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最終章

進歩と忠告 キャロル16歳

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 瑞々しかった葉も季節と共に輝きを失って、端から秋の気配を漂わせる。
 学園に復帰したのは、帰郷の季節が終わって一か月を過ぎた頃だった。葉陰の向うには、もう高い秋の空が覗いている。

「ノエル! 急いで、急いで」

 ドニが私の手を引きながら、駆け足で向かうのは訓練場だ。クロードとユーグには、ワンデリアの屋外演習地で落ち合う約束をしている。

「ゆっくりではダメですか? ちょっと興味のある事が……」

 呟きながら周囲を見回す。突然の時ほど表情に本音が出るから、久しぶりに私を見つけた人の顔は面白い。
 ある者は嬉し気に瞳を綻ばせ、ある者は忌々し気に舌打ちをする。恐ろしげに顔を引き攣らせられると少し傷く。

「だーめ! ノエルってば全然いなかったんだからね。話したい事も、見せたい事も、やらなきゃいけない事も、たくさんあるんだよー」

 ゆっくりになりがちな私の手を、ドニがどんどん引いていく。

「お手柔らかにお願いします。今、浦島太郎の気分なんです」

 周遊の目的が私と殿下を引き離す事だから、父上が情報を遮断していた。戻ってきた私の自室は、書簡や友が届けてくれていた書類が山積みだった。今はそれらを読んで、不在の間の動きを追うのに必死だ。

「ウラシマタロウ?」

 聞き返したドニの背に思わず舌を出す。時が進んで取り残される前世の昔話が、今の私にぴったりで思わず口をついてしまった。

「すみません。どこかで聞いた、見知らぬ国の物語です」

 返ってきた反応は意外だった。握った手を上下に振りながらドニが嬉しそうに声を上げる。

「僕、知ってるよー。タマテバコっていう魔法具が過ぎた時の記憶をくれるんだ。ルナも呟いてたよ。一体、何処の国だろうね?」

 ルナが聖女シーナを知っていたのは間違いない。そして、シーナは日本人だった筈だ。
 何時、何処で、どんな風に二人は出会ったのか。

 穏やかで哀愁のあるメロディーをドニが口ずさむ。日本人なら馴染みがある子守歌だ。

「ルナは不思議がいっぱい。これは、ルナが大事な友達から教えてもらった音楽だよ。それから――」

 次は耳慣れない不思議な音楽だった。高音と低音を繰り返す旋律は初めて聞く。

「今の音楽は、どこかの国のお祭りの曲だって言ってたよ。頭から離れない印象的な曲だから、気づいたら口ずさんじゃうんだって」

「他にもありますか?」

 奥に続く地下の階段を下りて、ドニが魔力認証で開閉する扉に魔法具を当てる。

「あるよ! でも、ちょっと待ってね。エトワールの師の導きに答えよ。道よ開け!」

 ドニの言葉に空気が変わり、水色の魔力が魔法具を中心に波状に広がる。この色の魔力なら魔法具の持ち主はアーロン先生だ。魔力ランプが灯って、足を踏み入れればすぐに扉が閉まる。

 ランプに照らされる廊下を歩きながら、ドニが次に口ずさんだメロディーは前世で流行ったヒット曲だ。

「ルナが一番大好きな曲。本当は歌詞があるらしいんだけど、教えてもらえなかったの。いつか歌ってあげたいんだけど」

 秘密の理由を思うと少しだけ笑みが零れた。甘い男の人の歌声のラブソングは、ドニの知らない言葉が散りばめられている。テレビにラジオ、ビルにオフィス、説明できない世界の懐かしい言葉たち。この曲をルナはどうやって知ったのだろう。

 馴染みある子守歌は友達の好きな曲。見知らぬ曲は祭りの曲。そしてルナの好きだった曲。明かされなかったルナの動きと聖女シーナの繋がりの欠片が何処かにあるはずだった。

 ランプに照らされる廊下の先にはゲートが並ぶ。一つのゲートに手を当ててドニが魔力を流し込む。

「ノエル、行こう! 今日はとっても忙しいよ!」
 
 魔力を満たすとゲートにドニが飛び込んでいく。後を追うように、私もゲートの一つに魔力を流し込んで飛び込む。心地よい自分の魔力の中を進む。
 ゲートは便利だけど設置が難しい。魔力消費が大きくて普及しにくいのと、ゲートを利用した内乱が過去に起きているからだ。今はオーリック辺境伯以外の、ワンデリアに直轄地を持つ貴族と学園にしかない。

 心地よい闇を抜けると、僅かな振動と物音が地下まで響く。

「演習地の音がここまで響いてるんですか?」

「うん。大崩落に関する通達を貰ってから、みんな頑張ってる。演習地の使用申請もたくさんあって先生たちも大忙しだって!」

 古式文字を紐解いた事で、埋もれていた術式もたくさん見つかった。シュレッサーが次々と、その知識を活かした改良術式を考案している。追いつかない程の量の術式の試用には、騎士団以外に学園の生徒にも白羽の矢が立った。
 ドニ、クロード、ユーグ、ディエリは帰郷の季節から対象者として、演習地の優先使用と移動の為の魔法具が許可されている。

「ノエルもいたら良かったのにね。僕たち頑張ったから、ずっと進んじゃったよ?」

 父上の書斎で確認した資料では、中規模崩落戦にいた者の名が挙げられていた。カリーナとラザールは帰郷を理由に外され、私は領地巡りを理由に父上が辞退の判断をした。でも、闇属性の担い手が少ないと、私には遅れても参加するように命が下された。

「参加が遅れたのは、本当に残念です」

 学生の術式試用の主導者の名前はアレックス王子だった。
 ルナが名指した者たちが選ばれた術式の試用は、今もまだ紺碧の瞳が出来る事を探し続けている事を意味する。そして、私の名が辞退したのにあるのは、隣に立つ事を求めてくれている様に思えた。
 真っすぐと前を見据える強い眼差しの横顔が過ぎると、胸の奥が焼ける様に熱くなる。
 気持ちに飲まれそうになって、振り払うように慌てて頭を振る。

 演習場の建物を出ると、ワンデリアの岩だらけの景色が広がる。
 聞いていた筈なのに途切れない魔法のぶつかり合う音と、取り組む生徒の多さに驚く。

「ね? 皆、頑張っているでしょ?」

 ドニがお日様みたいな笑顔を浮かべて得意げに胸を逸らす。
 レベルごとに区画わけし、実践を想定して向き合う生徒。区画を守りながら結界を張る演習をする生徒。今まで見たことがない程、効率的なやり方で限度いっぱいまで演習場が稼働していた。

「こんな風に出来るんですね。通達が出た事で、こういった変わり方をすると思っていませんでした」

 ドニの背を追って、試用している区画に向かって歩く。通り過ぎる生徒の表情は真剣で、誰もが必死だった。大崩落の通達が出た時は、この国を捨てる貴族が出る混乱も心配してた。でも、学園の様子を見ればそれが杞憂だと分かる。

「ディエリが悪魔みたいな通達だって褒めてたよ! 一定年齢以上の男性貴族しか伝えなかったり、最短の時期を明確にしたり、褒章を提示したり。見せる事と、見せない事の線引きが凄くてみんなが手の上で踊らされたって言ってた」

 通達は国政管理室が全力で作ったらしい。これまでにない方法をとったと、父上は真黒な会心の笑みを浮かべていた。

「私は通達を見てないんです。魔力を使う魔法を仕込んだから、余裕がなかったと言ってました」

 私の言葉にドニが笑ってから、少しだけ表情を引き締めて口を開いた。

「通達は読み終えると燃える魔法の他に、対象者以外に情報が漏らせない誓約が掛かってたからね。一家ごとに用意した国政管理室は大変だったと思うよ」

 国政管理室の皆がお菓子と回復薬を交互に口に放り込みながら、徹夜で通達を作る様子が簡単に想像できた。

「やっぱり通達が見たいです」

「すごく胸に訴えるものがあった通達だったよ。燃える通達を見ながら、僕は三つの事を決めたんだ。一つは、知らされない人達の為に僕は決して後には引けない。もう一つは、ラヴェルの家が立ち直る為に功績を上げる機会になる」

 クロードの大きな背が見えて二人で手を振ると、ドニが再び私の手を取って駆け出す。

「最後の一つ! 未来は僕たちにかかってる! 魔物の王に対峙するなら、勝って未来を皆で守ろう!」

 走りだしたドニの背中は大きい。振り返って映る演習場にいる生徒の背も、同じ様に大きかった。沢山の人が何かを背負って動き始めていた。

 先に来ていたユーグとクロードに駆け寄ると、赤い波紋が収束して結界が解かれる。

「クロード! 戻るのが遅くなって今年は鍛錬に行けず、すみません」

 鍛錬しようと何度も連絡をくれた友に駆け寄って頭を下げる。去年も今年もクロードとの夏の鍛錬はお預けになった。

「気にするな。無事に帰ってきて安心した」

 その言葉に頷けば、クロードが片手を上げる。手の平を打ち合わせて微笑み合うと、一気に居場所に帰った気がした。

「ノエル、おかえり」

 癖のある声に顔をむける。腕を伸ばさずに、怒られる前の子供のような視線をユーグが向けていた。
 伝達魔法の声は明るかったけど、抱え込んで苦労していた筈だ。自分に手いっぱいで、会うまで気づけなかった事が情けない。

「ユーグ。今日は抱き着かないんですか? 久しぶりなのに?」

 腕を広げて揶揄うように笑うと、すぐに長い腕がいつも通り腰を抱く。戸惑うばかりだった近さは、私とユーグの正しい距離に変わっていた。力が抜けたように深いため息が私の髪をくすぐる。

「もう一度、言うよ。おかえり」

「はい! ユーグ、お疲れさまでした。頑張ってくれたから、たくさんの人が動き始めました。決断する前より、この国はずっと良い方向に動いています。全てのシュレッサーに感謝を」

「ああ。シュレッサーを代表して受け取るよ。でも、次は君の為に手を伸ばす」

 抱いた腰から手を離すとユーグは、何かを探し続ける遠い眼差しにちゃんと戻っていた。
 一枚の紙をポケットから取り出して開くと、そこには闇属性の新しい術式がいくつも並ぶ。

「これが新しい術式ですか?」

「騎士団でも試用が進んでるけど、担い手が少ないから他の属性より遅れてる。君は魔力量も多いから、今日は重点的に進めたい」

「分かりました! 今日は魔力が尽きるまで頑張ります」

 大きく頷いた私の手に、ユーグ特製の液状回復薬が渡される。ゲートで消費した分を回復する為に口を付ければ、独特の何とも言えない味が広がる。

「回復薬は他にも用意してあるから、どんどん飲んで実験台になって。それから、君の従者も借して欲しい。ドニは守る術式は得意だけど、攻撃の方が苦手だからね」

 振り返るとジルが頷いて、風属性の術式の紙を受け取る。錠剤の回復薬も受け取って、真剣な眼差しで術式に目を落とす。

「じゃあ、ドニが結界を張って、ノエルは壊す側ね。クロードとジルは二人一組で順番は任せるよ。今日は、ノエルを中心に改良に集中するから」

 ユーグの言葉で術式の試用が始まる。適切な距離を取ってドニが術式を書くと、私達を包むよう緑色の波紋が半球状に広がった。

「空に向かって魔法は打ってね! 今の僕の結界はノエルでも簡単に破れないと思うよー」

 軽やかに跳ねて、ドニが自信たっぷりに宣言する。
 ドニは守る魔法が格段に上手い。授業でもドニの結界を破るのは一番大変だし、粛清の時も家族を守ってきたから実践経験も豊富だ。改良を重ねているのなら、かなり手強いだろう。

「手加減なしで行きますね!」

 ドニの結界に向かって、最初の術式を書く。するりと中級程度の魔法と同じ魔力が抜ける感触がした。丸い球状の闇は中級魔法によく似たものがある。でも、大きさは今までの倍以上で闇もずっと深い。

 魔法が結界部分に触れると緑色の波紋が浮く。潰れた闇が飲み込むように球状の空を覆えば、何度も抵抗するように緑の波紋が点滅を繰り返す。ゆっくり三秒を数えた頃、私の魔法が靄を突風で払うように掻き消えた。

「あぁ、負けました。魔力の波紋に乱れがないから、ドニの結界はまだ余裕そうですね」

「ふふっ。全然、大丈夫だよ。補強も張り直しもせず耐久できる限界を見るから、壊れるまで何回でも打っていいよー」

 試用実験と言えども、負けるのは少し悔しい。次の魔法には、思わず力が入る。今度は上級魔法と同じだけの魔力が抜けて、規模も威力も段違いだった。でも、結果は同じになる。
 ドニの結界が硝子を割るような音で弾けたのは七回目の発動の後だ。

「あーっ、十回目まで持たなかったー! 流石はノエルだね!」

「十回目まで行ける事もあるんですか?」

「ユーグとクロードとカミュ様の魔法なら耐えられる。でも、ディエリが相手だと無理かな」

 幾ら守る方が有利だと言っても、これまでは三度が限界だった。ドニが類稀な守り手であっても、劇的に魔法が進化しているのは間違いない。

「二人とも紙出して」

 私たちの側にユーグが来て、術式の紙を要求する。受け取ると直ぐに新しい術式を書き込み始めた。

「もう改良したんですか?」

「その為に付きっ切りで見てるんだから、当然だよ」

 新しい術式を次々と書き込んで不要と判断したものを素早く消していく。帰郷の季節の間中、こんな速度で改良を続けてきたなら進化は当然だ。

「凄いです。ドニの進化の理由が分かりました」

「ドニとカミュ様は守り手としては抜群だから、二人の結界には特に力を入れている。一撃で魔物の王は倒せないなら、長期戦の覚悟が必要だ。守る事は要になると思う」

 ユーグが予測している戦況の意味に戸惑う私の頬を、ドニが指で軽く叩く。

「殿下はみんなの為に聖女様に会いに行ってくれたよね? 帰郷の季節に入ってすぐ行って、ずうっと帰ってきてない。それって頑張ってくれているけど、上手く行っていないって事なんだと思う。誰かを好きになったら、不器用なぐらい思い続ける殿下だから仕方ないよね」

 ドニの言葉に、どんな顔をつくれば良いか分からない。苦しくて、悲しいのに、嬉しい自分がいる。そして、国の大事を賭けているのに感情を捨てきれない自分が嫌だった。
 術式を書き終えた紙を私に渡すと、強張る私の頬をドニを真似てユーグが指で叩く。

「殿下だけの所為じゃない。聖女も難しい性格してるから仕方ないんだ。人が人を愛するのは、簡単にはいかない。人の感情は本当に難しい」

 私はただ、離れるだけでいい。でも、アレックス王子は違う。多くを背負って心すら変える事を求められている。すべき事を知っている人だから、できないなら自分をきっと責めている。

 顔を歪めてユーグを見つめ返した私の頬を、ドニが指で上に押し上げる。

「だーめ! 不安な顔はしないの、ノエル! 今回の失敗だけは、前向きな殿下だってすごーく落ち込むと思う。もしかしたら、責任が重すぎて泣いちゃうかもよ? 今一番大変なのは殿下で、僕たちじゃないんだ」

 反対の頬をユーグが笑って指で押し上げる。

「殿下の探求者として僕は、最悪の事態でも勝つ用意をする。共に君も殿下を支えるんだよね? ならば何をする?」

「私は……」

 言葉を探す私をクロードが見つけて驚いたような顔になる。そのクロードに向かってドニとユーグが自分の胸を二度叩く。クロードが何かを理解したように微笑んで、私を指さして同じ様に胸を二度叩く。

 その意味は、友の誓いの最期の言葉『友はいつも胸にいる』。離れたとしても、互いに困難に立ち向かい、いつかまた並びあおうとする騎士達の友情だ。

「クロードは殿下の剣になるって言ってた。毎朝エドガー団長に鍛えて貰ってるらしいよ」

「僕は、殿下の盾になる! それから、全部終わったら勝利の歌を作るよ!」

 ノエルの居場所はどこまでも居心地がいい。指が離れても私の頬は上がったままだった。
 決断は変わらない。でも、私の中の決意は一つ先に進む。

「なら、私は軍師になります。隣で皆と一緒に殿下に勝利を!」

 ルナの挙げた名の中に私の名がなくても、未来がどんな風になっても、必ず最後までこの居場所で戦うと笑って誓う。


 その後は、回復薬を使いながらドニを相手に術式を書き続けた。回復薬が追いつかずに魔力が四分の一を切ると、魔力切れの独特の浮遊感に襲われて思わず頭が揺れる。

「ノエル、休憩していいよ。闇魔法は一番改良が出来てないから、消費が激しい」

 体調の変化に気づいたユーグに指示を受けて、一度試用の場から離脱する。液状の回復薬を飲みながら、岩に寄りかかってクロードとジルの試用を眺める。 
 大きな雷鳴を伴う竜巻が放たれると、クロードの結界が抵抗する間もなく破壊された。そして、ジルが慌てたようにこちらに駆けてくる。 

「今のは凄い魔法でした! 流石にジルも休憩ですか?」

「従者が私の本業です。大切な方が下がれば、お側に戻らせて頂きます。少し顔色が良くありませんね。しっかり休んでください」

 私の額の汗を拭いながら心配そうに覗き込むと、ジャケットを脱いで座る様に促す。

「大丈夫です。地面に直接座ります!」

「岩場は固いので疲れが取れません。余り遠慮なさると、抱えて無理に座って頂く事になりますよ?」

 笑顔で強要するのは、父上の従者のクレイにそっくりだ。諦めてジャケットの端に腰を降ろすと、長い腕が膝と背中に伸びてジャケットの真ん中に強制移動させられてしまう。

「……ジルはやっぱりクレイに似てきました」

「クレイは私の教育担当でございますからね」

 側に膝をついて少し満足げにジルが笑う。誰かの事を話す時は、今みたいに少し満足げな穏やかな顔を見せてくれる。ちゃんと他の居場所や周りの人を大切に思う気持ちはジルにもある。私の為に全てを我慢してくれているだけなのだ。

「一緒に皆を守って下さい。たくさん守る為に、ジルも術式を覚える良い機会です。ユーグの液状薬も飲んでおいて下さい」

「私は錠剤の方で結構です。改良が進んだ術式でしたから、まだ余裕がございます」

 手渡そうとした液状薬を丁重に辞退して、ジルは錠剤に手を伸ばす。
 ジルは中規模崩落の時もギデオンと同じぐらいの魔法を連発して、上位どころかトップクラスにも引けをとらない力量を見せていた。

「ジルは魔力がとても多いですよね? 私やディエリと同じぐらいある気がします」

 魔力量を決めるのは、基本は血脈と環境だ。上位以上なら一族の魔力が既に高く、更に住まいが属性に有利な土壌の事が多い。
 魔力が見出される庶民は環境依存が多いが、ルナ以外で上位以上は殆ど聞かない。

「大切な方に褒めて頂けるのは、とても嬉しいです」

 いつも通りの笑顔なのに、急に言葉を意識して思わず俯く。向けられた気持ちに気づいてしまってから、戸惑う事は増えていた。以前と何一つ変わらないのに、時折どんな顔を向けていいか分からなくなる。

「まだ、気分が優れませんか? こちらなら、連用が可能ですのでお飲みください」

 私の戸惑いに気づかずに、錠剤の一つを口元に寄せる。慣れた手が運ぶと、自然と口を開いてしまうのは小さい頃からお世話をされてきた条件反射だ。
 錠剤を私の口に運んで唇に触れた指を、ジルが自分の唇に当てる。

「ちゃんとよく噛んでくださいませ。その方が吸収が早いそうです」

 軽く自分の唇を叩いて、私に口を動かすように促す。表情一つ変わらないから、ジルにとってはただそれだけの行動。なのに私は、唇に触れた後に愛しげに自分の唇に触れるアレックス王子が重なって恥ずかしくなる。

「ジル、外で子ども扱いは止めて下さい。人に見られたら恥ずかしいです」

 僅かに火照る頬に理由を付けて睨むと、ジルが謝罪を示すように小さく礼を取る。

 ジルとアレックス王子は全然違う。全身で私への愛情を教えてくれるアレックス王子、普段と全く変わらず時折しか想いを見せないジル。

 じっと見つめる私の視線を、最初の問いの催促と受け止めたジルが再び口を開く。

「私の魔力が多いのは、偶然です。稀に生まれつき高い子もおりますでしょう? 後は、あまり知られていませんが、旅をすること自体が僅かですが風の属性の恩恵を受ける事に繋がるんです」

「微妙に納得いきません。それでも多すぎです」

「見知らぬ国の王族。戯れに貴族が生した子。シュレッサーの謎の薬の被験者。魔物。神。謎に理由はいくらでも付けられます。どんな可能性も、私を私にしか致しません……。なれるなら、子供の頃は蝶になりたかったんです。母が蝶を見ると幸せそうに笑ったから」

 大人の笑顔をジルが浮かべて優雅に手を捻る。伝達魔法の蝶が現れて、ジルの細い指の上で本物みたいに美しい羽根を広げた。
 顔の前に差し出された蝶にそっと手を伸ばす。形あっても魔力だから、指が蝶を通り抜けると弾ける様に姿は消えてしまう。

「今も蝶になりたいですか?」

 笑いかけた瞳が、私しか知らない色に変わる。知らぬ振りをすると決めたから、甘い色に気付かない振りをして微笑み返す。

「今は貴方の従者でいたいです。それ以上を望む……つもりはありません」

 冗談の言葉は真実に触れている気がする。旅芸人の歴史と私だけが知るジルの魔力印の王冠。誰も答える事ができない古い歴史の可能性。

「ジルは謎のどれかを望む事はありますか?」

 煌びやかな旅芸人のルーツである亡国。艶やかな色彩と金細工に飾られた服に身を包むジルが、王冠を被る姿はとても美しいと思う。踊り子だったジルの母もドレスに身を包めばきっと美しく映えたはずだ。

「望んでも何一つ私の人生は変わりません」

 寂し気な笑顔を浮かべてジルが答える。
 遠い昔に滅びた国の可能性が、誰かの人生を変える事も救う事もない。胸の王冠を目にした時、ジルは何を思っただろうか。可能性の境遇と置かれた境遇の差はあまりに残酷だ。

「でも、今は風鞠になりたいです。せめて誰かの為に漂うのは楽しいでしょうから」
 
 ぽつりと呟いた時には、ジルは立ちあがってしまっていて表情が見えなかった。今にも何処かに行ってしまう気がして、追うように立ち上がってベストの裾を引く。

「飛んで行ってしまうのは嫌ですよ? ……魔力が回復したので戻りましょう。また、ジルも協力して下さいね」

 戻ろうと踏み出した途端、こちらに向かってくる堂々とした人影を見つける。不遜な顔で真っすぐ向かってるから、私に用があるのだろう。
 近づいて目が合うと舌打ちをされる。その態度には全力の笑顔でお返しをする。

「久しぶりです、ディエリ。私がいなくて困りませんでしたか?」

「二度と返ってくるなと言ったはずだ」

 底冷えするような声で返すと、止まることなく荒々しく私の腕を掴んで引いていく。

「人を寄せ付けるな。ノエル、お前の従者にも人払いを命じろ」

 ジルを見れば心得たように一礼が帰ってきて、デイエリの従者と共に周囲に目を配り始める。
 演習場の敷地ギリギリまで移動して、すぐにディエリが術式を書くと黄色い波紋が私達を包んだ。

「防音結界とは、随分念入りですね」

 言葉と同時にディエリが更に一歩進み出て身を寄せる。ぶつかるほどではないが、ディエリの陰に私がしっかり納まる程近い。

「念入りついでだ。動くなよ」

 この位置ならディエリの陰になって、私の口元は演習場の中から見えない。外に向いているディエリは僅かに顔を下げただけで、外に向けて隠す意志はないようだ。

「警戒先は中ですね? 口元を読める人物は、学園にいないと思いますが?」

「生徒にはな。面白い事をする人物が身近にならいるだろう?」

 眉をひそめた私に嘲笑うような笑いをディエリが漏らす。それから、表情を引き締めて口を開く。

「帰港の帆を上げるのは明晩だ」

 帰港、それはバスティア公爵家が支持派として身の証を立てる動きを起こす事を意味する。
 
「お土産は見つかりましたか?」

 提供した情報を利用したなら、バスティア公爵家はジルベール・ラヴェルの身柄を狙っていた筈だ。

「土産は変えた」

「まさかバスティア公爵家が獲物を逃したんですか?」

 間髪入れずに煽った言葉は、ディエリを崩せなかった。相変わらず憎らしいぐらい冷静で、駆け引きが好きな男だと思う。

「先に潰す必要がある事態が起きた。それだけだ」

「先に?」

 ディエリが無言で獲物を追い込むのを楽しむように、僅かに唇の端を上げて見せる。私が知りたいと言うのを待ってるのが分かるから、表情を消して土産の正体を考える。
 
「黒街、オーリック辺境伯領、ベッケル公爵領……バスティア公爵家で追えない場所」

「追えない場所はない。事態を優先したと言ったぞ。聞きたいなら、可愛くねだってみろ」

 酷薄そうな眼差しで、挑むように言った言葉には首を振る。バスティア公爵家の命運をかけるような大事を、本当に部外者に漏らすほどディエリは甘くない。ねだり損は御免だ。

「いいえ。私はディエリの判断を信用してますから。活躍の一報を楽しみに待ちます」

 バスティア公爵家が動けば、すぐに国政管理室が情報を集めるだろう。お菓子を持って情報収取に向かえば、起こった事態に関しては少し遅れてだが手に入る。

「つまらん回答だ」

「ところで、デザートは用意できましたか?」

 ディエリが鼻で笑って、更に念入りに口元を隠すように私の頬に触れる。

「用意の必要はあるのか?」

「助言の結果でしょう? きっちり頂きたいですね。でなければ二度と取引ができません」

 バスティアの掴んだ内容が分からない以上、助言の価値は図れない。だが、話した以上は報酬はきっちり請求させてもらう。
 ややきつい眼差しを向けて、ディエリが値踏みするように私の頬を二度三度と叩く。それから、胸元から一枚の紙を取り出して、私の胸元に滑り込ませる。

「約束のリストだ。黒街に出入りしている支持派の名前が書いてある。使うなら明晩以降にしろ」

「わかりました。その点はお約束します」

「それから、従者の手綱をしっかりと握っておけ。でなければ、こちらの船に乗せる事になるぞ」

 怜悧な顔をディエリが楽しげに歪ませる。その表情に、平静を保っていた自分が眉を顰めていた事に気付く。

「手駒に勝手をされたか? あの男は何者だ? 見た目を変えて、手慣れた様子でジルベールの事を嗅ぎまわっていたぞ。優秀だとは思っていたが、得体が知れない怖さがある」

「黒街に出入りしている事は、ちゃんと気づいていました。私の従者ですが、雇い主は未だに父です。多分そちらで何か頼まれているのでしょう」
 
 ディエリ相手に主張する必要のない事まで言う自分は、何に焦っているのだろう。
 黒街に続く道で見知らぬ女の耳元に顔を埋めたジルの背中。嘘は言わぬといいながら、抱えた秘密を教えてくれる気配はない。
 ペースが乱れる自分に焦れて、唇を僅かに噛んで息を吐く。ディエリが緑の瞳を細めて、私の頬を満足げに撫でる。
 
「ペースを乱す貴様を見るのは快感を覚える。親狸の線はない。深いところまで踏み込んでいたのに、国政管理室が動く様子はない」

 信じて欲しいと私に願ったジルに、疑いを持って秘密を暴く事は、ジルを失う危うさをはらんでいる気がする。必要と言われるまで、手を伸ばす準備をして待つと決めた。だから、信じて聞かない。
 そう心を確認し直して、乱れたペースを立て直す為に浅い呼吸を数度繰り返す。

「ご忠告、感謝します。ならば、ジルが動くのは私の為でしょう。従者は主の為に無茶をするのは当然ですからね。巻き込まれないよう主として注意しましょう」

 完全に表情を消した私を不満げに見下ろすと、ディエリの手が私の首に伸びた。

「その信頼に寝首を掻かれるなよ。貴様の首を落とすのは俺だ」

「楽しみにしていますが、落とす前に私が落とします」
 
 首を傾げてから、その手を払う。デイエリの影から出れば、変わらない人が優しく笑う。
 今までのジルと最近のジル。変わらない顔と見知らぬ顔。考えれば考える程、信じる心に不安が墨のように模様を描く。でも、ジルは絶対大丈夫なんた。理由なんて無くても、私は信じられる。そう何度も言い聞かせるように、変わらぬ人を見つめて唱えた。
 

 その日の残り時間は、クロード、ユーグ、ドニ、ディエリにジルを交えて術式の試用に取り組んだ。ユーグが闇属性の改善に付きっ切りで取り組んでくれたおかげで、他の属性との差が少しは縮まった。でも、まだ差はあって早めに追いつかないとディエリに首を落とされかねない。


 帰宅した後、魔力を酷使して疲れた体をベッドに横たえる。バスティアが動くまでの今日と明日の晩のジルをどうするか。
 寝る前にジルがお茶を持ってきてくれるから、それまでに何か考えなくてはいけない。

 一晩かかる仕事を頼む。私が寝ない。疲れてぼんやりとする頭には、そんな事しか浮かばない。
 一回転して俯せになる。柔らかいベッドのシーツはジルと似て陽だまりみたいな香りがする。

 側に居すぎたから、嘘は全て見抜かれる気がしたし、酷い嘘はつく気にも慣れない。溜息を吐いて、僅かに目を閉じる。多分もうすぐ、ノックの音が聞こえる筈だった。

 ふと、意識が戻った時には部屋は真っ暗だった。
 慌てて飛び起きた体にはちゃんとケットが掛けられている。

「ジル!」
 
 大きな声を上げても静かなのは、使用人達すら寝静まった時刻だからだ。
 伝達魔法を使おうとして止める。ジルが寝ていたら伝達魔法は意味がない。黒街に行ってしまってたら、私の魔法がジルの身を危険にさらす可能性もある。

 今はどこにいるのか、慌てて使用人の居住地区に向かって走る。
 深夜の足音は思った以上によく響く。誰かを起こしてしまわないようにと思うのに、焦る足音はなかなか小さくならなかった。
 ジルの部屋の前に辿り着くと、他の部屋と同じで明かりも落ちて物音もない。小さくノックしてドアノブを回せば、鍵は掛かっていなかった。

「ジル、起きてますか?」

 恐る恐る開いたドアに身を滑らせて、ジルのベッドに向かう。ケットを上げれば中はもぬけの殻だ。

 ディエリは今日の夜から動かすなと言った。決行は明日でも動きは始まっている可能性ががある。私が手を伸ばせなかった所為で、ジルが巻き込まれたらどうしよう。そう思うと、思わず涙ぐみそうになる。

「んっぅ!」

 口の中が何かに支配されて、足を払われる。膝を着いたと同時に誰かの足が自分の膝の後ろを抑えて、腕が背中に捩じり上げられた。
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