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リィ

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「おい、俺の弁当、勝手に食べただろ」 
「……日本語、難しい。なに、聞かれてるか、さっぱりわからない」 
 
 嘘つけ、と頭を軽く小突くと、イヒーと笑って誤魔化される。俺はコイツが流暢な日本語で「すみません、この『ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』のDVD、ディスクが飛んで全然見れなかったんですけど? 別のと交換するか、代わりにクーポンをください」と店員にクレームを入れているのも見たことがあるし、スターバックスで「ダークモカチップクリームフラペチーノのトール、無脂肪ミルク変更で、チョコレートソースとチョコチップ追加、ホイップ多め」と呪文のようなオーダーをペラペラペラペラ唱えているところも見たことがある。 
 日本語で「NARUTO」だって読めるし、「スラムダンク」に至っては台詞を全部暗記しており、日本人の学生に「えっ? 『スラムダンク』読んでないの?」ハラスメントだってかましている。 
 つまり、コイツ……中国からはるばるやってきたリィは、「俺の弁当を勝手に食べるな」という日本語くらい簡単に理解出来ているはずなのに、都合が悪いから、わからないフリをしている。白米の上の六切れのトンカツのうち、間の二切れを食べた後、真ん中にぎゅっと寄せてあたかも「最初から四切れだった」というふうに、偽装しているところなど、小癪な知恵を働かせた様子が見受けられて余計にイラッとする。 
 
「……お前に杏仁豆腐を買ってきてやったけど、もうやらねー」 
「えっ! ユズルさん、なんでそれを早く言わない?」 
 
 人の弁当を盗み食いしておいてこの厚かましさである。ねえー、ユズルさーん、とリィは小さな子供のように駄々をこねた。 
 「そんなもの知らない。食べたことがない。きっと、日本人が上手いこと作ったね」と言っていたのに、今では、「本場の杏仁豆腐はオイシイねー。ぷるぷるスッキリ!」と大喜びするリィの大好物になった。 
 
「ユズルさーん、許してよー」 
「はあ……ベタベタすんなよ。冷蔵庫の中」 
「シェイシェイ、ドモアリガトー」 
 
 さっき自分が言った「日本語難しい、わからない」設定を守ろうとしているのか、いかにもインチキ臭い中国人が言いそうな中国語と片言の日本語でお礼を言った後ダッシュで冷蔵庫の方へ駆けていく。 
 
 結局、弁当も「ユズルさん、お腹すいた。ちょっぴりちょうだい」とねだられて、トンカツ全部と魚フライは奪われた。ちなみに、野菜は「嫌い」という理由で一口も食べなかった。 
 
「お前が今着てる服を売れば、弁当と杏仁豆腐なんていくらでも買えるんじゃね?」 
「ノー、ノー」 
 
 ただ「ARMANI」と書いてあるだけのTシャツを三万円で、平気で買うくせに、リィはアルバイト漬けの俺にしょっちゅうたかってくる。 
 
「ユズルさんの、稼ぎで食う飯は一番美味いよ」 
「……お前、最低だな」 
「なんでー」 
 
 結局、リィはその日の夜、留学生用の学生寮には帰らなかった。「あそこは、しょっちゅう日本人の女の子が来て、賑やかで騒がしい」のだと言う。泊めてやる代わりに中国語の宿題を手伝わせた。 
 
「ユズルさん、遊んでないで、もっと勉強したら? 次のテストヤバイんじゃない?」 
「……女と遊ぶ暇なんかあるか、ボケ」 
「そうなの? 毎日何してるの?」 
「お前が毎日毎日、寄ってくるから、面倒見るのに忙しいんだろうが!」 
「んふ」 
 
 そうでした、そうでした、ユズルさんは俺の面倒見てくれる、忙しい……とひとりごちたあと、「ユズルさんは、優しいね。日本で知り会った人で一番すきです」とリィは微笑んだ。 
 
◆ 
 
 大学に入学したばかりの頃、中国語の講義でリィとは知り合った。 
 
 講義中、講師の先生が何か言葉を発する度に、「しょっちゅう」「ギュウギュウ」「ちょくちょく」「代返」……といった単語を読み上げる翻訳アプリの合成音声が後ろの席から聞こえてきて、それが地味にストレスだった。「中国語は一年で八単位も貰えるから良い」と聞いていたけど、それは週に二回も講義があるからだし、発音の難易度は英語と同じかそれ以上に高い。 
 失敗したな……と、憂鬱な気分で帰り支度をしていると「ちょっとすみません!」と後ろから声をかけられた。デカくてよく通る男の声は、教室の出入り口の方までまっすぐすり抜けていった。 
 もし後ろの席の男が俺に話しかけていたのだとしたら、不自然に声が大きすぎる、だから俺じゃない……と知らんふりをしていたら、「すみません!」ともう一度声をかけられる。そうして、返事が待ちきれなくなったのか、後ろの席の奴はこっちに回り込んできた。 
 
「……俺?」 
「そう! すみません、先生は、最後、なんて言っていたのですか? 上手く聞こえませんでした」 
  
 座っている時は気が付かなかったが、思っていたよりも大きくてスラリとした手足の男だった。ずいぶん片言でゆっくりした話し方をする。それでようやく、この人は日本人じゃなくて留学生だから講義中、翻訳アプリで言葉を調べていたのだと納得した。 
 丸顔で、目が大きかった。日本人の女みたいにパッチリとした二重瞼の大きな目ではなくて、横幅はあって瞼は厚ぼったい。 留学生、と知った瞬間、急に顔つきも「日本人じゃないな」と感じられるから不思議だ。 
 
「えっと……来週の火曜は休みで、その分の振り替えを、再来週の土曜にやって……」 
「振り替え……? さらい……?」 
「あー……」 
 
 上手く伝わらなかったため、ノートを破ってから「Next Week Tuesday ×」と書いた後、再来週がどう書いたらいいかわからなくて、「Next Next Week Saturday ◯」と書いた。書いた後、急に冷静になって、今月の残りの全部の日付を書いて、講義がある日に丸印を付けた。 
 
「どうも、ありがとうございます」 
「いや、伝わったんなら良かったです」 
「……お名前はなんていいますか?」 
「えーと、えーと……、ユズル」 
 
 本当は今日の講義で自分の名前は中国語でどんなふうに発音するのかを習っていたけど、上手く言える自信が無くて、結局日本語でしか言えなかった。 
 
「ユズルさん? 俺は、リィです」 
「……リー?」 
 ブルース……
「全然違います。リィです」 
 
 美しい、という意味の中国語の字です、と聞いてもいないのに、勝手に解説された。先ほど授業で習った……おそらく第4声で発音されたその名前は、マヌケな子猫の鳴き声みたいに響いた。 
 
「……ユズルさん、俺、お腹も空きました」 
 と言い出した。 
 
「は?」 
「でも、俺、財布を、持ってない。ユズルさん、助けてください」 
「はあ……?」 
「お腹、デロデロ……」 
「ペコペコだよ」 
 
 結局、ラーメンを奢らされた。ラインパンツに革靴、デカデカと「BALENCIAGA」とプリントされたTシャツとプーマのジャージという出で立ちのリィを見て「……露店で売ってそうなパチモン服」と、同情したからだ。 
 リィは率直に言って変な中国人だった。 
 

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