白き死の仮面

板倉恭司

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始まり(2)

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 喉を掴まれ動けない伸介に向かい、マスクマンが口を開いた。

「私の名はマスクレンジャー。神を愛し、神に愛された男だ。どうやら、君は悪人のようだな。ならば、今より正義を執行する」

 爽やかな声音は、先ほどと変わっていない。しかし、言っていることは支離滅裂だ。
 不意に、マスクレンジャーと名乗る怪人が手を伸ばした。伸介の左腕を掴む。
 直後、何をしたのか省吾にはわからなかった。ただ、マスクレンジャーの手が動いた……それしか見えなかった。
 一瞬遅れて、伸介の口から悲鳴があがる──
 彼の左腕は、逆方向に曲げられていたのだ。手のひらと上腕三頭筋がくっつきそうな状態である。
 そんな左腕を振りながら、伸介はその場に両膝を着く。神に祈りを捧げるような姿勢で、マスクレンジャーに向かい叫んだ。

「ごめんなざい! もうやめでえ! 許じで! 許じでえ!」

 涙と鼻水とよだれを垂れ流しながら、許しを乞うていた。恐怖と激痛が、彼のプライドを打ち壊してしまったのだ。恥も外聞もなく叫んでいた。
 その時、マスクレンジャーの手が動く。喉に、軽く触れた……ようにしか見えなかった。
 一秒後、伸介は喉を押さえ倒れる。その口からは、ヒュウヒュウという音しか聞こえてこない。

「君は喋り過ぎだな。静かにしていたまえ」

 マスクレンジャーは、高らかな声で言い放つ。直後、その右手が動いた。曲がっている伸介の腕めがけ、手刀を打ち下ろす──
 声にならない悲鳴が上がる。伸介の左腕は、さらにおかしな形になっていた。肘の部分から、尖った骨が突き出ている。手刀の衝撃で骨が折れ、皮膚と肉を突き破ってしまったのだ。

「や、やめてください」

 省吾の口から、思わずそんな言葉が漏れ出ていた。
 すると、マスクレンジャーの動きが止まった。その顔は、省吾へと向けられる。

「申し訳ないが、それは出来ない。なぜなら、この男は悪人だからだ! 悪人は、全て抹殺する! それこそが神を愛し神に愛されたマスクレンジャーの使命!」

 途端に、省吾は口を閉じた。この男は、完全に狂っている。これ以上、何を言っても通じない。
 マスクレンジャーは、満足げに頷いた。

「そうだ。君はものわかりがいい。その聡明さに免じ、君は無傷で帰してあげよう。だが、彼はそうはいかん。彼の脳は、シンナーにより壊されているようだ。もはや救えない」

 言いながら、伸介を指差した。
 なぜ、伸介がシンナーをやっているとわかったのだろうか……その疑問に気づいたのは、全てが終わってからのことである。当時の省吾は何も言えず、憑かれたように目の前の光景を見ていた。
 突然、マスクレンジャーが口を開く。

しん! しん! あく! そく! かい! かみこころもて悪を即座にこわす!」

 よく通る声で、宙に向かい叫んだ。直後、惨劇が始まる──

 恐ろしい光景だった。
 マスクレンジャーは、人間離れした腕力と正確な技で伸介の五体を解体していったのだ。幼児が虫をちぎるかのように、何のためらいもなく作業を進めていた。腕や足を伸ばし、手刀や蹴りで骨をへし折り、折れて刃物のように鋭くなった骨で皮膚や肉を突き破らせ、強い腕力で引きちぎる……この行程を繰り返し、手足を切り離していったのだ。
 伸介はといえば、途中までは反応していた。必死でもがき、逃れようと動いていたのだ。しかし、マスクレンジャーは逃がさなかった。動いたとみるや、強靭な手で彼の体をしっかり掴み作業を続ける。
 その上、伸介のズボンには大きな染みが付いている。体から流れ出た血液、そして途中で漏らした糞尿によるものだ。血の匂いと混ざり、辺りにはひどい悪臭が漂っている。にもかかわらず、マスクレンジャーは淡々と作業を続けていた。
 やがて伸介は、途中から何をされようがピクリともしなくなった。出血多量か、あるいはショックの為か……死亡したのは明らかだったが、不思議と心に響くものはなかった。死んだのだな……と思っただけだった。
 友人のリアルな死を間近で目撃している。なのに、悲しみも哀れみも感じていなかった。ただ、マスクレンジャーなる怪人が怖くて仕方なかった。


 やがて、マスクレンジャーの動きが止まる。
 伸介は、見るも無惨な状態だった。前腕、上腕、胴、下腿……全部で七つに分解され、地面に並べられている。体から流れ出た血液が、アスファルトを染めていた。
 普通の人間なら、見るだけで気絶していたかもしれない……そんな凄惨な光景を、省吾は最初から最後まで見つめていた。目を逸らすことなど、出来るはずがない。憑かれたような表情で、マスクレンジャーの動きを眺めていた。

「さて、これで終了だ。悪は、必ず滅びる。覚えておくといい。では、さらばだ」

 大量の返り血を浴びたマスクレンジャーは、偉そうな態度で一礼した。直後、足音も立てず去って行った。
 去り行く後ろ姿を、省吾は呆然と眺めていることしか出来なかった。



 どのくらいの時間が経ったのだろう。
 気がつくと、夜が明けていた。空は白みかけ、車の音も聞こえる。
 いつの間にか、眠っていたらしい。なぜ、こんなところに……省吾は目をこすり、周りを見回す。
 その途端、おぞましいものが目に飛び込んできた。同時に、記憶が蘇る。
 手足をもぎ取られた死体……言うまでもなく、伸介のものだ。その顔は、恐怖と苦痛により歪んでいる。死んだ後も、彼の地獄は続いているようだった。
 伸介の体の横には、切り離された手足が放り出されている。アスファルトの地面には、大量のドス黒い血が固まっていた。まるで、ペンキを塗ったかのようである。
 しかも、その手足に群がっているものがいた。からすだ。数匹の鴉が、大きな嘴で伸介の手足をつついている。
 この鴉は、伸介を食べる気なのだ──
 その瞬間、省吾は立ち上がった。

「クソが! 消えろ! 消えろ!」

 喚きながら、鴉を蹴飛ばした。だが、鴉はあっさりと攻撃を見切り、後ろに飛び退く。
 その瞬間、鴉たちがついばんでいたものを、はっきりと見てしまった。剥がれた皮膚、剥き出しの骨、撒き散らされた細かい肉片──
 耐えきれなくなり、省吾はしゃがみこんだ。激しく嘔吐する。途中、パトカーのサイレンが聞こえたような気がした。だが、そんなものを気にしてはいられない。省吾は、また嘔吐する。胃の中のものを全て吐き出した。


 その時、声が聞こえてきた。

「ちょっと君、大丈夫?」

 省吾が顔を上げると、五メートルほど離れた位置に警官が立っている。それも三人だ。うちふたりはこちらを向き、何かあったらすぐにでも飛びかかってきそうな構えをしている。ひとりは、無線らしきものに向かい状況を説明している。
 どうやら、この惨劇の犯人が省吾である……警官たちは、そう思っているらしい。
 もっとも、今の省吾にとっては、どうでもいいことだった。半ば強引に立たされ、パトカーに乗せられたが……何も考えず、何も答えない。ただただ、泥のように眠っていた。



 事件は、細部を伏せて発表された。ひとりの少年が、路上で遺体となって発見された。警察は殺人事件と見て捜査中、とだけ報道される。
 実のところ、このあまりにも異様な事件は捜査のしようがなかったのだ。十五歳で無職無就学、その上に数度の補導歴がある不良少年が、路上で手足をバラバラにされ殺された。唯一の目撃者である松原省吾は、完全に精神を病んでしまっている。事件について尋ねても、何も答えようとしない。
 現場を調べても、手がかりは何ひとつ残されていなかった。怨恨という線から後藤伸介の身辺調査もしてみたが、ここまでのことをしでかすような人間は浮かび上がって来なかったのである。
 結局、この猟奇的な事件は迷宮入りという形で幕を閉じた。マスコミには、詳細をいっさい知らされることはなく、完全に闇に葬られたのである。



 しかし、省吾にとって事件は終わっていなかった。
 目の前で、友人がバラバラにされていく。なのに、自分は何も出来ない。声の出せない伸介は、ずっとこちらを見ていた。その目は、助けてくれと訴えていた。
 にもかかわらず、省吾は何もしなかった。あの時、目の前で肉体を破壊されていく伸介に対し、何も感じてはいなかった。
 ただただ、自分自身が無事で済むことだけを祈っていた。
 その事実は、彼にとって癒えることのない心の傷と化した。今も、省吾の中につきまとっている。




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