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【1】合縁奇縁~おかえりなさい、君を待ってた
おかえりなさい、君を待ってた
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結局、花見に集まったのは二十人くらいだった。
栄人達が集まっていると、他の二年や三年が「なに?どっか行くの?」と尋ねてきて、花見に行くと言えば「じゃ俺らも!」とぞろぞろと付いてきたのだ。紹介されたが、全員を覚えることはできなかった。
思ったのは千鳥がいない、という事と報国寮に所属しているのが伊藤しかいない、という違和感だった。
花見をするという、近くの寺の敷地内という広場のような場所へ移動することになったので、幾久は自分の弁当を抱え、伊藤と話しながら歩いた
。
「報国寮って人数多いんだろ?なのにこのメンバーでトシだけなんだな」
そういう幾久に伊藤が言う。
「そりゃそうだろ。報国寮って殆ど千鳥だぜ。俺が鳩なのに報国寮っていう方がおかしいんだし」
「そうなんだ」
「それに、千鳥って大体それ以外のクラスとスケジュールが違ったりするんだよ。クラスごとにそりゃ微妙に違うけどさ、どっちかっていうと千鳥とそれ以外ってくくりになる事が多いし。だからつるむのも自然、千鳥とそれ以外になるってさ」
「そっかあ」
集まった先輩達のネクタイを見ると、確かに色は色々だが千鳥の模様が一人も居ない。
「御門ほど少ないのはまれだけど、どの寮もそんなに人数居る訳じゃないからどうしても付き合い深くなるしな。報国寮は出入りが制限あって厳しいけど、他の寮はわりとゆるくて他寮でも出入りするし」
「なんでそんなに千鳥は違うんだろ」
「言ったろ。この市内で『どこにも行けない』やつばっかなんだから、そういう柄の悪いのも来るって事だよ。報国寮はそういうのが多いから、わざわざでかくして設備も整えて、外に出ないようにしてるんだから」
「そうなのか」
パンフレットで見たときにはけっこう綺麗で設備が整ってて、ちゃんとしてる寮なんだと思ったのに、実際はそういう事情があったとは。
「御門なんかかなり自由だろ?それって結局、自己管理ができるって信用されてんだよ。頭のいい奴はそんくらい判るだろっていう」
「そう言われたらそうかもしれないけど、でも問題児が多いとか」
入寮式の日に言われた言葉が気になる。それに栄人も、問題をおこしても見つからなければいいとか言っていたし。
「そりゃ嫉妬もちょっとはあるだろうな」
伊藤の言葉に、後ろから桂が首を突っ込んだ。
「新入生なら噂だけ聞いて、それ信じてるのかもしれないな。御門ってさ、やたら広いじゃん」
寮としては小さいが、個人の小さな旅館程度の広さはある。そして敷地は尋常じゃなく広い。
「いっくんって御門の敷地内、全部見た?」
幾久は首を横に振る。
「今度全部案内してもらったらいいよ。あの敷地内に、山ひとつ入ってるんだから」
「山?!」
「といっても小さいよ。だから池に流れてくる水も、山水なんだよね。ぐるっと回ったらいい運動になるよ」
「蜂もいるんスよね!」
伊藤の言葉に幾久が驚く。
「蜂!」
「しかもスズメバチ」
「スズメバチ!あれってさされたら死ぬんじゃないんですか?」
「場合もある」
うわあああああ、やっぱりあの寮嫌だあああああ!
びくつく幾久に桂が笑う。
「ちゃんと駆除してくれるって。それにいきなり突撃してきたりしないよ。蜂は最初に様子を見に来る偵察部隊がちゃんといるから」
「そうそう、偵察部隊とがちあったら、静かにしずかに帰れば大丈夫」
「こええ……」
幾久はスズメバチどころかミツバチだってろくに見たことが無いのに、あの寮は環境がヘヴィーすぎる。
「大丈夫、猪はあの山には出ないし」
「……さすがに嘘っすよね」
いくら田舎でもこんな町中で猪なんか、と幾久は思うが桂は肩をすくめる。
「このあたりなら、ちょっと奥に行けば狸は出るよ?」
「嘘っすよね?」
「鹿は出たっけ?猿は最近見ないよね」
「熊は三年前に一頭しとめられたって」
話をする桂と栄人に、さすがに幾久は「嘘だ!」と言うが、栄人はにこにこ笑いながら言った。
「さて、どこまでが嘘でしょう?」
全部だろ、全部。だけど桂も栄人もニヤニヤしている。
「おい、さっき九尾の狐があの山の向こうに」
いつの間にか傍に居た山縣に指さされて、思わずそっちを見てしまった。
馬鹿だった。
「子供かばーか」
「反射的に見ただけッス!信じたわけじゃないっす!そもそも九尾とかありえないし!」
「当たり前だろ。信じたのはさっきのお前だけだっつーの」
「鷹落ち」
山縣に言うと、むっとした山縣が幾久を蹴ろうとしたが幾久はさっと避ける。
高杉みたいに鋭い動きならともかく、山縣のへなちょこな攻撃は怖くもなんともない。
「鳩のお前よりマシだっつーの」
「オレ、落ちたわけじゃないっすから」
「俺は!あえて!鷹を!選択してんの!」
「またまた。言い訳がましいっすよガタ先輩」
もう山縣、とわざわざ言うのも面倒くさく幾久はそう言った。
「てめえこの前やったうまい棒返せ今すぐ返せ」
「もう食いましたよ」
「倍にして返せ!」
「いいっすよ。十倍にして返しましょうか?」
ぐだぐだ言い合いをしていると、山門の前に到着した。
両側に鬱蒼とした木が生えていて、道は薄暗い。
「こんな場所で花見?」
確かに山門の上の方に桜が見えるが、こんなじめっとした冷たい場所はどうだろう。
「大丈夫、上はちゃんと広くて明るいよ。花も丁度満開だったし。そろそろ散るんじゃないかな」
久坂の言葉にそうなのか、と納得する。
大きな石段を歩き、頂上に到着した。
「わ」
眩しさに一瞬目がくらんだ。
鬱蒼とした道を越えればそこは寺の境内で、広いグラウンドのような場所だった。古い桜の木が何本もあり、あざやかな枝を広げている。
「すっげえ、満開」
自分たち以外にも花見に来ている人がいる。
どこかの家族だったり、報国院の生徒も居る。
木の下にはベンチがあったが、そこはお年寄りがすでに占拠していた。
「こっちこっち、いっくん」
桂が呼ぶのでそちらへ向かう。寺の境内を抜けて、別の場所へ向かう。
資料館らしい建物の横に皆集まった。
「ここも寺っすか?」
「敷地内ではあるよ。奇兵隊とか、七卿落ちとか知ってる?」
「なんとなく、程度っす」
首を傾げる幾久に、桂が言う。
「このあたりはそういう歴史が多いから、教えてあげるよ。そのうち、ね」
「幕末っすか?」
「そそ。幕末」
そういえば、と幾久が尋ねた。
「そういや維新志士の子孫とかこの学校多いんすよね。ハル先輩とかもそうなんスよね?他にそういう人居るんすか?」
桂が答えた。
「いるいる。だから誰も気にしないよ。そもそも本家筋だの分家筋だの入れたら洒落にならない数だし」
「そんなに沢山?」
話を聞いていた三年生が首を突っ込んできた。
「俺の家の話だけどさ、この前家系図を作り直したんだわ。そしたらさ、俺らのひーひーじいちゃん、ひーひーばあちゃん、明治時代の人なんだけど、その二人の子孫が一体何人居たと思う?」
全く見当がつかずに幾久は首を横に振る。三年生が答えた。
「その数、なんと百人超え!たった二人の遺伝子がそんだけも広がってんだぜ。びっくりしねえ?」
「します」
桂が言った。
「乃木さんなんかさ、同じくらい前の人な訳だし、だったらきっともっと多いよ。子孫はいっくんだけじゃないでしょ?」
「多分」
親戚づきあいはあまりないし、詳しい話を聞いた事もないが、誰も居ない、とは聞いていない。
そんな事初めて考えた。
「じゃあ、オレのほかにも嫌な思いした人がいるかもなんだ」
あのドラマで言いがかりをつけられたり、そんな人が自分以外に居るとは考えもしなかった。桂が尋ねた。
「嫌な思い、なんかしたんだ?」
「……しました」
つい出た言葉にぼそっと答えた。
すると桂が、ぽんっと肩を叩いてくれた。
「ここに居る連中も、そういうのけっこう判るから。今度から誰かに言えばいいよ」
不覚にも、突然、涙が出そうになった。
慌てて目元を拭い、眼鏡をかけなおす。
そんな幾久の様子に、桂は気付かないふりをして言う。
「気にするなって言われても、本人が気にしなくても他人が気にしていちゃもんつけてきたらどうしようもないだろ?そういう事があったら、ハルにでも僕にでも言えばいいよ。僕ら経験者だし、役に立てるかもね」
「桂先輩も?」
誰かの子孫なのだろうか。
そして嫌な目にあったりもしたのだろうか。
「多いよ、ここの連中。だから結局、そういう連中でつるむっていうのもあるかも」
昔は、と桂は話しだす。
「なんかドラマがある度にさ、今回は悪くされてないのかな、とか、言いがかりをつけてくる奴にそうじゃないとか説明してたけど、そんなの何の意味も無いって判ってからは何も考えなくなったな」
「そんな風に割り切れるものなんですか?」
少なくとも、幾久はまだ割り切れていない。
殴ってしまった事については、絶対に自分が悪いのは判っているけど、後悔しているか、といえばそんなことは無い。
事実であったとしても、『人殺しの子孫』なんて言われて黙って我慢するほうが嫌だった。
「オレ、そんな風に割り切れない、かも」
例え誰かにそれを話しても、きっとなにかしこりが残りそうな気がする。子孫である限り、解決する方法はどこにもなくて、ただやり過ごすしかないような気がしていた。
が、桂が言う。
「だってさ、所詮、小説やドラマだろ」
幾久はきょとんと桂を見た。
「事実はあっても、その時にどうしてそうなったのか、そこに居る人しか判らない。歴史なんて結果論でならなんでも言えるし。それに所詮、ドラマに小説だろ。漫画やゲームと一緒。娯楽で嘘で、作り物にしかすぎないのに。そんなのに生きてるこっちが振り回されるっておかしくないか?って」
ぱっと世界が突然明るくなったような気がした。
ひょっとしたら本当に、日差しが強くなっただけなのかもしれないけど。
突然、色のついたレンズの眼鏡を外したみたいに、幾久の世界は明るく見えた。
「って、これ受け売りだけどね。ああそうだなって思ったんだよ、僕も」
そうだ。どうして振り回されたりしたんだろう。
幾久はあんまり驚いて、本当にびっくりして動けなかった。
所詮ドラマで小説で物語で作り事で。
そんなものにどうしてこんなにも傷つけられて振り回されるのか不思議だった。
でも所詮、ただの物語だ。
それだけでしかない。
「本当にさ、調べる人はいろいろ調べるよ。乃木さんはよくやったし、あの状況ではあれ以外に方法がなかったって言う人もいる。みんなが歴史学者でもなければ、その戦いのあった場所に行った訳でもない。言い方悪いけど、結局どんな意見でも、なにもかも終わった今では下衆の勘ぐりってやつになっちゃうだろ?」
そうそう、と栄人も言う。
「新撰組なんかさーいいよなあ。もうすげえフューチャーされててイケメンにされてるし、こっちいつも悪人扱いだし写真けっこう残ってたりするとかあるからイケメン詐欺もできないし」
「そうそう、新撰組ファンの奴にいきなり怒鳴られたりとかさあ、俺関係ないってのに」
「あるあるある!変な知識だけはあるからもうくっそ面倒くせえっていう」
皆がわいわい話し始めるのを幾久は見つめていた。
「いいじゃん悪人。かっけえじゃんか、湘北みたいで」
「またガタは漫画かよ」
「つか、お前なんでゲームしてんの?画面見えんのかよそれ」
「それよりガタ、俺のスマホなーんか動きおせーんだけどなんで?」
「貸せよ」
スマホをひったくり、早速弄り始める。
「いいから先に弁当食おうって。腹へりまくりじゃん!」
栄人の声に、皆そうだな、と言って、横に倒れた長い木の傍に集まった。背もたれのないベンチがひとつ空いており、そこに桂と幾久は腰掛けた。
「じゃ、僕、いっくんの隣に座る」
楽しげに久坂が言い、回りがわずかに驚いた顔をしている。幾久の後ろから、どっと栄人がよっかかってきた。
「じゃあ、一年生の入学を祝って!」
「はえーよ!」
「まだ弁当あけてねえっつーの」
「つか音頭取るの二年かよ!三年に言えよ!」
賑やかに喋りながら、まだ人が集まってくる。
楽しいな、と思いながら幾久は空を見上げた。
満開の桜が咲いている。
咲き誇る花の中、馬鹿騒ぎの声が長く響く。
たった三ヶ月しかそこに居るつもりはないし、誰かに『居ろよ』と言われたわけでもない。
それなのにまるで、この場所にずっと居たらいい、誰もがそんな風に言ってくれる気がした。
「―――――ただいま」
何度も言われた『お帰り』の言葉に、幾久はいまやっと、きちんと返すことができた気がした。
合縁奇縁・終わり
栄人達が集まっていると、他の二年や三年が「なに?どっか行くの?」と尋ねてきて、花見に行くと言えば「じゃ俺らも!」とぞろぞろと付いてきたのだ。紹介されたが、全員を覚えることはできなかった。
思ったのは千鳥がいない、という事と報国寮に所属しているのが伊藤しかいない、という違和感だった。
花見をするという、近くの寺の敷地内という広場のような場所へ移動することになったので、幾久は自分の弁当を抱え、伊藤と話しながら歩いた
。
「報国寮って人数多いんだろ?なのにこのメンバーでトシだけなんだな」
そういう幾久に伊藤が言う。
「そりゃそうだろ。報国寮って殆ど千鳥だぜ。俺が鳩なのに報国寮っていう方がおかしいんだし」
「そうなんだ」
「それに、千鳥って大体それ以外のクラスとスケジュールが違ったりするんだよ。クラスごとにそりゃ微妙に違うけどさ、どっちかっていうと千鳥とそれ以外ってくくりになる事が多いし。だからつるむのも自然、千鳥とそれ以外になるってさ」
「そっかあ」
集まった先輩達のネクタイを見ると、確かに色は色々だが千鳥の模様が一人も居ない。
「御門ほど少ないのはまれだけど、どの寮もそんなに人数居る訳じゃないからどうしても付き合い深くなるしな。報国寮は出入りが制限あって厳しいけど、他の寮はわりとゆるくて他寮でも出入りするし」
「なんでそんなに千鳥は違うんだろ」
「言ったろ。この市内で『どこにも行けない』やつばっかなんだから、そういう柄の悪いのも来るって事だよ。報国寮はそういうのが多いから、わざわざでかくして設備も整えて、外に出ないようにしてるんだから」
「そうなのか」
パンフレットで見たときにはけっこう綺麗で設備が整ってて、ちゃんとしてる寮なんだと思ったのに、実際はそういう事情があったとは。
「御門なんかかなり自由だろ?それって結局、自己管理ができるって信用されてんだよ。頭のいい奴はそんくらい判るだろっていう」
「そう言われたらそうかもしれないけど、でも問題児が多いとか」
入寮式の日に言われた言葉が気になる。それに栄人も、問題をおこしても見つからなければいいとか言っていたし。
「そりゃ嫉妬もちょっとはあるだろうな」
伊藤の言葉に、後ろから桂が首を突っ込んだ。
「新入生なら噂だけ聞いて、それ信じてるのかもしれないな。御門ってさ、やたら広いじゃん」
寮としては小さいが、個人の小さな旅館程度の広さはある。そして敷地は尋常じゃなく広い。
「いっくんって御門の敷地内、全部見た?」
幾久は首を横に振る。
「今度全部案内してもらったらいいよ。あの敷地内に、山ひとつ入ってるんだから」
「山?!」
「といっても小さいよ。だから池に流れてくる水も、山水なんだよね。ぐるっと回ったらいい運動になるよ」
「蜂もいるんスよね!」
伊藤の言葉に幾久が驚く。
「蜂!」
「しかもスズメバチ」
「スズメバチ!あれってさされたら死ぬんじゃないんですか?」
「場合もある」
うわあああああ、やっぱりあの寮嫌だあああああ!
びくつく幾久に桂が笑う。
「ちゃんと駆除してくれるって。それにいきなり突撃してきたりしないよ。蜂は最初に様子を見に来る偵察部隊がちゃんといるから」
「そうそう、偵察部隊とがちあったら、静かにしずかに帰れば大丈夫」
「こええ……」
幾久はスズメバチどころかミツバチだってろくに見たことが無いのに、あの寮は環境がヘヴィーすぎる。
「大丈夫、猪はあの山には出ないし」
「……さすがに嘘っすよね」
いくら田舎でもこんな町中で猪なんか、と幾久は思うが桂は肩をすくめる。
「このあたりなら、ちょっと奥に行けば狸は出るよ?」
「嘘っすよね?」
「鹿は出たっけ?猿は最近見ないよね」
「熊は三年前に一頭しとめられたって」
話をする桂と栄人に、さすがに幾久は「嘘だ!」と言うが、栄人はにこにこ笑いながら言った。
「さて、どこまでが嘘でしょう?」
全部だろ、全部。だけど桂も栄人もニヤニヤしている。
「おい、さっき九尾の狐があの山の向こうに」
いつの間にか傍に居た山縣に指さされて、思わずそっちを見てしまった。
馬鹿だった。
「子供かばーか」
「反射的に見ただけッス!信じたわけじゃないっす!そもそも九尾とかありえないし!」
「当たり前だろ。信じたのはさっきのお前だけだっつーの」
「鷹落ち」
山縣に言うと、むっとした山縣が幾久を蹴ろうとしたが幾久はさっと避ける。
高杉みたいに鋭い動きならともかく、山縣のへなちょこな攻撃は怖くもなんともない。
「鳩のお前よりマシだっつーの」
「オレ、落ちたわけじゃないっすから」
「俺は!あえて!鷹を!選択してんの!」
「またまた。言い訳がましいっすよガタ先輩」
もう山縣、とわざわざ言うのも面倒くさく幾久はそう言った。
「てめえこの前やったうまい棒返せ今すぐ返せ」
「もう食いましたよ」
「倍にして返せ!」
「いいっすよ。十倍にして返しましょうか?」
ぐだぐだ言い合いをしていると、山門の前に到着した。
両側に鬱蒼とした木が生えていて、道は薄暗い。
「こんな場所で花見?」
確かに山門の上の方に桜が見えるが、こんなじめっとした冷たい場所はどうだろう。
「大丈夫、上はちゃんと広くて明るいよ。花も丁度満開だったし。そろそろ散るんじゃないかな」
久坂の言葉にそうなのか、と納得する。
大きな石段を歩き、頂上に到着した。
「わ」
眩しさに一瞬目がくらんだ。
鬱蒼とした道を越えればそこは寺の境内で、広いグラウンドのような場所だった。古い桜の木が何本もあり、あざやかな枝を広げている。
「すっげえ、満開」
自分たち以外にも花見に来ている人がいる。
どこかの家族だったり、報国院の生徒も居る。
木の下にはベンチがあったが、そこはお年寄りがすでに占拠していた。
「こっちこっち、いっくん」
桂が呼ぶのでそちらへ向かう。寺の境内を抜けて、別の場所へ向かう。
資料館らしい建物の横に皆集まった。
「ここも寺っすか?」
「敷地内ではあるよ。奇兵隊とか、七卿落ちとか知ってる?」
「なんとなく、程度っす」
首を傾げる幾久に、桂が言う。
「このあたりはそういう歴史が多いから、教えてあげるよ。そのうち、ね」
「幕末っすか?」
「そそ。幕末」
そういえば、と幾久が尋ねた。
「そういや維新志士の子孫とかこの学校多いんすよね。ハル先輩とかもそうなんスよね?他にそういう人居るんすか?」
桂が答えた。
「いるいる。だから誰も気にしないよ。そもそも本家筋だの分家筋だの入れたら洒落にならない数だし」
「そんなに沢山?」
話を聞いていた三年生が首を突っ込んできた。
「俺の家の話だけどさ、この前家系図を作り直したんだわ。そしたらさ、俺らのひーひーじいちゃん、ひーひーばあちゃん、明治時代の人なんだけど、その二人の子孫が一体何人居たと思う?」
全く見当がつかずに幾久は首を横に振る。三年生が答えた。
「その数、なんと百人超え!たった二人の遺伝子がそんだけも広がってんだぜ。びっくりしねえ?」
「します」
桂が言った。
「乃木さんなんかさ、同じくらい前の人な訳だし、だったらきっともっと多いよ。子孫はいっくんだけじゃないでしょ?」
「多分」
親戚づきあいはあまりないし、詳しい話を聞いた事もないが、誰も居ない、とは聞いていない。
そんな事初めて考えた。
「じゃあ、オレのほかにも嫌な思いした人がいるかもなんだ」
あのドラマで言いがかりをつけられたり、そんな人が自分以外に居るとは考えもしなかった。桂が尋ねた。
「嫌な思い、なんかしたんだ?」
「……しました」
つい出た言葉にぼそっと答えた。
すると桂が、ぽんっと肩を叩いてくれた。
「ここに居る連中も、そういうのけっこう判るから。今度から誰かに言えばいいよ」
不覚にも、突然、涙が出そうになった。
慌てて目元を拭い、眼鏡をかけなおす。
そんな幾久の様子に、桂は気付かないふりをして言う。
「気にするなって言われても、本人が気にしなくても他人が気にしていちゃもんつけてきたらどうしようもないだろ?そういう事があったら、ハルにでも僕にでも言えばいいよ。僕ら経験者だし、役に立てるかもね」
「桂先輩も?」
誰かの子孫なのだろうか。
そして嫌な目にあったりもしたのだろうか。
「多いよ、ここの連中。だから結局、そういう連中でつるむっていうのもあるかも」
昔は、と桂は話しだす。
「なんかドラマがある度にさ、今回は悪くされてないのかな、とか、言いがかりをつけてくる奴にそうじゃないとか説明してたけど、そんなの何の意味も無いって判ってからは何も考えなくなったな」
「そんな風に割り切れるものなんですか?」
少なくとも、幾久はまだ割り切れていない。
殴ってしまった事については、絶対に自分が悪いのは判っているけど、後悔しているか、といえばそんなことは無い。
事実であったとしても、『人殺しの子孫』なんて言われて黙って我慢するほうが嫌だった。
「オレ、そんな風に割り切れない、かも」
例え誰かにそれを話しても、きっとなにかしこりが残りそうな気がする。子孫である限り、解決する方法はどこにもなくて、ただやり過ごすしかないような気がしていた。
が、桂が言う。
「だってさ、所詮、小説やドラマだろ」
幾久はきょとんと桂を見た。
「事実はあっても、その時にどうしてそうなったのか、そこに居る人しか判らない。歴史なんて結果論でならなんでも言えるし。それに所詮、ドラマに小説だろ。漫画やゲームと一緒。娯楽で嘘で、作り物にしかすぎないのに。そんなのに生きてるこっちが振り回されるっておかしくないか?って」
ぱっと世界が突然明るくなったような気がした。
ひょっとしたら本当に、日差しが強くなっただけなのかもしれないけど。
突然、色のついたレンズの眼鏡を外したみたいに、幾久の世界は明るく見えた。
「って、これ受け売りだけどね。ああそうだなって思ったんだよ、僕も」
そうだ。どうして振り回されたりしたんだろう。
幾久はあんまり驚いて、本当にびっくりして動けなかった。
所詮ドラマで小説で物語で作り事で。
そんなものにどうしてこんなにも傷つけられて振り回されるのか不思議だった。
でも所詮、ただの物語だ。
それだけでしかない。
「本当にさ、調べる人はいろいろ調べるよ。乃木さんはよくやったし、あの状況ではあれ以外に方法がなかったって言う人もいる。みんなが歴史学者でもなければ、その戦いのあった場所に行った訳でもない。言い方悪いけど、結局どんな意見でも、なにもかも終わった今では下衆の勘ぐりってやつになっちゃうだろ?」
そうそう、と栄人も言う。
「新撰組なんかさーいいよなあ。もうすげえフューチャーされててイケメンにされてるし、こっちいつも悪人扱いだし写真けっこう残ってたりするとかあるからイケメン詐欺もできないし」
「そうそう、新撰組ファンの奴にいきなり怒鳴られたりとかさあ、俺関係ないってのに」
「あるあるある!変な知識だけはあるからもうくっそ面倒くせえっていう」
皆がわいわい話し始めるのを幾久は見つめていた。
「いいじゃん悪人。かっけえじゃんか、湘北みたいで」
「またガタは漫画かよ」
「つか、お前なんでゲームしてんの?画面見えんのかよそれ」
「それよりガタ、俺のスマホなーんか動きおせーんだけどなんで?」
「貸せよ」
スマホをひったくり、早速弄り始める。
「いいから先に弁当食おうって。腹へりまくりじゃん!」
栄人の声に、皆そうだな、と言って、横に倒れた長い木の傍に集まった。背もたれのないベンチがひとつ空いており、そこに桂と幾久は腰掛けた。
「じゃ、僕、いっくんの隣に座る」
楽しげに久坂が言い、回りがわずかに驚いた顔をしている。幾久の後ろから、どっと栄人がよっかかってきた。
「じゃあ、一年生の入学を祝って!」
「はえーよ!」
「まだ弁当あけてねえっつーの」
「つか音頭取るの二年かよ!三年に言えよ!」
賑やかに喋りながら、まだ人が集まってくる。
楽しいな、と思いながら幾久は空を見上げた。
満開の桜が咲いている。
咲き誇る花の中、馬鹿騒ぎの声が長く響く。
たった三ヶ月しかそこに居るつもりはないし、誰かに『居ろよ』と言われたわけでもない。
それなのにまるで、この場所にずっと居たらいい、誰もがそんな風に言ってくれる気がした。
「―――――ただいま」
何度も言われた『お帰り』の言葉に、幾久はいまやっと、きちんと返すことができた気がした。
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