白き死の仮面

板倉恭司

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グリーンカード(2)

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 省吾らの乗る車は、ゆっくりと走っていく。今、仕事を終わらせたばかりだ。後は帰るだけ……急ぐ必要はない。



 今、省吾らが解放した少女は……俳優・新山芳樹ニイヤマ ヨシキの娘、新山杏奈アンナだ。十六歳の高校生だが、学校にはほとんど行かず、あちこち遊び歩く生活を送っていた。何不自由なく育った環境が災いしたのか、生れつきの性格なのか、手のつけられない不良娘となっていたのである。
 それだけなら、まだよかったのだが……最近では、覚醒剤を打つようになっていたのだ。酒もタバコも当たり前になり、さらなる刺激を求めて薬に手を出したのである。売人からすれば、いい顧客であった。
 しかし、この情報は麻薬取締局の知るところとなった。口の軽いチンピラが、別件で捕まった時にベラベラと喋ってしまったのである。麻取(麻薬取締局の略称)は彼女の周辺を調べあげ、証拠も証人も揃えていた。あとは現場に踏み込み逮捕するだけ……という段階だったのである。
 今さっき杏奈がいたのは彼氏の家だが、友人たちを呼んでドラッグパーティーの真っ最中であった。ここに麻取が踏み込んだら、杏奈は確実に逮捕されていたはずだ。一般人が覚醒剤で逮捕されても大したニュースにはならないが、俳優の娘となると話は別だ。
 しかも、新山芳樹はただの俳優ではない。映画の仕事を二本抱えており、他にもワイドショーのコメンテーターやバラエティー番組のレギュラーなどもこなしている。どちらかといえば、マルチタレントに近いだろう。当然、世間の広い世代に顔と名前を知られている。
 そんな新山芳樹の娘が逮捕されたとなれば、大々的に報道されるのは確実である。芳樹の仕事にも、確実に影響が出るだろう。
 ところが、麻取より先にオルガノ救人教会が動いた。様々なコネを用いて、いち早く情報を入手し、ドラッグパーティー中の部屋に乗り込み杏奈をさらった。
 それも、ただ誘拐したわけではない。まず、省吾たちは暴力団のふりをして部屋に襲撃をかけた。次に、さんざん脅した後に杏奈を逃がす。
 もっとも、杏奈は自分が今どこにいるかもわからないし、スマホも現金も持っていない。逃げたはいいが、途中で途方に暮れるはずだ。
 そこに、教団の関係者が通りかかる手筈になっている。「偶然に」通りかかった信者が親切に声をかけ、言葉巧みに教団の施設へと案内する。
 後は、施設内で杏奈を勧誘するのだ。今の杏奈は、間近で見た本物の暴力と省吾らにナイフを突きつけられたことにより、まともな思考力を失っている。極度の恐怖と混乱により、迷子になった幼児のような精神状態だろう。
 そんな状態の杏奈を、外界から遮断された状況に置いて教団の信者たちからの「洗脳」を受けさせるわけだ。助けられた恩もある。敬謙な信者と化すのは時間の問題だろう。
 一方で、教団は芳樹にも連絡する。既に、杏奈が覚醒剤をやっていた証拠を握っているのだ。しかも、杏奈の身柄はこちらにある。芳樹もまた、教団の言いなりになるだろう。
 今後、芳樹と杏奈の親子には教団の広告塔として動いてもらうことになる。



「こないだ、みんなでおにぎり食べたよね」

 不意に、運転席の恭子が口を開いた。何を言っているのだろうか。省吾は、首を捻りながらも返事をする。

「ああ」

「あんたが入る前の話だけど、あの子と一緒にテレビ観てたんだよ。その時、ドラマがやってたんだ。家族三人で公園に行って、芝生の上に敷布を敷いて座って、笑いながらおにぎりを食べてるシーンがあったんだよ」

 何を言わんとしているかわかってきた。だが、素知らぬ顔で言葉を返す。

「だから何だ」

「未来は、そのシーンをじっと観てた。羨ましそうな顔してたよ。あんな風に、みんなでおにぎりを食べてみたいと思ったんじゃないかな」

 そうだろうな、とは思う。だからといって、未来の家族にはなれないのだ。せいぜい、休日の家族ごっこに付き合うくらいしか出来ない。
 しかし、恭子の考えは違うらしい。なおも語り続ける。

「あの子は、家族と一緒に公園でおにぎりを食べる……そんなことさえ、したことがなかったんだよ。憐れな話さ。いつか、あの子を海や山に連れて行ってあげたいね」

 その声は、しんみりとしていた。
 ちょうどいい機会だ。そういう話の流れなら、切り出しやすい。

「恭子さん、ひとつ言っておく。朝永さんは、これ以上の無理な要求はするなと言っていた」

 途端に、恭子はチッと舌打ちした。

「ったく、うるさい男だね朝永は」

「ああ、うるさい男だ。けどな、俺たちの上役なんだよ。言うことは聞いとけ。あんまり盾突くと、今度は俺たちにレッドカードが出るぞ」

 ・・・

 恭子は十年以上前、ある男と付き合っていた。
 男の名は瀬川セガワといい、顔はいいが乱暴で嫉妬深い性格である。恭子は暴力を受けながらも、彼のために尽くしていたのだ。籍は入っていないが一緒に暮らしていたし、金銭的にも援助していた。
 ある日、泥酔した状態で帰ってきた瀬川は、何を思ったか、いきなり恭子に殴りかかってきた。逃れようとするも、追いかけて来て彼女を殴りつける。恭子は、とっさに顔を逸らし両手を前に突き出した。あくまで、防ぐための行為……のはずだった。
 しかし、瀬川は伸びてきた手に押される形となり、そのまま倒れてしまう。酔っ払っていたせいで、足がふらついていたのだ。
 そして後方に倒れた瞬間、椅子に後頭部を打ち付けてしまう。
 まずいと思った恭子は、すぐに家を離れた。しばらくして、酔いが覚めたと思われる頃合いを見計らい、そっと帰ってみる。
 男は、倒れたままだった。息をしていないし、心臓も止まっている。死んでいたのだ──



 この時点で警察に駆け込み正直に供述していれば、大した罪には問われなかっただろう。事故に近い傷害致死……以前からDVに悩まされていたことや、相手が泥酔しており暴力を振るって来た事実を考慮すれば、傷害致死罪で三年から五年ほどの刑で済んでいたはずだった。うまくいけば、執行猶予も有り得ただろう。
 ところが、恭子は警察に行かなかった。事故に近い形とはいえ人の命を奪ってしまった事実を前に、パニックに陥ってしまったのだ。その後の彼女は、どう考えてもマズい行動を取ってしまう。
 まず、男の遺体をバラバラにしたのだ。看護師の経歴を持つ恭子にとっても、大変に骨の折れる作業だ。しかし、彼女はやり遂げた。
 次にしたことは、バラバラの遺体を袋に詰め、近所の空き家に隠した。
 この行動の裏には、何の計算もない。殺人を犯してしまったという恐怖心から視野狭窄の状態に陥り、とっさに思いついたことをやってしまったのだ。もちろん、己の犯した罪を隠蔽しようという意図はあるが、それも全て恐怖に駆られてのものである。
 ところが、この行動が思いも寄らなかった結果を招く──

 恭子が死体を隠した翌日、空き家に学生たちが侵入した。どこにでも必ずいるタイプの、集団でバカをやりたがる者たちだ。動画のネタにでもしようと思ったのか、スマホ片手にあちこち探検し始めた。
 しかも彼らは、運悪く死体を詰めた袋を発見し開けてしまう。当然ながら仰天し、警察に通報した。ここまでは、普通の殺人事件(?)に有りがちな展開だった。
 しかし、ここから先は予想外の展開が待っていた。恭子がバラバラにした男は、実のところヤクザだったのである。しかも、彼の所属している組では。別の組と縄張りを巡っての小競り合いが起きていた。そのため警察は、ヤクザ同士の揉め事ではないか……と判断する。死体をバラバラにするなど、一般人には難しい。まずは、そちらの線で捜査を始める。
 一方、ヤクザたちも彼らなりの反応をした。さっそく、組事務所に銃弾が撃ち込まれる。やがて、お互いの組事務所やシマの周辺に銃弾が撃ち込まれ、本格的な抗争が始まってしまったのだ。
 やがて、地道な捜査の末に容疑者として恭子が浮かび上がり、事情聴取をしたところ、あっさりと罪を認める。かくて、彼女は逮捕された。傷害致死と死体損壊の罪により、十年の刑を言い渡される。死体をバラバラにして犯行を隠そうとした点を重く見られ、ほぼ殺人罪と同じレベルの判決が下ったのである。
 恭子は、刑を真面目に務めあげた。結果、結果本来より一年早く出所することとなる。ところが、事件はまだ終わっていなかったのだ。
 出所して一月ほど経った、ある日のことだった。
 恭子は、自宅に帰るため夜道を歩いていた。だが、後ろから人の気配を感じる。何者かが付いて来ているらしい。足を早めたが、相手も足を早めた。
 何者かと思い、ちらりと振り返る。その瞬間、愕然となる。男が刃物を振り上げたのだ──

「な、何すんだい!」

 とっさに彼女は叫んでいた。同時に、持っていたバッグで相手の攻撃を防ぐ。しかし、相手はなおも攻撃してきた。刃物を振り回し、恭子に切りつけて来たのだ。
 その瞬間、声が聞こえてきた。

「おい! 何やってんだ!」

 怒鳴り声の直後、数人の警官が駆けつけてきた。男は取り押さえられ、連行されたのだ。



 後にわかったのだが、恭子を襲った男はヤクザだった。もともと瀬川と同じ組に所属していたが、抗争のせいで組は弱体化した。大勢の組員が逮捕され、さらに抗争で命を落とした者もいる。
 そのため、彼女を逆恨みしていたのだという。出所したことを知り、襲撃するため待ち伏せていた。しかも、この男は殺人の恐怖を消すため事前に覚醒剤を打っていたのだ。薬を注射した後、物陰で恭子が通りかかるのをじっと待っていた。近所の人間にしてみれば、完璧な不審者である。そのため、襲う前から通報されていたのだ。彼女にとって、運かよかったといえるだろう。
 もっとも、恭子を恨んでいるのはひとりだけではなかった。彼女のために、抗争が起きてしまった……その事実が、ヤクザたちのプライドをひどく傷つけてしまったのである。十年近く経っているにもかかわらず、恭子を狙っている者がいるという話だ。
 このままでは、恭子は確実に殺されるだろう。その時、手を差しのべたのが朝永である。近所に住んでいた信者を通じて接触してきた朝永は、オルガノ救人教会の寮に入れるよう手配してくれたのだ。
 当然、朝永は親切心から彼女を助けたのではない。この男の人を見る目は確かだ。元看護師であり、人を殺した後バラバラにして隠したという経歴。さらに現在の彼女と接したことにより、裏の仕事に向いていると判断したのだ。
 以来、恭子は教団により安全な場所に匿われることとなった。その代わり、命令が降れば汚れ仕事を行う。さらに、未来の身の回りの世話もする。
 そう、彼女もまた教団の飼い犬である。教団から離れては、生きていけない身なのだ。





 
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