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第30話 七つの大罪『色欲』3

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 それでも、記憶にあるレジーナの言葉は止まらない。

『ノアさんが生まれてきたのは、幸せになるためだよ。そのためにノアさんのお母さんが、命懸けでノアさんを産んでくれた。ノアさんが幸せになることが、お母さんへの一番の恩返しだよ』
(……やめて)
『ノアさんが幸せになれる道を一緒に探そう? 絶対にあるよ』
(お願いだから、やめて)

 幸せになんてならなくてもいい。そんなことは望まない。――だって。

(幸せなんて、いつか絶対に崩れ落ちる)

 父が母を亡くしたように、幸せは一瞬にして消え去ってしまう。幸せとは薄氷の上に成り立っているようなものだ。
 いつか失われるのだったら、初めから幸せなんていらない。

《そうやって心に蓋をして、自分を押し殺して生きていて、楽しい?》
(え?)

 思い出しているレジーナの声とは違う、脳内に直接響く声にノアはぱっと目を開けた。すると、同時に男性達に押し倒されたところで、体をまさぐるいやらしい手にノアは体を硬直させた。
 幸せなんて、自分のことなんて、どうでもいいと思っていた。けれど、いざ乱暴されそうになると、怖くて仕方ない。
 恐怖で顔を引き攣らせるノアへ、レジーナは檻の中から叫んだ。

「ノアさん! 諦めないで! ニール君がきっと助けに来てくれるよ!」
「ニー、ルが……? ――え!?」

 レジーナはきっと励ますためにニールの名前を出しただけだろう。けれど、もし本当にニールが来たらと思いを巡らせたノアは、ひどく動揺した。
 だってそうだろう。他の男に乱暴されるところなんて好きな人に見られたくはない。そんなことになったら、ニールと顔を合わせられない。いや、というか――。

《――それが君の本心か》

 一迅の風が吹く。
 ノアは気付いたら暗闇の世界で黒豹と向かい合うように立っており、周りに誰もいなくなったことを訝しんだ。

「シトリー……?」
《一時的に精神世界へ呼んだ。それよりも、やっと素直になったね》
「僕は別に……」
《それでいい。その欲望を食らってこそ、僕は君に力を貸すことができる。さあ、君は本当はニールにどうされたい?》

 促すように問う黒豹に、ノアはぽつりと呟いた。

「…………たい」
《ん?》
「愛されたいよ。僕を全身で愛してほしい……!」

 たとえそれが、束の間の時間であっても。
 たとえそれが、いつかは終わる幸せであっても。
 ただただ、全身全霊でニールと愛し合いたい。繋がりたい。
 そう封じ込めていた本心を吐露した瞬間、

《契約完了だ。君の色欲と引き換えに力を与えよう。試しに詠唱してみるといい》

 ノアはそっと目を閉じる。そして頭に浮かぶ言葉を詠唱した。

「……水の精霊力よ。精霊と契約を結びし我に従え。――【渦潮】」

 詠唱が終わるのとともに再び目を開いたノアの視界はぱっと切り替わり、現実世界へと戻ってきていた。すると一瞬後、激しい水流がノアを取り囲んでいた男性達を飲み込み、洞穴の外へと押し流した。
 すると不思議と水流は消えたが、摩訶不思議な現象に恐れおののいた男性達に洞穴へ戻るという選択肢はなく、「ひいいいっ」と声を上げてみな逃げ出そうとする。……ところを。

「逃がすか! 火の精霊力よ。精霊と契約を結びし我に従え。――【炎壁包陣】」

 灼熱の炎がどこからともなく出現し、壁となって男性達を取り囲む。

「うわっ!?」
「な、なんだ、この火!?」

 男性達はぎょっとして足を止め、

「クーちゃん、ナイス。――【夢見胡蝶】」

 白い光を帯びた蝶が逃げ場を失くした男性達の頭上を通過すると、男性達は次々とその場に倒れていった。光の精霊術により強制的に眠りについたのだ。
 クリフとダグラスを乗せた黒犬は洞穴の前に下り立ち、黒犬から下りたクリフは急いで洞穴の中へと駆け出していく。

「レジーナ! ノア! 無事ですか!?」
「お兄ちゃん!」

 応えるように妹の声が奥から聞こえて、クリフは檻の前まで走った。すると、十数人の女性の中に妹の姿を見つけ、ひとまず妹が無事なことにクリフはほっとした。

「よかった……ノアは?」
「ノアさんならあっちだよ」

 鉄格子越しに顎で指し示したレジーナの顔は気遣わしげだ。どうしてノアだけ檻の外なんだと疑問に思いつつ、クリフは指し示された方向を振り向く。すると、そこにはびりびりに服を破かれたノアが、自身を抱き締めるようにして座って体を震わせていた。

「ノア! 大丈夫ですか!」

 慌てて駆け寄ったクリフは、ふと気付いた。ノアの胸元に僅かだが膨らみがある。それは男性ならばあるはずのないもので……クリフは悟ったような顔をして上着を脱ぎ、ノアの肩にそっとかけた。

「私の上着を着なさい。風邪を引きますよ」
「……う、ん」
「おーい、クーちゃん。檻の鍵を取り返してきたよん」

 ダグラスの声だ。すぐに洞穴の中に入らなかったのは、眠りについた男性達から檻の鍵を奪うためだったらしい。
 洞穴の中に入ってきたダグラスは、レジーナ達が閉じ込められている檻の鍵を開けた。すぐに檻の中から出たレジーナとは裏腹に、他の被害者の女性達は警戒しているのか檻の中から動かなかい。けれど、ダグラスが「精霊騎士団の者です。みなさんを救出にきました」と説明するとみな安堵した顔を浮かべて、檻の中からぞろぞろと出てきた。
 レジーナ達の両手首を拘束している縄を、クリフとダグラスは剣の切っ先で断ち斬る。ようやく自由の身となったレジーナ達は、クリフ達へ口々にお礼を述べた。

「お兄ちゃん、ダグラスさん、助けに来てくれてありがとう」
「お礼を言われることじゃありません。妹を助けに行くのは当然でしょう」
「そうそう、ともかく無事でよかったよ~。お嬢さん方も、ご無事で何よりです。すぐに王都までお送りしますので」

 ということで、ダグラスは荷馬車を使って被害者の女性達を王都へ送ることになった。そして治安を司る王立騎士団に事件について報告し、人攫いの男性達を捕まえてもらえるように手配しておくとのこと。

「じゃあまた後でね、クーちゃん。……ノア、怖かったね。よく頑張った」

 地面に座ったままで俯いているノアの頭を、ダグラスはぽんぽんと優しく叩いてそう声をかけてから、被害者の女性達を引き連れて洞穴を出て行った。
 残されたレジーナ達三人は、しばらく洞穴の中にとどまった。ノアの精神が落ち着くのを待つためだ。

(っていうか、私達も荷馬車で帰ればよかったんじゃないのかなあ?)

 実際、レジーナはダグラスにそう言ったのだが、ダグラスは「八虹隊は八虹隊同士で帰ろう」と答えて、提案を却下された。ダグラスの言葉を聞いたクリフも、何かを察したような顔をして同意したものだから、よく分からない。
 そうして重苦しい沈黙が下りる中、

「レジーナ!」

 と、聞き慣れた声が洞穴内に響いた。レジーナは信じ難い思いだった。

(アルヴィン君の声……?)

 まさか、駆けつけてくれたのか。
 そして現れたのはアルヴィンだけではなかった。ニール、チェルシーの二人も、洞穴の中へと駆け込んでくる。

「アルヴィン君、チェルシーちゃん、ニール君!」
「レジーナ、無事……」
「レジーナ! あんた、大丈夫!?」

 アルヴィンをどんっと押し退けてレジーナの下へいち早く駆け寄ってきたのはチェルシーだ。そのことにアルヴィンは苦笑しつつも、アルヴィンもまたレジーナの傍にやって来た。

「無事か、レジーナ」
「うん。駆けつけてくれてありがとう」

 兄妹を安堵させるようにレジーナはふわりと笑う。至っていつも通りのレジーナの笑みに兄妹はほっとした顔になり、「よかったよ」とアルヴィンは応え、チェルシーは「し、心配させるんじゃないわよ」とぷいとそっぽ向く。
 ほんの一晩の出来事であったが、チェルシーのツンデレがなんだかとても懐かしく感じる。レジーナは「あはは、ごめんね」と返しておいた。
 そしてニールはというと、ノアの下へ駆け寄っていた。

「ノア! 大丈夫か!?」
「……ニール」

 目の前に片膝をついたニールをノアは憔悴した顔で見上げ、ニールが傍にいるという安堵感からかもしれない。その瞳からポロポロと涙をこぼした。

「どうした、何かされたのか!?」
「ううっ……」
「もう大丈夫だ。俺がついてるから」

 ノアの頭を宥めるように優しく撫でるニールの体に、ノアはしがみついた。ノアがそんなことをするのは初めてのことで、ニールは目を丸くしつつも受け入れる。

(ん? 何か柔らかいものが当たってるような……?)

 一体なんだろうと思いながらも、今はそれどころではないので、ニールはそのことについて触れなかった。
 泣きじゃくるノアの背中を擦りつつ、

「駆けつけるのが遅くなってごめんな」

 と、ニールはぽつりと言葉を落とした……。

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