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195.マルチェナ⑤(8月17日)

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カミラ達が留守番組を引き連れて戻って来る反応をスキャン上で検知するまでに、そう長い時間は掛からなかった。
この閂が掛けられた扉の先にどんな惨状が広がっているかわからないまま、まだ幼いグロリアやルイサを入れるわけにはいかない。
扉の内側からは複数の強い魔力反応に混じって、極弱い、今にも消えてしまいそうな命の反応もたくさんある。

「行くぞ」

すっかり回復したらしいアリシアを立たせて、閂に手を掛ける。
アリシアがスッと俺の背後に半身を隠し、逆にビビアナは俺の隣で短い杖を構える。どこか気の抜けた表情だった2人の意識が切り替わるのを待って、扉を開ける。
室内から一気に臭気が溢れてきた。

◇◇◇

「酷い……」

真っ先に室内に入ったビビアナが口を押さえたまま呟く。
間仕切りも何もない室内には多くの人が寝かされて呻き声をあげている。その間をよろよろと数名の男女が歩いている。重症患者の世話をしているのだろうか。
老老介護という言葉があるが、ここでは患者が患者を看護しているのだ。

「カズヤさん、どうしますか?」

アリシアが俺の服をぎゅっと握る感触が強くなる。

「重症者から治療する。さっきの要領だ。アリシア、頼めるか?」

「はい!ビビアナさんは?」

「ビビアナは俺達の護衛だ。意図的に襲われることはないとは思うが……」

俺が言い淀んだ言葉をビビアナが続ける。

「錯乱して襲いかかるかもしれない」

そのとおりだ。そんな想定をしなければならない状況に腹が立つ。
いや、自分で自分の身を守れない自分自身に、そして“救護対象者から身を守る”という謂わば最低の行為に対する備えをビビアナに押し付けざるを得ないことに。

「ああ。すまないが頼む」

「わかりましたわ。でも無理は禁物ですのよ。カズヤさん、あなた魔力が回復しきってはないでしょう?」

「わかっている。始めよう。まずは選別からだ」

そう言って横たわる患者を1人づつ確認していく。一人や二人ならばスキャンで一気に魔力の流れや澱みをチェックできるのだが、こう数が多いとスキャン範囲を相当絞らないと部屋中が渦を巻いているように見えてしまうのだ。激しく痙攣を起こしている人に駆け寄ろうとするアリシアを制する。暴れているから重症とは限らない。

「アリシア、選別からだと言っただろう」

「でも!」

“激しく苦しんでいる者が重症とは限らない”。理屈ではわかっていても感情が納得できるかどうかは別だ。それは俺だってよくわかる。

「手分けするか。アリシアは最低限の治癒魔法を全員に掛けて回ってくれ。ビビアナはその補助と鎮静魔法を頼む。俺は大人しくしている者から状態を確認するから」

「わかりました!」

アリシアとビビアナが動き出すのを今度は止めなかった。
俺はスキャン情報を頼りに一人ずつの魔力の流れを確認し、重症患者を選別する作業に入った。

◇◇◇

心得たとばかりにビビアナが鎮静魔法を使いまくってくれたおかげで、一人ひとりの状態確認は思いの外スムーズに進んだ。やはり重症なのは横たわったまま身じろぎもせずに、ただ虚な目で天井を見上げていた者達だった。激しく暴れていた者達の魔力の流れが首の辺りで停滞していたことから考えると、脳まで影響が及んでから一気に魔力が心臓を石化させるのかもしれない。
それはさておき、室内に収容されていた54名のうち、重症者は12名、中程度が28名、自身で起き上がって動ける軽症者が10名、他の者の世話ができる者が4名だった。全員が一斉に収容されたわけではなく、発症した順に入ってきたらしい。そして先に入った者のほうが進みが早い。手首に赤い紐を巻くことにした重症者12名は、ほとんどが初期に発症したようだ。
直近で収容されたという少年は、先に入った者の世話をしながら何を思っていたのだろうか。今は鎮静魔法と治癒魔法の効果でぐっすりと眠っている。

「一通り終わりました。大人の男の人が多いですね」

「多いというかほとんどが男ですわ。女性は3人、それも夫や息子が発症したから自ら手を上げて入ってきたようですわね」

そうである。先の“他の者の世話ができる4名”のうち3名が女性で、あと一人が少年、それ以外の50名は全て成人男性なのである。

「女性は発症しない……そんなことがあるのだろうか」

「わかりませんわね。“噛まれたから発症する“のなら、女性の手や腕には噛み跡がありました。でも同じような傷跡は男性にもあります。傷の深さによるのでしょうか」

女性は発症しない。エシハの街でビビアナが先代のエシハ伯から聞いた情報では、暴漢に襲われた少女が吸血鬼バンピローになり、暴漢に復讐したという。とすれば発症に性差があってもおかしくないかもしれないが、そんな感染症があるだろうか。
そもそも感染症だと決めつけていいのか。屍食鬼に襲われた者が屍食鬼になる。この現象を何らかの感染症だと考えたわけだが、前提が間違っているのだろうか。まさか男性器あるいは精巣を介して発症するのではあるまいな。

「そういえばバンピローを狩るパーティードは女中心が望ましいというのも、女は襲われないからじゃなくてネクロファゴにならないからなんでしょうか。だとしたら納得できますね」

アリシアが眉間に皺を寄せて続ける。

「ってことは危険なのはカズヤさんなのでは!?どうしよう」

と言われてもな。
屍食鬼ネクロファゴになってしまう原因が呪いにせよ感染症にせよ、メカニズムがわからなければ対策のしようもない。とりあえず出来ることをやるしかないのだ。

そうこうしているうちにイザベル達の気配が近づいてきた。そのまま馬車で建物の裏手に乗り付けたようだ。
そういえばクレアル、この街の衛兵副隊長の息子は誰なのだろう。ここに収容されているようだが、可能ならば元気な姿を見せてやりたいものだ。彼の年齢から考えると、そんなに年長者とも思えない。さっきの少年だろうか。

「お兄ちゃん無事!?」

「兄さん大丈夫ですか?」

そう言いながら飛び込んできたのはイザベルとルイサだ。この二人、一緒に暮らし始めてほぼ一ヶ月ですっかり姉妹のようになっている。イザベルの方が年上のはずだが、時折見せる仕草や表情はルイサの方が大人びて見えることもある。

「カズヤ殿、大事はありませんか?」

「これは思ったより酷いですわね」

「こう酷いのは戦場以来だな」

アイダとソフィア、カミラも室内に入ってくるが、フェルとグロリアが続いていない。
と、鼻を押さえたグロリアがフェルの鼻で押されるように入ってきた。いくら態度が大きいとはいえ幼い子供にこの状況は辛いだろう。

「揃ったな。早速だがこの者達を治療する。手伝ってくれ」

「承知している。何をすればいい?」

一同を代表してカミラが聞く。

「ビビアナが鎮静魔法を掛けてくれている。重症者には手首に赤い紐を巻いてある。優先的に浄化魔法を掛けてくれ」

「それは私がやりますわ」

ソフィアが胸に手を当てて一歩前に出た。

「そうだな。ソフィアとカミラ、ビビアナとアイダ、アリシアとイザベルの組に分かれよう。ルイサとグロリアは俺と一緒に頼む」

心得たとばかりに頷いた皆が、室内に散っていく。
ルイサとグロリア、それにフェルが俺の近くに寄ってきた。

「兄さん、私達は何をしたらいいですか?」

「この部屋は臭いぞ!こんな場所で妾に何をさせる気じゃ!」

グロリアはだいぶ年相応になってきたと思っていたのだが、それこそ“こんな場所”で虚勢を張っても仕方ないだろうに。

「グロリア、お前はアルテミサ神殿から派遣されたんだよな」

「そうじゃ!何をいまさら……」

「何のためにだ?」

「決まっておる!バンピローと、その手先であるネクロファゴから民を救うためじゃ!」

「そうだな。俺達の目的も同じだ。だったらこうしてはいられない。こんな臭い部屋に皆を閉じ込めてはおけないよな」

「も……もちろんじゃ!」

「よし!じゃあ3人で掃除をしよう。皆が良くなった時にに、いい気持ちで目を覚ましてほしいよな!」

「わかった!掃除する!」

チョロいなんて言ってはいけない。普段は高飛車な態度だが、根はいい子なのだ。
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