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みにくい獣
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きっとナオちゃんはもう俺とは仲良くしてくれない、俺はこの家にいちゃダメなんだって、次の日は一日中気分が落ち込んでいた。
それなのに夕方、ナオちゃんは両手一杯の花束を抱えて仕事から帰ってきた。
「……どうしたの、それ」
寝間着姿で髪もボサボサの俺がそう尋ねると「初めて会った時からずっと好きだった。付き合って欲しい」とズイと花束を差し出された。
「そ、んな……。もしかして、ナオちゃん昨日のことを気にしてそう言ってる……? だったら……」
「好きだ!」
「責任を取ろうとか思ってるの? そんなことしなくたっていいよ。ナオちゃんには俺なんかよりずっといい人が……」
「好きだ! ビビ!」
「……あの、ま、待って……。うわあっ……!」
一歩後退りするたびに、巨大な花束が迫ってくる。いつの間にか部屋の隅に追い詰められた俺は、壁と花束に挟まれて身動きが取れなくなってしまう。
それで、すごく迷ったけど「さあ!」と差し出される花束を、受け取ってしまった。
「いいの……? 俺なんかで……」
「本当は夜空に『ビビちゃん 大好き ♡』って花火を打ち上げて告白しようと、前からずっと準備してたんだよ……。ただ、魔力を使ってもなかなか花火で字を書くっていうのは、素人の俺には難しくてさ……」
「……そんなことされたら、恥ずかしいよ」
花火なんて、お城でおめでたいことがあった時くらいしか見たことがない。だけど、夜空に浮かぶ巨大なハートマークや、「ビビー! 見えてるかー!」と太い腕を振って得意そうにしているナオちゃんの姿は容易に想像出来た。
「好きだ」
「……うん」
大きすぎる花束に視界のほとんどを奪われてしまっているけれど、ナオちゃんが俺のことをじっと見ているのはなんとなくわかった。「良かった。……捕まえた」と俺の腰にナオちゃんの腕が回される。花束と俺が潰れないように気遣ってくれているのか、ナオちゃんの太い腕の動きはそうっと慎重だった。
「……ナオちゃん、そうしたら俺と契約してくれる? 俺だけの特別なご主人様になってくれる?」
「と、特別なご主人様……?」
「うん。あのさ、人間の体をした俺と特別な儀式をするんだよ。それでね……」
「あーっ! ストップストップ! 儀式のことはその時の楽しみに取っておく。……ビビと俺にとって大事な事だろ? だから、今すぐ契約するんじゃなくて……。もっと……ご馳走も買って、部屋にバルーンや花も飾ってから、ちゃんとお祝いしよう」
「……うんっ!」
花束とナオちゃんからの告白だけでも充分すぎるくらいなのに、俺のためにお祝いのパーティーまで開いてくれると言う。ナオちゃんは「日曜日に大きなケーキを買ってきてやるから、それまで待っててな」と俺の頭を撫でた。
あと、五日後! 楽しみすぎてすごく長く感じるけれど、俺はもう嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
ナオちゃんからの花束は大きすぎて、家にあるビン容器では全然上手く活けられなかった。ナオちゃんがしょっちゅう水に溶かして飲んでいる「プロテイン」とかいう粉がたくさん入っていたバケツみたいな容器にならなんとか上手く収まった。
「ビビが幸せになるようにって願いを込めたら、ついつい買いすぎたよなー……」
可憐な花々と「POWER×10」という蛍光色の文字はちっとも調和していないけれど、ナオちゃんがくれた大事な宝物だと思うと、眺めているだけで幸せな気持ちになった。
◆
日曜日にはナオちゃんが俺だけのご主人様になってくれる! そうしたら俺もいよいよ一人前! と思うと元気が湧いてきて、張り切りすぎてしまう。
毎日寝坊が当たり前だったのに早起きするようになった俺を、ナオちゃんが「10キロくらいなら軽くイケるって!」と朝からジョギングに連れていこうとするのには困っているけれど……。毎日二人で「もうすぐ日曜日だ!」と確かめ合うだけで堪らなく嬉しくなる。
……魔力をどうしても節約しないといけないから、夜はまだ、毎日獣の姿で過ごしている。「せっかく結ばれたのにこれじゃあ愛し合えないね」とナオちゃんに言ったら、真っ赤になってしまって、「そういうことを軽々しく言うな」と怒られた。
「……今まで俺のやらしい写真をいっぱい撮ったくせに」
「あれは、そういう意味で撮ってたんじゃ……!」
「俺、すっごく恥ずかしかったんだよ? 全裸で四つん這いにされて、あんな恥ずかしい所をナオちゃんに見られて……」
こうやっていじめると、ナオちゃんは途端に大きな体を縮こまらせて「やめてくれ~!」と悶える。ケタケタ俺が笑うと、「ビビ!」と怒った後に、ナオちゃんも笑う。
エッチの最中に興奮しすぎた俺が獣の姿に戻ってしまっては困るから、ちゃんと契約をすませて一人前になってから、とナオちゃんとは約束した。
一回だけ見せてしまっているけれど、人間の体で裸を見せるのはやっぱり恥ずかしい。それに、裸になって抱き合うということはなんとなく理解しているくらいで、エッチのことはよく知らない。
一度ナオちゃんから魔法手帳を借りて「エッチ やり方」と調べようとしたら、すぐにバレて取り上げられてしまった。
以来、ナオちゃんの魔法手帳にはギチギチに鍵がかけられてしまって、真面目な情報しか閲覧出来ない。
「何これ!? つまんないよ~!」
「……調べたら、意地でもビビはその通りにしようとするだろ。だから、ダメだ」
「……だって、エッチしたことないんだもん。何も知らないのは怖い……」
「ぐう……」
ちょっとだけ大袈裟に怖がったら、ナオちゃんの監視の下でなら、そういう情報を見てもいいということになった。子供向けの退屈な内容しか見せてもらえないのは物足りないけど仕方がない。俺はもっとナオちゃんと一緒にいやらしい動画を観たいのになー、と思うけど、使い魔として一人前になるまでは我慢することにした。
◆
ただ、日曜日を待つだけじゃなくて、家の事も一生懸命やるようにしている。
今日だって、魔物を捕まえるのに必要な餌を買いに行きたい、と言ったらナオちゃんが出掛ける前にコインをたくさんくれた。
「もちろん行きと帰りはバスに乗らないで走るんだろ?」
「え~……遠いし嫌だよお……」
走って体を鍛えろ、と言いつつナオちゃんからはバスに乗るためのお金もちゃんと貰えた。
ナオちゃんに買ってもらったばかりのツナギを着てバスで街へ向かう。どうしてわざわざ餌を買いに行くのかというと、最近魔物がナオちゃんの姿を見ただけで逃げ出すようになってしまい、魔力集めに苦労しているからだ。
どうやらこの辺りの魔物の間では「時々現れる筋肉まみれの人間に捕まると、魂や記憶を抜き取られる」という噂が広まっているらしい。もちろんそんなことは嘘だ。ナオちゃんは魔物を傷付けたことなんかない。
たぶん、ナオちゃんにモヤモヤを浄化された直後のぽーっとした状態に違和感を覚えた魔物達がそう言っているに違いなかった。
いいお兄さんだよ~! と伝えようにも、ナオちゃんがウロウロしているのを見ただけで、みんな血相を変えて逃げ出すからどうしようもない。仕方がないので、最近は魔物の好物のブドウパンやチーズを買って、それでおびき寄せるようにしている。
魔物が餌に夢中になっている間にナオちゃんが近付いて抱き着く……という作戦は、魔力は集まるけどお金がかかる。
ナオちゃんに催眠魔法を教えるしかないな、ということを考えながら、街をブラブラと歩く。「買ったブドウパンをつまみ食いするなよ」と出掛ける前のナオちゃんに笑われたことを思い出していた時だった。
「あれ~? 誰かと思ったらビビじゃん」
聞き覚えのある声に、顔が引きつる。無視して歩き続けようかと思ったものの、相手は四人もいてすぐに囲まれてしまった。
「なに? 急いでるんだけど……!」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべているのは、魔法使いのおじさんの元で一緒に育てられた、俺と同じ使い魔達だった。……一つだけ俺と違うのは、みんなはとっくの昔に偉い人と使い魔の契約を結んで一人前になってしまっているということ。
子供の頃から「ビビは不細工だ」と言われていじめられてきたから、みんなのことは苦手だ。さっさとこの場を離れたいのに「ずいぶん久しぶりだな。ゆっくり離そうぜ」と両方の腕をそれぞれがっちりと掴まれて、逃げられなくなってしまった。
そのまま、 人気のない細い路地へと無理やり連れ込まれる。昼間なのに、高い建物と建物が密集しているせいで薄暗い。地面に落ちている割れた瓶や、タバコの吸殻に顔をしかめていると頭を叩かれた。
「痛い! 何すんだよ!」
「ビビー……、お前、俺らのことをずっと避けてるよなあ? せっかく同じお父さんの元で育った家族だって言うのによー……」
「コイツ、まだ人間との契約を済ませてないから恥ずかしくて、外を歩けないんだよ」
ギャハハ、と俺をバカにする笑い声が一気に弾ける。子供の頃からいつもそうだった。醜い獣の姿を誰にも見られないよう洞窟や、木の陰に隠れていても、必ず追いかけ回されて意地悪を言われたり石をぶつけられたりしていた。
みんな見るからに高そうな服を着ているけど、それでもナオちゃんから貰ったお金だけは取られちゃダメだってポケットの中でコインを握り締めた。
「ビビ、お父さんの元にいた使い魔で半人前のなのは、もうお前だけだぞ」
「ダッサ……。不細工だし、もうコイツ死ぬしかないんじゃね?」
「ひっでえ!」
「バカにすんな……! 俺にだって、ちゃんと契約してくれる人は、いる……」
もうすぐナオちゃんが俺だけのご主人様になってくれるのに、こんなヤツ等に負けて堪るか……! と一人一人の顔を思いきり睨み付けた。
「へー……お前みたいな不細工と契約したいなんてヤツがいるんだ」
「キモ。絶対変態だよ。それか死ぬまで奴隷として使う気じゃない?」
「違う……! そういうふうに言うなっ!」
ナオちゃんは俺のことをすごく大切にしてくれる。それに、お互い好きあっているけれど、俺の体が半人前だから、まだキスもしたことがない。
確かに時々、俺に自分の体を触らせてから、「ここはなんて言う?」としつこく聞いてきては、俺のことを困らせるけど、変態なんかじゃない。
「わかんない……」
「ビビ、ちゃんと言って。ほら」
「う……腕の筋肉……」
適当に答えると「上腕三頭筋」とか「大腿四頭筋」とか、そういうわけのわからない筋肉の名前を俺が言えるようになるまで特訓が続く。それで、その後は「どうだった?」としつこく聞かれる。
「……すごく硬くて立派」
そう俺に言わせた後、でへ……とナオちゃんは満足そうにニコニコする。何が楽しいのかはわからないけど、ナオちゃんが嬉しいならいいか、って俺も笑う。
二人で仲良く暮らして、もうすぐ契約を結ぶ、ただそれだけの事なのに、どうしてバカにされないといけないんだろう、と思うとすごく悔しい。
「もう離せよっ! 二度と俺に関わるなっ!」
「あ? テメー、誰に口利いてんだ?」
「ビビ~、あんまり調子に乗んなよ?」
「いたっ……! 離せってば……! ……あ、ああっ……」
肩を殴られた時には、怒りで顔が熱くなっていた。あっ、ヤバイかも……と思った時には、獣の体になってしまっていた。
「うわ! バカだ、コイツ! キレすぎて、魔力を空っぽにしてる!」
「あれ~? さっきまで威勢が良かったのにどうしたのかな?」
ブカブカになった服の中でもがいていると、堅い靴の底で腹を踏まれる。そのまま、ポン、とボール遊びをするみたいに軽い力で何度も蹴られる。痛いとか、怖いとか、そういう気持ちよりも「ナオちゃんに買ってもらった服が汚れてしまう」ということの方がずっと気がかりだった。
「ピイ……ピイ……」
やめて、嫌だ、と何度叫ぼうとしても、今の俺には弱々しい声しか出せない。なんとか、服の中から脱出して、そうして俺は……ヨタヨタとその場から逃げ出した。
「相変わらずみっともないヤツだなー」「魔法手帳で晒したろ」って写真もたくさん撮られてしまった。子供の頃の方が直接的な暴力でもっと痛い目に合わされたけど、大人になった今は心がズタズタになるような嫌なことをたくさんされた。
早く走れない俺の耳には、嫌な笑い声がいつまでも残った。
どこにもケガなんかしていないはずなのに、動揺してしまっているのか、思うように歩けなくて何度も転んだ。足は泥ですっかり汚れてしまっている。最悪なことに空からは雨の雫が落ちてきた。
やっとの思いで辿り着いた軒下で、大事な服もお金も、みんな置いてきてしまったことに気が付いた。ナオちゃんごめんなさい、自分だけ逃げてごめんなさい、とずっと我慢していた涙が目に浮かぶ。
強い風が吹いて、激しくなった雨が屋根の下にも入り込んでくる。体を丸めて寒さに耐えていると「ビビが幸せになるようにって願いを込めた」と花束をくれた日のナオちゃんのことをなぜか思い出さずにはいられなかった。
それなのに夕方、ナオちゃんは両手一杯の花束を抱えて仕事から帰ってきた。
「……どうしたの、それ」
寝間着姿で髪もボサボサの俺がそう尋ねると「初めて会った時からずっと好きだった。付き合って欲しい」とズイと花束を差し出された。
「そ、んな……。もしかして、ナオちゃん昨日のことを気にしてそう言ってる……? だったら……」
「好きだ!」
「責任を取ろうとか思ってるの? そんなことしなくたっていいよ。ナオちゃんには俺なんかよりずっといい人が……」
「好きだ! ビビ!」
「……あの、ま、待って……。うわあっ……!」
一歩後退りするたびに、巨大な花束が迫ってくる。いつの間にか部屋の隅に追い詰められた俺は、壁と花束に挟まれて身動きが取れなくなってしまう。
それで、すごく迷ったけど「さあ!」と差し出される花束を、受け取ってしまった。
「いいの……? 俺なんかで……」
「本当は夜空に『ビビちゃん 大好き ♡』って花火を打ち上げて告白しようと、前からずっと準備してたんだよ……。ただ、魔力を使ってもなかなか花火で字を書くっていうのは、素人の俺には難しくてさ……」
「……そんなことされたら、恥ずかしいよ」
花火なんて、お城でおめでたいことがあった時くらいしか見たことがない。だけど、夜空に浮かぶ巨大なハートマークや、「ビビー! 見えてるかー!」と太い腕を振って得意そうにしているナオちゃんの姿は容易に想像出来た。
「好きだ」
「……うん」
大きすぎる花束に視界のほとんどを奪われてしまっているけれど、ナオちゃんが俺のことをじっと見ているのはなんとなくわかった。「良かった。……捕まえた」と俺の腰にナオちゃんの腕が回される。花束と俺が潰れないように気遣ってくれているのか、ナオちゃんの太い腕の動きはそうっと慎重だった。
「……ナオちゃん、そうしたら俺と契約してくれる? 俺だけの特別なご主人様になってくれる?」
「と、特別なご主人様……?」
「うん。あのさ、人間の体をした俺と特別な儀式をするんだよ。それでね……」
「あーっ! ストップストップ! 儀式のことはその時の楽しみに取っておく。……ビビと俺にとって大事な事だろ? だから、今すぐ契約するんじゃなくて……。もっと……ご馳走も買って、部屋にバルーンや花も飾ってから、ちゃんとお祝いしよう」
「……うんっ!」
花束とナオちゃんからの告白だけでも充分すぎるくらいなのに、俺のためにお祝いのパーティーまで開いてくれると言う。ナオちゃんは「日曜日に大きなケーキを買ってきてやるから、それまで待っててな」と俺の頭を撫でた。
あと、五日後! 楽しみすぎてすごく長く感じるけれど、俺はもう嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
ナオちゃんからの花束は大きすぎて、家にあるビン容器では全然上手く活けられなかった。ナオちゃんがしょっちゅう水に溶かして飲んでいる「プロテイン」とかいう粉がたくさん入っていたバケツみたいな容器にならなんとか上手く収まった。
「ビビが幸せになるようにって願いを込めたら、ついつい買いすぎたよなー……」
可憐な花々と「POWER×10」という蛍光色の文字はちっとも調和していないけれど、ナオちゃんがくれた大事な宝物だと思うと、眺めているだけで幸せな気持ちになった。
◆
日曜日にはナオちゃんが俺だけのご主人様になってくれる! そうしたら俺もいよいよ一人前! と思うと元気が湧いてきて、張り切りすぎてしまう。
毎日寝坊が当たり前だったのに早起きするようになった俺を、ナオちゃんが「10キロくらいなら軽くイケるって!」と朝からジョギングに連れていこうとするのには困っているけれど……。毎日二人で「もうすぐ日曜日だ!」と確かめ合うだけで堪らなく嬉しくなる。
……魔力をどうしても節約しないといけないから、夜はまだ、毎日獣の姿で過ごしている。「せっかく結ばれたのにこれじゃあ愛し合えないね」とナオちゃんに言ったら、真っ赤になってしまって、「そういうことを軽々しく言うな」と怒られた。
「……今まで俺のやらしい写真をいっぱい撮ったくせに」
「あれは、そういう意味で撮ってたんじゃ……!」
「俺、すっごく恥ずかしかったんだよ? 全裸で四つん這いにされて、あんな恥ずかしい所をナオちゃんに見られて……」
こうやっていじめると、ナオちゃんは途端に大きな体を縮こまらせて「やめてくれ~!」と悶える。ケタケタ俺が笑うと、「ビビ!」と怒った後に、ナオちゃんも笑う。
エッチの最中に興奮しすぎた俺が獣の姿に戻ってしまっては困るから、ちゃんと契約をすませて一人前になってから、とナオちゃんとは約束した。
一回だけ見せてしまっているけれど、人間の体で裸を見せるのはやっぱり恥ずかしい。それに、裸になって抱き合うということはなんとなく理解しているくらいで、エッチのことはよく知らない。
一度ナオちゃんから魔法手帳を借りて「エッチ やり方」と調べようとしたら、すぐにバレて取り上げられてしまった。
以来、ナオちゃんの魔法手帳にはギチギチに鍵がかけられてしまって、真面目な情報しか閲覧出来ない。
「何これ!? つまんないよ~!」
「……調べたら、意地でもビビはその通りにしようとするだろ。だから、ダメだ」
「……だって、エッチしたことないんだもん。何も知らないのは怖い……」
「ぐう……」
ちょっとだけ大袈裟に怖がったら、ナオちゃんの監視の下でなら、そういう情報を見てもいいということになった。子供向けの退屈な内容しか見せてもらえないのは物足りないけど仕方がない。俺はもっとナオちゃんと一緒にいやらしい動画を観たいのになー、と思うけど、使い魔として一人前になるまでは我慢することにした。
◆
ただ、日曜日を待つだけじゃなくて、家の事も一生懸命やるようにしている。
今日だって、魔物を捕まえるのに必要な餌を買いに行きたい、と言ったらナオちゃんが出掛ける前にコインをたくさんくれた。
「もちろん行きと帰りはバスに乗らないで走るんだろ?」
「え~……遠いし嫌だよお……」
走って体を鍛えろ、と言いつつナオちゃんからはバスに乗るためのお金もちゃんと貰えた。
ナオちゃんに買ってもらったばかりのツナギを着てバスで街へ向かう。どうしてわざわざ餌を買いに行くのかというと、最近魔物がナオちゃんの姿を見ただけで逃げ出すようになってしまい、魔力集めに苦労しているからだ。
どうやらこの辺りの魔物の間では「時々現れる筋肉まみれの人間に捕まると、魂や記憶を抜き取られる」という噂が広まっているらしい。もちろんそんなことは嘘だ。ナオちゃんは魔物を傷付けたことなんかない。
たぶん、ナオちゃんにモヤモヤを浄化された直後のぽーっとした状態に違和感を覚えた魔物達がそう言っているに違いなかった。
いいお兄さんだよ~! と伝えようにも、ナオちゃんがウロウロしているのを見ただけで、みんな血相を変えて逃げ出すからどうしようもない。仕方がないので、最近は魔物の好物のブドウパンやチーズを買って、それでおびき寄せるようにしている。
魔物が餌に夢中になっている間にナオちゃんが近付いて抱き着く……という作戦は、魔力は集まるけどお金がかかる。
ナオちゃんに催眠魔法を教えるしかないな、ということを考えながら、街をブラブラと歩く。「買ったブドウパンをつまみ食いするなよ」と出掛ける前のナオちゃんに笑われたことを思い出していた時だった。
「あれ~? 誰かと思ったらビビじゃん」
聞き覚えのある声に、顔が引きつる。無視して歩き続けようかと思ったものの、相手は四人もいてすぐに囲まれてしまった。
「なに? 急いでるんだけど……!」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべているのは、魔法使いのおじさんの元で一緒に育てられた、俺と同じ使い魔達だった。……一つだけ俺と違うのは、みんなはとっくの昔に偉い人と使い魔の契約を結んで一人前になってしまっているということ。
子供の頃から「ビビは不細工だ」と言われていじめられてきたから、みんなのことは苦手だ。さっさとこの場を離れたいのに「ずいぶん久しぶりだな。ゆっくり離そうぜ」と両方の腕をそれぞれがっちりと掴まれて、逃げられなくなってしまった。
そのまま、 人気のない細い路地へと無理やり連れ込まれる。昼間なのに、高い建物と建物が密集しているせいで薄暗い。地面に落ちている割れた瓶や、タバコの吸殻に顔をしかめていると頭を叩かれた。
「痛い! 何すんだよ!」
「ビビー……、お前、俺らのことをずっと避けてるよなあ? せっかく同じお父さんの元で育った家族だって言うのによー……」
「コイツ、まだ人間との契約を済ませてないから恥ずかしくて、外を歩けないんだよ」
ギャハハ、と俺をバカにする笑い声が一気に弾ける。子供の頃からいつもそうだった。醜い獣の姿を誰にも見られないよう洞窟や、木の陰に隠れていても、必ず追いかけ回されて意地悪を言われたり石をぶつけられたりしていた。
みんな見るからに高そうな服を着ているけど、それでもナオちゃんから貰ったお金だけは取られちゃダメだってポケットの中でコインを握り締めた。
「ビビ、お父さんの元にいた使い魔で半人前のなのは、もうお前だけだぞ」
「ダッサ……。不細工だし、もうコイツ死ぬしかないんじゃね?」
「ひっでえ!」
「バカにすんな……! 俺にだって、ちゃんと契約してくれる人は、いる……」
もうすぐナオちゃんが俺だけのご主人様になってくれるのに、こんなヤツ等に負けて堪るか……! と一人一人の顔を思いきり睨み付けた。
「へー……お前みたいな不細工と契約したいなんてヤツがいるんだ」
「キモ。絶対変態だよ。それか死ぬまで奴隷として使う気じゃない?」
「違う……! そういうふうに言うなっ!」
ナオちゃんは俺のことをすごく大切にしてくれる。それに、お互い好きあっているけれど、俺の体が半人前だから、まだキスもしたことがない。
確かに時々、俺に自分の体を触らせてから、「ここはなんて言う?」としつこく聞いてきては、俺のことを困らせるけど、変態なんかじゃない。
「わかんない……」
「ビビ、ちゃんと言って。ほら」
「う……腕の筋肉……」
適当に答えると「上腕三頭筋」とか「大腿四頭筋」とか、そういうわけのわからない筋肉の名前を俺が言えるようになるまで特訓が続く。それで、その後は「どうだった?」としつこく聞かれる。
「……すごく硬くて立派」
そう俺に言わせた後、でへ……とナオちゃんは満足そうにニコニコする。何が楽しいのかはわからないけど、ナオちゃんが嬉しいならいいか、って俺も笑う。
二人で仲良く暮らして、もうすぐ契約を結ぶ、ただそれだけの事なのに、どうしてバカにされないといけないんだろう、と思うとすごく悔しい。
「もう離せよっ! 二度と俺に関わるなっ!」
「あ? テメー、誰に口利いてんだ?」
「ビビ~、あんまり調子に乗んなよ?」
「いたっ……! 離せってば……! ……あ、ああっ……」
肩を殴られた時には、怒りで顔が熱くなっていた。あっ、ヤバイかも……と思った時には、獣の体になってしまっていた。
「うわ! バカだ、コイツ! キレすぎて、魔力を空っぽにしてる!」
「あれ~? さっきまで威勢が良かったのにどうしたのかな?」
ブカブカになった服の中でもがいていると、堅い靴の底で腹を踏まれる。そのまま、ポン、とボール遊びをするみたいに軽い力で何度も蹴られる。痛いとか、怖いとか、そういう気持ちよりも「ナオちゃんに買ってもらった服が汚れてしまう」ということの方がずっと気がかりだった。
「ピイ……ピイ……」
やめて、嫌だ、と何度叫ぼうとしても、今の俺には弱々しい声しか出せない。なんとか、服の中から脱出して、そうして俺は……ヨタヨタとその場から逃げ出した。
「相変わらずみっともないヤツだなー」「魔法手帳で晒したろ」って写真もたくさん撮られてしまった。子供の頃の方が直接的な暴力でもっと痛い目に合わされたけど、大人になった今は心がズタズタになるような嫌なことをたくさんされた。
早く走れない俺の耳には、嫌な笑い声がいつまでも残った。
どこにもケガなんかしていないはずなのに、動揺してしまっているのか、思うように歩けなくて何度も転んだ。足は泥ですっかり汚れてしまっている。最悪なことに空からは雨の雫が落ちてきた。
やっとの思いで辿り着いた軒下で、大事な服もお金も、みんな置いてきてしまったことに気が付いた。ナオちゃんごめんなさい、自分だけ逃げてごめんなさい、とずっと我慢していた涙が目に浮かぶ。
強い風が吹いて、激しくなった雨が屋根の下にも入り込んでくる。体を丸めて寒さに耐えていると「ビビが幸せになるようにって願いを込めた」と花束をくれた日のナオちゃんのことをなぜか思い出さずにはいられなかった。
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