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最後のひとつ(ユウイチさん)

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「あれっ……? なんか、俺だけ汗かいてる、ね……? え……?」

 ハッとした顔でそう呟いたマナトは、手の甲で額を拭った後、俺の顔をじっと見つめてきた。自分だけが汗をかいている、ということに納得出来なかったのか、ちらりと天井を見て埋め込み型のエアコンを確認してから、煙が出てこないロースターの上で焼かれている肉を眺めて首を傾げている。

「マナトは若くて代謝がいいから」
「えー……そうかなあ。食べてるだけで汗をかくって、なんだか恥ずかしいよ……」

 暑さを少しでも紛らわそうとするかのように、マナトはグラスに残っていたノンアルコールビールを一気に流し込んだ。

「ユウイチさんは涼しそうだし」

 ズルイ、とはにかみながら頭を掻くマナトの髪はお盆休みの間にさっぱりと短く整えられた。
 実家のお母さん、カノン、シュウ……全員から「長いのは変! 短い方がいい!」と大不評だったため、ばっさりと前髪も襟足も切って、定番スタイルである前髪の厚いショートへ戻したのだという。
 時々、「暑いー……」と家の中で襟足の部分を結った姿のマナトや、額が露になるセンターパート姿のマナトとの別れは突然だった。「寂しいけど、可愛いな……!? 可愛すぎる……!」と泣けばいいのか、悶えればいいのか、どっちつかずの反応でウロウロしていたら「ユウイチさんってば」とマナトからは笑われた。

 お盆休み中に連休を貰っていたマナトは、「今週はずいぶん長く感じる」と溢していた。 のんびりと過ごしていた体はバリバリとフルタイムの仕事をこなしていた時の調子を取り戻すのには時間がかかる。暑い工場の中や屋外で仕事をしているマナトは体力の消耗も激しい。きっと、いつも以上に疲れを感じているに違いなかった。

「……明日の休みは何をして過ごす予定?」
「うーん……。ユウイチさんもいないしなあ。普通に車を洗って、ゴロゴロして、ユウイチさんを迎えに行ったら、それでおしまい」
「ゆっくり休んだらいいよ」

 うん、と頷いた後、マナトはロースターの上の肉をひっくり返し始めた。空になったマナトのグラスにノンアルコールビールを注ぎ足していると「あっ、見て! 焦げてない! ちょうどいい!」と得意気な可愛い笑顔を見せてくれる。

 マナトを眺めていると、どんな料理よりも酒がすすんでしまう。特に焼肉店では「全部俺に任せて!」と張り切ったと思ったら「わああっ! ホルモン焦げてる!」とてんやわんやしている微笑ましい姿をいつだって拝むことが出来た。大好物の肉と大盛りのご飯を頬張り、たいてい締めにはクッパや冷麺をもりもり食べる。ここ最近は「何これ!? 初めて食べた! 濃厚で美味しい……!」と感動して以来、コムタンクッパを頼むようになった。

 本当に気持ちいいくらいマナトはよく食べるから、何度でもご馳走したくなってしまう。食べたいものを聞いた時に「焼肉!」と迷わず元気いっぱいに即答するところが、まず可愛い。
 もっともっとたくさん美味いものを食べさせてやりたい。最近はマナトの味覚も大人になってきたのか、今まで好んで食べようとしなかった珍味や苦味や独特の風味を持つ食材を「美味しい」と口にするようになってきていることだし……、とあれこれ考えていると「ユウイチさん、カルビが焼けたよ」とマナトに呼ばれた。

「ん……? マナトが食べたら?」
「え……いいの!?」
「もちろん」
「一番いい肉なのに……!? 嬉しい……ありがとうございます」

「特選カルビ」の最後の一切れを味わって食べるマナトは本当に幸せそうだった。

 思いきり甘えられているようで時々まだマナトの中に遠慮が残っているんだろうか? と感じる事がある。
 特に、今日のように「最後の一つ」が残ってしまった時、それが如実に表れる。遠慮せずに「食べちゃおう!」「もーらいっ!」と食べていいし、なんなら「ユウイチさんの分もちょうだい!」と奪いに来てくれたって構わない。「とりあえず一番高い肉食べたい! 十人前!」というわんぱくな要求だって大歓迎だ。
 それなのに最後に残った一つを「ユウイチさん、どうぞ」と勧めてくるばかりで、どうしても食べたい時は「食べてもいい?」と断りを入れてくる。

 マナトは優しいから仕方がない、ということはよくわかっているけれど、本音を言えば何も気にせずに甘えてきて欲しい、とも思う。
 食べ足りないだろうから、とマナトが遠慮する前に、食べ頃のロースとタン塩をマナトの皿へ乗せておいた。



「えっ……。俺、そんなふうだった……? 自分では結構好き勝手にやっているつもりだったけど……」

 帰宅後、寝る前の支度を整えてからソファーでくつろいでいるマナトへ食事中に感じていた事を話した。「遠慮をしている」という自覚は本当に無いらしく、マナトは不思議そうな顔をして首を傾げている。

「だって、今日もメチャクチャ食べたよ……!? 俺、お会計の時に腰が抜けそうになったし!」
「……いや、気に入ったら残りは全部貰うとか、もっとそういう事をしてもいいのに、と思って……」
「そんな、強盗みたいな真似出来ないよ……」

 こんなに可愛い強盗なら何もかもを奪われたっていいな……、と内心デレデレしていると、「でも、確かに最後の一つを食べるのは苦手かも……」とマナトが呟くのが聞こえた。

「俺、子供の頃から、『美味しい! もっとちょうだい!』って言う妹と弟に自分の分を分けて、たくさん食べさせるのが普通だったし……」
「え……」
「二人は二人でいろいろ我慢してるんだろうなって思うと、せめてお腹だけはいっぱいにしてやらなきゃって……」
「な、なんてことだ……」

 頭の中を過ったのは今よりもずっと幼いマナトが「俺の分をあげる」と小さなカノンとシュウに夕御飯のおかずやオヤツを分け与える姿だった。
 自分だって美味しいものはたくさん食べたいだろうに、「お兄ちゃんだから」という理由でマナトはずっと我慢していたのか、と思うと視界がじんわりと滲んでくる。一方のマナトは「弟なんか小三にもなれば、おかわりもするんだよ。生意気だよねー」とケラケラ笑っていた。

「ユウイチさんは? 妹さんに好物をとられなかったの?」
「……どうかな。子供の頃は俺も妹もそんなに食べなかったから」
「そうなんだー」

 そもそもマナトのように「俺はお兄ちゃんだから」と意識したことなんか、幼少期どころか現在に至るまでほとんど無い。妹とは争うほど仲が悪いわけでもないが、ある程度成長してからはお互い干渉せずに生活していたような気がする。
 成人し、就職して、妹に子供が産まれてからはポツポツと交流はあるものの、特別仲がいい、という実感も無い。向こうもたぶんそう思っているだろう。

 もちろんマナトのように何かを分け与えた経験もない。どれだけ遡ろうと「いいから、食べなさい」と母親が食べ物をどんどん出してくるのを断るのに苦労していた記憶しか思い出せなかった。

 高校を卒業し看護学校に通うようになったカノンと、成長してますますマナトとソックリになってきたシュウ。二人は、マナトにとっていつまでも大切な妹と弟に違いない。だから、未だに食事をしていると二人の「お兄ちゃん」をやっていた頃の癖がなかなか抜けないのだろうか。


「……俺は自分が恥ずかしいよ」
「ユウイチさん!?」
「エライな……マナトは……」

 側に座っているマナトを抱き寄せると、「なんで!? どうしたの!?」とずいぶん狼狽えているようだった。
 自分自身がそうしたかったから、という理由で「よしよし、いい子いい子」とマナトの頭を撫でて頬に唇で触れた。その度にマナトは「全然違う! 違うよ!」と否定し「ユウイチさんは妹さんと歳が近いから……」と謎のフォローを始めたが、構わずにベタベタとマナトに触れ続けた。

「あの……ユウイチさん、もう充分……。なんだか恥ずかしくなってきた……」
「マナトはいい子だったんだな……今もそうだけど……」
「ユウイチさん、これ以上はちょっと……」
「いい子いい子、可愛い可愛い……」
 
 ひい、と縮こまるマナトは耳やうなじまで真っ赤になっていた。……本当は今よりもずっと前にこんなふうに「よしよし、いい子いい子」と甘やかされたかった時があったのだろう、ということはマナトの生い立ちからなんとなくわかっていた。
 もちろんその時のマナトの気持ちを全て埋めてやれることは出来ないのもわかっている。けれど、そうせずにはいられなかった。

「可愛い、好きだよ。マナト……」
「あの、もう俺、本当にヤバイから、ダメです……」
「もっといっぱいマナトのことを甘やかしたい。本当だよ」
「う……。ダメ、ダメ、ユウイチさん本当にダメ……」

 とろりとした目付きと、ふわふわした口調は嫌がっているようには感じられなかった。けれど、よっぽど照れ臭かったのかいつものように甘えてこないで「もういいよ!」とマナトはオロオロしてばかりだった。
 くたりとした体で何度か身動ぎした後、するりとマナトが腕の中から逃げ出してしまう。そのまま「嬉しいけど、恥ずかしい」と目も合わさずにフラフラと立ち上がった。

「……ぬ、抜いてくる」
「えっ……」
「好きな人から、よしよしって甘やかされたら、だ、誰だって興奮するに決まってる……。だから、抜いてくる……!」
「よしよし……。そんな事情があるのならそれこそ遠慮しないで言ってくれればいいのに」

 ユウイチさんも抜いてくるって言って、いつもいなくなるじゃない! とマナトはマナトで何か言っていたが構わず寝室へ連れていくことにした。


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