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十日後

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 早寝早起きという習慣はどこで朝を迎えようと変わらないらしく、ラブホテルでもキョウジは朝五時きっかりに目を覚ました。ガバッと身体を起こした後は、キョロキョロと周囲を見渡して、それから俺を見て、自分の身体のあちこちを触っていた。

「……ないから、何も」

 だよね、とキョウジが笑う。案外、万が一何かがあったとしても、「酔っぱらっていた勢い。冗談みたいなものだよ」で済ませてしまうんだろうか。
 普段よりもずっとずっと早く目を覚まして(というか短い時間しか眠れなかった)いた俺は、顔を洗って着替えを済ませた後は、寝ているキョウジの方をただ眺めていた。ベッドサイドの小さな明かりをつけたかったけれど、キョウジが目を覚ましてしまうんじゃないかと思って、それでただ「二人で同じ部屋にいる」ということだけを意識しながらソファーに座っていた。

「毎朝走りにでも行ってんの?」
「んー……仕事の日は行かない。ただ、リズムが出来上がってるから、仕事とか休みとか関係ないんだ」

 マジか、と俺は信じられない思いでキョウジのことを見つめた。休みの日は夜中までダラダラとスマホを眺めて、翌日は昼過ぎまで寝ている俺とは大違いだ。
 客のフリをして俺を呼び出したり、しつこく家で待ち伏せたり、やっていることは狂っているけど、でも、やっぱり根っこの部分は俺よりもマトモなんだろう……。自分の考えていることに納得出来るような出来ないような、複雑な思いでキョウジが身支度を整えるのを待った。


 ホテルを出た後はこの後の予定も行き先も約束していないのに、キョウジとプラプラと街を歩いた。昼前からはファンシーショップに出勤しないといけないのに、そうすることが「じゃあ」とキョウジと別れるよりも自然な気がしたからだ。
 何かを食べられる店はいくらでも見つかるんだろうけど、じゃあどこかへ入るか、ということにはならなかった。それでどうするかというと、コンビニで温かい飲み物を買ってから、公園のベンチにただ二人で座っていた。

 夕方から夜にかけてはナンパ目的の男や女がうじゃうじゃいるような場所なのに、朝は静かすぎるくらいだった。寒い、ときゃあきゃあはしゃぐような年齢でもないから、コンクリート製の硬く冷たいベンチに座るのにも「ううっ」と気合いを入れないといけない。キョウジの様子をちらりと窺うと、寒さで顔を歪める俺を見てフッと目だけで微笑んでいるのがわかった。見てんじゃねえ、とすごく腹が立った。
 べつに、怒るようなことではないけど、そうしていると気が紛れる。側にいるとかえって、「ねえ、寒い」「暖かそうなの着てる」と気軽に腕や肩に触れないことを意識してしまって、悲しい気持ちになるからだ。


「ユウマくんって、この後風俗の仕事に行くの?」
「違う。別の仕事」
「昼の仕事ってこと? なんの仕事をしてるの?」
「教えない」
「なんで? 危ない仕事?」
「はあ? なわけないじゃん」
「じゃあ、教えてよ」

 教えたら当然のようにカラフルで毒々しいマシュマロとアイドルの写真を売っている店にまでやって来るのだろう。俺が思いきり顔をしかめるとキョウジはニヤリと笑った。
 昨日のキョウジの話は、まるでなかったことになっている。もしかしたら、キョウジは酔っていたしすっかり忘れてしまっているのかもしれない。今は、そうすることが義務づけられているかのように、ミニペットボトルの飲み物をチビチビと飲むことに二人とも専念していた。



「風俗の仕事って大変?」
「まあ、それなりに。でも、仕事なんて多かれ少なかれみんな大変なんじゃないの」
「……うん。まあ、そうだけど。掲示板とかエックスを見てたら、客の相手をするのって大変なんだろうなと思って」
「はあ? そんなの見るなよ……」
「ああいう連中の相手をしてるなんて、ユウマくんは優しいんだね」
「……優しくないよ、俺は」

 風俗情報専用の匿名掲示板の書き込みやエックスでのつぶやきには俺だって頭を悩ませていたし、プレイの最中に女の人から「下手くそ。それでもプロかよ」とめちゃくちゃに罵倒されたことだってある(この手の人は、やり返してこない男を罵倒をすること自体を求めているから対処のしようがない)。それを我慢していたからと言って、自分が優しいとはどうしても思えなかった。

「そうかな。ユウマくんの店の人なんかいつも開示請求してやるってカリカリしてるじゃん。あの、アイドルっぽい大学生」
「それはしょうがないよ。ていうか、キョウジも変なことを匿名の掲示板に書いたりしてない? うちの店のスレッドで、『ガチ恋、痛客』とか煽られて応戦したりしてないよね?」
「……してない」
「なに、その間。絶対なんか書いてるでしょ。やめろって、下手なことを書いて訴えられたらどうすんの?」
「べつに、誰にも悪口なんか言ってないし、ユウマくんのことだってそんなに書き込んでない。ちょっと質問したことはあるけど、何も教えてくれなくて意地悪な人ばっかりだった」
「やっぱり書き込んでるじゃん……」

 俺の記憶のままであれば、キョウジは機械にもSNSにもそれほど詳しくない。ネット上の交流や繋がりよりも、今日の練習で何回チームメイトが自分のパスを受け損ねたか、ということにずっと熱心だった。そんなキョウジがスマートフォンを握りしめて「日本最大級風俗情報専門掲示板」をチェックして、朝から風俗で働くことやその客について俺と喋っているなんて。高校生の頃の俺が見たら、きっと「キョウジに変なことを吹き込むな! 本当にサイテー」と俺に怒ってくるんだろう。



「そろそろ行こっか」

 ペットボトルの中身が空になる頃、あっさりとキョウジは立ち上がった。駅で別れる時に「じゃあね」とは言われたけど、「またね」とは言われなかった。
 人を器用に避けて歩いていくキョウジの後ろ姿がどんどん遠ざかっていくのを、こっそりと見送る。思っていた以上に歩くのが早く、キョウジを中心に周りの風景がどんどん変わっていく写真を連続で何枚も見せられているような、そういう気分になった。たぶん、頭の中で歩いていくキョウジのことを「このままいなくなってしまいそう」と感じていたから、目で見ていることについて意識が追い付いていなかったんだと思う。

◇◆◇

 最後に会ってからきっかり十日が経つ。
 あれから、キョウジから連絡が来ることはなかった。もちろん直接家を訪ねてくることもない。やっぱりあの時、俺が駅で感じた予感は本物だった。

 それと全く関係はないけれど、久しぶりに俺は高熱で寝込んでしまっていた。
 普通なら「風邪か。最近冷えたからな」で済むような症状でも、風俗で働いているとなると話が変わってくる。喉は痛くないし、オシッコは普通に出ていたけれど、この高熱の正体がわからないのは怖い。それで、慌てて病院へ駆け込むことになった。

 医者には症状と風俗で働いていること、最後に性病検査を受けた日付を伝えると、それほど関心がなさそうな様子で「じゃあ一応、検査をしますか」と言われるだけだった。それで、血液と尿を採取されたり、陰部を診てもらったりして、最後には「熱があるから」という理由で鼻に細い棒を突っ込まれてインフルエンザの検査も受けた。

「診察してみた感じではクラミジアも淋病も大丈夫だと思いますが。疲労と栄養不足から来る風邪でしょう」

 栄養不足、と言われてもいまいちピンと来なかった。べつに、すごくいいものを三食食べているわけではないけれど、ほどほどにお腹がいっぱいになっているつもりだったからだ。たぶん、なんとかしないといけないことなんだろうけど、とりあえず「風邪」と言われたことにホッとした。

 性病検査の結果がわかるのは三日後だという。家に帰ってからは寒さに震えながら毛布にくるまって、ファンシーショップのシフトを変わってもらい、風俗の方はたまたま予約が入っていたから客に直接連絡して謝罪した。

 それからキョウジに連絡するか迷った。会ったのは十日前のことだ。風邪だったとしても、きっとキョウジにはうつしていないし、クラミジアや淋病だったとしても感染させるようなことは一切していない。

 熱が出た、という俺の報告はキョウジにとってなんの意味もないことだ。それは充分わかっていたけど、高熱で朦朧としながら俺はキョウジに電話をかけていた。

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