化け猫のミーコ

板倉恭司

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亮の親友(3)

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「お前かニャ、こっちの世界に迷いこんで来たアホは」

 そんなことを言ったのは、一匹の黒猫である。体は大きすぎず小さすぎず、ごく普通の体格である。毛並みは美しく、瞳は綺麗な緑色だ。長い尻尾が二本生えており、時おりクネクネと動いていた。
 さすがの亮も困惑し、横にいるボニーの方を向いた。

「ボニー……この猫、そんなに偉いの?」

 その途端、ボニーが彼の頭をはたいた。

「お前、失礼なことを言うニャ! この御方は、太古の昔より生きているミーコさまだニャ! お前を元の世界に帰らせるためだけに、わざわざ来てもらったニャ!」

 ボニーの剣幕は凄まじい。亮は、慌てて黒猫に謝った。

「ご、ごめんなさい! 失礼なことを言ってしまって……」

 ペコペコ頭を下げる亮に対し、ミーコはフンと鼻を鳴らした。

「まったく、こんなアホガキのために……ボニーとクライドの頼みじゃなかったら、絶対に来なかったニャ」



 二日前、亮は鬼によって全滅させられた村を見た。
 それから今日まで、亮は二人と思いきり遊び、語り合った。寝る間を惜しみ、食事もろくにとらずに。亮は、久しぶりに大声で笑った。クライドとへとへとになるまで野を駆け回り、ボニーとの会話に笑い、時には涙したのだ。
 だが至福の時というものは、過ぎ去るのがあまりにも早い。今、亮は元の世界に帰ろうとしているのだ──

「小僧、さっさと付いて来るニャ。異界への門は、開かれたニャ」

 そう言うと、ミーコは森の中を歩き出した。既に日は沈み、闇が辺りを支配している。うっかりすると、黒猫の姿を見失いそうだ。
 そんな中、亮はミーコの後を追う。ボニーとクライドも、無言で彼の後ろから付いて来ていた。
 亮は、胸が潰れそうな思いを感じていた。出来ることなら、ボニーやクライドと別れたくはない。だが、帰らなくてはならないのだ。
 二人と約束したのだ……元の世界で、強く生きると。



 突然、ミーコは歩みを止めた。

「ここだニャ」

 黒猫は振り返り、亮に言った。亮は顔を上げ、周りを見回す。
 目の前には、広い湖がある。水面には、綺麗な満月が映っていた。さらに湖のほとりには、大きな桜の木が生えていた。その枝には、綺麗な花が咲いている。何とも幻想的な光景であった。

「さあ、扉はあたしの力で開けたニャ。この湖に映る月の中に入れば、すぐに元の世界に戻れるニャ。ぐずぐずしてないで、早く帰るニャ」

 ミーコの言葉に、亮は頷く。
 慎重に水の中に入って行った。湖は意外と浅く、膝の高さまでしかない。すぐ後ろから、ボニーとクライドが付いて来ている。ミーコはというと、湖のほとりで三人を見守っていた。
 亮は、湖に浮かぶ満月に近づいて行った。だが突然、彼は歩みを止める。振り返り、ボニーとクライドを見つめた。

「帰る前に、ひとつだけ聞かせて。君たちは、幸せだったの?」

「何言ってるニャ。バカなこと言ってないで、とっとと帰るニャよ」

 ミーコが横から口を挟むが、亮はなおも言葉を続ける。 

「教えてよ。僕と暮らしていて、君たちは幸せだったの?」

「……」

 ボニーとクライドは黙ったまま、顔を見合わせた。だが、亮は堰を切ったかのように喋り続ける。

「僕は向こうの世界にいた時、君たちにとって良い友だちだったの? 二人は、僕に言いたいことはないの? 最後なんだから、言いたいことがあるなら言ってくれ。悪口でもいいから、言ってくれよ。やっと、君たちと話せるようになったのに……これでお別れなんて嫌だ!」

 亮は耐えきれなくなった。涙が溢れだし、嗚咽が洩れる。その場に崩れ落ちそうになるが、かろうじて立ち続けた。
 すると、ため息が聞こえた。

「まったく……本当に、お前は世話のやける小僧だニャ。いちいち言わないと、わからんのかニャ? お前のおかげで、美味しいものがいっぱい食べられたし、楽しく遊べた……嬉しかったニャ。あたしは今も昔も、お前が大好きだニャ」

「幸せだったかって? 幸せだったさ! お前みたいな友だちがいて、幸せだったに決まってんだろうが! そうでなきゃ、お前を助けたりなんかしねえだろうが! お前みたいな人間と暮らせて、俺は最高の幸せ者だったぜ!」

 ボニーの優しい声と、クライドの熱い声が響き渡る。
 その声に、亮は顔を上げた。涙でぼやけた視界に映る二人の顔は、暖かく優しいものに満ちていた。さらに、亮の肩に手が置かれる。

「さあ、今度こそ立ち止まらず、前に進んでいくニャ。そして、強く生き抜いていくニャよ。約束だニャ」

「そうだ。もう振り返るな。元の世界で強く生きて、幸せを掴んでくれ。それが、俺たち二人の願いだ。あの世界で、お前は最高の友だちだった。お前の幸せを、こちらから二人で祈っている。忘れるな、お前はひとりじゃないんだ」

 二人の言葉を聞き、亮は向きを変えた。溢れる涙を拭おうともせず、水面に映る満月を目指して歩く。
 亮の体が満月に触れた瞬間、驚くべきことが起きる。桜の花びらが、風もないのに舞い散ったのだ。大量の花びらは宙に舞ったかと思うと、亮の体めがけて降り注ぐ。あっという間に、彼の全身を覆い隠していく。
 二人の目の前で、亮の姿は大量の花びらとともに消えていった。

 ・・・

 翌日、亮は病院のベッドで目を覚ました。体が回復すると同時に、亮は学校へと乗り込んで行った。自分をいじめた連中を、ひとりずつ叩きのめしていったのだ。
 ボニーとクライドとの約束を守り、強く生き抜くために。



 あれから、十年以上が経った。
 異世界での出来事を、亮は未だに忘れていない。現実だとは思えないが、かといって夢や幻という一言でも割りきれないものがあった。
 そして今、黒猫のミーコらしきものを見つけたのだ……亮は、必死で追いかける。いつのまにか、人気ひとけのない路地裏へと入り込んでいた。
 すると、黒猫は立ち止まった。こちらに向き直り、毛繕いを始める。
 亮は、そっと尋ねてみた。

「お前、ミーコだよな?」

 言った途端、黒猫がこちらを睨む。

「お前とは何だニャ! あたしは、二百年前から生きてる化け猫ミーコさまだニャ! 相も変わらず、失礼なガキだニャ!」

 流暢な日本語で言い返した。さらに、尻尾がびしゃりと地面を打つ。亮は、慌てて頭を下げた。

「ご、ごめんよミーコさま。久しぶりに会ったから、つい……」

 言いながら、ヘラヘラ笑って見せる。すると、ミーコはフンと鼻を鳴らす。
 だが、その後にとんでもないセリフを吐いた。

「ボニーとクライドが、きのう死んだニャ」

「えっ……」

 それ以上、何も言えなかった。口をポカンと開けたまま、その場に立ち尽くしていた。思考は停止し、体は動くことを忘れる……そんな状態だった。
 
「妖怪との闘いに敗れて、二人とも死んだニャ。まあ、あいつらは長生きした方だったニャよ。あの背世界では、妖怪といえど十年も生きられないのが普通だからニャ」

「な……あいつら、あんなに強かったのに……」

 かろうじて出た言葉だった。悲しいとか、悔しいとか、そうした思いは湧いてこない。ただただ、呆けたような表情で目の前の黒猫を見つめるだけだった。

「お前は、何もわかってないニャ。あの世界は、多くの妖怪が血で血を洗うような闘いをしている……そんな所だニャ。上には上がいるし、不運な偶然が重なれば実力者が負けることもある。闘いは、そういうものだニャ」
 
 亮は何も言えなかった。ミーコの口調はユニークだが、言葉は冷たい。辛辣さすら感じられる。そして、彼にはわかっていた……ミーコの言葉は正しい。
 あれは、亮のような人間生き延びられる世界ではないのだ。

 その時、亮の頭に閃くものがあった。

「じゃ、じゃあ……ボニーとクライドは、こっちの世界に転生するのか? そしたら、会えるんじゃないか?」

 勢いこんで尋ねる。が、返ってきた言葉は無情なものだった。

「無理だニャ」

「な、何でだよ! 何で、はっきり言いきれるんだよ!?」

 鋭い語気で尋ねる亮。すると、ミーコの目つきが変わる。

「その口の聞き方は何だニャ! あたしは、三百年生きてる化け猫さまだニャ! 相も変わらず、失礼なガキだニャ!」

 言った直後、尻尾が地面を打つ。びしゃりという音に、亮は思わず怯んだ。

「あ、す、すみません」

「まったく……これだから人間なんかとは、かかわりたくないんだニャ」

 ぶつぶつ言いながら、ミーコは再び毛繕いを始める。亮は何も言えず、その様子をじっと見ていることしか出来なかった。
 しかし、ミーコの動きはすぐに止まった。亮を見つめ口を開く。

「この世界だけでも、どれだけの数の生き物がいることか……そんな中で、ボニーとクライドが転生したかも知れない生き物に出会える可能性は、砂浜でひとつぶの砂を見つけるよりも低いニャ。お前みたいなアホでも、考えればわかるはずだニャ」

 亮は下を向いた。確かに、その通りなのだ。
 こっちの世界では、ボニーとクライドは猫と犬だった。ところが、異世界では知能が高く会話が可能な妖怪に転生していた。二人の方から名乗ってくれなければ、わからなかっただろう。
 仮にこちらの世界に転生していたとしても、向こうが会話の出来ない生き物になっている可能性もあるのだ。
 うなだれる亮に、ミーコはさらに語り続ける。

「お前が、あの二人と出会えたのはありえないような確率だニャ。しかもお前は、こちらの世界で二人と出会い、あちらの世界で再会できた。この奇跡と、ボニーとクライドの優しさに感謝するニャよ」

 語った直後、ミーコの姿は煙のように消えていた──



 それからのことは、全く記憶がない。気がつくと、スーツ姿で自宅のベッドに寝ていた。
 亮は虚ろな表情で、天井を見上げる。すると、頭の中に蘇る言葉があった。

(まったく……本当に、お前は世話のやける小僧だニャ。いちいち言わないと、わからんのかニャ? お前のおかげで、美味しいものがいっぱい食べられたし、楽しく遊べた……嬉しかったニャ。あたしは今も昔も、お前が大好きだニャ)

(幸せだったかって? 幸せだったさ! お前みたいな友だちがいて、幸せだったに決まってんだろうが! そうでなきゃ、お前を助けたりなんかしねえだろうが! お前みたいな人間と暮らせて、俺は最高の幸せ者だったぜ!)

「バカ野郎、幸せ者は俺の方だ」

 亮は天井に向かい、ひとり呟いた。その時、一筋の涙がこぼれる。

「俺の方が、ずっとずっとお前らを好きだったんだよ……」

 あの二人から、大切なものをいっぱいもらった。しかも、命まで助けてもらったのだ。
 なのに、自分は何をしてやれた?
 結局、何もしてあげられなかった──

  








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