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その後の兄と弟。
★☆帰り道。(下)
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三十年ほど前、真咲と雄大と三人でよく遊んだ神社の境内には、殺風景な広場にブランコやシーソーなどの遊具がいくらかあった。一方、いま知玄と理仁のいるこの小さな公園は、築山の上に滑り台があり、季節の花々の植わった花壇があり、東屋と水飲み場、公衆トイレまである。そのかわり、滑り台の他に大型遊具はひとつもない。
理仁は飽きずに滑り台を様々な滑り方で滑り降りている。平日の夕方だというのに、子供の姿は他に見られない。犬の散歩をする老人が、たまに通りかかるくらいだ。しかも、知玄が挨拶をすると、お年寄りは逃げるようにそそくさと去っていった。
『もしかして僕、子供を狙う不審者だと思われたのかな』
それもそうかと知玄は思った。なにしろ、知玄と理仁とは似ているところがひとつもない。知玄と兄とがまるで赤の他人みたいに、全く似ていないように。
「そろそろ帰りましょう。お祖母ちゃんが心配しますよ」
「んーっ、もういっかい、もういっかいぃー!」
知玄はため息を吐いて、東屋の椅子に腰掛けた。冷たい風が吹き、カラスがカアカア鳴いている。本当にまったく、子供が通らない。公園のすぐ前の道路にスクールゾーンと書いてあるのに、この地区には小学生が一人もいないのだろうか。
『理仁は一人で学校に通わないといけないのかな……』
兄弟もおらず、近くに友達もいないのでは、可哀想な気がする。知玄は真咲と雄大の間に挟まれて歩いた帰り道を思い出した。二人はなにかと知玄のことを気にかけてくれたけれど、それでもふとした瞬間、涙がこぼれそうになるほどの淋しさを知玄は覚えた。
『きょうだいって、並んで歩いて、笑いあったり喧嘩しあったりするものなんだな。でもどうして僕とお兄さんとは、そうではないんだろう……って、思ったっけ』
思い出すだけで気が沈んでくる。ツヤツヤの革靴の底で、足元の砂をざっと掻く。たちまち靴の表面が埃で灰色に曇る。と、その時、キッと甲高い音がした。自転車のブレーキの音だ。
「みーつけた」
「お兄さん!」
安江家に上がりこんで、知玄が真咲と雄大の間に挟まれてプリンを食べていると、外でキッと甲高い音がした。知玄は庭に面した窓から外を見ようとした。外がすっかり暗くなっていたせいで、ガラスは鏡のように知玄の顔を反射したが、明暗差のおかげで外からは室内に知玄がいるのがよく見えた。
「お兄さんっ!」
知玄は外へ飛び出した。門扉のところには中学のジャージを着た高志先輩が立っていて、真新しい住宅の様子を伺っていた。彼は背中に兄をおんぶしていた。
「こんなとこで何やってんだオメー。ずっと探してたんだぞ」
そう言った高志先輩の背中から、兄はすとんと落っこちるように降りた。
「ノリのくそバカァ! このアホッたれぇ!」
兄は知玄を一回小突くと知玄に抱きつき、わあわあ泣いた。兄が声を枯らすほど号泣するのを見るのは知玄は初めてで、面食らってしまい「ごめんなさい」と呟くことしかできなかった。
○
「とうちゃん!」
滑り台に夢中になっていた理仁が、知白のもとにまっしぐらに駆けてきて、腕の中に飛び込んだ。
「お帰り」
知白は理仁を抱き上げ、頬ずりした。汗で湿ったほっぺたは、ほかほかに温かい。
「お兄さんもお帰りなさい」
知玄が東屋のベンチから立ちあがり、こちらに歩いてきた。
「おう、ただいま。さぁ、もう帰るぞ。お袋が一体どこで油売ってるんだってカンカンに怒ってるし」
知白は唇の端を上げた。
「ねーとうちゃん、もういっかい、すべりだいダメ?」
「だーめ、帰るぞ」
額に軽くデコピンをされると、理仁はおとなしく「はぁい」と答えた。
理仁をチャイルドシートに乗せた自転車を、知白は押して歩く。知玄は自転車を挟んで隣を歩く。夕日が沈みかけ、遠くの山々の稜線が金色に輝いている。その輝きは、自転車の車輪がカラカラと回る音とともに、遠い昔の記憶を呼び起こした。しんと沈み込んでいく空気、泣き過ぎて枯らした喉のひりつき、温かい背中と、なぐさめの言葉。
「ねぇ、お兄さん」
「なに?」
「いえ、難しい顔をしてるから、なに考えてるのなぁーと思って」
「昔、お前が迷子になった時のこと思い出してた。あんな真っ直ぐ一本道歩いてくればいいとこで、迷うか普通」
「僕もちょうどその時のこと、思い出してました」
「ふーん。気が合うんじゃん」
ふと、知玄が背後の方に目をやったので、知白もつられて後ろを見た。後席では理仁がてれんと手足を伸ばして、すやすやと寝息をたてていた。
『やっば……!』
こんな時間に寝られては、今夜の寝かしつけは大変なことになりそうだ。大好きな叔父さんもいることだし、「まだねない!」と理仁は大騒ぎすることだろう。
知白が憂鬱な気分になっているところ、ハンドルを握る手の甲の上に知玄の手がそっと置かれた。知白は自転車を押す手を止め、知玄を見た。薄暮の闇の中にも熱い視線を感じる。知玄の顔が近づいてきた。
『えっー、これってそういうタイミング!?』
やや引きぎみの知白の唇に、弟の唇が重なる。
『そうだった、こいつはそういう奴だった』
弟の表情は暗くてよく見えないが、きっと、だらしなくふやけきったツラをしているだろう。なにしろ知玄は、知白があれほど心配して探し回ったというのに、真咲と雄大に食べさせもらったプリンは美味しかったなどと、ヘラヘラしていたのだから。
(おわり)
理仁は飽きずに滑り台を様々な滑り方で滑り降りている。平日の夕方だというのに、子供の姿は他に見られない。犬の散歩をする老人が、たまに通りかかるくらいだ。しかも、知玄が挨拶をすると、お年寄りは逃げるようにそそくさと去っていった。
『もしかして僕、子供を狙う不審者だと思われたのかな』
それもそうかと知玄は思った。なにしろ、知玄と理仁とは似ているところがひとつもない。知玄と兄とがまるで赤の他人みたいに、全く似ていないように。
「そろそろ帰りましょう。お祖母ちゃんが心配しますよ」
「んーっ、もういっかい、もういっかいぃー!」
知玄はため息を吐いて、東屋の椅子に腰掛けた。冷たい風が吹き、カラスがカアカア鳴いている。本当にまったく、子供が通らない。公園のすぐ前の道路にスクールゾーンと書いてあるのに、この地区には小学生が一人もいないのだろうか。
『理仁は一人で学校に通わないといけないのかな……』
兄弟もおらず、近くに友達もいないのでは、可哀想な気がする。知玄は真咲と雄大の間に挟まれて歩いた帰り道を思い出した。二人はなにかと知玄のことを気にかけてくれたけれど、それでもふとした瞬間、涙がこぼれそうになるほどの淋しさを知玄は覚えた。
『きょうだいって、並んで歩いて、笑いあったり喧嘩しあったりするものなんだな。でもどうして僕とお兄さんとは、そうではないんだろう……って、思ったっけ』
思い出すだけで気が沈んでくる。ツヤツヤの革靴の底で、足元の砂をざっと掻く。たちまち靴の表面が埃で灰色に曇る。と、その時、キッと甲高い音がした。自転車のブレーキの音だ。
「みーつけた」
「お兄さん!」
安江家に上がりこんで、知玄が真咲と雄大の間に挟まれてプリンを食べていると、外でキッと甲高い音がした。知玄は庭に面した窓から外を見ようとした。外がすっかり暗くなっていたせいで、ガラスは鏡のように知玄の顔を反射したが、明暗差のおかげで外からは室内に知玄がいるのがよく見えた。
「お兄さんっ!」
知玄は外へ飛び出した。門扉のところには中学のジャージを着た高志先輩が立っていて、真新しい住宅の様子を伺っていた。彼は背中に兄をおんぶしていた。
「こんなとこで何やってんだオメー。ずっと探してたんだぞ」
そう言った高志先輩の背中から、兄はすとんと落っこちるように降りた。
「ノリのくそバカァ! このアホッたれぇ!」
兄は知玄を一回小突くと知玄に抱きつき、わあわあ泣いた。兄が声を枯らすほど号泣するのを見るのは知玄は初めてで、面食らってしまい「ごめんなさい」と呟くことしかできなかった。
○
「とうちゃん!」
滑り台に夢中になっていた理仁が、知白のもとにまっしぐらに駆けてきて、腕の中に飛び込んだ。
「お帰り」
知白は理仁を抱き上げ、頬ずりした。汗で湿ったほっぺたは、ほかほかに温かい。
「お兄さんもお帰りなさい」
知玄が東屋のベンチから立ちあがり、こちらに歩いてきた。
「おう、ただいま。さぁ、もう帰るぞ。お袋が一体どこで油売ってるんだってカンカンに怒ってるし」
知白は唇の端を上げた。
「ねーとうちゃん、もういっかい、すべりだいダメ?」
「だーめ、帰るぞ」
額に軽くデコピンをされると、理仁はおとなしく「はぁい」と答えた。
理仁をチャイルドシートに乗せた自転車を、知白は押して歩く。知玄は自転車を挟んで隣を歩く。夕日が沈みかけ、遠くの山々の稜線が金色に輝いている。その輝きは、自転車の車輪がカラカラと回る音とともに、遠い昔の記憶を呼び起こした。しんと沈み込んでいく空気、泣き過ぎて枯らした喉のひりつき、温かい背中と、なぐさめの言葉。
「ねぇ、お兄さん」
「なに?」
「いえ、難しい顔をしてるから、なに考えてるのなぁーと思って」
「昔、お前が迷子になった時のこと思い出してた。あんな真っ直ぐ一本道歩いてくればいいとこで、迷うか普通」
「僕もちょうどその時のこと、思い出してました」
「ふーん。気が合うんじゃん」
ふと、知玄が背後の方に目をやったので、知白もつられて後ろを見た。後席では理仁がてれんと手足を伸ばして、すやすやと寝息をたてていた。
『やっば……!』
こんな時間に寝られては、今夜の寝かしつけは大変なことになりそうだ。大好きな叔父さんもいることだし、「まだねない!」と理仁は大騒ぎすることだろう。
知白が憂鬱な気分になっているところ、ハンドルを握る手の甲の上に知玄の手がそっと置かれた。知白は自転車を押す手を止め、知玄を見た。薄暮の闇の中にも熱い視線を感じる。知玄の顔が近づいてきた。
『えっー、これってそういうタイミング!?』
やや引きぎみの知白の唇に、弟の唇が重なる。
『そうだった、こいつはそういう奴だった』
弟の表情は暗くてよく見えないが、きっと、だらしなくふやけきったツラをしているだろう。なにしろ知玄は、知白があれほど心配して探し回ったというのに、真咲と雄大に食べさせもらったプリンは美味しかったなどと、ヘラヘラしていたのだから。
(おわり)
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