一緒ならまだしも」
「判りました。通らないようにします」
「素直ねーいっくん」
「先輩ら、めちゃくちゃうるさいっすもん」
 多分、この近くの海岸になるのだが、久坂と高杉がいつも散歩をしている場所がある。
 お城の跡らしいのだが、二人で頭を整理したいとか、話があるときはいつもそのあたりを散歩コースに選んでいる。
 幾久も何度か連れてきてもらったことがあるし、お城の跡をぐるっとまわるように急な階段もあり、マスターにお散歩という名のレスラー修行に連れまわされたこともある。
 その時も全員から、とにかく潮の満ち引きに気をつけろ、絶対に岩場に行くな、落ちるような真似はするなとうるさく注意を受けていた。
「みんなのいう事は最もよ。だって潮が満ちたらこのあたりの岩場全部埋まるよ。あの岩山あるでしょ」
 超えるにはちょっときつそうな、小山のような岩山がある。
「満潮になると、あそこしか出ない」
「えっ、そんなに水、来るんすか?」
 いま、幾久がいる場所から見ても、数メートルは上にある。
 ということは、それだけ満ちるということだ。
「それに加えて、このあたりは特に波が速いから。見てごらん、手前とちょっと奥、その奥で流れが違うでしょ」
 幾久は杷子の示した方向を見た。
 確かに手前と奥、さらにその向こうはかなり速い流れが別方向に交錯していた。
「落ちたら最後と思ってね」
「うわー……コエエ」
 先輩たちが口をすっぱくして、絶対に一人で海に行くなという理由がやっと判った気がした。
しおりを挟む

処理中です...