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六月五日 孝雄、大いに勘ぐる
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妙だ。
何かがおかしい。
塚本孝雄は、この理解不能な事態に戸惑っていた……。
彼は昨夜、谷渋に立っていた不良外国人から覚醒剤を買い、帰ると同時にそれを打ったのだ。不安はあったが、打った感覚は間違いなく本物だ。もっとも、薬の質自体はあまり良くない。明らかに混ぜ物が入っているような感触もある。
気になる点はあるにせよ、確実に効き目はあった。事実、孝雄は昨日からずっと寝ていないし、何も食べていないにもかかわらず、疲労を感じていないのだから。
初対面の、何の資格も持たないであろう外国人から買った薬を、静脈に注射する……もし仮に、それが覚醒剤でなく毒薬だったとしたら、孝雄は確実に死亡していたのだ。
そこまでいかなくても、普通の人間なら得体の知れない外国人から買った薬を摂取しよう、などとは考えない。しかし孝雄は何のためらいもなく、薬の水溶液を血管へと注入した。
そう、ポン中はまともな神経など持ち合わせていない。基本的に彼らは、物事を甘く見ている。そうでなければ、覚醒剤のような危険な薬に手を出したりはしない。まあ、大丈夫だ。この先、何とかなるだろう……という、甘い目論見で生きている者がほとんどなのだ。
昼すぎになると、覚醒剤の効果も切れかけていた。
その時、孝雄は部屋の異変に気付く。部屋に置かれていた様々な物の位置が、微妙にズレている気がするのだ。その差は、数センチあるかないかだろう。しかし、昨日とは確実に違う気がする。
誰かが、この部屋に入って来たのか?
ひょっとしたら、うちの親か?
孝雄は顔を上げ、あちこち見回す。昨日は気づかなかったが、家具が移動したような形跡もある。無論、ほんの僅かな距離だ。普段なら、間違いなく気づかないだろう。
しかし今は、覚醒剤の影響で様々な感覚が鋭敏になっている。そのため、普段なら気づかないであろう些細な異常に気づいてしまったのだ。
もう一度、部屋を見回す。やはり妙だ。上手く言えないが、昨日までと比べて何かがおかしい気がする……具体的にどこかがおかしい、という訳ではないのだが。
しかし、部屋の様子には違和感を覚える。強烈な違和感を。
待てよ。
本当に変わっているのだろうか?
孝雄の頭と心を、不安がよぎる。そう、覚醒剤のやり過ぎでおかしくなってしまった者の話を思い出したのだ。幻聴に悩まされた挙げ句、外に出て無関係な通行人に包丁を振り回した者。幻覚に追いかけられ、走って来る電車に飛び込んだ者。他にも、そんな話は枚挙に暇がない。
幻覚を見たり、幻聴を聞いてしまう理由……それもまた、覚醒剤のもたらす副作用である。数日間、飲まず食わずで睡眠も取らないと、人間は確実におかしくなる。肉体はもちろん、精神までもが狂わされてしまうのだ。
覚醒剤を打つから幻覚を見るのではなく、覚醒剤の摂取により何日も飲まず食わず眠らずの状態になり、疲労した脳が幻覚や幻聴を見せるのだ。しかも、覚醒剤は五感を鋭敏にする。幻覚や幻聴が、より鮮明なものとして迫ってくるのだ。
そして幻覚や幻聴の他にも、覚醒剤には顕著な副作用が存在する。それは、異常に疑り深くなることだ。
シャブを打ってのセックスは最高だ……などと、したり顔で語る輩は多い。確かに、その快感は尋常なものではない。覚醒剤により鋭敏になった感覚は、セックスの快感を増大させる。
しかし、同時に覚醒剤を打ちセックスをすると、様々なトラブルが起きやすくもなる。薬のせいで疑り深くなり、相手に対し有らぬ疑いをかけることも少なくない。特にセックスの後などはなおさらだ。
覚醒剤欲しさに、他の者ともセックスしているのではないか?
もしかしたら、自分の部屋から何かを盗むのではないか?
いざとなったら、警察に駆け込むのではないか?
こんな風な考えが、頭に次々と湧き上がってくる。いったん生まれた疑念は、なかなか晴れることはないのだ。結果として、刺した刺されたというような殺傷事件に発展することもある。覚醒剤を用いてのセックスには、それなりの代償と危険が伴うのだ。だから、末期的なポン中はひとりで覚醒剤を打つ。セックスの快感より、他人が近くにいることによって生じる様々な疑念に振り回されない環境を選ぶのだ。
今の孝雄は、ひとりであるにもかかわらず疑念に振り回されていた。何かがおかしい、その思いに頭を支配されている。ただし、今の彼が疑っているのは自分自身だ。自分の目、耳、鼻などの五感からもたらされる情報を全て疑っている。
そう、孝雄にはある程度の知識はある。覚醒剤を打つことにより、感覚が鋭敏になり……結果、おかしな症状が出ることを知っている。その知識が無い者は、本当に発狂してしまうこともあるのだ。
しかし、その知識がさらなる疑いを生むことにもなってしまう。果たして、いま感じている異変は本物なのか? 昨日、実際に誰かが部屋に侵入してきたのではないのだろうか?
それとも、単に覚醒剤を射ったことによる妄想なのだろうか?
なまじ知識があるばかりに、その判断がつけられないのだ。
孝雄は注意深く、部屋の中を見る。何かが移動しているかどうか。移動した気がする、ではない。明らかに移動した物があるかどうかだ。あるはずの物が無くなっていたり、逆に無いはずの物があったり……。
だが、そんな形跡は発見できなかった。となると、これはただの考えすぎか──
ちょっと待て。
何だ、あれは?。
忙しなく動いていた孝雄の目線は、ベッドの下に転がっている物に留まった。確実に、昨日までは自分の部屋に無かった物だ。見覚えもないし、過去に買った記憶もない。
それなのに、ベッドの下に無造作に放り出されている。
どういうことだよ?
孝雄は思わず後ずさる。いつの間にか、その体は震えだしていた。彼は、両手で頭を抱える。
何も見たくなかった。
何かがおかしい。
塚本孝雄は、この理解不能な事態に戸惑っていた……。
彼は昨夜、谷渋に立っていた不良外国人から覚醒剤を買い、帰ると同時にそれを打ったのだ。不安はあったが、打った感覚は間違いなく本物だ。もっとも、薬の質自体はあまり良くない。明らかに混ぜ物が入っているような感触もある。
気になる点はあるにせよ、確実に効き目はあった。事実、孝雄は昨日からずっと寝ていないし、何も食べていないにもかかわらず、疲労を感じていないのだから。
初対面の、何の資格も持たないであろう外国人から買った薬を、静脈に注射する……もし仮に、それが覚醒剤でなく毒薬だったとしたら、孝雄は確実に死亡していたのだ。
そこまでいかなくても、普通の人間なら得体の知れない外国人から買った薬を摂取しよう、などとは考えない。しかし孝雄は何のためらいもなく、薬の水溶液を血管へと注入した。
そう、ポン中はまともな神経など持ち合わせていない。基本的に彼らは、物事を甘く見ている。そうでなければ、覚醒剤のような危険な薬に手を出したりはしない。まあ、大丈夫だ。この先、何とかなるだろう……という、甘い目論見で生きている者がほとんどなのだ。
昼すぎになると、覚醒剤の効果も切れかけていた。
その時、孝雄は部屋の異変に気付く。部屋に置かれていた様々な物の位置が、微妙にズレている気がするのだ。その差は、数センチあるかないかだろう。しかし、昨日とは確実に違う気がする。
誰かが、この部屋に入って来たのか?
ひょっとしたら、うちの親か?
孝雄は顔を上げ、あちこち見回す。昨日は気づかなかったが、家具が移動したような形跡もある。無論、ほんの僅かな距離だ。普段なら、間違いなく気づかないだろう。
しかし今は、覚醒剤の影響で様々な感覚が鋭敏になっている。そのため、普段なら気づかないであろう些細な異常に気づいてしまったのだ。
もう一度、部屋を見回す。やはり妙だ。上手く言えないが、昨日までと比べて何かがおかしい気がする……具体的にどこかがおかしい、という訳ではないのだが。
しかし、部屋の様子には違和感を覚える。強烈な違和感を。
待てよ。
本当に変わっているのだろうか?
孝雄の頭と心を、不安がよぎる。そう、覚醒剤のやり過ぎでおかしくなってしまった者の話を思い出したのだ。幻聴に悩まされた挙げ句、外に出て無関係な通行人に包丁を振り回した者。幻覚に追いかけられ、走って来る電車に飛び込んだ者。他にも、そんな話は枚挙に暇がない。
幻覚を見たり、幻聴を聞いてしまう理由……それもまた、覚醒剤のもたらす副作用である。数日間、飲まず食わずで睡眠も取らないと、人間は確実におかしくなる。肉体はもちろん、精神までもが狂わされてしまうのだ。
覚醒剤を打つから幻覚を見るのではなく、覚醒剤の摂取により何日も飲まず食わず眠らずの状態になり、疲労した脳が幻覚や幻聴を見せるのだ。しかも、覚醒剤は五感を鋭敏にする。幻覚や幻聴が、より鮮明なものとして迫ってくるのだ。
そして幻覚や幻聴の他にも、覚醒剤には顕著な副作用が存在する。それは、異常に疑り深くなることだ。
シャブを打ってのセックスは最高だ……などと、したり顔で語る輩は多い。確かに、その快感は尋常なものではない。覚醒剤により鋭敏になった感覚は、セックスの快感を増大させる。
しかし、同時に覚醒剤を打ちセックスをすると、様々なトラブルが起きやすくもなる。薬のせいで疑り深くなり、相手に対し有らぬ疑いをかけることも少なくない。特にセックスの後などはなおさらだ。
覚醒剤欲しさに、他の者ともセックスしているのではないか?
もしかしたら、自分の部屋から何かを盗むのではないか?
いざとなったら、警察に駆け込むのではないか?
こんな風な考えが、頭に次々と湧き上がってくる。いったん生まれた疑念は、なかなか晴れることはないのだ。結果として、刺した刺されたというような殺傷事件に発展することもある。覚醒剤を用いてのセックスには、それなりの代償と危険が伴うのだ。だから、末期的なポン中はひとりで覚醒剤を打つ。セックスの快感より、他人が近くにいることによって生じる様々な疑念に振り回されない環境を選ぶのだ。
今の孝雄は、ひとりであるにもかかわらず疑念に振り回されていた。何かがおかしい、その思いに頭を支配されている。ただし、今の彼が疑っているのは自分自身だ。自分の目、耳、鼻などの五感からもたらされる情報を全て疑っている。
そう、孝雄にはある程度の知識はある。覚醒剤を打つことにより、感覚が鋭敏になり……結果、おかしな症状が出ることを知っている。その知識が無い者は、本当に発狂してしまうこともあるのだ。
しかし、その知識がさらなる疑いを生むことにもなってしまう。果たして、いま感じている異変は本物なのか? 昨日、実際に誰かが部屋に侵入してきたのではないのだろうか?
それとも、単に覚醒剤を射ったことによる妄想なのだろうか?
なまじ知識があるばかりに、その判断がつけられないのだ。
孝雄は注意深く、部屋の中を見る。何かが移動しているかどうか。移動した気がする、ではない。明らかに移動した物があるかどうかだ。あるはずの物が無くなっていたり、逆に無いはずの物があったり……。
だが、そんな形跡は発見できなかった。となると、これはただの考えすぎか──
ちょっと待て。
何だ、あれは?。
忙しなく動いていた孝雄の目線は、ベッドの下に転がっている物に留まった。確実に、昨日までは自分の部屋に無かった物だ。見覚えもないし、過去に買った記憶もない。
それなのに、ベッドの下に無造作に放り出されている。
どういうことだよ?
孝雄は思わず後ずさる。いつの間にか、その体は震えだしていた。彼は、両手で頭を抱える。
何も見たくなかった。
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