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イーサンというポン中の話
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今回は、私の友人の話です。名前はイーサンとしておきましょう。
イーサンは甲府から東京に出てきて私と知り合い、すぐに仲良くなりました。イーサンは私より二つ下の年齢で、生来の人懐こさと人当たりの良さとを持ち合わせた男でした。
やがてイーサンと私はつるんで歩くようになり、ちょいちょい連絡を取り合いました。イーサンは少し生意気な部分もありましたが、基本的には付き合いやすい男でしたね。
しかし、実はイーサンは重度のポン中(覚醒剤依存症を指すスラング)だったのです。彼は、そのために甲府を離れて東京に出て来ていました。私も、その事実は知っていましたが……まあ大丈夫だろう、と軽く考えていたのです。
ある日、私とイーサンは渋谷のセンター街を歩いていました。するとイーサンは何を思ったか、道の真ん中で立ち止まり、裏通りの方をじっと見ています。不思議に思い、私もそちらに視線を向けました。
そこには、ケータイを持った外国人が立っていました。外国人はケータイを見ながら、たまにあちこちを見回しています。
「あいつ、売人じゃないか……」
不意にイーサンはそう呟くと、その外国人に近づいて行きます。私も困惑しながら、後から付いていきました。
すると、その外国人はイーサンに話しかけてきたのです。
「アナタ、ナニホシイ?」
二〇〇七年前後でしょうか、渋谷のセンター街には覚醒剤の売人が立っていました。たいがい外国人でしたが……彼らは恐ろしいことに、一般人とポン中とを見分ける目を持っていたのです。
そのため、通りすがりの一般人にはいっさい声をかけません。しかし、イーサンのような男が通りかかると、彼らは目ざとく見抜き声をかけるのだそうです。本当に不思議ですね。ちなみに、これは私とイーサンだけが体験した訳ではありません。当時の渋谷センター街は、本当に簡単に覚醒剤が手に入る状態だったとか。
勘違いされては困るのですが、今は違うようです。街の人の活動により、外国人たちは姿を消したようですので……断言は出来ませんが。
さて、もともとがポン中であるイーサンは簡単に誘惑に屈しました。彼はその場で、外国人から覚醒剤と注射器とを買ったのです。
「いやあ、東京に出てきてから初めてだよ」
興奮した面持ちで言ったかと思うと、イーサンは私をほっぽらかして家に帰ってしまったのです。
その後、イーサンは東京での生活を続けることが出来なくなりました。覚醒剤のやり過ぎで仕事をクビになり、甲府へと帰らざるを得なくなったのです。その引っ越しを、私も手伝いました。
甲府に帰った後、イーサンは覚醒剤の所持使用で逮捕され、刑務所に行きました。その際、拘置所から手紙が来たので金を送ったのです。ほんの二万円程度ですが。
当時は、危機に陥った友だちを助けるための行動のつもりでしたが……今から考えると、これはマズかったのかもしれません。今となっては、何とも言い様が無いですが。
刑務所を出た後、イーサンはアパートを借りました。そして生活保護をもらうようになったのです。私も話を聞いて驚いたのですが「薬物依存症により仕事に就けない」という理由で、イーサンは生活保護を支給されるようになったそうです。
さて、イーサンは国の税金で養ってもらう立場になった訳ですが、彼は懲りていませんでした。生活保護をもらいながらも覚醒剤をやったりパチンコをしたりと、自堕落な生活をしていたのです。
さらに、金が無くなると私の所に連絡してきました。その度に、私は少額(数千円単位)ではありますが金を送っていたのです。いつかは立ち直ることに期待して。
しかし、イーサンの生活態度は改まることがありませんでした。パチンコをしたり覚醒剤をやったり、時にはヤバい仕事に手を出したり……しかし金が無くなると、またしても私に連絡してきたりしていました。
普通の人なら、こんな男はすぐに切り捨てるでしょう。
しかし、私はイーサンを見捨てることが出来ませんでした。これは完全に、私の弱さゆえでしたね。友だちから嫌われるのが怖い、という気持ちもありました。また「こんなどうしようもない人間でも見捨てず手をさしのべる俺カッケー」という思いもあったのかもしれません。それゆえにイーサンとは連絡を取り合い、彼の頼みを聞いてあげていました。
そんな私の行動は、全て無駄に終わりました。イーサンはまたしても逮捕され、刑務所へと送られました。今、何をしているかは不明です。
今の私は、こう思っています。薬物依存症の人間とは、中途半端な気持ちで関わらない方がいいと。それは、こうなる可能性が高いからなのです。基本的に薬物依存症の人は、どこか物事を甘く見ている部分があります(皆がそうとは言いませんが)。生半可な気持ちで手を差しのべると、彼らはどんどん図に乗って来ます。下手をすると、差しのべた手を両手で掴んで同じ泥沼へと引きずりこもうとします。
薬物依存症は病気です。薬物への欲求に頭を完全に支配されるという、極めて厄介な病気です。そんな人間には、生半可な優しさなど通じません。むしろ彼らは、その優しさを利用します。その際、「俺は病気だから」ということを言い訳に使う者もいると聞きました。
かといって説教したりすると、彼らは確実に不快な気分になります。「うるせえ! てめえなんかに俺の気持ちが分かるか!」と逆ギレします。最悪の場合、刃物を持ち出します。ましてや通報などしようものなら……「警官が来る前に、てめえだけは殺す!」というような状況になりかねません。
ですから、薬物依存症の人間に中途半端な気持ちで関わると、必ず痛い目に遭います。関わるなら「いざとなったら殺るか殺られるか」くらいの覚悟は持っておくべきかもしれません。事実、薬物依存症の者に家族が刺される、またはその逆に薬物依存症の者が家族に刺される……という話はたまに聞きますので。
イーサンは甲府から東京に出てきて私と知り合い、すぐに仲良くなりました。イーサンは私より二つ下の年齢で、生来の人懐こさと人当たりの良さとを持ち合わせた男でした。
やがてイーサンと私はつるんで歩くようになり、ちょいちょい連絡を取り合いました。イーサンは少し生意気な部分もありましたが、基本的には付き合いやすい男でしたね。
しかし、実はイーサンは重度のポン中(覚醒剤依存症を指すスラング)だったのです。彼は、そのために甲府を離れて東京に出て来ていました。私も、その事実は知っていましたが……まあ大丈夫だろう、と軽く考えていたのです。
ある日、私とイーサンは渋谷のセンター街を歩いていました。するとイーサンは何を思ったか、道の真ん中で立ち止まり、裏通りの方をじっと見ています。不思議に思い、私もそちらに視線を向けました。
そこには、ケータイを持った外国人が立っていました。外国人はケータイを見ながら、たまにあちこちを見回しています。
「あいつ、売人じゃないか……」
不意にイーサンはそう呟くと、その外国人に近づいて行きます。私も困惑しながら、後から付いていきました。
すると、その外国人はイーサンに話しかけてきたのです。
「アナタ、ナニホシイ?」
二〇〇七年前後でしょうか、渋谷のセンター街には覚醒剤の売人が立っていました。たいがい外国人でしたが……彼らは恐ろしいことに、一般人とポン中とを見分ける目を持っていたのです。
そのため、通りすがりの一般人にはいっさい声をかけません。しかし、イーサンのような男が通りかかると、彼らは目ざとく見抜き声をかけるのだそうです。本当に不思議ですね。ちなみに、これは私とイーサンだけが体験した訳ではありません。当時の渋谷センター街は、本当に簡単に覚醒剤が手に入る状態だったとか。
勘違いされては困るのですが、今は違うようです。街の人の活動により、外国人たちは姿を消したようですので……断言は出来ませんが。
さて、もともとがポン中であるイーサンは簡単に誘惑に屈しました。彼はその場で、外国人から覚醒剤と注射器とを買ったのです。
「いやあ、東京に出てきてから初めてだよ」
興奮した面持ちで言ったかと思うと、イーサンは私をほっぽらかして家に帰ってしまったのです。
その後、イーサンは東京での生活を続けることが出来なくなりました。覚醒剤のやり過ぎで仕事をクビになり、甲府へと帰らざるを得なくなったのです。その引っ越しを、私も手伝いました。
甲府に帰った後、イーサンは覚醒剤の所持使用で逮捕され、刑務所に行きました。その際、拘置所から手紙が来たので金を送ったのです。ほんの二万円程度ですが。
当時は、危機に陥った友だちを助けるための行動のつもりでしたが……今から考えると、これはマズかったのかもしれません。今となっては、何とも言い様が無いですが。
刑務所を出た後、イーサンはアパートを借りました。そして生活保護をもらうようになったのです。私も話を聞いて驚いたのですが「薬物依存症により仕事に就けない」という理由で、イーサンは生活保護を支給されるようになったそうです。
さて、イーサンは国の税金で養ってもらう立場になった訳ですが、彼は懲りていませんでした。生活保護をもらいながらも覚醒剤をやったりパチンコをしたりと、自堕落な生活をしていたのです。
さらに、金が無くなると私の所に連絡してきました。その度に、私は少額(数千円単位)ではありますが金を送っていたのです。いつかは立ち直ることに期待して。
しかし、イーサンの生活態度は改まることがありませんでした。パチンコをしたり覚醒剤をやったり、時にはヤバい仕事に手を出したり……しかし金が無くなると、またしても私に連絡してきたりしていました。
普通の人なら、こんな男はすぐに切り捨てるでしょう。
しかし、私はイーサンを見捨てることが出来ませんでした。これは完全に、私の弱さゆえでしたね。友だちから嫌われるのが怖い、という気持ちもありました。また「こんなどうしようもない人間でも見捨てず手をさしのべる俺カッケー」という思いもあったのかもしれません。それゆえにイーサンとは連絡を取り合い、彼の頼みを聞いてあげていました。
そんな私の行動は、全て無駄に終わりました。イーサンはまたしても逮捕され、刑務所へと送られました。今、何をしているかは不明です。
今の私は、こう思っています。薬物依存症の人間とは、中途半端な気持ちで関わらない方がいいと。それは、こうなる可能性が高いからなのです。基本的に薬物依存症の人は、どこか物事を甘く見ている部分があります(皆がそうとは言いませんが)。生半可な気持ちで手を差しのべると、彼らはどんどん図に乗って来ます。下手をすると、差しのべた手を両手で掴んで同じ泥沼へと引きずりこもうとします。
薬物依存症は病気です。薬物への欲求に頭を完全に支配されるという、極めて厄介な病気です。そんな人間には、生半可な優しさなど通じません。むしろ彼らは、その優しさを利用します。その際、「俺は病気だから」ということを言い訳に使う者もいると聞きました。
かといって説教したりすると、彼らは確実に不快な気分になります。「うるせえ! てめえなんかに俺の気持ちが分かるか!」と逆ギレします。最悪の場合、刃物を持ち出します。ましてや通報などしようものなら……「警官が来る前に、てめえだけは殺す!」というような状況になりかねません。
ですから、薬物依存症の人間に中途半端な気持ちで関わると、必ず痛い目に遭います。関わるなら「いざとなったら殺るか殺られるか」くらいの覚悟は持っておくべきかもしれません。事実、薬物依存症の者に家族が刺される、またはその逆に薬物依存症の者が家族に刺される……という話はたまに聞きますので。
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