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その後の兄と弟。

★☆帰り道。(上)

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『ほんとだ……』
 知白ともあきは年中組の保育室をこっそり覗き見ていた。室内では、知玄とものりがかしこまった様子でテーブルに着き、折り紙を鋏で器用に切っていた。
『あいつ、やれば出来んじゃん』
 この年の四月、知玄は保育園に入園したばかりだった。クラスの中で、知玄は一番小さくて、太っちょでコロコロしていて、あまり外で遊ばないのにこんがり日焼けしてるかのように色が黒かった。しかも目がぱっちりで唇がポヨヨンとしていたから、女に見間違われないよう、頭は丸坊主に刈られていた。
 どう見ても、知玄はいじめられっ子。実際、知玄は園でよく泣いた。知白のクラスまで、新入生のクラスから泣き声が聴こえてくれば、その泣き声の主はだいたい知玄だった。そのため、知白は弟がいじめられないよう、頻繁に年中クラスまで様子を見に行った。
 ところが、知白の予想に反して、知玄が泣いていたのは同級生にいじめらたせいではなかった。
「あーん、できないよぉー! わかんないよぉー!」
 知玄は、園でするべきこと何もかもができない分からないと言って泣いていたのだ。これには知白も唖然とした。まさか、弟が上履き入れから上履きを出すことすらできないなんて! それで、知白は可能な限り弟に貼りついて、なにくれと面倒を見た。
 だがある日、知白は弟の担任に呼ばれて言われた。
「知玄くんのこと、あまりかまわないであげてね」
 知白が世話をしなければ、知玄は自分で何でもできるというのだ。
 それは本当だった。鋏を使うのも糊で紙を貼り合わせるのも、知白が何度教えても「できない、わかんない、おにいしゃんがやって!」と言うばかりだった知玄が、今はそれらをなに食わぬ顔でやってのけている。
『俺、邪魔だったのか……』
 知白はショックを受け、以来、園では知玄を必要以上に構わないことにした。知白も実をいえば、知玄の面倒を見ていたせいで友達と遊ぶことが出来なかったのが少し不満だったので、知玄をかまうことを禁じられて落ち込んだのは、ほんの僅かな間だけだった。
 気をとり直して周囲を見渡せば、三月までは知白が仕切って遊んでいた仲間達は、小さなグループにわかれて知白ぬきで遊ぶようになっていた。しばらくの間、知白は誰も遊ぶ相手がおらず、園庭の隅で蟻の巣を掘り返したりカエルやダンゴムシを捕まえたりして遊んでいたが、同じ学年の多田なぎさに声をかけられた。なぎさと一緒に遊ぶうちに、しだいに周囲に仲間が集まり、増えていった。同い年の輪で遊ぶ楽しみを再び得た知白は、弟のことなどすっかり忘れてしまった。

● 
 一年後、知白は卒園し、小学校に入学した。知玄はさびしいと思ったが、兄の入学式の朝、あと一年の辛抱なんだと思い直した。スーツを着てピカピカのランドセルを背負った兄が、おめかしした母と玄関先に並び、写真を撮ってもらっている。来年は自分も新品のランドセルを背負って、兄に手を引かれて小学校へと歩くのだ。
 保育園では、知玄はしくじってしまった。兄にかまってもらいたい一心で、何も出来ないふりをしていたのを、見破られた。兄は、自分がいるから弟が何も出来ないヤツになるといって、知玄から離れていった。
『小学校ではお兄さんに見放されないよう、頑張らなくては』
 さらに一年後、知玄の決意は空振りとなった。
 朝は登校班で縦一列にぞろぞろ歩いて登校する。知玄は一年生なので、班長の六年生である高志たかし先輩のすぐ後ろを歩かなければならなかった。兄は最後尾の辺りで、同学年の友達とおしゃべりをしながらダラダラ歩いていた。
 校内では、保育園以上に上級生との接点がない。帰りなどは酷いことに、兄は恋人のなぎさちゃんを家まで送ってから帰ると言い、家とは学校を挟んで真逆の方向に行ってしまうのだった。知玄はしかたなく、一人でとぼとぼと家路を歩いた。帰る方向が同じ同級生には従兄の智也ともやがいたが、智也は知玄をいじめるので、知玄は智也とその仲間達が行ってしまうのを待ってから学校を出た。
 放課後はときどき、兄のあとについて近所の神社に遊びに行った。神社の境内にはたくさんの子供達が集まっていて、兄は必ず輪の中心にいた。
 知玄は、一応頭数には入れられていた。だが少し目立てば智也がいじめてくるので、知玄はみんなの輪の一番外周にひっそりと立っていた。 
 ある秋の日、神社の境内にはいつものようにたくさんの子供達が集まっていた。子供達は全員でかくれんぼをしている。知玄はずっと社殿の縁の下に隠れっぱなしでいたが、誰も知玄がいないことに気づかないようだった。知玄ぬきで、何度も鬼が交代しながら、ゲームが続いていく。
「いーち、にーい、さーん」
 兄の声だった。すばしっこい兄でも捕まることがあるんだなと、知玄は思った。
 いつまで待っても、兄は知玄を見つけてくれなかった。そして、知玄は膝を抱えたままの格好で、いつの間にか寝入っていた。
「おーい、姉ちゃん」
「あ? なんだよユーダイ」
「こんな所に誰か寝てる」
 近づいてくる人の気配に、知玄は目を覚ました。いつの間にか、縁の下は完全な真っ暗闇だった。誰かに手を引かれ、縁の下から這い出てみれば、すっかり夕暮れどきになっている。
「うわっ、すっげー。色々ついてる」
 知玄を引っ張り出した男の子は、知玄の頭や肩に着いていた落ち葉やクモの巣を手で払い落としてくれた。知玄は男の子を見上げた。兄よりも背が高く、がっしりとした体格で喧嘩が強そうだ。短く刈り込まれた髪。面長で、太い眉毛、小さな目と長くて太い鼻に小さな口。逞しい体格のわりに、顔は恐そうに見えない。
「どうしたの、迷子になったの? どこの子?」
 優しく問われると不意に淋しさが込み上げてきて、ツンと鼻の奥が痛くなった。
「年下泣かしてんじゃねーよ」
 背後から飛んできた言葉は、乱暴だが、女の子の声だった。先ほど、知玄は夢うつつに目の前の男の子が彼女を「姉ちゃん」と呼ぶのを聴いた。振り返ってみれば果たして、男の子と似て面長な女の子が、腕組みをして立っていた。学年は三、四年生くらいだろうか。顔かたちは弟と似ているのに、性格のキツさがよく表れた、鋭い目付きをした女の子だった。
 それが、安江真咲まさき雄大ゆうだいとの出会いで、そのときから現在に至るまで、知玄と彼ら姉弟とは親友の間柄だ。
 
「そろそろ帰りましょう、理仁りひと
「やだーっ! もういっかいがいい」
 その「もう一回」が延々と続いている。知玄は久しぶりの帰省中。母に頼まれて甥の理仁を保育園まで迎えに行ったが、まだ遊び足りないからどこかへ連れてってというワガママに付き合わされることになった。それで家の近所の公園に理仁を連れてきたというわけだ。
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