悪魔との取り引き

板倉恭司

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変な少女と変な少年の交流

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 御手洗村の西方向には、森林が広がっている。地形は入り組んでいて迷いやすい上、地面はでこぼこが多く歩きにくい。そのため、村人は入らないように高木和馬から言い渡されていた。
 その立入禁止の森を、小さな女の子が歩いている。迷彩柄のTシャツに半ズボン姿だ。背中にはリュックを背負い、木々を避けつつ進んでいる。
 まだ昼前だというのに、森の中は日の光が射さず薄暗い。普通の子供には、薄気味悪い場所として映っただろう。しかし、竹内可憐はこの程度で怯む少女ではない。
 実のところ可憐は、この森の中をほぼ毎日探検している。少女の旺盛な好奇心は、簡単には止められないのだ。もっとも、今日の目的は探検ではない。彼女は、神妙な顔つきで歩いていく。
 やがて、目指していた場所に到着した。可憐は、憂いを帯びた表情で辺りを見回す。いつもの溌剌とした様子はない。
 やがて、その目があるものを捉えた。
 彼女の視線の先には、一本の巨木がある。いや、本当は二本なのかもしれない。何せ、地面の根元から伸びた幹は二本なのだ。二本の木が伸びた先で交わり一本の巨木となり、さらに上へと伸びている。まるで、巨人の足のようだ。
 しかも幹の途中で、二本の大きな枝が左右に伸びている。どちらの枝も、ほぼ同じ長さだ。さらに、幹の先端のみ葉が大量に生い茂っている。何とも奇妙な形である。
 例えるなら、アフロヘアの巨人が大の字で立っているかのようである。可憐は、毎日この木を見に来ていた。
 だが、今日で見納めである。
 
「今日でお別れだね。本当はね、お姉を連れて来て見せてあげたかったんだよ。木助きすけ、元気でね」

 可憐は、そっと呟いた。木助とは、この巨木に付けた名前だ。いずれ、この場所に姉の杏奈を連れて来るつもりでいた。しかし、その夢は叶わなかった。
 やがて可憐は、リュックを開けた。中から、ノートと色鉛筆を取り出す。真剣そのものの表情で、目の前の巨木をスケッチし始めた。
 その時だった。がさりという音が聞こえ、可憐は振り向いた。直後、その表情が歪む。

「やあ、お嬢ちゃん。こんな森の中でお絵かきとは、洒落てるにゃ。君は、お洒落さんなのんな」

 現れたのは桐山譲治であった。ヘラヘラ笑いながら、ゆっくりと近づいてくる。
 一方、可憐の表情は一気に暗くなった。桐山は小柄ではあるが、それでも少女から見れば充分に大きい。しかも、品行方正とは思えない風貌だ。ヘラヘラ笑っている態度もまた、子供から見れば怪しさ満点である。
 少しの間を置き、可憐はがくっと肩を落とした。悲しげな表情で下を向く。
 その様子を見て、桐山の動きが止まった。首を傾げる。

「ちょいちょいちょい、どないしたのん?」

 距離を空けた状態で聞いた。だが、可憐は何も答えない。暗い表情で、じっと俯いている。
 桐山の顔から、にやけた表情が消えた。頭をポリポリ掻く。

「あのさあのさあのさ、僕ちん怪しい者だけど変態じゃないよ。いや変態かもしんないけど、悪い変態じゃないよ。いや悪い変態かもしんないけどさ、君に悪さはしないよ」

 その支離滅裂な発言に、可憐はようやく反応した。ふうと溜息を吐き、顔をあげる。

「あんた、ちちの手下でしょ」

 ようやく口を開いた。生気の全く感じられない声だ。

「へっ? チチ? チチってこれ?」

 対する譲治は、そんなセリフを真顔で言った。かと思うと、いきなり両方の手のひらで胸を抑える。両の乳房を隠すような仕種だ。見た可憐は、一瞬きょとんとなった。
 数秒後、ぷっと吹き出す。

「そっちのチチじゃない。おとんの方の父」

「ああ、そっちかい。そうだよ、君の父の手下なのん」

 答えた桐山を、可憐はじっと見上げた。
 少しの間を置き、真面目な顔で口を開く。

「あんたにお願いしたいの。あたしは連れてっていいけど、お姉のことはほっといてあげて欲しいんだよ」

「へっ? どゆこと?」

 聞き返す桐山に、可憐は悲しげな表情になった。

「帰ったら、お姉は父にイジメられるんだよ。お姉の背中には、火傷の跡がいっぱい付いてるの。みんな父がやったんだよ」

 その瞬間、桐山の目つきが変わった。

「はあ? 何じゃそりゃあ?」

 怒りのこもった声で尋ねた。しかし、可憐は気付かない。真剣な表情で、なおも訴え続ける。

「あたしが言うこと聞かないと、お姉が叱られるんだよ。だから、あたしは父と一緒におとなしく帰る。その代わり、お姉のことはほっといてあげて。お願いなんだよ」

 すがるような目の少女を、桐山はじっと見下ろした。
 ややあって、口を開く。

「その前にさ、君はあのでっかい木をスケッチしてるんじゃろ?」

 言いながら、巨木を指さした。

「えっ? うん、そうだよ。木助の絵を描いて、お姉に見せてあげたかったんだけど」

「へっ? キスケ?」

「うん。あの木の名前」

「そっか。だったら、はよ描いちゃいなさい。俺は待っててあげるから」

 言ったかと思うと、その場に腰を降ろした。体育座りの体勢で、巨木を眺めている。顔には、どこか悲しげな表情が浮かんでいた。
 その態度の変わりように、可憐の方が面食らっていた。

「ど、どうして?」

「俺がそうしたいと思ったからなのん。さ、はよ描いちゃいなさい。まあ、ゆっくり描いてもいいけどにゃ。俺は待ってっから」

 ニッコリ微笑む桐山を、可憐はじっと見つめる。
 しばらくして、リュックに手を入れた。中から、水筒を取り出す。蓋を外すと、中に入っている飲み物を注いだ。
 立ち上がり、桐山に近づいていく。

「これ飲む?」

 言いながら、液体の入った蓋を差し出した。

「サンクスなのん」

 桐山は、蓋を受け取る。と、中を見た途端に首を傾げた。

「えっ、何これ?」

「おしるこだよ。嫌いなの?」

「いんや、嫌いじゃないのん。甘いの大好き」

 答えると、一気に飲み干した。ニコッと微笑み、蓋を返す。

「サンクス、美味しかったのん。君は、おしるこが好きなんかい?」

「うん、大好き。お姉が作ってくれたの」

「ふうん。変わってるにゃ」

「みんな、そう言ってた。おしるこを水筒に入れるのって、やっぱり変?」

「うん、変だにゃ。でも、俺は君のそういう変なとこ大好きなのん。だから、今のままの君でいて欲しいのんな」

 言いながら、桐山は両手の人差し指を可憐に向ける。
 可憐は、クスリと笑った。

「あんたも、かなり変なんだよ」

「そうそう、よく言われるのんな」

 ウンウンと頷くと、桐山は再び可憐を指さした。

「ところで君は、お姉さんも好きなようだにゃ」

「うん、好き。お姉は、とっても優しいんだよ」

「実はにゃ、俺にも姉ちゃんがいたんよ」

「本当? どんなお姉ちゃん?」

 目を輝かせて尋ねる可憐の前で、桐山は微笑みながら語り出した。

「とっても怖かったのんな。いたずらなんかすると、よくド突かれたのん。でも、俺がイジメっ子に泣かされてたら、助けに来てくれたこともあったんよ。イジメっ子を、バッチンバッチンぶっ叩いてくれたにゃ」

「へえ、強いんだね。今、何してんの?」

「死んじゃったのんな」

「えっ……」

 途端に、可憐の表情が暗くなる。だが、桐山は気付かず語り続けた。

「ちょうど、俺が君くらいの歳ん時だったかにゃ。家族みんなで、海外旅行に行ったんよ。でっかい飛行機に乗ってさ、ブーンて飛んだのん」

 言ったかと思うと、桐山は立ち上がった。両腕を飛行機の翼のように広げ、ブーンと声を出しながら走り出した。可憐の見ている前で、元気よく走り回る。
 が、途中でバタリと倒れた。倒れた状態で、可憐の方を向く。

「その飛行機が、こんな感じで墜落したんよ。ウィーン、ガッシャーン! てなったね。あん時は、何が起きたかわからんかったのんな」

 とんでもない大事故のはずだが、桐山は爽やかに語っている。もっとも、傍らで聞いている可憐は違う反応をしている。今にも泣き出しそうだった。

「んーでよう、気がついたらお父ちゃんもお母ちゃんも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも死んでたのん。俺の頭にも、でっかい破片がぶっ刺さっててさ。あん時は本当に……」

 そこで、桐山は口を閉じた。ようやく、可憐の様子がおかしいことに気づいたのだ。いつのまにか、少女の目からは大粒の涙が流れている。時おり、鼻をすする音も漏れ聞こえていた。
 呆気に取られる桐山の前で、可憐は両手で顔を覆う。そのまま、声を殺し泣き出した。
 桐山は、すぐさま立ち上がる。慌てた様子で、彼女の側に近寄った。

「えっと……ちょい待って! ね、ねえ、なんで君が泣いてんの!? 俺、なんか変なこと言っちゃった!?」

 すると、可憐は顔を上げた。表情をぐしゃぐしゃに歪めたまま、彼女はどうにか口を開く。

「だっで、がなじいんだよ。がなじぐで、じがだないんだよ」

 涙を拭きながら、可憐は懸命に答えた。桐山はというと、困った顔でウンウン頷く。

「うん、君は悲しいのんな。それはわかった。じゃあ、何が悲しかったのにゃ?」

「お姉がじんだっで思っだら、がなじぐなっだんだよ。あんだも、がなじがっだんでじょ……」

「わかったのん。わかったから、泣きやんでちょうよ。俺、女の子に泣かれんの一番チラいのんな」

 オロオロしながら、少女の周りをぐるぐる回る。しかし、可憐に泣き止む気配はない。
 やがて、意を決した表情で桐山は叫んだ。

「じゃ、じゃあ、これどう!?」

 言ったかと思うと、両腕をだらりと下げた。鼻の下を思い切り伸ばし、中腰の姿勢で歩き出す。が、突然立ち止まり胸をポコポコ叩き出した。
 泣いている可憐の前で、桐山はさらに奇妙な動きをする。不意に両手で頭を抱え、中腰のまま歩き出した。数歩進んだかと思うと、可憐の方を向く。

「どう? 面白かった?」

 今度は、桐山の方がすがるような目になっている。だが、少女はニコリともしていない。

「今のは、何だったの?」

 真面目に聞き返す可憐は、いつのまにか泣きやんでいた。目の前の奇行に、持ち前の好奇心を刺激されたらしい。

「へっ? あの、二日酔いで頭が痛いゴリラのまねなのん」

 桐山のとぼけた答えに対し、可憐は真剣な表情で頷いた。

「おおお、二日酔いで頭が痛いゴリラ……なるほど」

 感嘆したような声を出したかと思うと、リュックに手を入れた。中から、鉛筆とメモ帳を取りだす。
 呆気に取られている桐山の前で、可憐はメモ帳に何やら書き込んでいる。どうやら、桐山の言ったことをメモしているらしい。
 そんな可憐を、桐山はじっと見下ろしていた。ややあって、ぽつりと呟く。
 
「君は、本当にユニークな子なのんな。でも、そういうとこ本当に大好き」

 言った後、ニコッと笑った。その場に座り込み、頭をポリポリ掻く。

「あのにゃ、俺は君を見つけたら連れてこいって言われてんのよう。はっきり言うと、連れて行きたくないのんな。でも、連れてかんといかんのよん。チライとこなのんな」

「えっ、なんで?」

「俺のお友だちが、君の父から叱られちゃうのん。だから、早くスケッチするのんな。終わったら、君を父んところに連れてく。スケッチした絵は、俺が責任を持ってお姉ちゃんに渡すのにゃ」

 すると、可憐の表情が明るくなった。じっと桐山を見つめる。
 ややあって、半ズボンのポケットに手を入れた。

「お礼なんだよ。取っといて」

 言いながら、ポケットから何か取り出す。
 それは、大きなドングリだった。近づいて来て、桐山の手に握らせる。

「一番おっきなドングリ。あげる」

「あんがとにゃ」

 桐山はニコッと笑い、ドングリを自身のポケットに入れる。
 直後、その目がスッと細くなる。表情も変わった。

「なあ博士、そこにいんだろ? 隠れてないで出て来なよ。若いふたりのデート覗くなんて、悪い趣味なのん」

 言うと同時に、後ろを向いた。つられて、可憐もそちらを向く。
 すると、茂みの中から現れた者がいる。Tシャツ姿のペドロだった。悪びれる様子もなく、すたすたと歩いてくる。
 可憐は、ぽかんと口を開けた。まさか、この男が登場するとは思わなかったのだ。しかし、桐山の反応は違っていた。座ったまま、目を細めて彼を見つめている。
 ペドロはというと、桐山から五メートルほど離れた位置で立ち止まる。
 両者は、じっと睨み合った。異様な空気が漂う中、先に口を開いたのはペドロだった。

「別に覗くつもりはなかった。不快な思いをさせたなら、すまなかったね。一応の言い訳をさせてもらうと、はっきり言って今の君は敵だ。同時に、超危険人物でもある。何をしでかすかわからないから、密かに観察させてもらった」

「そうかい」

 答えた桐山は、上目遣いで彼を睨みつけている。可憐はというと、空気の急な変化に戸惑っていた。

「で、これからどうする気だい?」

 飄々とした口調で尋ねるペドロに、桐山はちらりと可憐に視線を移す。

「気は進まないけど、この子を連れてくのん。父に渡して、それで一見落着って感じかにゃ」

「なるほど。だがね、この状況で何事もなく連れて行けると思っているのかい」

 ペドロの口調は、静かなものだった。しかし、傍らにいる可憐の表情が変わる。何かを察知したらしく、桐山とペドロの顔を交互に見る。いつのまにか、少女の体は震え出していた。
 一方、桐山の瞳には異様な光が宿っている。ペドロを睨みつけたまま、ゆっくりと口を開いた。

「俺はさ、この子の話聞いちまったんよ。はっきり言って、あんなオッサンの味方はしたくないのんな。でもさ、俺も見つけちまった以上は帰れねえんだわ。これも仕事なんよ」

 言った直後、跳ねるような動きで立ち上がる。

「それに、俺はあんたをぶっ飛ばしたくてうずうずしてんだよね。可憐ちゃんの話聞いてたら、すっげー腹立っちゃったのんな。なんで俺が、こんな仕事しなきゃいけねえんだよクソが」

 呟くように言った桐山の目は、残忍に光っていた。






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