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勉強と女の裸(1)
しおりを挟む案内されるまま着いていったキョウジの家は前に聞いていたとおり、学校からそれほど遠くないマンションだった。ただ、「ユウマくんの家もマンションなんだ。うちと同じだ」と、キョウジは呑気なことを言っていたから、俺の住む家よりグレードが数段上の高級マンションに住んでいるなんて、家へ連れてこられるまでちっとも知らなかった。
「え、すごい家じゃん」
「そう?」
ガラスと石を組み合わせたデザイン性の高い外観やエントランスに驚いて俺がキョロキョロしているのは気にせずに、キョウジは警備員に「こんにちは」と頭を下げ、ポケットかカバンに非接触式の鍵でも入っているのか、二重のセキュリティは鍵を使うことなく突破した。古い一軒家から引っ越してきて、暗証番号式のオートロックやモニター付きのインターフォンに「すっごーい!」と浮かれていた俺の生活とは次元が違う。
いったいキョウジの両親はなんの仕事をしているんだろう、ということが気になったけど、そんなことを聞いて友達の親の収入を推測するのはさすがに失礼だから聞けなかった。
「今日は誰もいないから、他の家族のことは気にしないで大丈夫だよ」
キョウジはそう言うけど、俺はすっかり落ち着かない気持ちでいた。このマンションから一人で出ていくのはなんだか心細い。まだ勉強を教えることについてなんの計画もたてていない。でも、帰りは絶対マンションの外まではキョウジに送ってもらおう、ということだけは心に決めていた。
◇◆◇
キョウジの部屋へ案内された後。十五分程二人で勉強に取り組んでみてわかったことは、キョウジが俺の想像を遥かに越えるバカだということだけだった。
全てをサッカーに費やしている影響なのだろうか、キョウジは信じられないくらい勉強が出来なくて頭が悪い。「少し難しい問題になると途端に授業についていけなくなる」とか「暗記科目が苦手」とか、そういうレベルじゃない。テスト範囲についてどのくらい理解しているのか確かめようと会話をしてみると、何を聞いても「わかんない」を繰り返す。最終的に判明したのは、かろうじてかけ算九九は暗記しているけど、それ以外はほとんど何も理解出来ていない状態であるということだった。
「本当に? 本当に分数のかけ算わり算もわからないの?」
「うん」
「信じられない! 十日のテスト勉強で間に合うわけないじゃん!」
なぜ、こんなことになるまでほうっておいたんだとキーキー喚き、「バカじゃないの!?」「小学校からやり直せ」と、仮に教師が言ったとしたらすぐ問題になりそうな言葉を俺がどれだけぶつけてもキョウジは一切動じない。何を言われても静かに、うん、うん、と頷く様子はどこか達観しているようでもあった。
「あのさユウマくん。八十点とか九十点を採ろうとするのは難しい。でも俺は試合にさえ出られればそれでいいから、追試を回避出来るギリギリの点数を目指そうと思う」
「うん、まあ……。目指すっていうかそれが限界だと思うよ……」
俺だってテストは五十点から七十点をとるのがやっとで、いつもクラスの平均付近をうろうろしている。得意な科目も特にない。きっと難しい問題はキョウジに教えられないだろう。
追試を回避出来るギリギリの点数を目標にしてしまうと、本番で一つでもミスをしてしまった時に危うくなる。キョウジとは「目指すのは満点じゃない、平均点だ」を合言葉に勉強をすることにした。
◇◆◇
「あー、疲れた……」
「うん……、少し休憩しようか。ユウマくん、何か飲む?」
「ううん。大丈夫……。ペットボトルのお茶を持ってるから」
キョウジの前でジュースや甘い紅茶を飲むのは気がひけるから、最近はコンビニで買ったルイボスティーばかり飲んでいる。肌の状態に効果があるのかはよくわからない。時々頬や顎にぽつっとニキビは出来るし、少しでも油断して日焼け止めを塗り忘れれば色が黒くなっているような気がする。
夜更かしは肌にも髪にも悪いというからテスト前でも早く眠らないといけないのに、今日はキョウジに「かっこの中から先に計算して、その後にかけ算・わり算、それからたし算・ひき算」という四則計算の順序を教えるだけで二時間以上を費やしてしまった。余りにも覚えが悪すぎて「そんなに覚えられないなら、刺青にして腕に彫っとけばいいじゃん」と俺が腹を立てても、「刺青なんか彫ったら高体連の規定で試合に出られなくなるよ」ととぼけた答えしか返ってこないからすごくすごく疲れた。
キョウジにものを教えれば教えるほど「いったいどうやってこの高校に入学出来たのだろう?」と不思議で仕方がなかった。一応本人に聞いてみたら「中学の時の先生がこの高校なら大丈夫だろうって、推薦入試を受けさせてくれたから」と、あっさり教えてくれた。キョウジが言うには何を聞かれても受け答えがしっかり出来るよう、毎日放課後は担任から面接試験の特訓を受けていたらしい。
だとしても、うちの高校は平均程度の学力が合格には必要だと言うから推薦入試とはいえキョウジが受かったのはミラクルだとしか思えなかった。なにせ、一切恥ずかしがらずに「俺、ローマ字が一番苦手だな。全然覚えられないから、大会の時に難しい名前をしているヤツのユニフォームを見て『へー、アイツの名前ってああやって書くんだ』って毎回ビックリする」と言うくらいなのだから。
「……でも、キョウジって授業中はべつに眠っているわけでもないし、一応教科書もノートも開いてるじゃん。それなのに、なんでこんなに習ったことがわからないの?」
「ああ。俺、授業中もずっとサッカーのことを考えてるから……。ノートにもどういうフォーメーションなら勝てるかなあとか、新しい練習メニューのこととか、そういうことを書いてる」
「はあ……」
そりゃあ勉強が出来ないわけだ、と納得するしかなかった。サッカーが生活の中心であるキョウジにとって、きっと学校の勉強は必要ないものだったのだろう。男前でもこれだけアホだったらきっと彼女になる女の子は苦労するだろうな、と勝手に思いながら整った顔をまじまじと見つめていると、キョウジは「でも、明日から少しはちゃんとやる」とヘラヘラしていた。
「親とかから叱られない? 勉強しろって……」
「うーん……。俺、叱られたことってほとんどない。うちの親って、子供の自主性? を重んじるって言ってたから」
「なるほどね……」
確かに、キョウジのマイペースでおおらかな気質からは、そういった家庭で育ったという雰囲気が感じられた。キョウジは両親とそれから四歳離れているお姉さんとの四人家族だという。今日は誰とも会っていないけれど、家族にとってキョウジは宝物で本当に大切に思われているのは俺にもなんとなくわかっていた。
一見するとモデルハウスのようなリビングはキョウジの今までの功績である表彰状やメダルやトロフィーがいくつも飾られていた。木製の枠の側には丸っこい可愛らしい字で「おめでとう」と書かれたカード。それはモダンな家具の中ではずいぶん浮いていて、部屋のデザイン性というものを重視するならいっそ無い方がいいとさえ思えた。だけど、そうしないということはキョウジの活躍を目につくところに残しておきたいという家族の思いがあるのだろう。
あの手のかかったお弁当といい、キョウジの両親はきっとキョウジが「やりたい」と言ったサッカーを本気で応援している。そういった事情を知ってしまうと、経済的にも裕福そうだし、何かあればきっと両親がキョウジのことを守ってやるだろう、となんだか妙に納得してしまって「まあ、留年さえせずに無事に卒業出来ればいいか」という気持ちになった。
「今日はもう終わりにしよう。いっぺんにやったってキョウジも忘れるだろうし、毎日ちょっとずつやれば四十点くらいは採れるんじゃない」
「本当? じゃあさ、何か夕飯を一緒に食べにいかない? 部活がないときじゃないとこんなこと出来ないし」
お腹はぺこぺこだったし、今日はキョウジと勉強以外のことはほとんど話せていなかったから、すごく魅力的な誘いだと感じられた。
「でも……」
普段あれだけ厳しく食事を制限しているキョウジが俺と一緒にハンバーガーや牛丼といったファーストフードを食べてもいいのかが気になった。なかなか返事が出来ずにいる俺を見て何かを察したのか「大丈夫だよ」とキョウジは笑った。
「今日はなんでも食べてもいい日にするから。少しくらい好きなものを食べたって、あとから調整すれば平気」
「……そうなの?」
「うん。自分の身体のことは自分でちゃんとわかってるから」
それなら、と二人で夕御飯を食べることになった。俺と一緒にものを食べるためにキョウジが食事の制限を解いたということに、嬉しいようなソワソワするような不思議な気持ちになっていた。
「何にしよう……、俺、この辺りはまだ全然出掛けたことがなくて……」
自分が何を食べたいか、ということよりも、どの店に行けばその後の「調整」にキョウジが困らないですむのだろう、ということが俺にはよっぽど重要だった。それで何も考えずに「調べてみるね」とキョウジの方にスマホの画面を向けながらグーグルクロームのアイコンをタップした。
「えっ……」
驚きで声を出したのはキョウジの方だった。……夕べの夜、眠れなくてただダラダラと見ていたエロサイトの画像が俺のスマホの画面いっぱいに表示されていたからだった。
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