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●これが僕の甲斐性。

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 急迫した状況の中、僕だけが現実を受け止められずにいる。診察台に寝かされた兄の、少し膨らんだお腹。部屋いっぱいに響く、機械で増幅された、忙しなく力強い鼓動。苦しそうに呻く兄を、看護師が「力を抜いて!」と叱咤する。
「駄目だ、進行が早すぎる」
 医師が呟く。その時、看護師がふり返り、僕の存在に気付いた。
「こんな所で何してるの!? 廊下に出ていなさい」
「嫌だ!」
 咄嗟に僕は叫んだ。
「だって僕はお兄さんのつがいだから。僕はお兄さんの側にいます!」
 番だなんて口走ったせいで、僕は力ずくで別室に引っ張って行かれた。詰問と採血。十中八九、僕はα……。
 ねぇ、お兄さん。こんな大事なこと、どうして黙っていたんですか。僕が頼りないから?

 何故、兄を責めるような事を僕は言ってしまうのだろう。一番辛いのは兄なのに。
 ところが、兄は鬱陶しそうに点滴を揺らして言った。
「邪魔だなこれ。それになんか、厳重に貼り過ぎじゃね?」
 挙げた腕は確かに、透明なテープで広く覆われ、手首も動かせないほどだ。兄は子供みたいに点滴を揺らし続ける。気を遣われていると思いつつも、僕はつい笑ってしまった。
「暴れて針をひっこ抜くタイプだと、思われたんじゃないですか?」
「失礼な」
 頬を膨らませた兄の顔に血色が戻ってきたことに、ホッとする。病院に担ぎ込まれた時の兄は、今にも死にそうなほどに青白い顔をしていた。僕はおろおろするばかり。両親がいなければ、どうすることも出来なかった。
 僕の叫びを聞いて両親が駆けつけた時、兄は母にすがりつき、何かを話した。母は血相を変え、兄の頭を叩いた。
『馬鹿っ! どうして早く言わないのっ。どうりで最近、様子がおかしいと思った!』
 そして母は父に向き直って言った。
『ごめん、お父さん。今まで黙ってたけど、この子はΩなの』
 それで父には皆まで通じたらしい。父と母は物凄い連係プレーで必要な物をかき集め、病院に電話し、父の車の後部座席に防水シートとタオルを敷き詰め、兄を乗せた。僕に出来たことといえば、兄の手を握るくらいだった。
知玄とものり
「あ、はい。なんでしょう」
「おチビを取り返して来たんだろ。ありがとう。お前、すげーな」
「いいえ。僕にはこれが精一杯で。あと、家には連れて帰れないそうです」
 僕は手の中の容器に視線を落とした。冷たい金属容器の底に、赤ちゃんは直に横たえられている。看護師に返してくれと頼んだら、半ば投げるように容器を目の前に置かれた。赤ちゃんが弾みで容器の底を転がるのが見えた。
 これが僕の甲斐性。僕はまた涙が出そうなのをぐっと堪えた。兄が枕元をトントンと指で叩く。そこに赤ちゃんを寝かせろという意味だ。
 僕は上着のポケットを探った。裸ん坊の赤ちゃんの為に、おくるみ代わりにハンカチがあればと。だが今日に限ってハンカチを忘れ、あったのはポケットティッシュだけ。しかも引いたら粉が飛ぶような代物だ。シーツの上にティッシュを敷き、そこに兄と向き合うように赤ちゃんを載せ、そして冷たい身体の上にも布団代わりにティッシュを掛けた。
「すげーよ」
 兄は呟いた。
「こんなちっちゃいのに、父親が誰だか疑いようのない顔してる。知玄おまえの寝顔そっくり」
 指先で、兄はそっと赤ちゃんの頭を撫でた。
「女の子だってさ。父親に似ると幸せになるって言うよな」
 僕が首肯くと、兄は目を閉じた。
「寝る。点滴終わったら起こして」
 兄の瞼から溢れた涙が睫毛を伝い、目尻へと流れていく。
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