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第26話 ガーデンクォーツの悲哀5
しおりを挟む悪魔化した者は、例えまだ人々に害を為していなくとも、そうなる前に討伐するのが鉄則。
(そんな……殺す、しかないの?)
母親のために養父からの虐待に一人耐えていた、唯一の味方であった子竜を幸せになってほしいがために手放した、そんな心優しい女児のことを。
その場に立ち尽くすマイに、剣を抜いたイアンがぼそりと言った。
「今なら、あの時のお前の気持ちが分かる気がするよ」
「え?」
「アルバータさんの件で、リサイクル制度の申し出にすぐ応対できなかったことだ。……覚悟を決めていると思っていても、やっぱり胸が痛むな」
「待って、イアン君! まだ助ける方法が…っ……」
「ない。悪魔化したら討伐するしかない」
そんな二人の下へ、デイナの母と養父も駆けつけた。頭から角が生え、体中から黒い光を放っているデイナを見て、「な、なんだ、こいつは!?」とデイナの養父は驚いた声を上げ、デイナの母は口元を押さえて「デイナ……?」と戸惑っているような声を漏らす。
しかしそんな夫婦には構わず、マイは一歩進み出た。
「私、デイナちゃんに話しかけてみる!」
悪魔化したデイナからの攻撃を警戒しながら、マイはゆっくりと彼女の傍に一歩ずつ近付いていく。
「デイナちゃん? ほら、コーリーちゃんを連れて来たよ」
「きゅう!」
腕に抱えていた子竜を前に突き出して、マイはデイナの心へと語りかける。
「ごめんね。すぐに助けられなくて。ずっと一人で耐えてきて、つらかったね、苦しかったね。でももう大丈夫。おねえさんがデイナちゃんのことを守るから」
「クククク、無駄だ。この娘の体は俺がもらった」
「黙りなさい。……デイナちゃん、悪魔なんかに負けないで。デイナちゃんなら悪魔に勝てるよ。だって、一人じゃない。コーリーちゃんがいる。私達がいる。だからお願い、戻ってきて……!」
悪魔化したデイナの前まで歩み寄ったマイは、膝をついてそっと彼女の小さな体を抱き締めた。「うう……」と苦しげに唸る声が悪魔化したデイナの口からこぼれる。
そして。
「マイ……おねえちゃん……?」
「そうだよ。昨日、お店に来てくれたよね。あの時、虐待を受けていることにすぐ気付いてあげられなくてごめんね」
「いい、の……だって、こうして助けに……来てくれた。ありが、とう……」
悪魔化したデイナは、穏やかに微笑む。その表情からも、マイの呼びかけに応えてくれた、そう思った。
けれど、喜んだのも束の間。
悪魔化したデイナはニィィと笑う。
「――なんてな」
「ぐ…っ……!?」
直後、腹部に激痛が走ってマイは顔を歪めた。つっと口から血が流れ落ちる。おそらく腹部を腕で貫通させられたのだと察した。それでも悪魔化したデイナを抱き締める腕を緩めないマイを、彼女は鬱陶しいと言わんばかりに突き飛ばす。
悪魔の腕力は人間のそれとは違う。吹き飛ぶように宙を舞ってから落下するマイを、イアンは「クロスリー!」と声を上げて慌てて受け止める。そして床に横たわらせて、すぐさま治癒術をマイの血だらけの腹部にかけた。
「おい! 大丈夫か!?」
「う……だい、じょうぶ」
眠気が襲ってこないわけでなかったが、寝ている場合ではない。マイは体を起こし、悪魔化したデイナを見つめた。そしてきつく唇を噛む。
(ダメだった……やっぱり、殺すしかないの?)
何か助ける方法はないのか。
殺す以外にデイナの体を解放する方法はないのか。
必死に考えるマイの耳に、ふと聞き覚えのない女性の声が届いた。
《ありがとうございました》
「え?」
《デイナのためにここまでして下さって。後は私に任せて下さい。……あの子が逝くのなら、私も一緒に逝きます》
そんな言葉が聞こえたかと思うと、子竜が悪魔化したデイナの下へ飛んで行った。何をする気なのかが分かったマイは手を伸ばす。
「待って! コーリーちゃん!」
《さようなら》
悪魔化したデイナの足元に白光の魔法陣が展開する。そこから柱のように眩い白い光が立ち上って悪魔化したデイナの姿を覆い隠す。
マイが首にかけていたデイナの聖石ペンダントから、ぴしりとひび割れる音が響いた。そして光が収束した時にはもう……そこに、デイナの姿も、子竜の姿もなく。
マイはその場に立ち尽くした。
「そんな……」
子竜が己の命を持って、悪魔化したデイナを討伐した。そういうことだった。
(どう、して……)
デイナが、子竜が、一体何をしたというのだ。何故、彼らがこんな目に遭わねばならなかった。こんな結末、あんまりだ。
しん、と静まり返った部屋で、デイナの母がおずおずと声をかけてきた。
「あの……デイナは、どうなったんでしょうか」
マイは彼女を振り返らないまま、静かに返した。
「……死にました。コーリーちゃんと一緒に」
「え……?」
そこへ、デイナの養父が口を挟む。
「死んだ? へえ、そりゃあよかった。厄介者がいなくなったな」
「な…っ……!?」
思わず振り返ったマイの目の前で、
「この最低野郎が!」
と、イアンが珍しく憤った顔でデイナの養父を殴り飛ばした。壁に叩きつけられて尻餅をついたデイナの養父は、「な、何しやがる!」と猛抗議だ。しかし帯剣している、そして自分より遥かに鍛えているであろうイアンの体つきを見て劣勢を悟ったのか、
「くそっ! 警吏騎士に言いつけてやる! 待ってやがれ!」
と、殴られた頬を押さえながら外へ出て行った。
一方のデイナの母は、へなへなとその場に座り込んだ。
「そんな……デイナ……」
まだ信じられないというような顔をしつつも、涙ぐむデイナの母。デイナの養父とは違って、娘の死を聞いてまるで平気というわけではないらしい。
だからこそ、マイは余計に怒りを隠せなかった。
「……どうして、デイナちゃんを助けてあげなかったんですか」
「え?」
「あなたの旦那さんからの虐待のことです。目の前でされることもあったんだから、気付いていましたよね? それなのに…っ……守ってあげられるのは母親であるあなたしかいなかったのに、どうして!」
母親とは子供を守る存在ではないのか。少なくとも、マイはそう思っている。
マイからの糾弾に、デイナの母はそっと目を伏せた。
「それは……だって、私に暴力が向いたらと思ったら、怖くて……」
「だったら、デイナちゃんを連れてこの家を出て行けばよかったじゃないですか! 大人のあなたが怖いと思うような虐待を、デイナちゃんはずっと一人で受けていたんですよ!? それもあなたのことを思って!」
「私、のこと……?」
「虐待のことを誰かに告げ口したら、母親と離婚する。デイナちゃんはそう脅されていました。だから、誰にも打ち明けられなかった。それは……あなたのことが好きだったから! あなたのことを信じていたから!」
「!」
「でも、あなたはその信頼を裏切った! あなたも旦那さんも人殺し同然だ! たとえ法に裁かれなくても、他の誰もあなた方を糾弾しないとしても!」
マイはそう言わずにはいられなかった。かつて、エイベルを見殺しにしたマイにそんなことを言う資格がないと分かっていても。
「……クロスリー。もう帰ろう」
ぽん、と肩にイアンの手が置かれてマイははっと我に返った。つい感情的になって声を荒げてしまった。かといって、謝罪する気にはなれないけれども。
イアンはいつものような冷静な声で、デイナの母に声をかけた。
「奥さん。この件については上層部に報告しますので、詳しい事情は改めて別の祓魔騎士が説明しに来ると思います。何か疑問がありましたら、そちらに訊いて下さい。……行くぞ、クロスリー」
「うん……」
部屋を出て行くマイとイアンを、デイナの母は引き止めたりはしなかった。ただ、すすり泣くような声だけが聞こえた。
それでもマイの心には冷ややかなものしかなかった。
(いまさら遅い)
もうデイナも子竜も戻ってこない。もう何もかも遅いのだ。
「クロスリー。これを上に着ろ。そんな血が付いた格好で外を歩いたら騒がれる」
「……ありがとう」
イアンから祓魔騎士の制服の上着を受け取り、マイは上に羽織ってボタンを閉める。一回りサイズが大きいが、血が付着した服で出歩くよりはマシだろう。
と、外へ出ようとしたところで。
「警吏騎士様! こいつです、俺を殴ったのは!」
デイナの養父が若い警吏騎士を連れてやって来たところだった。どうやら、本当に警吏騎士に泣きついたらしい。なんだかもう……怒りより呆れてしまう。
「って、アルバータさん? ベアトリスちゃんも」
警吏騎士の後ろにアルバータとベアトリスの姿を見つけて、マイは目を瞬かせた。どうして二人も一緒なのだろう。
イアンが警吏騎士から話を聞かれている間、マイはアルバータから事情を聞いた。
「警吏騎士に相談しに行くって言ったでしょう。それでベアトリスの案内でここに来る途中、あの男が暴力を受けたって声をかけてきたのよ。それで一緒に来たってわけ」
「そうだったんですか……」
「それで、デイナは? 無事なの?」
「………」
暗い顔をして押し黙るマイの様子から、アルバータは最悪の事態を察したのかもしれない。「ちょっと、まさか……」と顔を青ざめさせた。
「亡くなってた、とか……?」
「……正確にはちょっと違います。ついさっき、悪魔に憑りつかれて亡くなりました。コーリーちゃんと一緒に」
「それは……つらかったわね」
アルバータのその言葉に、マイはつい堪えていた思いを吐き出してしまった。
「私……また、救えなかった……また、見殺しにした…っ……」
「……マイ。何があったのか分からないけど、今は一緒に帰りましょう」
アルバータは優しくそう声をかけ、マイの震える肩を抱く。そのまま帰ろうとするマイ達を、警吏騎士が呼び止めた。
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マイは即答した。
「はい。因縁をつけてるだけです」
「お前ら……! 警吏騎士様、この二人はグルだ! 中にいる妻に話を聞いてくれれば、証言してくれます!」
デイナの養父がそう主張したため、警吏騎士は部屋の中にいるデイナの母に事情を伺ったのだが、
「……主人の妄言です」
と、小さい声だが、デイナの母は確かにそう言った。
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