化け猫のミーコ

板倉恭司

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斬九郎

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 人が死ぬと、肉体は土に還り魂は冥界へと運ばれる。だが、あまりにも深い悲しみを背負った魂は、冥界に逝けず現世に留まり続けることがある。
 そんな時、ごく稀に強い霊力を持つあやかしが気まぐれを起こす。悲しみにくれる魂に、新しい肉体を与えるのだ。過ちを正すために──



「無念なり……」

 坂之上斬九郎は、ぽつりと呟いた。その手には、小太刀が握られている。武士の本分を、最期まで貫き通したかった。
 数日前、妻の花が自害した。斬九郎の上役である引田藤之介ひきた ふじのすけとその友人たちに、夜道で襲われたのだという。数人がかりで犯され、挙げ句に小便までかけられたのだ。しかも、嘲笑しながら去っていった。
 斬九郎は、つきっきりで花を看病したが……体の傷より、心の傷の方が深い。二日後、花は自害してしまう。
 この引田ほ、女癖の悪さで有名であった。すれ違った町娘に声をかけては、集団で手ごめにする……そんなことを、あちこちでやっていたのだ。しかも、相手は身分の低い者たちぱかりである。泣き寝入りするしかない。
 もっとも、斬九郎は泣き寝入りするつもりはなかった。復讐を誓い、城内で刀を抜き引田に斬りかかった。しかし、一太刀も浴びせることなく取り押さえられてしまう。挙げ句、切腹を言い渡された。
 藩主の命とあれば、従わぬわけにもいかない。もとより、自害して果てるのは覚悟の上である。ただし、妻に触れた引田を殺せなかったのは、本当に心残りであった。

 この恨みを、晴らしたかった……。

 やがて斬九郎は、刀を腹に突き立てた──



「小僧、起きろニャ」

 どこからか、声が聞こえる。
 斬九郎は目を開けた。なぜか、外にいる。森の中のようだ。空には月が出ており、時おり吹く風が木の葉を揺らす。地面は草に覆われており、微かに虫の声が聞こえる。
 半ば本能的に、体を起こした。その時、己の手を見て愕然となった。いつの間にか、肌が真っ白になっているのだ。
 斬九郎は、どちらかといえば色黒だった。ところが今は、死人のごとき白さである。
 いや、肌ばかりではない。まげを結っていたはずの頭は、いつの間にかざんばら髪となり胸のあたりまで垂れ下がっている。しかも、その髪は真っ白だ。身につけているものは、灰色の腰巻だけである。

「今のお前は、人ではないニャ。お前の魂は、妖魔として転生したのニャ」

 またしても声が聞こえ、斬九郎はびくりとして振り向く。
 そこには、不思議な生き物がいた。黒い猫だが、とても美しい毛並みをしており、体型も痩せすぎず太りすぎでもない。前足を揃えて佇んでいる姿からは、気品すら感じさせる。瞳は、美しい宝石のようないろだった。
 そんな不思議な雰囲気を漂わせている黒猫には、他の猫とは決定的に違う点がある。長くふさふさした尻尾が、二本生えていたのだ。その二本の尻尾を優雅にくねらせている。

「お、お前は何者だ?」

 思わず尋ねた斬九郎を、黒猫はじろりと睨んだ。直後、びしゃりと尻尾を打ち鳴らす。

「お前とは何だニャ! あたしは二百年も生きている化け猫のミーコだニャ! 失礼な奴だニャ!」

 矢継ぎ早に飛んできた言葉に、斬九郎は思わず後ずさる。この猫、ただの獣ではない。改めて見ると、恐ろしい力を秘めているのがわかった。周囲に漂う妖力は、今や霧のように重たく濃い。
 何も言えずに硬直している斬九郎を見て、ミーコと名乗った黒猫は、ふうと溜息を吐く。

「あたしは、お前なんか助けたくなかったニャよ。でも、こいつがどうしてもと頼むから、仕方なくその体を与えてやったニャ」

 言った後、後ろを振り返る。

「ほら、こっちに来るニャ」

 言葉と同時に進み出てきた者は……ひとりの幼い少年だった。年齢は、十にもならないだろう。おかっぱ頭で、みすぼらしい着物を身にまとっていた。手には小さな鞠を持ち、じっと斬九郎を見つめている。
 いったい何者だろう? どうやら、人間ではないらしい。どこかで見たような気もするが、思い出せなかった。斬九郎は首を傾げ、少年を見つめる。
 その時、びしゃりという音がした。ミーコが、尻尾で畳を叩いたのだ。

「こら小僧、早くするニャ。お前が現世に留まっていられる時間には、限りがあるニャよ。お前には、やらねばならんことがあるはずだニャ。早くするニャ」

 その言葉に、斬九郎は頷いた。そう、彼にはやらねばならないことがある。



 数日後──
 引田は、提灯を片手に夜道を歩いていた。既に丑三つ時であり、周囲に人はいない。
 足音に歩いていた引田だったが、その足が止まる。突然、目の前に奇妙な者が姿を現したのだ。
 長いざんばら髪は真っ白く染まっており、肌も白い。着物は身につけておらず、長い股引を履いているだけだ。目と口の周りは黒く塗られており、歌舞伎の隈取りのようだ。
 そんな奇怪な扮装をした男が、二間ほど先に立っているのだ。

「なんだ貴様は……痴れ者か」

 言いながら、引田は腰の刀を抜いた。この男、剣術・南斗一真流の免許皆伝である。刀を持たせたら、藩でも三本の指に入る腕前だ。
 いきなり現れた男が何者かはわからないが、少なくとも武器は持っていない。ならば、恐れる必要などないのだ。叩き斬れば終わりである。
 だが、男は平然としている。それどころか、笑いだしたのだ。

「ふふふ……引田殿、俺は坂之上斬九郎だ」
  
「はあ? 坂之上だと? 奴は腹を切って死んだはずだ」

「その通り、確かに俺は死んだ。だがな、お前に復讐するため地獄から蘇ったのさ」

「なんだと……」

 引田は顔を歪める。直後、刀を構えた。

「ならば、黄泉の国に送り返してやる!」

 怒鳴った直後、引田は動いた。一気に間合いを詰め、気合の声と共に斬りかかる──
 信じられないことが起きた。引田の一撃を、斬九郎は素手で受け止めたのだ。刃を、素手でしっかりと掴んでいる。にもかかわらず、血の一滴も流れていない。
 
「俺はね、あんたに借りを返すために地獄から蘇ったのさ。物怪もののけとなってな」

 言った後、斬九郎はにいと笑い腕に力を込める。
 次の瞬間、刀身がへし折れてしまった──

「ば、化け物め!」

 引田は叫びながら、腰の脇差を抜こうと手をかける。だが、斬九郎の動きはそれより早い。拳が、みぞおちに打ち込まれた。
 その一撃は、あまりにも強烈なものだった。耐えきれず、引田は倒れた。その意識は、闇に沈む──



 どのくらいの時間が経ったのだろう。引田は、ようやく意識を取り戻し目を開ける。
 どうやら、草原にいるらしい。周りには民家がなく、横には川が流れている。数間先には、森が見えた。木が生い茂り、時おり鳥の鳴き声が聞こえる。
 立ち上がろうとしたが、手足が動かない。見れば、手足は縄できつく縛られていた。しかも、着ていた衣服は引き剥がされ一糸まとわぬ姿だ。その上、口には布で猿ぐつわがされている。叫ぼうにも、声が出ない。
 これはどうしたことだ……と思っていた時、森の中から現れた者がいる。白い髪、白い肌、目と口の周りの隈取り……。
 斬九郎と名乗った物怪だ。

「お前に、会ってもらいたい者たちがいる。今から、ここに来るからな」

 斬九郎が言った時、大勢の足音が聞こえてきた。やがて、鞠を持った少年を先頭にした集団が歩いてきた。
 みすぼらしい格好の女だ。それも、ひとりではない。次々と現れ、引田の周りを囲んでいく。女たちの手には、棒や鎌が握られていた。その目には、消えることのない憎しみがある。

「この女たちは全員、お前にひどい目に遭わされたのだ。お前の始末は、彼女らに任せる」

 そう言うと、斬九郎は高らかに笑った。
 一方、引田は恐怖のあまり震え出していた。女たちの輪が、徐々に狭まっていく。にもかかわらず、彼には何も出来ない。必死でもがいても、縄は固く食い込んでいる。
 ひとりの女が、棒を振り上げる。それが合図だったかのように、皆が襲いかかった──


 翌日の晩、斬九郎は人気ひとけのない森にて立っていた。彼の前には、あやかしの少年と化け猫のミーコがいる。
 斬九郎の妻を凌辱した引田とその子分どもは、かつて手ごめにした女たちの手により、凄まじい私刑を受けた。一応、生きてはいるが……もはや手足を動かすことも出来ぬ有様だ。
 これで、復讐は終わった。

「もうじき、お前の魂は黄泉の国に戻されるニャ。ここにいられるのも、あと僅かな時間だニャ」

 毛づくろいをしながら言ったミーコに、斬九郎は深々と頭を下げる。

「本当にありがとう。あなたたちのお陰で、心置きなくこの世を去れる」

「礼なら、そいつに言えニャ」

 ミーコは、前足で少年を指し示す。斬九郎は、少年に向き直った。

「君とは、どこかで会った気がするよ」

 そう、この少年とは初対面ではなかった。確実に見覚えがある。だが、思い出せない。
 すると、少年は鞠を宙に放る。
 鞠は宙を飛んだが、再び落ちてきた。地面に着地する寸前に、少年は鞠をぽんと蹴る。鞠は、再び宙を舞った。蹴鞠の動きだ。
 見ている斬九郎の脳裏に、かつての記憶が蘇る──

 幼い頃の斬九郎にとって、近くの森が遊び場だった。ひとりで、木を登り草原を駆け巡ったりしたものだ。
 その時、ひとりの少年に出会った。喋ることが出来ないのか、一言も発しない子だった。寂しそうな顔で、ぽつんと切り株に座っていた。
 明るく人見知りしない斬九郎は、その少年に話しかけていった。少年は初め面食らっていたが、やがて一緒に遊ぶようになる。ふたりで独楽を回したり、羽子板で遊んだりした。蹴鞠も、ふたりがよくやった遊びだ。
 やがて斬九郎も、侍としての学問や習い事に忙しくなってきた。少年とも、会えなくなってしまう。
 いつしか斬九郎は、少年のことを忘れていた。だが、少年は斬九郎のことを覚えていたのだ──

「君は……そうか。そうだったのか」

 思わず呟いた。懐かしさのあまり、思わず微笑む。その時、ある考えが浮かんだ。

「ねえ。最後に私と蹴鞠をしてくれないか?」

 斬九郎の問いに、少年は嬉しそうに微笑んだ。



 不思議な光景だった。
 片や、色の白い幽鬼のような男。片や、汚れた着物姿の少年。そんな真逆のふたりが、楽しそうに蹴鞠に興じているのだ。両者の間を鞠が跳ね、笑い声が響く。そんな両者を、黒猫がじっと見つめているのだ。
 鞠は、ぽーんぽーんと飛んでいく。斬九郎も少年も、落とす気配がない。
 少年が鞠を蹴った。緩やかな軌道で、鞠が落ちていく。斬九郎は、鞠を蹴返そうと足を上げた。
 しかし、鞠は地面に落ちる。斬九郎の姿は、ふっと消えていた。
 彼は、冥界へと旅立ったのだ──

 少年は、そっと鞠を拾い上げた。斬九郎のいた場所を、じっと見つめる。その瞳には、涙が溜まっていた。
 すると、ミーコが近づいていく。

「これが運命さだめだニャ。人間と妖、いつかは別れの時が来るニャよ。お前だって、わかっていたはずだニャ」

 ミーコの言葉に、少年は頷いた。涙を拭う。 
 次の瞬間、両者の姿は消えていた──
 
 





 





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