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●兄の寝言。

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 父も母も兄の看病をする気がまるでない。こうなったら僕が頑張るしかないですねっ! 
 氷枕を作るのは、なんとか出来た。ところが、救急箱の中身を覗いてみて、大ショック。入っていた薬全ての使用期限が切れていた。仕方ない。僕は兄の頭の下に氷枕を敷いて、額に冷たい水で絞ったタオルを載せ、毛布を肩までかけてあげてから、買い物に出た。
 普段、買い物なんかろくにしない僕は物知らずで、まずコンビニに行って風邪薬が売られていないことに衝撃を受け、次にふと目についた薬局を訪れて医師の処方箋がないと薬を買えないことを初めて知り、最後にドラッグストアに行った。
 沢山の商品が並ぶ風邪薬の棚を前に僕がまごついていると、お店の人が話しかけてくれた。僕が事情を説明すると、店員さんはおすすめの解熱剤を教えてくれた。それだけでなく、病気の時には消化の良い食べ物がいいだろうと、レトルトのおかゆのある売り場まで案内してくれた。
 解熱剤とおかゆを買って、無事に帰宅。おかゆは四種類あるから、お昼にお兄さんが起きたらどれがいいか選んでもらおう。だが、兄はお昼を過ぎても昏々と眠り続けていた。
 午後、高志たかしさんが仕事上がりに兄のお見舞いをしたいと言うので、僕は高志さんに一階したで待って貰い、兄の様子を見に行った。兄はとても寝相が悪く、もしかすると、人に見られてはまずいような格好で寝ているかもしれないからだ。
 案の定、兄は毛布を蹴散らし、脚をカエルみたいながに股に開いて寝ていた。しかも左手に携帯を握り締めている。おもちゃを持ったまま寝てしまった赤ちゃんみたいだ。僕はそっと兄の姿勢を直してやり、毛布を掛けてあげた。さて、お見舞いの人が来るとあっては、兄に目を覚ましてもらった方がいいのだろうか? よく寝ている所を起こすのは、忍びないけれど。
 その時、兄が小さく呻き声を上げた。
「お兄さん?」
 兄は訳の分からないことを言いながら、携帯を持っていない方の手を、何かを掴もうとしているように彷徨わせた。僕はその手を両手で包み込んだ。熱い掌。悪い夢にうなされているのか、兄の眉間には深い皺が刻まれている。 
 不意にぐっと手を引かれ、僕は兄の上に倒れそうになった。すんでのところでシーツに片手をつき、踏ん張った。目の前を花吹雪がどっと吹き寄せて視界を塞ぐような幻が見えた。四月のあの時と同じだ。襲ってきたのは沢山の花弁ではなくてむせ返るほどの兄の匂いフェロモン。頭がクラクラする。花弁の台風の中に兄と二人で閉じ込められた気分だ。しかし、流石に免疫がついてきたのか、意識が飛ぶのは気合で回避出来た。
 兄は僕の手を引き、兄と僕との絆の印の上に僕の手を添わせて言った。
「ここ咬んで。もう辛い、耐えらんない……セイジさん」
 セイジさんとは。
 ぼやけていた兄の目の焦点が合う。兄は一瞬キョトンとしたが、今さっき誰か他人の名前を呼んだことなど忘れてしまったかのように、
「なんだ、知玄とものりか」
 と言って、花開くような笑顔を見せた。なにそれ反則っ! モヤッとした気持ちが一瞬で消し飛んでしまった。
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