白き死の仮面

板倉恭司

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省吾の苦悩

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 省吾は、ベンチに座り込んだ。荒い息を吐きながら、タオルで汗を拭く。いつも通り、トレーニングルームにて昼のトレーニングをやっていたのだが……どうにも気分が晴れない。その顔には、険しい表情が浮かんでいた。
 昨日、オルガノの集会所に現れた刑事の正岡は、十五年前に省吾から事情聴取をしたと言っていた。確かに、あの顔には見覚えがある。事情聴取の時いろいろ聞かれたが、覚えていないの一言で押し通した。
 やがて事情聴取が終わると、すぐさま入院させられてしまう。その後、二年間を閉鎖病棟で過ごした。
 省吾にとって、あの頃の記憶は思い出したくないものだ。事実、彼を担当した医師は言っていた。

「よくある症状だよ。忘れてしまったということは、無意識のうちに思い出したくない記憶だと判断しているのさ。無理に思い出す必要もない。嫌な記憶は忘れて、これからの人生について考えるんだ」

 実際は違う。
 省吾は、あの時のことをはっきり覚えている。当時も、そして今も……。



 その時、スマホが震える。何かと思えば、朝永からの電話だ。よほど急な用事らしい。
 スマホを手にすると、慌ただしい声が聞こえてきた。

{急で悪いがな、イエローカードの案件だ。今日か、遅くとも明日中にはやってくれ}

 本当に急な話である。どういった事情かは不明だが、朝永に言われればやるしかない。

「わかりました」

(詳しいデータは、すぐ送信する。あとな、ちょっと本部の方がゴタついてるんだ。だから、しばらくそっちに顔は出せない。しばらく山川に任せるから、よろしくな)

 聞いた途端、省吾は渋い表情になった。山川の講演では、来る人数が確実に少なくなる。事実、先日殺された関谷は朝永に心酔していた。彼の講演は、欠席したことがない。朝永の命令とあらば、自爆テロでもやらかしかねない雰囲気を漂わせていた。
 これは関谷に限った話ではない。朝永に対し、異様なまでの信頼を寄せる信者は多いのだ。その大半は女性である。
 普段の朝永は、何ということもない中年男た。ところが、壇上に立ち講演を始めれば印象が一変する。自信に満ちた表情で力強く語る姿には、見る者聴く者を強引に引き寄せるパワーがある。信者たちの個人的な相談に対しても、力強く断定的な口調で応対する。そのギャップもまた、魅力のひとつかもしれない。
 山川には、そういった部分が全くなかった。そんなことを思いつつ、省吾は言葉を返す。

「率直に言いますが、山川さんでは力不足な気がします。実際、先週の講演会は目に見えて入りが少なかったですよ」

 この言葉はお世辞でも何でもない。実際、数字にもはっきり表れている。
 山川は真面目な善人であるのは間違いない。若い時から、道を踏み外すことなく生きてきたのはわかる。その生き方や人格は、見た目にも表れていた。
 しかし、それだけなのだ。講演に人を引き付けるものはないし、話をしていても面白みはない。平凡な中年男が普通に語っている、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
 すると、スマホ越しに笑い声が聞こえてきた。

(そう言うな。俺もわかってるけどよ、仕方ねえだろう。他に人がいねえんだ。あとな、戻ったらお前に話がある)

 ギクリとなった。ひょっとして、刑事の正岡のことを聞かれるのだろうか。

「えっ、何の話ですか?」

 平静を装い聞いてみた。

{いや、電話じゃ言いたくねえことなんだよ。とにかく、今はちょっと本部にいなきゃならねえから、よろしくな}

 そこで、電話は切れる。
 省吾は、スマホを持ったままその場で考えた。朝永が大事だと言っている以上、くだらない話でないのは確かだ。
 しかも、本部の方では何やら面倒なことになっているらしい。大事な話とは、その面倒なことと関係があるのだろうか。
 その時、スマホにメッセージが届く。イエローカードの件だろう。省吾は、すぐに頭を切り替える。今はまず、こちらの案件に集中するとしよう。



 その日の夜、省吾はとある建物の中にいた。傍らには、未来と咲耶がいる。応接室のソブァーに、三並んで腰掛けていた。
 ややあって、ドアが開き人が入ってくる。

「よくいらしてくださいました」

 三人に、ニコニコしながら挨拶したのは恰幅のいい中年男だ。年齢は五十代から六十代、髪は綺麗に剃り落としており、けばけばしい色の僧衣を着ている。目は大きくギョロリとしていて、鼻や口も大きい。人混みの中でも、確実に目立つ風貌だ。演歌の大御所、というような雰囲気を漂わせている。
 もっとも、この男は演歌歌手ではない。無天聖人ムテンショウニンなどと名乗り、派手に活動している霊能者だ。最近では、メディアに取り上げられることも少なくない。霊と対話できることをウリにしており、先日もテレビの深夜番組に出演していた。
 もっとも、省吾にはわかっていた。目の前にいる無天聖人は、完璧な偽物である。少なくとも、本物の霊能力は欠片ほども持ち合わせていない。
 以前にターゲットにした舞幻尼僧は、一目で未来の能力を見抜いた。舞幻尼僧に限らず、僅かでも霊能力を持つ者ならば、未来の持つ能力を感じ取れるはずなのだ。
 しかし、この男はニコニコしている。未来を目の前にしても、動揺する素振りがない。となると、単なる詐欺師か。
 ならば、さっさと終わらせて帰るだけだ。省吾は、未来の方を向いた。

「やれ」

 言われた少女は、こくんと頷いた。直後、その瞳が赤く光る── 
 無空聖人はキョトンとしていた。何が起きているか、全くわかっていないのだろう。
 しかし、一秒もしないうちに表情が一変する。混乱、驚愕、恐怖……様々な負の感情が顔を覆い尽くし、体はガタガタ震え出す。
 次の瞬間、バタリと倒れた──

「終わったな。いくぞ」

 低い声で言うと、未来の手を引き出て行こうとする。が、その瞬間にスーツ姿の若い男が入ってきた。床に倒れ泡を吹いている聖人を見て、たちまち表情が変わる。

「何ですかこれ!? 何をしたんですか!?」

 男は詰め寄ってくるが、省吾も慌てた様子で首を振る。

「いや、わからないです。いきなり、この人が倒れて……子供に見せたくないので、とりあえず外に出そうかと思って……すみません」

 混乱した様子で答えた。もちろん、こんな男を叩きのめすことなど簡単だ。しかし、暴力を用いるのは最終手段である。状況にもよるが、まずはごまかし丸め込むことから試す。相手を叩きのめすのは最終手段だ。

「そ、そうですか。とにかく、今日のところはお帰りください!」

 男は、省吾の嘘をあっさりと信じたらしい。真っ青な顔で、スマホに向かい喚き散らしている。
 そんな中、三人は何食わぬ顔で出て行った。停めてあった車に乗り込む。同時に、恭子が車を発進させた。

「ねえ、ショウちゃん元気ないよ。どしたの?」

 助手席の咲耶が、くるりと振り向き聞いてきた。

「別に……仕事は終わったんだし、早く帰ろうぜ」

 素っ気ない態度で答え、隣に座っている未来を見てみた。少女は、じっと車窓から見える外の風景を見つめていた。
 まだ幼い少女の目に、夜の街とそこを徘徊する者たちはどう映っているのだろうか。



 省吾は、かつての自分を思い出していた。
 十五歳の時、地獄を見た。いや、見せられてしまったという方が正確だろう。あれを見てしまったばかりに、まともな人生を歩めなくなってしまった。挙げ句に宗教団体の手先となり、悪事に手を染めている。
 自分の手は、相手の流した血で真っ赤に染まってしまった。この汚れだけは、どれだけ洗ったところで消えはしない。いずれは逮捕され死刑になるか、あるいは誰かに殺されるか……そんなラストを迎えることは覚悟している。
 だが、未来はどうなのだ? 未来の人生は、今ならまだ修正できるのではないか?
 いつまで、こんなことをしなくてはいけないのだろうか?






 
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