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第28話 モルガナイトの想い1
しおりを挟むイアンのマイに抱いた第一印象は、ちっこい奴。神学校で関わりを持つようになってからは、妹みたいな存在だった。なんとなく、放っておけないというか。
それがいつしか、異性として見るようになって、気付けばマイのことを目で追うようになった。底抜けな明るさが眩しく、朗らかなところに癒やされて、素直さを尊敬し、いつも一生懸命なところが愛おしくて。
マイの監視役に任命された時は正直面倒だなと思ったものだが、この一年で聖石店『クロスリー』へ通うのも楽しく思うようになっていた。
叶うならずっと傍にいられたらいいと思う。けれど、そんな願いはある日の上司の一言で粉々に打ち砕かれた。
「イアン、マイ・クロスリーの見守り役はもういいよ」
「え?」
「もう一年だ。あれから問題は起こしていないようだし、『クロスリー』へ通うのは今日で終わりにしていい。いや、今日も別れの挨拶だけしてきてその後は教会へ来なさい」
突然の言葉にイアンは咄嗟に何も言えなかった。聖石店『クロスリー』へもう通わなくてもいい。やっと解放される、と任命された当時なら大喜びだったことだろう。けれど、マイのことが好きだと自覚した今は。
(もうあいつと毎日のように顔を合わせることはなくなるのか……寂しくなるな)
それでも、教会勤めが祓魔騎士であるイアンの本来のあるべき形だ。まあ、二度と会えなくなるわけではないのだし、と沈着さを取り戻したイアンは「分かりました」と上司に返した。
その返事に満足げに頷いた上司は、さらに続けた。
「それでな、イアン。実は――」
「よし、オッケー」
聖石店『クロスリー』。いつものように木製の看板を『CLOSE』から『OPEN』へとひっくり返したマイは、さわさわと吹く春風に黒髪を揺らす。
(一人で経営するようになってからもう一年かあ……お師匠様は元気にしてるかな。っていうか、どこにいるんだろう)
旅に出ると書き置きしていたが、他国にでも行ったのだろうか。まあ、ともかくオーレリアがいなくても店を存続できていることにほっとする。オーレリアが戻って来た時に店を潰しちゃいました、と出迎えるのは申し訳なさすぎる。
もっとも、店を潰されたくないのなら最初から新人に店を任せるな、とも苦言を呈したいところだけれども。
そんなことを考えながら店内に戻ってカウンターの席に座ると、ほどなくしてイアンが店に顔を出した。その表情はなんとなく暗く、いつもの仏頂面とは違う。
「おはよう、イアン君。どうしたの? なんか元気ないみたいだけど」
「……ちょっとな。それよりクロスリー、俺はもうお役目御免だ」
「へ?」
お役目御免ってなんのことだと首を傾げるマイに、イアンは「忘れたのか?」と少々呆れた顔をして言った。
「お前の監視役のことだ。あれから一年、お前は特に問題を起こしていない。だから、もう監視役は不要だと上司に言われた。というわけで、俺はもうこの店には通わない」
「え……」
「紅茶もまともに淹れられるようになったし、店の経営にも慣れた。俺としても、安心してこの店を離れられる。お互い仕事を頑張ろう」
「いなく……なっちゃうの?」
この一年でイアンが傍にいることが当たり前になっていた。ゆえにもう通わないという言葉は衝撃的で――いや、いつかは別れる日が来るとは分かっていたが――、まだ心の準備ができていなかったため、マイは信じ難い気持ちだった。
「イ、イアン君の勤務する教会ってどこ?」
「ラジラエール教会だ。ここからはちょっと遠いな」
「それでも遊びに行くから!」
「仕事中に遊びに来られても困る」
じゃあどこに住んでいるの、とまでは訊けなかった。マイとイアンの関係は友人というのは違うような気がして、そこまで踏み込んだ質問はできない。
「わ、私は仕事中でも遊びに来ていいよ! だから……たまには遊びに来てよ」
しゅんとして言うマイに、イアンの返答は「そんな暇があったらな」と素っ気ないものだった。どうやらイアンはマイと離れても、ちっとも寂しくないようだ。
(イアン君と今まで通りには会えなくなる……)
そう考えると、マイはやはり寂しい。一人になるのが心細いというよりは……なんというか、イアンと一緒にいられなくなることが悲しい。思っていた以上にイアンを頼りにしていたのかもしれないとマイは気付いた。
「じゃあ、俺は教会に戻る。今日は別れの挨拶をしに来ただけだから」
「うん……今までありがとう」
外へ出ようとするイアンを見送るべく、マイが席を立った時だった。イアンは扉の前で足を止めてマイに背を向けたまま、口を開いた。
「なあ、クロスリー」
「どうしたの?」
「好きだ」
「え?」
あまりにさらりと言うものだから、マイは『好き』の意味を推し量りかねた。好きって人として好きという意味だろうか、それとも――。
「えーっと、私もイアン君のことが好きだよ……?」
てっきり前者の意味だと思ってそう返すマイに、イアンは小さく笑った。
「だよな。お前ならそう言うと思った。脈なしなのがよく分かった。忘れてくれ」
イアンはそう言って、扉を開けて外へ出て行く。外まで見送るつもりだったマイだが、イアンの言葉に固まってしまっていた。
(脈なしって……え?)
いかに恋愛経験のないマイでもその意味くらいは分かる。まさか、という思いだが、間違いない。
(私……告白された、の?)
マイの返答が脈なしだと感じたということは、そういうことだろう。イアンに好意を持たれていたなんて全然気が付かなかった。なんて残酷な返答をしてしまったのだろう。
(イアン君が、私を好き……)
マイはどうだ。イアンのことを異性として好きだろうか。それはこれまで誰かを好きになったことのないマイにとっては、難しい自問だった。
確かにイアンのことは好きだ。頼りになるし、面倒見もよくて、不愛想だけれどなんだかんだ優しい。そのことはこの一年間でよく分かっている。
(私、は……)
しばらくその場で悩むマイだったが、一人で考えていても答えを導き出せそうにない、と悟って店を出た。木製の表札を『OPEN』から『CLOSE』へとひっくり返して街路を歩く。もうイアンの姿は見当たらなかったが、イアンを追うことが目的ではないので構わない。
急遽店を休んでマイが向かった先は、シェリルが働く服飾店『エイマーズ』だった。
「いらっしゃいませ。……って、マイさんじゃないですか。また遊びに来てくれたんですか?」
「えっと、その、ちょっとシェリルさんに相談がありまして……」
「相談、ですか?」
シェリルは目をぱちくりさせた後、「ちょっと待っていて下さいね」と微笑んで奥へ下がっていった。
ほどなくして戻って来た時には、いつもの聖石ペンダントとは違う聖石ペンダントを身に付けており、「さて、行きましょうか」と外へ出るように促した。どうやらカイルを店に置いて、二人で話そうという配慮をしてくれたらしい。
「すみません、気を遣わせてしまって」
「いいんです。以前、マイさんには相談に乗ってもらいましたから」
というわけで、マイとシェリルは喫茶店に行くことにした。会うのは久しぶりなので道中は互いの近況を話しながら、喫茶店へと赴く。
喫茶店に着いたらミルクティーを注文して受け取り、テラス席に二人は座った。互いにミルクティーを一口飲んでほっと息をついて、「おいしいですね」などと微笑み合う。
そして、シェリルはティーカップをテーブルに置いて話を切り出した。
「それで、相談というのは?」
「あの……実は知り合いから告白されたんですけど、私はその知り合いが好きなのかどうか分からなくて。だからシェリルさんの経験談をお聞きしたいなあ、と」
シェリルはカイルと恋仲だ。いや、もう事実婚していると言ってもいいかもしれない。ともかく、そんなシェリルのアドバイスを聞きたくてマイは彼女の下を訪れたのである。
シェリルは真剣な顔をして考え込んだ。
「経験談、ですか。そうですねえ、私はカイルのことを好きかどうか迷ったことがありませんので……参考になるかは分かりませんが。カイルのことを好きだと思ったのは、私にとって必要な存在だと感じたからです」
「必要な存在……?」
「はい。特別な存在と言えばいいんでしょうか。他の人とは違う、どうしてもずっと傍にいたいと思うような、そしてそれが幸せだと感じることが私の思う『好き』です。マイさんはその知人の方をどう思うんですか?」
「私は……その知り合いと今まで毎日のように会っていたんですけど、もうなかなか会うことができなくなることを知って、寂しいとは思いました。でもそれは相手が友人だとしても、同じように思うんじゃないかなあって」
「ということは、マイさんはその知人の方は友人とは違うと思っているんですね」
シェリルにそう確認されて、マイはなんだか妙な気持ちになった。一年も一緒にいたのにイアンとは友人ですらないのか、と改めて不思議に思う。
「そう、ですね。なんとなく、友人とは違う気がして……仕事上の付き合いだけだったからでしょうか」
「その可能性はあるかもしれません。でも、私は無意識にでもその知人の方を異性として意識しているのではないかと思います。だから、友人とは違う気がするんじゃないかと」
イアンのことを異性として意識している。それには虚を突かれた。確かにイアンは立派な成人男性だし、頼りにしていた節はある。
「でも、一緒にいて胸がドキドキするとかないですけど……」
「それなら私もそうです。兄妹のように育って家族同然だからかもしれませんが。胸がドキドキするようなことだけが恋とは思いません。ときめきは少ないけど、一緒にいると安らぐ。そんな穏やかな恋もあるんじゃないでしょうか」
シェリルはそう言ってから、こうも付け加えた。
「あ、だからといってマイさんがその知人の方に恋をしている、と断言しているわけじゃありません。本当にどうも思っていないのかもしれないですし……私の話は一意見として参考にしていただけたら」
「はい。ありがとうございます」
その後はミルクティーを飲みつつ、少し他愛のない話をしてからシェリルと別れた。ちなみにシェリルはカイルと上手くやっているようだ。客が幸せそうなのは、喜ばしい。
(シェリルさんのお話は参考になったけど……イアン君のことが好きかどうかはやっぱりまだ分からないな……)
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