57 / 86
●心配で寂しくて、でもちょっとだけ楽しみ。
しおりを挟む
「お兄さん」
「なに?」
朝、僕は服を着替えながら、さりげなさを装い、兄に聞いた。
「最近はお薬はいいんですか?」
「ああ、あれはもう要らない」
兄はそう言うけれど、母は毎朝変わらず部屋に来て、兄に「薬は飲んだ?」と確認する。その度、兄は「飲んだ」と嘘を吐く。
兄は作業着に着替えると、さっさと部屋を出ていった。階段を駆け下りる軽快な足取りが、遠ざかっていく。一時期、兄は体調を崩していたけれど、最近はいいようだ。
僕はこっそりベッドのヘッドボードの引き出しを開けた。そこにはアクセサリー類と共に、兄の常用していた薬が入っている。錠剤は半数くらい消費されていた。シートに製品名が書かれている。覚えておいて、後でネットで調べてみようか? やめておこう。それは兄のプライバシーに立ち入り過ぎというもの。親しき中にも礼儀ありだ。
第一、調べなくとも、これは喘息の薬に決まっているじゃないか。でも、それなら何故、服用を止めてしまったのだろう。兄は今でも、寝入り端と早朝によく咳をしているのに。
大学へ行こうと玄関を出た時、丁度兄の運転する四トンミキサー車が配達に出るところだった。僕が手を振ると、兄はこちらを見てニッと笑った。煙草を吸っていないこと以外は、いつも通りだ。いや、兄の禁煙はもう一月以上続いているから、もはや煙草を吸わないのが兄の「いつも通り」のはずだ。
「最近、知白さんは元気?」
茜ちゃんから不意に訊ねられて、僕は一瞬答えに詰まった。
「えぇ、元気ですよ」
そう答えたものの、茜ちゃんは僕の作り笑いを見透かしたように眉をひそめて言った。
「ここのところ、全然『ゆりあ』に来ないから、どうかしたのかなぁと思って。ね、小説のネタのことで、知白さんにちょっと質問したいことがあるから、事務所にお邪魔してもいいかな?」
「大丈夫だと思いますよ。兄に伝えておきますね」
帰宅して二階に上がり、炬燵に当たっていると、兄が茶の間に入って来た。
「よぅ、おかえり」
「ただいまです。あ、それ」
兄が手に提げている白い箱には、見覚えがある。
「うん、ケーキ。食べるだろ?」
「はい、いただきます」
昔、兄の通院帰りに病院近くのケーキ屋さんで母がよく買って来てくれた。子供の頃は、兄と母だけで出掛けてしまい、僕は母方の祖母の処で留守番というのが、寂しかった。だが、これがあるので、僕は兄の通院日がちょっと楽しみでもあった。
「どれがいい?」
箱の中には昔と同じに六種のケーキが詰まっていた。
「僕、これがいいです」
「お前はいっつもそれな」
兄はチョコケーキを皿に置き、僕の前に差し出した。
「ふふっ、形も匂いも昔と同じですね。美味しそうです」
「この店もう潰れたんかと思ったら、移転してたんだ。今朝、配達の途中でみっけて、さっきひとっ走り行って買ってきた」
兄も昔と変わらず、チーズケーキを選んだ。
「いただきます」
「おう、食え食え」
僕はチョコケーキを一口食べてみた。懐かしい味! 記憶に違わぬ美味しさだ。
「やっぱ美味えな」
と言った兄は、僕が半分食べる間に早くも二個目を食べ終えて、日向の猫のように目を細めた。
「なに?」
朝、僕は服を着替えながら、さりげなさを装い、兄に聞いた。
「最近はお薬はいいんですか?」
「ああ、あれはもう要らない」
兄はそう言うけれど、母は毎朝変わらず部屋に来て、兄に「薬は飲んだ?」と確認する。その度、兄は「飲んだ」と嘘を吐く。
兄は作業着に着替えると、さっさと部屋を出ていった。階段を駆け下りる軽快な足取りが、遠ざかっていく。一時期、兄は体調を崩していたけれど、最近はいいようだ。
僕はこっそりベッドのヘッドボードの引き出しを開けた。そこにはアクセサリー類と共に、兄の常用していた薬が入っている。錠剤は半数くらい消費されていた。シートに製品名が書かれている。覚えておいて、後でネットで調べてみようか? やめておこう。それは兄のプライバシーに立ち入り過ぎというもの。親しき中にも礼儀ありだ。
第一、調べなくとも、これは喘息の薬に決まっているじゃないか。でも、それなら何故、服用を止めてしまったのだろう。兄は今でも、寝入り端と早朝によく咳をしているのに。
大学へ行こうと玄関を出た時、丁度兄の運転する四トンミキサー車が配達に出るところだった。僕が手を振ると、兄はこちらを見てニッと笑った。煙草を吸っていないこと以外は、いつも通りだ。いや、兄の禁煙はもう一月以上続いているから、もはや煙草を吸わないのが兄の「いつも通り」のはずだ。
「最近、知白さんは元気?」
茜ちゃんから不意に訊ねられて、僕は一瞬答えに詰まった。
「えぇ、元気ですよ」
そう答えたものの、茜ちゃんは僕の作り笑いを見透かしたように眉をひそめて言った。
「ここのところ、全然『ゆりあ』に来ないから、どうかしたのかなぁと思って。ね、小説のネタのことで、知白さんにちょっと質問したいことがあるから、事務所にお邪魔してもいいかな?」
「大丈夫だと思いますよ。兄に伝えておきますね」
帰宅して二階に上がり、炬燵に当たっていると、兄が茶の間に入って来た。
「よぅ、おかえり」
「ただいまです。あ、それ」
兄が手に提げている白い箱には、見覚えがある。
「うん、ケーキ。食べるだろ?」
「はい、いただきます」
昔、兄の通院帰りに病院近くのケーキ屋さんで母がよく買って来てくれた。子供の頃は、兄と母だけで出掛けてしまい、僕は母方の祖母の処で留守番というのが、寂しかった。だが、これがあるので、僕は兄の通院日がちょっと楽しみでもあった。
「どれがいい?」
箱の中には昔と同じに六種のケーキが詰まっていた。
「僕、これがいいです」
「お前はいっつもそれな」
兄はチョコケーキを皿に置き、僕の前に差し出した。
「ふふっ、形も匂いも昔と同じですね。美味しそうです」
「この店もう潰れたんかと思ったら、移転してたんだ。今朝、配達の途中でみっけて、さっきひとっ走り行って買ってきた」
兄も昔と変わらず、チーズケーキを選んだ。
「いただきます」
「おう、食え食え」
僕はチョコケーキを一口食べてみた。懐かしい味! 記憶に違わぬ美味しさだ。
「やっぱ美味えな」
と言った兄は、僕が半分食べる間に早くも二個目を食べ終えて、日向の猫のように目を細めた。
0
お気に入りに追加
72
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

ある少年の体調不良について
雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。

学園と夜の街での鬼ごっこ――標的は白の皇帝――
天海みつき
BL
族の総長と副総長の恋の話。
アルビノの主人公――聖月はかつて黒いキャップを被って目元を隠しつつ、夜の街を駆け喧嘩に明け暮れ、いつしか"皇帝"と呼ばれるように。しかし、ある日突然、姿を晦ました。
その後、街では聖月は死んだという噂が蔓延していた。しかし、彼の族――Nukesは実際に遺体を見ていないと、その捜索を止めていなかった。
「どうしようかなぁ。……そぉだ。俺を見つけて御覧。そしたら捕まってあげる。これはゲームだよ。俺と君たちとの、ね」
学園と夜の街を巻き込んだ、追いかけっこが始まった。
族、学園、などと言っていますが全く知識がないため完全に想像です。何でも許せる方のみご覧下さい。
何とか完結までこぎつけました……!番外編を投稿完了しました。楽しんでいただけたら幸いです。

ヒロイン不在の異世界ハーレム
藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。
神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。
飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。
ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?
後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…
まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。
5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。
相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。
一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。
唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。
それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。
そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。
そこへ社会人となっていた澄と再会する。
果たして5年越しの恋は、動き出すのか?
表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる