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プロローグ

今更知らない高校へ?

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 驚くことに、長州市は幾久のような、歴史に名を残した人の子孫が残っているそうで、特に歴史の関りからもその学校を選ぶ人が多いのだという。
「お前がこんな事になったのは、今の学校だからだと思う。この学校には子孫の子が多いから、お前でも目立たないよ」
 目立たない、と言われて幾久は興味がわいた。
 幾久は目立つことが嫌いだし、面倒も嫌いで平凡や普通といった事が好きだ。
「子孫や親せきといった子はこの学校に多いし、今更お前が通っても、今回みたいに目立つことはないだろう」
 しかも、と父は思う。
 あの地域は乃木希典に対して敬愛の情を持っているので、少なくとも今回のような事は言われないだろう。
 それに、立場が同じ子はいくらでも居る。
(こんな目にもう合わせたくない)
 甘いだろうと自分でも、幾久の父は思う。
 だけど、この年齢でこんな目にあうのは理不尽だと思えた。
 自分が乃木希典の子孫だから、と傍受してきた事のマイナスを、今度は息子が食らっている。
 これは、食らわなくてもいい毒ではないのか。幾久の父はそう思った。
「少なくとも、同じ学校に相馬君は居るし、お前がそこまで追い詰められたのなら、いいクラスではなかったのだろう」

 確かに相馬の存在はうざかったが、クラスの面々も煽られて、似たような事を幾久にしていた。
 だったら、相馬一人が別のクラスであっても、この関係は多分ずっと続くだろう。
 スケープゴートはいつだって、誰かが必要なのだ。
 そしてこのままだと、幾久は多分、それに選ばれてしまうだろう。

「でも……よく知らない学校だし、大学受験とかも心配だし」
 東京でない学校に通うのは心配だ、と幾久が言うと父は言った。
「それなら問題ない。あの学校は勉強さえできればなんでも面倒を見てくれる。私がいい例だろう?」

 確かに父は、田舎の私学から東京の難関にストレートで合格した。
「パンフレットにも載っているが、毎年それなりの大学には合格者が居るぞ?」
「本当だ」
 毎年、レベルの高い学校の入学者がおり、旧帝大への入学者が多い。
 レベルの高い私学にも合格者が居る。
「半分は就職のための生徒だから、決して学校自体のレベルは高いとは言えないが、クラスによって特色がありすぎてな。お前ならそこそこのクラスに入れるだろう」
 そこそこ、と言われて幾久はちょっと驚いた。
「オレってそこそこなの?」
 今の学校だって進学校で、決してレベルは低くない所か、このままいけば大学も内部進学で、それなりのレベルに進めるのに。
 すると父はちょっと楽し気にニヤッと笑って幾久に告げた。

「その学校のトップクラスには、私でも油断すればすぐ落とされるような連中が居るんだぞ。多分、今もその校風は変わってないはずだ」
 しかも、そのトップクラスはガリ勉でもないという。
「大検という手段もないことはないが、私はできれば、お前には学校に行って欲しいんだ」
「オレだって、学校には行きたい。でないと面倒そうだし」
 大検も頑張ればとれるだろうけれど、だからって自分一人で大学受験の準備が出来るとは幾久には到底思えなかった。
 ただ、父がそこまで考えてくれたのは驚いたが。
「でも、そっか。ほかの学校なんて考えたこともなかった。どうせ駄目だろうしって思ってたし」

 さっき父を待っている間、もしこの学校を首になったらどうしよう、高等部に上がれなかったらどうしよう。
 そんな事ばかりが頭をぐるぐると回っていた。
 こんなことになるなら、どこでもいいから外部の高校を受けておけばよかった、と幾久の後悔は半端なかった。

 だけど、今からでも受けられる学校がある。
 しかも父の母校という所に興味がわいた。

「……どんな学校だったの」
 幾久が父に尋ねると、父は目を細めて言った。
「すばらしい時間だった。出来る事なら、もう一度帰りたいと願うくらい」
 父がこんな風に、過去へ帰りたいというのは初めてで幾久は驚いた。
 常に無駄を嫌って、理路整然と言う父しか知らなかったから、こんな夢のあるような事を言う人と思っていなかった。

「だから、私はお前にも、そんな時間を過ごしてほしいんだよ。勿論、どの学校に通っても構わないが」
「……オレは、べつにフツーでいいよ」
 幾久は小さく、寂し気な声で言った。
 大人はよくそういうことを言うけれど、幾久にとって中学時代の三年間は決してそんなものじゃなかった。
 毎日塾に通うばかりで、開いたわずかな時間にゲームを触るくらいしかできなかった。
 この三年は大して面白くもない、普通の学生生活だった。
 それとも大人になると、そんな普通も物凄く面白かったと思うほど、つまらない日常が待っているのだろうか。
「学校なんかつまんないよ。フツーに勉強して、フツーに塾行って、フツーに人付き合いやっていくだけ。それでも中卒で働いたりするよりはいいから、みんなそうやってるだけだと思うけど」
「お前はそう思っているんだな」
「そんなもんじゃないの?」
「そうだな。普通は、そんなものなのかもな」
 コーヒーを飲んで、父はどこか寂しそうだった。だけど幾久にはそれがなぜなのか理由が判らなかった。

 少なくとも父は、幾久の味方だろう。
 母は大学進学の事しか頭になく、これから三年間、この中学三年間のような塾漬けの生活が続くと思ったらうんざりだ。

「……先祖がどうこうって、面倒だよ」
 幾久がぽつりと言った。
「あんなドラマなかったら、こんな事にならなかったのに」

 きっといつものように、変わりない毎日を過ごして誰も幾久に関わろうとはしなかっただろう。
 例え、幾久の先祖と知っても放っておいてくれたら良かったのに。

「だけど、それはお前に一生ついてくる問題だ」

 父の一生という言葉に、幾久の背にずしんと何かが乗ったようだった。

「少なくとも、もうしばらくはドラマの余波があるだろうし、誰かが気づけば、また似たような事にはなるだろう」
 幾久は父の言葉にぎゅっと唇を噛んだ。
 オレは悪くないのに、オレがそうなりたかったわけじゃないのに、なんで。

「―――――なんで、無能な奴が先祖なんだよ」

 無能将軍と揶揄される内容のドラマだったことは幾久も知っている。
 そういうと、父は静かにコーヒーカップをテーブルに置いた。

「お前がそう判断したなら、私は何も言わないが」
「そうじゃないの?無能で、たくさん人を殺したって」
「言い訳になるが、快楽殺人な訳ではないからな」
「でも人殺しには違いなんでしょ」
「軍人の仕事だからな」

 そして父は、テーブルの上に手を組んだ。

「お前の選びたい真実を選びなさい。ただそれは、もっと後でもいいと、父さんは思うけどな」

 そう言って幾久に微笑んだ。


 自宅に戻ると母が待っていて、幾久は父と母が話をする間、自室にこもっていた。
 時折、母の激昂する声が聞こえたが、父は出てくるなと言っていたので幾久はイヤホンを耳につっこんで音楽を聴き、貰った学校のパンフレットを読んでいた。
 もう行くと決めたわけではないが、父の母校と聞いて興味がわいたのだ。

 全寮制の男子校なんてむさくるしそうと思ったが、パンフレットにある『報国寮』の環境は悪くなさそうだ。
 wi-hiも完備、生徒は使用自由、休憩室には大きなモニターが合ってDVDも揃っている。
 部屋は一年は六人部屋、二年になると三人、三年になると成績や素行によって二人や一人部屋が与えられるとなっている。
 学校には図書館も学習室もあり、近年リフォームを行ったばかりで学食も大きなカフェのように奇麗だった。
(けっこういいかも?)
 クラスによってカリキュラムに差があるらしい。
 田舎ではあるが、寮生活は悪くなさそうだ。

 幾久がパンフレットを読んでいると、暫く、部屋のドアが開き、母が言った。
「お父さんが話があるそうよ」
 幾久は頷き、パンフレットを閉じてリビングへ向かった。

 父はいつもの椅子に腰掛けており、幾久は向かいに、母は幾久の隣に座った。

「母さんとも話をしたんだが、幾久、学校はどうする?」
「……え、っと」
 行くと決めたわけじゃなかったが、正直に言うなら興味はあった。
 このまま今の学校に進学すると思い込んでいたけれど、違う可能性があるのなら。
「母さんは、お前が学校を変わるのは反対なんだそうだ。お前はどうだ?」
「どうって……」
 幾久が口ごもると、母が口をはさんだ。
「本当は反対に決まってます。今更、学校を変わるなんて。多感な時期なのに」
 多感、とか言われると幾久は困ってしまう。
 そんなことはないと自分では思うのだけど。

「今まで、あなたは受験には全く関わらなかったでしょう。私がどんなに苦労したか」
 母の言葉に父は黙るが、幾久からしてみたら、え、そんなに苦労したんだ、と驚く。
 てっきり、母が好きでやっているのだと思っていたからだ。
「家のことをきちんとやって、幾久をちゃんと教育して、学校も選んで、評判を聞いて、塾にもやって。私だってどんな母親だったら合格しやすいのか、すごく調べて」
 そういや母の買う雑誌に『お受験はこう攻める!きちんとママのすっきりスタイル』とか特集があったなあと思い出す。

 やれ、あそこのデパートのなんとかいうブランドがうけがいいとか、バッグはなんとかにしたら品がよく見えるとか、そういう母親達の立ち話を幾久も塾で聞いていた。

「苦労して小学校に入れたら、うちは全く関係ないのに事件があって。それでまた中学受験をしなくちゃならなくなって。それで苦労して入ったのに、また変わるなんて。しかも田舎の、誰も知らないような学校だなんて」
「その知らない学校を私は出たんだけどね」
 父が苦笑して言うが、母は忌々しげに言う。
「あなたは東大を出たじゃありませんか。そんなのは関係ないでしょう」
 じゃあ幾久だって東大さえ出りゃ、小学校から頑張る必要なかったのかなあ、と思うと気が抜けてくる。
「幾久は優しい、穏やかで争いの嫌いな子なんです。だから大学受験なんて焦って受験勉強をするには向いていません。東大に絶対に入る!って気持ちも見せてくれない。じゃあ、東大なんて入れるわけがない。あそこは戦場なんです」
 東大に行ったならともかく、言ってない母に何が判るのだろうと幾久は思った。


 父は母に言った。
「君の気持ちも理解できるが、私は幾久が決して穏やかで優しいだけの子供とは思わないけれどね」
「あなたに何が判るんですか。仕事仕事でろくに話もしてくれないくせに。こんな時だけ父親の顔をしないでください!私は絶対に反対です。幾久も本当はそうよね?」
 ね、と手を置かれたとき、幾久は背筋がぞくっとした。

 なぜだろう。
 どうして母親に対してそんな気持ちになるのだろう。
 不思議に思ったが、幾久は正直に答えた。

「オレ、正直、よくわからないけど、でも父さんの学校に行ってみたい」

 母の顔色がさっと曇り、父の顔色がぱっと明るくなった。
 幾久は続けた。
「中学でそんな親しいって友達もいないし、絶対にあの学校でないといやだっていうのはないし。どこに行っても一緒なら、父さんの学校に興味ある」
 そうか、と父が言ったと同時に母がわあっと泣き出した。
「本当はそうじゃないのに、どうしてそんな事を言うの。お父さんに言いくるめられて。情けない。あの努力は何だったの。絶対に後悔することになるのに」
 泣き出した母を見て、幾久と父親は顔を見合わせた。

「でも、オレは正直、いま後悔してる」

 幾久が言うと、父も母も驚いて幾久を見た。

「ずっと塾ばっかりで、サッカーも辞めて。毎日学校に行ってただけなのに、なんでいきなりこんな目にあうんだろうって」
 すると母が、かっとなって幾久に言った。
「あなたが我慢しないからでしょう!殴ったのはあなたのくせに!自分のせいでしょう!」
 幾久の表情が凍る。
 やっぱり、自分は人を殴ったんだ。悪い事をしたからこんな目にあったんだ。
 どうして。
 思わず涙がこぼれそうになって、ぐっと手を握ると、父が静かに言った。

「幾久が殴るほど追い詰められた事は、君はどうでもいいのか」

 静かだけど、威圧感のある言葉に、母は言葉を飲み込んだ。

「暴力はよくない、と私は幾久に話して聞かせたし、幾久だってそれは判っている。追い詰められたからといって、なにをしてもいい訳じゃない」
 だけど、と父は言った。
「幾久が我慢を重ねた挙句、その結果を殴る事でしか出せなかった事を、親は恥じるべきじゃないのか」
「我慢できないって、そんなの我がままでしょう!」
 母の言葉に、幾久もそうだな、と思った。
 しかし父は、首を横に振った。

「幾久は男なんだよ。力の使い方を覚えなければいけないんだ」
「なにが男ですか!この時代に、男性も女性もないでしょう!」
「時代がそうでも、性別は決して同じにならないんだよ。力では女性は男性に敵わないし―――――」
「そんなのどうでもいいんです!幾久は、大人しくて、静かな子です!」

 母親の言葉に、幾久はどんどん自分が削られていくような気がした。
 確かに自分でも、騒がしい方じゃないとは思うけれど、母に言われるとなんだか違う気がする。

「幾久、本当は嫌でしょう?正直に言っていいのよ。お母さんはあなたの味方よ」

 味方なら、なんで我慢しろなんて言うんだ。
 正直に言ってもいいなら、どうしてサッカーを続けさせてくれなかった。

 ―――――本当はサッカー選手になりたかったのに



『ほらね、言ったとおりサッカーなんか無駄だったでしょう。私の言う事を聞かないからよ。さっさと受験に本腰を入れなさい。そのほうが将来楽なんだから』

 母の言葉を突然思い出した幾久は、母に尋ねた。

「本当に、正直に言ってもいいんだよね」
 母の顔が、ぱっと明るくなった。
「勿論よ!正直に言って、ねえ幾久」
 そういって母は幾久の手を握った。

 幾久は父をまっすぐ見据えると、父に告げた。

「オレ、父さんの行った高校に興味がある。そっち受験してみたい」

 母の顔色がさっと青くなったが、父の表情は突然明るくなった。

「受験できるっていうし、受かるかどうかわかんないけど。受けてみたい」

 もし、気に入らないなら辞めればいい。
 最悪、遠い学校だから、転校だってできるだろう。
 今の学校に通うのはもううんざりだし、母の声を聞くのもうんざりだ。

「幾久、正直に、」
 母が言うが、幾久は立ち上がると母に言った。
「オレは正直に言ったよ。母さんの思う正直じゃないからって、無理に言わせないで欲しい」
 すると母は、わっと泣き出した。

 面倒くさいな、と思う幾久に、父は「もうここはいいから、寝なさい」と告げた。
 うん、と頷いて幾久が部屋に入ると、当てつけのように大声で泣きだした。

 ただ苛立ちしか感じず、幾久はベッドに横になると目を閉じて、ふと思い出した。

「そういや、受験っていつなんだろ」

 まあいいか、父さんがどうにかするだろう。
 そう思うと幾久は、気が緩んで、あっという間に眠ってしまった。
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