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チーマーの話
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今の若い人にはわからない話でしょうが、かつて日本にはチーマーという人種がいました。もはや、完全に死語となっている言葉ですね。今の中学生や高校生にチーマーなどと言ったところで「何ですかそれは?」と言われるのがオチでしょう。
しかし、私が中学生から高校生だった時代……具体的には一九九〇年代、都内にて不良と呼ばれる少年たちの主流はチーマーでした。
チーマーの起源は何なのか、私にはよくわかりません。『カラーズ』という映画だという説もありますが、詳しいことはわかりません。ひとつ言えるのは、年齢的には昭和四十年代後半に生まれた人たちが生み出したものであるようです。
チーマーは、昔の「ツッパリ」という不良少年のスタイルとは根本から違っていました。
まず、ツッパリの髪型はリーゼントやパンチパーマです。眉毛を剃り落とす、なんてことをする人もいたとか。さらに、改造した制服を着て、数人で町を闊歩する。それが昔のツッパリのスタイルだったようです。
また、校内でもちょいちょい暴れていたようです。どっかの歌詞にあるように、盗んだバイクで走り出したり校舎を窓ガラスを割ったりしていた世代ですね。事実、一九七〇年代から八〇年代前半あたりが、校内暴力がもっとも激しかったようです。
ところが、チーマーのスタイルは根本から異なっていました。まず、リーゼントやパンチパーマという髪型をバカにしていましたね。眉毛を剃り落とす者などひとりもいません。
また、校内でバカやる人間もいません。まあ時が経つにつれ、「俺はチーマーだ!」などと言って暴れる者もいたようですが……最初の頃のチーマーは、学校でバカやる連中を軽蔑していたようなふしはありました。
その代わり、学校が終わり街に出ると豹変します。オシャレな私服に着替え、街の片隅で仲間たちと集まる。暴走族などと違い、揃いの特攻服など着たりしません。全員が私服です。そのため、オシャレのセンスが問われる部分もありました。集まる仲間たちというのも、それまでのツッパリと違い学校単位ではありません。別々の学校から有名な者たちが集まり、チームを作っていたのです。
また、彼らはチーム内での人間関係を重視します。学校内での人間関係よりも、です。
かつてのツッパリは、同じ学校の人間が他校の不良にやられたりすると報復していました。学校がナメられる、つまりは自分たちがナメられることに繋がっていたわけです。もっとも、これも相手の学校によりますね。怖い学校が相手の場合は動きません。なんだかんだ言い訳をして、最終的には無視します。
チーマーの場合、同じ学校の生徒が他校の不良にやられたと聞いても動きません。その代わり、同じチームの者がやられたりすると動きます。報復のため、時には数十人単位が動くこともあったとか。
当時、私の友人はチーマーと揉めました。それが原因で狙われ、二週間くらい学校を休んだこともありました。その間、あちこちの友人の家を泊まり歩いていたのです。そのくらい、全盛期のチーマーは怖い存在でした。
そんなチーマーですが、今はもう死語となっています。そもそも、このチーマーというスタイルも都会でのみ存在できるものでした。東京の、それも渋谷や池袋といった巨大な繁華街でないと成立しづらいのですよね。また、個人の私服のセンスなども問われてしまうのですよ。同じ特攻服さえ着ていればいい暴走族とは違います。地方では流行らないのも仕方ないですね。もっとも、当時チーマーだった者が今の半グレだったりするケースもあるようです。
最後に……私の知人は、かつて渋谷のチーマーで最強と言われていたチ〇イこと〇村さんと長野刑務所で会ったそうです。時期は二〇〇一年から二〇〇二年あたりだったとか。わかる人にしかわからないネタですみません。
しかし、私が中学生から高校生だった時代……具体的には一九九〇年代、都内にて不良と呼ばれる少年たちの主流はチーマーでした。
チーマーの起源は何なのか、私にはよくわかりません。『カラーズ』という映画だという説もありますが、詳しいことはわかりません。ひとつ言えるのは、年齢的には昭和四十年代後半に生まれた人たちが生み出したものであるようです。
チーマーは、昔の「ツッパリ」という不良少年のスタイルとは根本から違っていました。
まず、ツッパリの髪型はリーゼントやパンチパーマです。眉毛を剃り落とす、なんてことをする人もいたとか。さらに、改造した制服を着て、数人で町を闊歩する。それが昔のツッパリのスタイルだったようです。
また、校内でもちょいちょい暴れていたようです。どっかの歌詞にあるように、盗んだバイクで走り出したり校舎を窓ガラスを割ったりしていた世代ですね。事実、一九七〇年代から八〇年代前半あたりが、校内暴力がもっとも激しかったようです。
ところが、チーマーのスタイルは根本から異なっていました。まず、リーゼントやパンチパーマという髪型をバカにしていましたね。眉毛を剃り落とす者などひとりもいません。
また、校内でバカやる人間もいません。まあ時が経つにつれ、「俺はチーマーだ!」などと言って暴れる者もいたようですが……最初の頃のチーマーは、学校でバカやる連中を軽蔑していたようなふしはありました。
その代わり、学校が終わり街に出ると豹変します。オシャレな私服に着替え、街の片隅で仲間たちと集まる。暴走族などと違い、揃いの特攻服など着たりしません。全員が私服です。そのため、オシャレのセンスが問われる部分もありました。集まる仲間たちというのも、それまでのツッパリと違い学校単位ではありません。別々の学校から有名な者たちが集まり、チームを作っていたのです。
また、彼らはチーム内での人間関係を重視します。学校内での人間関係よりも、です。
かつてのツッパリは、同じ学校の人間が他校の不良にやられたりすると報復していました。学校がナメられる、つまりは自分たちがナメられることに繋がっていたわけです。もっとも、これも相手の学校によりますね。怖い学校が相手の場合は動きません。なんだかんだ言い訳をして、最終的には無視します。
チーマーの場合、同じ学校の生徒が他校の不良にやられたと聞いても動きません。その代わり、同じチームの者がやられたりすると動きます。報復のため、時には数十人単位が動くこともあったとか。
当時、私の友人はチーマーと揉めました。それが原因で狙われ、二週間くらい学校を休んだこともありました。その間、あちこちの友人の家を泊まり歩いていたのです。そのくらい、全盛期のチーマーは怖い存在でした。
そんなチーマーですが、今はもう死語となっています。そもそも、このチーマーというスタイルも都会でのみ存在できるものでした。東京の、それも渋谷や池袋といった巨大な繁華街でないと成立しづらいのですよね。また、個人の私服のセンスなども問われてしまうのですよ。同じ特攻服さえ着ていればいい暴走族とは違います。地方では流行らないのも仕方ないですね。もっとも、当時チーマーだった者が今の半グレだったりするケースもあるようです。
最後に……私の知人は、かつて渋谷のチーマーで最強と言われていたチ〇イこと〇村さんと長野刑務所で会ったそうです。時期は二〇〇一年から二〇〇二年あたりだったとか。わかる人にしかわからないネタですみません。
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