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【8】空前絶後~コミケ参加、それが俺のジャスティス

大人はみんな気を使ってる

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 大佐の奢りでゆっくり風呂にも入れたし、食事もできたし、面白い話も沢山聞けた。
 大佐は今夜、このスーパー銭湯に仲間と泊まるのだという。
「泊まる施設があるんでごわすよ」
 仲間は別の人とオフ会中らしい。
 いつもはそっちの仲間とオフ会をするのだそうだが、今回は山縣と暫く会えないからとわざわざ別に時間をとったらしい。
「なんかオレ、お邪魔したんじゃないっすか?」
 二人は仲がよさそうなので、居てもよかったのだろうかと今更心配になったのだが、大佐は首を横に振った。
「前にもお伝えした通り、後輩殿をガタどのが連れてきたことが、ワガハイにはなによりの喜びでごわす」
「それならいいんすけど」
 そう言いながら、山縣と幾久は借りた浴衣を脱いで帰り支度を始めた。コミケでさんざん汗をかいた服はもう着たくないので、山縣の用意した下着とハーフパンツに着替えた。
「いつのまにちゃっかり買ってんすか」
「先輩に感謝しろよぉ」
「や、先に言ってくれてたら自分で用意しました」
 言いながら幾久は着替え用のTシャツを着て、整えた瞬間動きが止まった。なぜなら、Tシャツの胸の部分に、どーんと可愛い女の子の絵が描いてあったからだ。俗に言う萌え絵だ。
「うはwwwwカワユスwwwwww」
「……なんなんすかコレ」
「なにって、ボルケーノちゃんだよ」
「あ、もういいです」
 幾久は突っ込むのをやめた。
 山縣がはまっているアニメのキャラクターだと判ったからだ。
「おい後輩、なに脱ごうとしてんだ」
「脱ごうとしてるんじゃなくて脱ぐんです」
「なーんーでーだーよ」
「恥ずかしいからに決まってるからじゃないっすか!」
 萌え絵のTシャツなんか冗談じゃない。
 時山なんかが着ている、アニメキャラだと判りにくいものならともかく、こんな、もろわかりの萌え絵Tシャツなんか絶対にゴメンだ。
「でもそれしか着替えねーぞ」
「は?着てきたの着るからいいっす」
 そう言って幾久は、今日着ていたTシャツを荷物から取り出したのだが。
「……」
 夏の昼中に着ていて汗だくになったTシャツは、いくら自分のものとはいえ、耐え難い汗臭さで、しかもびちゃびちゃに濡れている。
 風呂に入ってすっきりしたのに、今更こんなものは着れない。
 おもわず息を詰めてしまい、山縣が勝ち誇った顔をしている。
「な?アキラメロン」
「それより後輩殿、ガタどの、並ぶでごわすよ、はい、3、2、1」
 ぐいっと山縣に肩を掴まれ、隣に並んで写真に撮られた。
「え?」
 大佐はスマホを操作しながら、「完了でごわす~」とスマホを見せた。
 山縣と幾久が仲良く並んで、おそろいのTシャツを着ている写真がそこにあった。
 顔は映っておらず胸から下だけだったが。
「うわ!なにこれ!」
「なんだよその反応。もっと喜べ。このTシャツ限定品だぞ?」
 自慢できっぞ、という山縣に幾久は冗談じゃないとげんなりする。
「こんなんじゃオレ、オタク仲間みたいじゃないっすか」
 ぶつくさ文句を言う幾久に、大佐と山縣は顔を見合わせて言った。
「今更なにを言っているでごわすか?」
「コミケに三日も参加してたら、お前はもう『コッチ側』なんだよ諦めろ」
「諦めたらそこで試合終了なんで」
 幾久が言い返すと、「それ、すでに終了してるでごわすよ」と大佐が言ったが、幾久は無表情で首を横に振り、「この程度じゃまだ大丈夫です」と返したのだった。


 大佐と別れ、幾久と山縣はゆりかもめの駅へ移動した。
 せめてもの抵抗で、荷物を前にまわして胸に抱えるようにしてTシャツの絵を隠した。
「どーせ誰もみてねーし、気にもしねえよ」
「オレがするんす」
 全く、山縣のいう事を素直に信じた自分が馬鹿だったと幾久はほとほと反省した。
 ただ、時間も時間だけあって、確かに人はまばらだったが。
 ゆりかもめからは東京の夜景が流れて見える。
 ずっと見てきた風景だ。
「しばらく東京ともお別れだな」
 山縣の言葉に、幾久は「そうっすね」と答えた。
 明日にはもう、長州市に帰ると思うと、この四日あまりはあまりにも濃かった。
 高杉に言われて帰っておくものかなあ、となんとなく帰省したけれど、父とも母ともろくに喋っていないのに、帰る意味はあったのだろうか。
「オレ、この帰省でなにしてたんだろ」
 幾久の言葉に山縣が「は?」と突っ込んできた。
「おめー、三日間もコミケに参加できたんだぞ。充実しとるやんけ」
「そりゃガタ先輩はそうでしょうけども」
 オタクにもアニメにも興味の無い幾久にしてみたら、ひたすら忙しくて大変だった。
「なんだ、あんなに楽しそうにしてたクセによー」
「や、楽しかったっすよ?」
 そこは素直に幾久は認めた。
「すっげ楽しかったッス。買い物も、お使いも、売り子さんも、打ち上げも」
 なにも判らない世界だったけれど、毎日が本当にお祭りのようで楽しかった。
「じゃあ是非こちらの世界に」
「行きません」
 きっぱりと幾久が言う。
「正直、よくわからんですし。それに、あんな熱気オレにはない気がする」
 山縣に関しては別にどうとは思わないが、幾久はコミケに参加している人の熱気はすごいなと感じていた。
「いいかわるいかはともかく、本気っていうのはわかったっす」
 買い物にしても、コスプレにしても。
「でもオレ、そこまで本気で参加してないっすし」
 流されて参加して、いろんな人に助けられたけれど、それは全部自分の努力ではなく、参加していた人に助けられたからだ。
「みんな凄かったっす。オレ、ちょっと首つっこんだだけっすもん」
「別にそれでもいーんじゃねえの」
 山縣が言った。
「お前はフルに三日参加したけど、そうじゃねーやつの方が多いぞ。一日だけとか。一時間だけ、ちょっと覗いて帰る奴だっている」
「えっ、そうなんすか?」
「だって俺の知り合いだってそういう奴いるし。欲しい本1冊だけ買ったら帰るとか」
「本当に?」
 あの会場の中に入って、行きたい場所に行くのも大変だというのに、たった1冊のためにそこまでするのかと驚いた。
「そりゃするさー。欲しいモンがそこにしかなかったら、そこに行くに決まってんじゃん」
 だから別にいーんだよ、と山縣は言う。
「誰がどういう目的でなくちゃダメとか、そんなん面倒くせえじゃん。一時間だろうが、フルに三日だろうが、行きたけりゃ行きゃいいし、そうじゃないなら行かなきゃいいだけのこった。誰がどうとか知るかよ」
 山縣はいつでもどこでも山縣らしい。
「そりゃそうですけど。あの熱気見たら真面目にやんなきゃ、みたいな気になるじゃないっすか」
 幾久の言葉に山縣は「あーあ」みたいな顔をする。
「そういうの俺好かねー。楽しみたいから真面目にやるっつうのは判るけど、みんな頑張ってるから真面目にやんなきゃってーのすっげー嫌」
「ガタ先輩はそうっすよね」
 そのくせ、けっこう友人づきあいはきちんとしているのだと幾久はこの数日で学んでいた。
「ガタ先輩、お友達にするみたいにハル先輩に接したら、あんなに毛嫌いされないのに」
「おめーホントさらっと爆弾ぶちこんでくるよな。なんだよ毛嫌いって」
「言葉の通りっすけど?」
 友人に対しては、まるで普通の人みたいに、普通に接していたので幾久は我が目を疑ったほどだ。
「打ち上げでのご飯やさんとかで、お友達への気遣い凄いしてたじゃないっすか」
「たりめーだろ。俺らが未成年だから、酒も飲まずに相手してくれてんのに」
「えっ」
 山縣の言葉に幾久は声を上げた。確かに打ち上げに参加した人は殆どが成人していた大人ばかりだったけれど、誰一人飲酒はしていなかった。
「てっきり飲まない人ばかりなのかと」
「ちげーよ。俺ら未成年だろ。大佐も一応そうだけど」
 こくんと幾久は頷く。
「そりゃ自分らは成人してるから酒飲んでも全く問題ねーけどさ、俺一応受験生じゃん」
 幾久は頷く。
「で、打ち上げの様子とかってSNSにあげたりするじゃん?そんときにチラッとでも酒が写真にあったら何て思うよ」
「大人の人らのだろーなって思います」
 幾久が言うと山縣は頷いた。
「よーし凡人、てめーらしい答えだよ。答えはこうだ。『未成年が参加して飲酒してるwww』」
「飲んでなかったら問題ないじゃないですか」
 未成年なんだから酒を飲んで、わざわざばれるようにSNSにあげるわけがない。
 そう幾久が言うと、山縣はスマホをだまって操作して、ある写真を見せてくれた。
 ちょっとケバイ女子二人が、笑顔で写っている。
「?なんすか?これが」
「おめー、見覚えねーかそいつらの」
「……???」
 全く見覚えが無い。
 そもそも女子なんか関わらないし、知るわけが無いのに。
「おめーは知ってるはずだぞ、節穴」
「えー?わかんないっすって」
 本当にこんな人は知らないはず、なのだが、なんとなく見覚えがあるような。
「?」
 幾久は一生懸命、思い出そうとして、はて、一体誰なのかと考えていたのだが、山縣が言った。
「久坂に告白号泣女子」
 思い出した!と幾久はスマホを確認した。
「言われてみたらそう、っすよね!確かに!」
 あー、そうだそうだ、夏休み前に久坂に告白してこっぴどく振られた女子とその付き添いがいたのだが、確かに写真の二人はその二人の女子だ。
「でもこれ、まさかビール?」
 部屋でとったらしい写真は、いかにも女の子の部屋ですみたいな雰囲気で、二人ともかなり肌を露出した可愛いキャミソールと短パンのようなものを着ている。
(ちょっとエッチじゃないか?これ)
 でもその部屋には、吸った後の吸殻が乗っかっているタバコの灰皿があって、ビールが転がっていて、女子同士でキスしている写真まである。
「でもなんでこんな写真、ガタ先輩が持ってるんすか?ってか、なんでこの女子が久坂先輩に告白したのとか知ってるんすか?」
 久坂のことを毛嫌いしている山縣が、どうして久坂に告白してきた女子の写真を持っているのだろうか。
「まあ、それは後ほど。つまり、高校生が酒の場にいたら、絶対に飲んでると思われるわけだわ」
「はぁ」
 そんなことよりもさっきの写真の方が気になるのだが、山縣は続けた。
「だからみんな、俺に絶対に疑いがかからんように、ソフトドリンクのみで打ち上げしてくれてんの」
 夕食後に別れて、山縣と大佐と幾久の三人でカフェに行ったのは、その大人組の人達が気兼ねなく二次会で飲めるようにそうしたのだという。
「食事だけは俺らと一緒にして、飲むときは別ルートで行くの。そしたら、まず疑われねー」
「すごい気遣いっすね」
「おうよ。俺もそこまでせんでも、って思ったんだけどさ。成人メンバーが『未成年に飲ませてるっていう疑いを持たれるだけでも大人としてはアウトだから、こういうのは大人の常識。それに未成年にうっかりでも飲ませたら、俺らも提供した店も終わる。迷惑、ダメ、絶対』って言うからさ。じゃあ妥協案をさがすには、未成年と成人で別れたらいいんじゃね?となったわけ」
 山縣は年齢を表には出していないという。
「それでも、自分が気付かないうっかりをしているかもしれないから、疑われないようにしとけって。真面目にしてさえすりゃ、みんな判ってくれるとか思うなって。ま、仕方ねーよな、そう大人が言うんだから」
 大人なんか鼻で馬鹿にしそうなのに、山縣は一度尊敬するとそういったことはしないようだ。
「早くお酒のみたいっすね」
「はぁ?オメー酒こえーつってたじゃん」
「そうっすけど、加減するなら大丈夫なんすよね?」
 失敗は怖いけれど、仲間と飲む酒はなんだか楽しそうで羨ましい。
「大人になったら、先輩達とお酒とか飲んでみたいっす。あ、ガタ先輩は別にいいっすけど」
「テメーほんと俺をディスるよな。まじふざけんな」
 先輩だぞ俺は、なんて言うので幾久はつい、この数日の気の緩みもあって尋ねてしまった。
「じゃあガタ先輩に質問」
「なんだよ」

「……オレって、報国院に向いてると思いますか?」

 幾久の問いに、山縣は一瞬固まったように見えた。
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