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第22話 ガーデンクォーツの悲哀1
しおりを挟むひとは変わる、ということをデイナは十歳で知った。
母は昔はああではなかった。母子家庭で貧しくとも、デイナに目一杯の愛情を注ぎ、たとえ家にいる時間が少なくても、デイナは愛されていないと感じたことは一度もない。寂しくなかったと言ったら嘘になるが、それでも母との暮らしは幸せだった。
そんな愛情深い母が変わってしまったのは……あの男と再婚してからだ。あの男と再婚してからこれまで以上に忙しく働き、その疲労からなのか、あるいはデイナが邪魔だと思っているのか、デイナにかける愛情は明らかに薄れた。
変わったと言えば、あの男もそう。再婚する前、つまり母と交際している時は優しく、真面目に働いている人だったが、再婚してから豹変してしまった。仕事を辞めて毎日家で酒を飲み、機嫌が悪ければデイナに暴力を振るう。そして母はそんな様子を見ても、決して助けてはくれない。
デイナの味方は、眷属であるコーリーだけだ。コーリーだけが、デイナの友達――。
「マズイんだよ、お前の作るメシは!」
デイナの作った野菜スープを一口飲んだ養父は、そう声を荒げてテーブルの上から皿を払い落とした。皿はひっくり返って、野菜スープが床に流れる。その際、飛沫がデイナの顔に飛んできて、デイナは顔を歪めた。なにせ、出来立ての野菜スープなので熱い。
声を出すのは我慢したが、その表情が養父の気に障ったようだ。
「なんだ、その生意気な目は!? 俺のやることに逆らう気か!?」
「……ごめんなさい」
デイナは目を伏せて謝ったものの、今日の養父は普段以上に虫の居所が悪いらしい。デイナの髪を掴んで引っ張り、浴室へと連れて行かれた。そんなデイナを、コーリーと名付けた眷属の子竜が翼を羽ばたかせて追いかける。
浴槽には水が張られていた。いや、正確には元々は湯が張られていたのだが、一晩経って冷めたのだ。どうやら母は掃除をしていくのを忘れて出勤したらしい。
「おら!」
たっぷりと冷たい水が入った浴槽の中へと、養父は力任せにデイナの頭を突っ込む。溺死させてはまずいという理性はあるのか、すぐにデイナの頭を持ち上げるが、それを何度も何度も繰り返されてデイナは息苦しかった。
「ごほ…っ……!」
「俺はな、コブ付きのお前の母親と結婚してやったんだ! もっと感謝しろ!」
水が冷たい。息が苦しい。
誰か、誰か、助けて――。
そう思った時、子竜が「きゅう!」と鳴き声を上げたのが聞こえた。そして、養父の腕に噛みついて、「いてえ!?」と痛みに顔を顰めた養父の手がデイナから離れる。ようやく解放された、と思ったら。
「この生意気な眷属が!」
「コーちゃん!」
なんと、怒った養父が子竜を壁に叩きつけた。子竜はずるずると床に落ちていく。
水を差されたことで興が削がれたのだろうか。養父は「ふん!」と鼻を鳴らして浴室を出て行った。デイナはそれには構わず、慌てて床に倒れた子竜の下へ駆け寄る。
「コーちゃん、大丈夫!?」
「きゅう……」
大丈夫だよ、とその目は言っているようだったが、声は弱々しい。全身を強打して動けずにいる子竜をデイナは腕に抱え上げて、そっと頭を撫でた。
「助けてくれてありがとう、コーちゃん。でも、ごめんね……」
子竜の体は傷だらけだ。デイナが養父に暴力を振るわれるたびに庇ってくれるため、子竜もまた養父から暴力を受けるからだ。
……どうしてこんなことになったのだろう。
『デイナ。ママ、あの人と再婚してもいい?』
『うん、いいよ』
あの時は、きっと温かい家庭になる。きっと、母もデイナも子竜もみんな、幸せになれる。そう思っていたのに。
「さむい……」
デイナはそう呟きながら、その場に蹲って子竜を抱きしめた……。
「……おはようございます」
「あら、おはよう、デイナちゃん。今日も早いわね」
翌日、朝早くにデイナは子竜とともに街学校へと登校した。理由はもちろん、なるべく養父と一緒にいたくないからである。
門の所で声をかけてくれたのは、デイナの担任教師であった。担任教師は生徒に分け隔てなく優しく接する人だが、クラスで友人が一人もおらずいつも暗い顔をしているデイナのことは特に気にかけてくれる。
「コーリーちゃん、可愛いわねえ。先生にもこんな眷属がいたらいいのに」
「………」
「眷属を生み出せるってすごいことなのよ? デイナちゃんはもっと自信を持ってもいいって先生は思うな」
「……ありがとうございます」
担任教師の優しい言葉にもデイナは暗い表情のまま、一礼してから門を通り過ぎようとする。とぼとぼと足取りの重いデイナを、担任教師は呼び止めた。
「ねえ、デイナちゃん。……何か悩んでいることはない?」
「………」
「先生、いつでも相談に乗るから。なんでも話して」
デイナはぎゅっと口を引き結んだ。……なんでも話して、と言われても。
(家のことを話したら、お母さんがりこんされる……)
そう。養父から誰かに家の内情を話したら、母と離婚すると脅されているのだ。養父のことが好きなのであろう母のことを思えば、素直に従うしかなかった。
もっとも、養父から受けている仕打ちを誰かに打ち明けたとして、それが養父にバレた場合にもっと酷いことをされるのではないか、という恐怖心もあるのだけれども。
ゆえに担任教師にも相談することはなく、デイナは子竜を連れて教室へと向かった。朝早いので他の生徒の姿はない。まあ、いたとして話す相手がいないわけだが。
昔はそうでなかった。友人はたくさんいたし、街学校へ楽しく通えていた。それが今では街学校へ登校するのはただ家から避難しているようなもので、友人も子竜だけ。かつての友人も初めは暗くなったデイナを心配して声をかけてくれていたのだが、いつまでも暗いままだからだろう。徐々に離れていった。
そんなわけでデイナは子竜と戯れながら時間を潰し、朝礼を終えてから授業の時間を迎えた。今日の一限目は聖石についての特別授業だ。
「皆さん、知っていることだとは思いますが、聖石とは魔界の悪魔から身を守るために身に付けていなければならない物です」
担任教師はそう切り出して、聖石がどこで買えるか、聖石とはどういう人が作っているのか、などについて説明した。
「聖石を身に付けていると、眷属と呼ばれる存在が生まれることがあります。このクラスでは、デイナちゃんのコーリーちゃんがそうですね」
「先生! けんぞくってどうやったら生み出せるんですか?」
手を挙げて質問したのは、クラスメイトの男児だ。その質問に担任教師は困ったような顔になって、「そうねえ……」と考え込んだ。
「いつも楽しく前向きに生きていれば、眷属は生まれやすいと言われています。そうだ、デイナちゃんに訊いてみたらどうかしら」
デイナが少しでもクラスに馴染めるようにという配慮かもしれない。しかし、デイナはうっと内心思った。心遣いはありがたいのだが、今のデイナに友人を作れる気がしない。
授業が終わった途端にクラスメイトに囲まれる、なんてことになったら嫌だなあ、と思っていると、担任教師は授業を続けた。
「さて、そんな私達に身近な聖石ですが、例えば将来両親が亡くなってしまった場合。その両親の聖石は売却して手放すことになります。先程話した聖石店に売る、ということですね。そして、眷属付きの聖石の場合はリサイクル制度を利用することになります」
リサイクル制度。それは、眷属付きの聖石を同等の聖石と交換する制度だという。眷属は楽園(エデン)送りとなり、眷属が集まる世界で幸せに暮らせるのだと担任教師は語った。
(リサイクル制度……)
デイナは肩に乗っている子竜を、ちらりと見た。
いつもデイナを庇って養父からの暴力を受けている子竜。楽園(エデン)へ行ったら、もうそんな目に遭わずに済む。そして、幸せに暮らせるのだ。
大切な、大切な、たった一人の友達。離れ離れになったら寂しくないというのは嘘になるけれど、子竜には幸せに暮らしてほしい。
「きゅう……?」
そんなデイナの考えを察したのか、子竜は不安そうな声で鳴く。デイナは子竜の頭を撫でて、担任教師に質問すべく授業が終わるのを待った。もう途中から授業の内容は頭に入ってこなかった。
そして、ようやく。
「では、一限目はここまで。何か分からないことがあったら、先生に聞いてね」
ありがとうございました、とクラス全員で一礼してから、デイナは教室を出て行こうとする担任教師を急いで追いかけた。
「先生!」
「あら、デイナちゃん。珍しいわね。何か分からないことがあった?」
担任教師は腰を屈めて、デイナの視線に目を合わせる。その優しい表情にデイナは勇気を出して訊ねた。
「あの……聖石店ってどこにあるんですか?」
「そうねえ、王都にはいくつかあるけど……聖石に興味があるの?」
「……はい。ちょっと、色んな聖石を見てみたいなあって」
「あらそう。じゃあ……王都の外れにある『クロスリー』なんてどうかしら。その店の店主とは知人でね、フランクで優しい女性よ。きっと、聖石を見せてくれると思うわ」
担任教師にお願いして聖石店『クロスリー』までの地図を描いてもらい、デイナはその紙を受け取った。
「ありがとうございます」
「ふふ、いいのよ。何かに興味を持つって素敵なことだもの。じゃあ、お父さんとお母さんと一緒に行きなさいね」
「………」
にこりと笑う担任教師へデイナは無言で一礼して、教室の席へ戻った。眷属はどうしたら生み出せるのかと聞きに来たクラスメイトには、「私にもよく分からないの」と返事をして――実際、何故なのか分からない――、やり過ごした。
そうして街学校の授業を終え、デイナは子竜を連れて聖石店『クロスリー』へと向かう。――強い覚悟とともに。
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