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第25話 ガーデンクォーツの悲哀4
しおりを挟む「もうすぐ昼休憩に入るから、それまで待ってちょうだい」
そう言って、眷属を連れて店内へと戻ったアルバータが再びやって来た時には、イアンもマイの向かい側の席に座っていた。イアンもまた、人型の眷属を見つけられなかったらしく、現れた時は落胆を隠せないでいたが、アルバータの新たな眷属の話をしたら「本当か!?」と珍しく顔を輝かせていた。もっとも、今はいつもの仏頂面だが。
「お待たせ、マイ。あら、あなたは祓魔騎士の……ええと」
「イアンです」
「そう、イアンね。私はアルバータ。この子は眷属のベアトリスよ」
「こんにちは」
きちんと挨拶するベアトリスにマイは表情を和らげ、「こんにちは。私はマイだよ」と挨拶を返す。イアンも「俺はイアンだ」とベアトリスに名乗った。
アルバータはベアトリスを膝の上に乗せて席に座る。
「それで? ベアトリスの力が必要ってどういうこと?」
「ちょっと、この子……コーリーちゃんって言うんですけど、コーリーちゃんの言っていることをベアトリスちゃんに通訳してほしくて」
「通訳って……竜の言葉なんて分からないと思うけど」
「ダ、ダメ元でいいんですっ。試させて下さい」
「まあ、別にいいけど……変な話ね」
許可を得たところで、マイは子竜に伝えたいことを話すようまた促す。すると、子竜は「きゅう、きゅう」とベアトリスに向かって鳴き始めた。その声をベアトリスは不思議そうな顔をして聞いている。
この表情から察するに、またダメか――とマイは内心落胆したが。
「なんかむずかしくてよく分からないけど、たすけてほしいって言ってるよ」
「え?」
ベアトリスの言葉にマイは目をぱちくりとさせた。アルバータは驚いた顔をして。
「ベアトリス、分かるの?」
「うん。この子の言ってることをそのまま言うね。ええとね――」
ベアトリスから語られたことは、ひどく痛ましい話だった。
母親が再婚してから養父がデイナに暴力を振るうようになったこと、それを母親は見て見ぬふりをしていること、このことを誰かに話したら母親と離婚すると脅されているため、デイナは誰にも言えずに一人で耐えていること。
虐待を受けているのだ、と三人はすぐさま理解した。
(デイナちゃんがコーリーちゃんを手放したのは、自分を庇って怪我をするコーリーちゃんを守るためだったんだ!)
どこまで優しい子なのだろう、と思う。決して自分を助けてはくれない母親のためでも暴力に耐え、唯一の味方である子竜までをも幸せになってほしくて手放した。
「助けに行かなくちゃ!」
席から立ち上がったマイを、アルバータは冷静に制す。
「待ちなさい、マイ。虐待が事実なのであれば、まずは警吏騎士に相談した方がいいわ。あなたみたいな小娘が押しかけたところで、門前払いされるのがオチよ」
「でも、すぐにデイナちゃんを保護しないと……!」
「どうやって? 今日は街学校が休みだろうから家にいるでしょうけど、親の許可なく連れ出せば、拉致になるわ」
「俺達だけじゃ対処は難しい、か……」
難しい顔をして考え込むイアンと、同じく冷静に振る舞いながらも必死に解決策を考えているであろうアルバータ。この二人の言うことがきっと正解なのだろう。けれど、マイにはそんな二人がじれったく感じて、
「門前払いされてもいいから、とにかく一度デイナちゃんの家に行ってみる! もしかしたら、お母さんもお義父さんも家を空けてるかもしれないし!」
と、子竜に道案内を頼んでマイは駆け出した。「あ、おい!」と声を上げたイアンも慌てて追いかけてくるのを気配で感じる。
デイナの家へ向かう二人へ、アルバータは「私は警吏騎士に相談しに行くわ!」と大声で伝えるのだった。
「紅茶も満足に淹れられねえのか、お前は!」
ばしゃり、と淹れ立ての紅茶をデイナの服に投げかけられる。「あつっ」と反射的に言いかけたところをどうにか堪えたが、表情までは無表情を貫けなかったらしい。養父は「なんだ、その生意気な顔は!?」と怒鳴ってデイナを突き飛ばした。
相手は成人男性の力だ。よろめくだけでは済まず、デイナは派手に転んだ。しかし、痛みに呻くことさえも恐怖からできない。
無言で体を起こすと、胸のポケットからころん、と聖石が飛び出した。リサイクル制度を利用して子竜が宿っている聖石と交換した、新しい聖石だ。
(コーちゃん……)
こんな時、子竜だったら養父に噛みついて庇ってくれる。けれど、そんな心優しい子竜はもういない。これからはデイナ一人で耐えていくしかないのだ。
デイナは聖石を拾いながらちらりと母を見た。娘が目の前でこんな目に遭っていても、母は見て見ぬふりだ。もう母のことなんて切り捨てて、誰かに助けを求めるべきなのかもしれない。頭ではそう思う。
しかし、母にこれまで注いでもらった愛情が、母がまた以前のように戻ってくれるかもしれないという期待が、それだけはダメだと心に訴えかけてくる。
母のためなら耐えられる。ずっと、ずっと、そう思ってきた。
――けれど。
「お前はな、いらない存在なんだ! 生まれてこなきゃよかったんだよ! なあ!?」
デイナを罵る養父が同意を求めるように母に声をかける。
そんなことはない、と言ってほしかった。いや、さすがにきっとそう答えるだろうと無意識下で信じていた。……そう、信じていたかった。
それでも、現実というのは無情なもので。
「……ええ。そうね」
と、母は小さな声だったが、確かにそう言った。
その時、デイナの中で何かが崩れ落ちていくのを感じた。養父にはどれだけ罵られても構わない。けれど、母には、母だけには、デイナを否定してほしくなかった。
(私は……いらない子なの?)
この場に子竜がいたら、そんなことないよ、と傍で慰めてくれただろう。大好きな、大好きな、唯一の味方であった子竜。その子竜を……何故、手放すことになったのか。
(……こいつの、こいつらのせいだ)
これまで感じたことのない、何かどす黒いものが胸の内に生まれる。それは強く、激しく、心に燃え広がっていく。
そしてその時、ぴしりと何かがひび割れるような音が聞こえた気がした。
「うわっ!? なんだ、この獣!?」
気付いたら、デイナの前に狼のような漆黒の獣が二頭いて、母と養父に向かって唸り声を上げていた。
恐怖に引き攣った顔をする母と養父は、集合住宅(アパート)の部屋を飛び出していった。その後を漆黒の獣が追っていく。
その場に一人ぽつんと残されたデイナは、何が起きたのか理解できなかった。それでも目の前から母も養父もいなくなったことに心から安堵し、そして思う。
(コーちゃん……さびしいよ)
子竜の幸せのために手放したはずだった。子竜がいなくなったら寂しくなることなんて、初めから分かり切っていたことだ。覚悟していたはずだ。
けれど、それでもいざ現実になれば、心にぽっかりと穴が開いたようで。
強い喪失感を感じるデイナの耳に、
《――見ぃつけた》
と、おぞましい声が届いた。
「きゅう、きゅう」
デイナの家へと道案内をする子竜の後を、マイとイアンが追いかけていた時のことだ。
(ん!? 魔眷属の気配!?)
イアンも同様に気付いたらしい。二人は一旦足を止めた。
「イアン君、この気配……」
「ああ。ちょうど、俺達が進む道の先からだ。……嫌な予感がするな」
「とにかく、行こう!」
再び走り出したマイとイアンの耳に、ほどなくして「誰か助けてくれえええ!」という男性の切羽詰まったような声が聞こえたかと思うと、正面から三十代半ば頃だろうか。男女が魔眷属に追いかけられていて、必死に逃げているところと遭遇した。
「クロスリー! あの二人と魔眷属との間に聖壁は張れるか!?」
「大丈夫! 任せて!」
マイは立ち止まり、右手をかざした。すると、男女のすぐ目の前に白い光の聖壁が出現し、それは走る男女のことは通したが、二人を追いかけていた魔眷属のことは弾いた。
男女と魔眷属を引き剥がしたところで、剣を抜いたイアンが聖力を込めた聖剣で魔眷属を斬り伏せる。真っ二つに切り裂かれた二頭の魔眷属は、跡形もなく消滅した。
助かったと安堵したのだろう。息を乱しながらその場に座り込んだ男女の下へ、マイは駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……」
「ええ……助けてくれてありがとう」
マイはすぐさま二人の聖石を確認した。どちらも……ひび割れてはいない。ということは、魔眷属を生み出したのは彼らではない。
その時、
「きゅうううううう!」
と、子竜が鋭い牙を剥き出しにして男女に向かって唸った。その目は怒りに燃え上がっており、マイは子竜の言いたいことを察した。
(もしかして、この二人がデイナちゃんの親……?)
だとしたら、話を聞く必要があるだろう。怒りが込み上げてくるのを感じて拳を握り締めたが、まだそうと決まったわけではない。マイはとりあえず訊ねた。
「あの、すみません。お二人は、デイナちゃんのお母さんとお義父さんですか?」
「そうですけど……デイナのお知り合い?」
「はい。デイナちゃんのことでお話が……」
「――クロスリー。話は後だ。今はデイナの下へ急ぐぞ」
他に魔眷属がいないことを確認して剣を収めたイアンがやって来て、険しい顔をしてそう促す。
「え、でも……」
「この二人の聖石が割れていないということは、魔眷属を生み出したのはデイナの可能性が高い。ということは、デイナの聖石が割れているかもしれない。もし、悪魔に憑りつかれたら大変だ」
「ああっ、そっか!」
魔眷属を生み出したのがデイナの両親でないなら、他に魔眷属を生み出した人物がいるということだ。そしてそれは、イアンの言う通りデイナの可能性が高い。仮にそうでなくても、聖石が割れているであろう生みの主を探す方が聖職者として優先事項だ。
デイナの両親に怪我はない。とりあえず捨て置くことにして、マイとイアンは子竜の道案内でまた駆け出した。「あ、おい!」と後ろからデイナの養父の声が上がり、彼らもまた追いかけてくるのを感じる。
事情を聞きたいのか、あるいは彼らなりにデイナのことを心配しているのか、それとも勝手に家に上がられるのは嫌だと思ったのか――なんとなく、三番目の理由だろうか。
子竜に案内されたのは、集合住宅(アパート)の一室だった。玄関の扉が開けっぱなしだったので――デイナの両親が魔眷属に追いかけられて慌てて飛び出したからだろう――、マイは「お邪魔します!」と一応言ってから部屋に足を踏み入れた。
と、その瞬間。
(悪魔の気配!?)
マイは表情を強張らせて、急いでデイナの姿を探した。
「デイナちゃん! 大丈夫!?」
「クロスリー! こっちだ!」
イアンに呼ばれて向かった先には。
(嘘……でしょ?)
マイは愕然とした。というのも、完全に悪魔化したデイナが不敵な笑みを浮かべて立っていたからである。以前のアルバータの時のような、まだ悪魔を祓えるという段階ではもうない。
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