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タクミの心のうち

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「なに、やってんの?」

 人の車の陰に隠れながら自分の軽トラを観察している俺を見て、リンは鼻で笑った。

「……猫が」
「猫ぉ?」
「タイヤと車体の間に隠れてる。まだ小さい」

 少し離れた場所に駐車している軽トラを指差すと、リンは「なんで、こんな離れた場所からコソコソ覗いてんの?」と呆れていた。「おいで」と優しく呼んでみたところで、なぜかどの猫も威嚇するか逃げるかで、俺のことをとても嫌がるから仕方がない。バレないように身を屈めている姿を見て何か察したのか、リンも側へしゃがみこんだ。
 
「あっ……」

 気付かれたのか、子猫はピョンとタイヤから降りると、そのまま、ててっと走っていってしまう。猫か犬でも飼って暮らすか、という俺の夢がまた遠のいた気がする。
 リンが呑気な声で、「車を出す前に気付いて良かったじゃん」と言うのに黙って頷いてから、ボロい軽トラに乗り込んだ。

 車内では、いつものように、マックへ寄る、寄らないで軽い言い合いになる。先週も釣りの帰りに寄ったからダメだ、と今日こそ俺は譲らないつもりでいた。
 「……高校生の頃、すごくお腹が空いてる時に食べさせてもらって美味しかったから」という理由で、リンはマックが大好物だ。だけど、どんなものであれ食べ過ぎはよくない。リンは「全然釣れない釣りに付き合ってやったのに」とブツブツ言っているが仕方ない。店にさえ寄らなければどうとでもなる。



「ねえ、タクミ……。お願い、食べたい……」
「あ……? お前、やめろよっ……! こんな所で!」
「ねえー……」

「お願い」と、胸にすり寄って来るリンの髪から甘い香りがする。「重い! 暑い! くっつくなよ! バカじゃないの!?」とツンケンしている家での様子とはまるで別人だった。
 まだそこまで暗くなっていないため、外から車の中の様子は丸見えだ。それなのに、シートから身を乗り出して、顔を近付けてくる。

「わかったからやめろ! バカっ!」

 焦ってリンのことを押し退けると、柔らかい髪の毛先がサラサラと揺れた。「参ったか」と勝ち誇った表情を浮かべるリンは、憎たらしいくらいに綺麗な顔をしている。




「フッフッフ……。つまんない釣りの後は、マックに限るよね」

 結局、俺はリンに負けてマックを買い与えてしまった。大好物のビッグマックに、ナゲットとアップルパイをゲットしたリンは上機嫌だ。
 何回「家まで我慢しろ」と注意しても、リンは助手席でポテトを食い散らかす。信号待ちの最中に、塩をそこら中に落とすな、と文句を言おうとしたら、ちょうど「美味しい」と幸せそうな顔でポテトを頬張っているところだった。

「なに?」
「いや、べつに……」

 デカイ目でじいっと見つめられて、慌てて視線を逸らした。今度はバレないように、助手席の方を盗み見ると、リンは満足そうな顔で唇についた塩をペロッと舐めていた。
 行儀は悪いし、つまみ食いで小腹が満たされただけだろうに、ほんの少し舌先を覗かせて、柔らかい唇を舐める仕草は妙に艶かしい。
……車は今度ガソリンスタンドに行って、掃除機でゴミを取ればいいか、と諦めがついた。



 店が休みの日は、たいていリンを連れて釣りをする。時々、ばーちゃんの様子を見に特別養護老人ホームにもリンと二人で行く。
 買い物は農協とドンキとスーパーで足りるし、朝が早いからあまり遠出はしない。
 時々、リンからは「なんか他に趣味でも作れば?」と言われる。リンがいるからそれでいい、と何度断っても、キャバクラや競馬に連れていってやるとからかわれるのは腹が立つ。



「……服に垂れてる」
「げ、ホントだ」

 ナゲットのバーベキューソースが垂れた部分を紙ナプキンで乱暴に拭いたせいで、リンの部屋着の汚れはますます酷いものになった。
 物を食べている時のリンはまるで小さな子供だ。いつも慌てて口いっぱいに頬張るし、ボロボロ溢す。
 テリヤキバーガーを食べると指も口も、いつの間にかソースとマヨネーズでべちゃべちゃなっている。ドーナツを食べさせると、テーブルもコタツも粉砂糖まみれにしてしまう。

「……慌てて食べるなよ。たくさん買ったんだから」

 うん、と素直に頷く様子は中学生だった時とほとんど変わらない。元々綺麗だったリンはある日突然、近寄りがたい程美しいけれど、作り物のような顔に変わってしまった。
 もうリンは、手の届かないような遠い所へ行ってしまうのだと、あの時はひたすら泣いた。
 
 それから関係が最悪だった数年間のことは、もうあまり思い出したくはない。一緒に暮らすようになってようやく、昔と変わらないいろいろな表情のリンを見ることが出来るようになった。
 寝起きが悪く、一年のうち360日は、「まだ眠い、今日は店には行かない、休む」「休みの日なのに、早く起こすな」と朝からキレているようなヤツだけど、どこで何をしているのかわからなかった頃に比べたら、リンは明るくなった、と思う。

 買い物を頼んだ時は必ず釣り銭の数百円をしっかりパクるし、風呂の順番や夕飯の献立のことでは文句ばかり言う。
 だけど、教えたことは一生懸命覚えようとするし、特養まで付き添ってくれる時は「え? 学校? もう、タクミも俺も大人になったんだってば」と認知が進んだばーちゃんとも話してくれる。
 二人で暮らすようになってからは、リンがいれば、リンがもうどこにも行かないならそれでいいと思える毎日だった。


「あれ……マナトから、電話だ」

 アップルパイの残りをコーラで流し込んでから「はあい」とリンは電話に出た。時々、こうやってリンとマナトは他愛もない話をする。どこで知り合った友達なのか、詳しいことはよく知らないが、リンはマナトをよく構う。
 ユウイチさんとのことについては「もしかしてユウイチさんって」と言っただけで、「違う」と頑なに否定された。よっぽどユウイチさんとの友情を誤解されたくなかったのか、それ以上口にしたら殺す、と言うリンの顔は真剣だった。
 だから、俺は、リンとマナトとユウイチさんがどういう経緯で友達になったのかは知らない。
 

「うーん……? そうだね、成人の日までは忙しかったけど、今はフツーだよ。フツー」

 近況を報告しているリンの声にだんだん居心地が悪くなる。まだ、マナトとユウイチさんの暮らす新居を訪ねていないうえに、ユウイチさんから届いた手紙に返事も書いていない。
 達筆で文字がびっしりと書かれたユウイチさんからの手紙は、優しい言葉づかいで読みやすかった。たぶん、俺とリンの知的レベルに合わせてくれたに違いない。

 返事を書こうと思って手紙の書き方の本を買った。けれど、慣れないキチンとした文章は「当たっているのか?」と首を捻りたくなるほど、不自然で不恰好だった。字の汚さも関係していたんだろうか。

 リンもそう感じたのか、俺がユウイチさんに手紙の返事を書こうとしているのを知った時は「やめろ! こんなもの渡したら何に使われるか……!」と慌てていた。

「……そうだよな。こんな手紙出さねー方がいいよな」
「アイツが、こんないかにも『ユウイチさんのために一生懸命書いた手書きの手紙』を貰って、普通でいられるわけないじゃん! ああっ……! 何に使うか想像しただけで気色悪い……!」

 べつに読んだ後に、裏面をメモ紙にするくらいどうってことないのに、リンは「とにかく手紙はやめな」と言い張った。
 深く考えずにリンの言うことに従ったものの、よくよく考えたらやっぱり失礼だったかもしれない。いよいよ本格的に居心地が悪くなる。外に出るか、とソワソワしていた所でリンにがしっと腕を掴まれた。


「マナト。変わってって」

 ちなみにいるのはバレてるよ、と釘を刺されて、逃げられなくなってしまった。

「……はい」
「タクミ君? 元気? 俺! マナト!」

 マナトは相変わらず、なんだかムニャムニャした柔らかい口調で話す。だけど、今日はいつも以上に元気だ。

「タクミ君、俺ジムニー買ったんだ~! 見たいよね!?」
「いやべつに」
「えっ!? どうして!?」

 よっぽど驚いたのか、ひっくり返った声で聞き返される。丸っこい目をますます丸くさせている様子が容易に想像出来た。

「……そこら中走ってるだろ」
「それはそうだけど……ちゃんと中も見てよ! 俺、めちゃくちゃカスタムもしたんだよ!? 動かしてみてもいいし!」
「はあ……」

 べつに興味があるなんて一言も言っていないのに「ちょっとでいいから! 見るだけ! 見るだけ!」とマナトはしつこかった。小さい犬みたいな顔つきをしているクセに、車のことになるとマナトは本当にやかましくなる。
 家に遊びに来るたびに「タクミ君の軽トラを見せてよ! ちょっと触るだけ! ね? ね? いいでしょ!?」と迫り、頼んでもいないのに「オイル変えた方がいいよ」と勝手に点検までする。しかも、放っておけば「軽トラと言えばさ~」と長々と蘊蓄を語り出す。
 電話だろうとそれは変わらず、「遊びに行った時にマナトのジムニーを見せてもらう」ということを無理やり約束させられてしまった。



「はあ……」

 ミカンの白い筋をせっせと取っているリンにマナトとの会話の内容を伝えた。

「……なんか、ちょっとユウイチと似てきたかもね」

 ユウイチさんとは全然似ていないけれど、珍しくリンが俺の分のまで皮を剥いてくれていたから、筋の残っていないツルっとしたミカンを黙って口に運んだ。
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