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グリーンカード(1)
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午後十時過ぎ、閑静な住宅街をひとりの男が歩いていた。
がっちりした体をグレーの作業着で覆い、グレーの帽子を被っている。さらに眼鏡とマスクを付けており、顔はほとんど見えていない。その両手には、段ボールの箱を抱えていた。
この作業着の男、実は省吾である。朝永からの密命を帯びて、これから面倒な仕事をしなくてはならないのだ。
やがて省吾は、とあるマンションへと入って行く。エレベーターに乗り、三階へと到着した。三〇三と表札の出ている部屋の前に行き、立ち止まった。
スマホを出し、画面を見る。メッセージが表示されていた。
(アタシはいつでもOKよん。焦らさないで早くして)
ふざけた文面である。思わず舌打ちした。
「咲耶の野郎……真面目にやれ」
小声で毒づくと、目の前にあるドアホンを鳴らす。
ややあって、ドア越しに声がした。
「何か用か?」
「すみません、ゾマホン運送です。荷物をお届けにまいりました」
省吾が答えると、しばしの間があった。中から、何か話し合うような声が微かに聞こえている。
やがて、話は終わったらしい。
「やけに遅いじゃねえか。こんな時間に来んのかよ……まあ、いい。そこに置いとけ」
こちらに向けられた声である。顔は見えないが、横柄な口調だ。それに対し、省吾はペコペコ頭を下げつつ答える。
「すみません、貴重品の指定がされている荷物なんですよ。手渡ししろという指示が、お客さまから来ています。申し訳ありませんが、ドアを開けていただけませんか?」
「んだと……しょうがねえなあ」
直後、ドアが開いた。顔を出したのは、まだ十代とおぼしき若者だ。ガリガリに痩せており、目の下には隈がある。寝不足なのは明らかだ。その寝不足の理由が薬物であるということも聞いている。
もっとも、彼らの抱えた事情など知ったことではない。むしろ、不健康なヤク中が相手なら仕事がやりやすい。省吾は無言で、いきなり段ボール箱を放り投げた。箱は、若者へと飛んでいく。
「お、おい!」
思わず叫びつつも、若者は反射的に動いていた。投げられた箱を、両手でキャッチする。
その瞬間、省吾の右足が放たれた。強烈な前蹴りが、若者の腹に炸裂する──
「ぐぅ!」
若者は、軽々と吹っ飛んで行った。おそらく五十キロあるかないかという体格だろう。ドスンという音と共に、壁に叩き付けられる。
同時に、省吾は室内へと侵入する。その時、罵声が聞こえてきた。
「てめえ! 何しやがる!」
もうひとりの若者が、拳を振り上げ殴りかかってきた。省吾は簡単に躱し、直後に左のボディフックを叩き込む。
拳は、腹へとめり込んだ。その一発で、若者は崩れ落ちる。腹を押さえてうずくまっていた。
そこで、省吾は凄んだ。
「おい、俺はヤクザだ。お前ら、よくも俺たちのシマを荒らしてくれたな」
デタラメである。省吾らはヤクザではないし、シマを荒らされた覚えもない。また、目の前の若者たちはチンピラではあるが、どこのシマも荒らしてはいないだろう。
案の定、彼らは震えながら首を横に振る。
「し、知りません!」
ひとりが慌てて答える。だが、省吾はその男に蹴りを見舞った。爪先が腕に当たり、男は悲鳴をあげる。折れたかもしれないが、命に別状はない。
「嘘つくんじゃねえぞコラ。ヤクザ怒らせるとシャレなんねえそ」
凄んだ時、奥の部屋から声が聞こえてきた。
「誰か来て! 変なのが来た!」
それが何を意味するかはわかっている。咲耶の仕業だ。省吾は、すぐに声のした方向かった。
省吾がドアホンを押すのと時を同じくして、咲耶も室内に潜入していたのだ。黒の上下に、黒の目出し帽という忍者のような格好である。
彼女は、まずマンションの屋上に上がった。そこから柵にロープを結びつけ、それを伝い目指す部屋のベランダへと降り立ったのである。
音も立てず、ガラス戸を開けた。中には、若い男と女がひとりずつ。男の方は、ありふれたチンピラといった風貌である。女の方はさらに若く、十代半ばだろうか。突然、ベランダのガラス戸から侵入してきた者に、両者とも驚きを隠せない。
咲耶には、迷いはなかった。いきなり高く飛び上がったかと思うと、若い男の首に両脚を巻き付けたのだ。そのまま足で三角形を作り、きゅっと絞め上げる──
男は、もがく暇もなく意識を失った。飛びつき三角絞めが完璧な形で極まり、絞め落とされてしまったのだ。三角絞めは、防ぎ方を知らない素人が相手なら、よほどの体格差がない限り数秒で絞め落とすことが可能である。
一方、咲耶の行動に躊躇はない。すぐに立ち上がると、女の腕を掴む。と、女は叫び出した。
「誰か来て! 変なのが来た!」
叫びながら、腕から離れようとする。しかし、咲耶は腕を離さない。それどころか、背後から首に腕を巻き付けた。
一気に、キュッと絞めあげる。少女はじたばたもがいたが、無駄な抵抗であった。ものの数秒で、あっさり絞め落とされてしまう。
その時、のっそりと入ってきた者がいる。
「おい、片付いたか」
言いながら現れたのは、作業着姿の省吾であった。だが状況を見るなり、顔をしかめる。
「怪我させてないだろうな?」
「大丈夫。あたし、失敗しませんので」
おどけた口調で言ったが、省吾はにこりともしない。後は、出来るだけ早く外に出なくてはならない。
省吾は、持ってきた段ボール箱の中から大きな袋を出した。女の両手両足をテープで縛り上げ、持ってきた袋の中に入れる。
「お前ら、このガキは連れていく。落し前をどうするか、きっちり考えとけ。でないと、次は殺すよ」
震えている若者たちに凄んだ後、省吾は少女の入った袋を肩に担いだ。何事もなかったかのように、部屋を出て行く。咲耶も、その後に続く。
マンションを出ると、道路には一台のバンが停まっていた。運手席にいるのは恭子だ。省吾らが乗り込むと同時に、恭子か振り向き口を開いた。
「ちょっと、大丈夫だろうね? 怪我させてないかい?」
「大丈夫だ。早く車出せ」
省吾が答えた直後、車は走り出した。
しばらくして、人気のない道路で車が停まった。恭子がスマホを取りだし、操作し始める。それが合図だったかのように、省吾は袋のチャックを開けた。すると、恐怖に震える少女の顔があらわになる。
「お嬢ちゃん、あんたはどこの組の人?」
言いながら、省吾はナイフを取り出した。刃の部分を、少女の頬に当てる。
少女は何やら声を出すが、言葉にはならない。口に猿ぐつわを嵌められているため、喋ることが出来ないのだ。
その時、咲耶が口を開いた。
「兄貴、めんどくせえから殺しましょうや」
言いながら、彼女もナイフを取りだした。少女は、ヒッと小さく悲鳴をあげる。手足を縛られている上、右側にはガッチリした体格の省吾がナイフ片手に座っている。左側には、黒い目出し帽で顔を隠した咲耶が、これまたナイフ片手に座っているのだ。少女は、これまでの人生で味わったことのない恐怖を感じているだろう。
「俺たちはな、銀龍組の者だ。あんた、ヤクザとは関係ないんだな?」
もう一度、省吾が尋ねる。銀龍組などと言ってはいるが、そんな名前の組は存在しないだろう。しかし、少女は信じたらしい。涙と鼻水を垂れ流しながら、何度も頷いた。
「そうか、あんたは堅気なんだな。ひとつ言っておく。あのガキどもは、ウチのシマを荒らしたんだ。これから、きっちり落とし前をつける。ただ、あんたは関係ないらしいから、命だけは助けてやるよ。だから、俺たちのことは誰にも言うんじゃねえぞ。今日のことも黙っていろ。いいな」
そんなことを言いながら、省吾は袋のチャックを開けた。少女の手足を縛っているテープを切り離し、猿ぐつわを外す。
次いで、車のドアを開けた。
「ほら、さっさと帰れ」
突き飛ばされた少女は、慌てて走り出す。その後を、咲耶がそっと付いていった。省吾と恭子は、車の中で無言のまま座っている。
ややあって、咲耶が戻ってきた。
「あのお嬢ちゃん、無事に保護されたよ。任務完了だね」
その言葉を聞き、恭子は車を発進させた。
がっちりした体をグレーの作業着で覆い、グレーの帽子を被っている。さらに眼鏡とマスクを付けており、顔はほとんど見えていない。その両手には、段ボールの箱を抱えていた。
この作業着の男、実は省吾である。朝永からの密命を帯びて、これから面倒な仕事をしなくてはならないのだ。
やがて省吾は、とあるマンションへと入って行く。エレベーターに乗り、三階へと到着した。三〇三と表札の出ている部屋の前に行き、立ち止まった。
スマホを出し、画面を見る。メッセージが表示されていた。
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「咲耶の野郎……真面目にやれ」
小声で毒づくと、目の前にあるドアホンを鳴らす。
ややあって、ドア越しに声がした。
「何か用か?」
「すみません、ゾマホン運送です。荷物をお届けにまいりました」
省吾が答えると、しばしの間があった。中から、何か話し合うような声が微かに聞こえている。
やがて、話は終わったらしい。
「やけに遅いじゃねえか。こんな時間に来んのかよ……まあ、いい。そこに置いとけ」
こちらに向けられた声である。顔は見えないが、横柄な口調だ。それに対し、省吾はペコペコ頭を下げつつ答える。
「すみません、貴重品の指定がされている荷物なんですよ。手渡ししろという指示が、お客さまから来ています。申し訳ありませんが、ドアを開けていただけませんか?」
「んだと……しょうがねえなあ」
直後、ドアが開いた。顔を出したのは、まだ十代とおぼしき若者だ。ガリガリに痩せており、目の下には隈がある。寝不足なのは明らかだ。その寝不足の理由が薬物であるということも聞いている。
もっとも、彼らの抱えた事情など知ったことではない。むしろ、不健康なヤク中が相手なら仕事がやりやすい。省吾は無言で、いきなり段ボール箱を放り投げた。箱は、若者へと飛んでいく。
「お、おい!」
思わず叫びつつも、若者は反射的に動いていた。投げられた箱を、両手でキャッチする。
その瞬間、省吾の右足が放たれた。強烈な前蹴りが、若者の腹に炸裂する──
「ぐぅ!」
若者は、軽々と吹っ飛んで行った。おそらく五十キロあるかないかという体格だろう。ドスンという音と共に、壁に叩き付けられる。
同時に、省吾は室内へと侵入する。その時、罵声が聞こえてきた。
「てめえ! 何しやがる!」
もうひとりの若者が、拳を振り上げ殴りかかってきた。省吾は簡単に躱し、直後に左のボディフックを叩き込む。
拳は、腹へとめり込んだ。その一発で、若者は崩れ落ちる。腹を押さえてうずくまっていた。
そこで、省吾は凄んだ。
「おい、俺はヤクザだ。お前ら、よくも俺たちのシマを荒らしてくれたな」
デタラメである。省吾らはヤクザではないし、シマを荒らされた覚えもない。また、目の前の若者たちはチンピラではあるが、どこのシマも荒らしてはいないだろう。
案の定、彼らは震えながら首を横に振る。
「し、知りません!」
ひとりが慌てて答える。だが、省吾はその男に蹴りを見舞った。爪先が腕に当たり、男は悲鳴をあげる。折れたかもしれないが、命に別状はない。
「嘘つくんじゃねえぞコラ。ヤクザ怒らせるとシャレなんねえそ」
凄んだ時、奥の部屋から声が聞こえてきた。
「誰か来て! 変なのが来た!」
それが何を意味するかはわかっている。咲耶の仕業だ。省吾は、すぐに声のした方向かった。
省吾がドアホンを押すのと時を同じくして、咲耶も室内に潜入していたのだ。黒の上下に、黒の目出し帽という忍者のような格好である。
彼女は、まずマンションの屋上に上がった。そこから柵にロープを結びつけ、それを伝い目指す部屋のベランダへと降り立ったのである。
音も立てず、ガラス戸を開けた。中には、若い男と女がひとりずつ。男の方は、ありふれたチンピラといった風貌である。女の方はさらに若く、十代半ばだろうか。突然、ベランダのガラス戸から侵入してきた者に、両者とも驚きを隠せない。
咲耶には、迷いはなかった。いきなり高く飛び上がったかと思うと、若い男の首に両脚を巻き付けたのだ。そのまま足で三角形を作り、きゅっと絞め上げる──
男は、もがく暇もなく意識を失った。飛びつき三角絞めが完璧な形で極まり、絞め落とされてしまったのだ。三角絞めは、防ぎ方を知らない素人が相手なら、よほどの体格差がない限り数秒で絞め落とすことが可能である。
一方、咲耶の行動に躊躇はない。すぐに立ち上がると、女の腕を掴む。と、女は叫び出した。
「誰か来て! 変なのが来た!」
叫びながら、腕から離れようとする。しかし、咲耶は腕を離さない。それどころか、背後から首に腕を巻き付けた。
一気に、キュッと絞めあげる。少女はじたばたもがいたが、無駄な抵抗であった。ものの数秒で、あっさり絞め落とされてしまう。
その時、のっそりと入ってきた者がいる。
「おい、片付いたか」
言いながら現れたのは、作業着姿の省吾であった。だが状況を見るなり、顔をしかめる。
「怪我させてないだろうな?」
「大丈夫。あたし、失敗しませんので」
おどけた口調で言ったが、省吾はにこりともしない。後は、出来るだけ早く外に出なくてはならない。
省吾は、持ってきた段ボール箱の中から大きな袋を出した。女の両手両足をテープで縛り上げ、持ってきた袋の中に入れる。
「お前ら、このガキは連れていく。落し前をどうするか、きっちり考えとけ。でないと、次は殺すよ」
震えている若者たちに凄んだ後、省吾は少女の入った袋を肩に担いだ。何事もなかったかのように、部屋を出て行く。咲耶も、その後に続く。
マンションを出ると、道路には一台のバンが停まっていた。運手席にいるのは恭子だ。省吾らが乗り込むと同時に、恭子か振り向き口を開いた。
「ちょっと、大丈夫だろうね? 怪我させてないかい?」
「大丈夫だ。早く車出せ」
省吾が答えた直後、車は走り出した。
しばらくして、人気のない道路で車が停まった。恭子がスマホを取りだし、操作し始める。それが合図だったかのように、省吾は袋のチャックを開けた。すると、恐怖に震える少女の顔があらわになる。
「お嬢ちゃん、あんたはどこの組の人?」
言いながら、省吾はナイフを取り出した。刃の部分を、少女の頬に当てる。
少女は何やら声を出すが、言葉にはならない。口に猿ぐつわを嵌められているため、喋ることが出来ないのだ。
その時、咲耶が口を開いた。
「兄貴、めんどくせえから殺しましょうや」
言いながら、彼女もナイフを取りだした。少女は、ヒッと小さく悲鳴をあげる。手足を縛られている上、右側にはガッチリした体格の省吾がナイフ片手に座っている。左側には、黒い目出し帽で顔を隠した咲耶が、これまたナイフ片手に座っているのだ。少女は、これまでの人生で味わったことのない恐怖を感じているだろう。
「俺たちはな、銀龍組の者だ。あんた、ヤクザとは関係ないんだな?」
もう一度、省吾が尋ねる。銀龍組などと言ってはいるが、そんな名前の組は存在しないだろう。しかし、少女は信じたらしい。涙と鼻水を垂れ流しながら、何度も頷いた。
「そうか、あんたは堅気なんだな。ひとつ言っておく。あのガキどもは、ウチのシマを荒らしたんだ。これから、きっちり落とし前をつける。ただ、あんたは関係ないらしいから、命だけは助けてやるよ。だから、俺たちのことは誰にも言うんじゃねえぞ。今日のことも黙っていろ。いいな」
そんなことを言いながら、省吾は袋のチャックを開けた。少女の手足を縛っているテープを切り離し、猿ぐつわを外す。
次いで、車のドアを開けた。
「ほら、さっさと帰れ」
突き飛ばされた少女は、慌てて走り出す。その後を、咲耶がそっと付いていった。省吾と恭子は、車の中で無言のまま座っている。
ややあって、咲耶が戻ってきた。
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