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第19話 アパタイトの恋心5
しおりを挟むマイは足の速さには多少自信がある。そんなわけで、店を出てほどなくして、ゆっくりと歩いているシェリルに追いついた。
「シェリル様!」
声を張り上げると、シェリルは足を止めた。そして、マイを振り返る。
「……マイさん。どうしたんですか?」
「すみませんでした!」
「え?」
目を瞬かせるシェリルに、マイは弾んでいる息を整えてから続けた。
「その……シェリル様のお気持ちも考えず、軽々しく告白したらどうだなんて言ってしまって。誰かに想いを告げるって、とても不安で怖いことですよね……私、恋愛経験がないから想像が及ばなくて……本当にすみません」
「……それを謝るために、わざわざ追いかけてきてくれたんですか?」
「ええと、謝らないと気が済まなくて……」
「ふふ、誠実な方なんですね」
シェリルはくすりと笑った後、「気にしなくていいですよ」と優しく言った。
「マイさんが一生懸命なのは伝わっていましたから。相談に乗ってもらえただけで十分です。カイルが好きなこともずっと一人で抱えていたから……お話できて少し気分が楽になりましたし」
「そう、ですか?」
「はい。……ですが、そうですね。カイルに私の気持ちを伝えるかどうかは……もっとよく考えてから決めます。やはり、これまで築いた関係を壊すのは怖いですから」
「……そうですか」
もう軽々しく告白したらどうだとは言わない。シェリルの言う通り、シェリル自身がよく考えて結論を出すべきことだろう。マイにできるのはせいぜい話を聞くことくらいだ。
では、とシェリルは会釈をして立ち去っていった。その背中を見送った後、マイが店に戻ると、カウンターの席にイアンが座っていて。
「イアン君、ただいま」
「おう。あの女性客には追いつけたのか?」
「うん。ちゃんと謝ってきた」
「そうか」
マイが戻ってきたからだろう。律儀に店番をしてくれていたらしいイアンは、椅子から立ち上がって定位置へと移動していった。
そんなイアンにマイは笑いかける。
「ありがとね、イアン君」
「何がだ」
「私の至らなさを指摘してくれたから。……でも、よくシェリルさんの気持ちが分かったね。あ、もしかしてイアン君にも好きな人がいるとか?」
「……違う。ただ、想像しただけだ。まあ、成績の順位が下から数えた方が早いお前より、首席の俺の方が頭の出来がいいからな」
「むう……」
反論できない。
膨れっ面になるマイに、イアンはふっと静かに笑った。
(告白するかどうか、か……)
シェリルは聖石店『クロスリー』からの帰り道、途中で公園に寄ってベンチに一人腰かけ、考え込んでいた。
マイの言う通り、前に進むためにはカイルに告白すべきなのだろう。けれど、告白しても応えてもらえるとは思えない。カイルに女性として見られている気がしない。
そうしたら、これまでの関係はきっと終わってしまう。もうカイルの傍にはいられなくなるだろう。
(それとも、振られた方がいいのかしら……)
その方が諦めもつく。長年の気持ちが整理できるかもしれない。
マイはシェリルの恋が成就することを願って前に進めるようにとアドバイスしたのだろうが、前に進むという言葉にはそういう意味合いもあるのではないか。
片想いでいることが今はつらい。かといって、振られてもうカイルの傍にいられなくなることもきっとつらい。告白するかどうか、どちらを選んでもつらい思いをする。
ならば、どちらを選んだ方が後悔せずに済むだろうか。
(カイル……)
思い浮かぶのは、太陽のような明るく眩しいカイルの笑顔。その明るさに憧れ、その笑顔にほっとし、その眩しさに惹かれた。
カイルは小さい頃からずっと傍にいてシェリルを守ってくれる。そう、ジェフリーに襲われそうになったところを助けてくれたように。
そして、自己主張が苦手なシェリルの心を理解してくれる存在でもあった。
(子供の頃、女子の輪に入っていけなくて一人ぽつんとしていた私に、『勇気を出せ』って叱咤激励してくれたのもカイルだったっけ)
女子の輪までシェリルの手を引いて連れていき、シェリルが仲間に入れてと言えるように促してくれた。そのおかげで少ないながらも友人ができた。
こんなこともあった。子供の頃にとある男子から告白されたのだが、きっぱりと断ることができずに付きまとわれたことがあり、困っていたシェリルに『自分の口からきちんと断ること。それが誠意だ』とカイルに諭されて実行したところ、問題が解決した。
思えば、その頃からかもしれない。カイルに恋愛感情を抱くようになったのは。
(報われなくても構わないって思っていた、のに……)
マイに語ったちょっと思わぬ出来事があったとは、ジェフリーに押し倒されたことである。あの時、思ってしまったのだ。キスしてくるのが、抱いてくれるのが、カイルだったらよかったのに、と。
それからその感情が頭から離れず、マイに相談した次第だ。我ながらはしたない感情だと思う。マイは自然な思いだと言ってくれたけれど。
(はあ、どうしたらいいのかしら)
カイルとの思い出を振り返りつつ、悩みに悩んでいたら、いつの間にか空は夕焼けに染まっていた。聖石店『クロスリー』を出たのが昼過ぎだから、かれこれ三、四時間は経っていると思われた。
いつまでもここにいるわけにはいかない。結局答えは出なかったものの、そろそろ家に帰らなければ。両親も、カイルも、シェリルの帰りを待っている。
そんなわけで帰宅したシェリルだったが、すると母が「どこに行っていたの!」と鋭く一喝してきた。そんなに心配をかけたのかと思い、
「ごめん、ちょっと公園に立ち寄ってきたの」
と、シェリルは素直に謝ったが、母は聞いてはいなかった。
「そんなことより大変よ! カイルが…っ……!」
「え……?」
話は少し遡る。
空き部屋に一人ぽつんといたカイルの下へ、シェリルの父が顔を出した。
「カイル。反省したか?」
「………」
反省したかと言われても。
カイルは悪いことをしたとは思っていない。ただ、シェリルを守っただけだ。ゆえに無言を貫くカイルに、シェリルの父はため息をついた。
「はあ……頑固だな、お前は」
「………」
「事情はなんとなく分かる。ジェフリー様がシェリルに無体を働いたんだろう。それをお前がジェフリー様を殴ってシェリルを守った。お前はいつもシェリルを守ってくれるからな。それはありがたいと思ってる。……けどな、カイル。どんな理由があろうと、手を出すのはいけないことだ。それは反省しなさい」
「……結婚話を破談にしたことに怒ってはいないんですか?」
「シェリルにその気があったら、そもそもお前はジェフリー様を殴っていないだろう。シェリルが乗り気じゃない結婚を強要するつもりはない。あの子は昔から自己主張が苦手だからなあ……結婚が嫌なら話してくれたらよかったものを」
気付かなかった私も悪いのだが、とシェリルの父は再びため息をつく。
「それにしても、あの子はどこに寄り道しているのやら。まあともかく、シェリルが戻ってきたら、聖石をシェリルに返す。それまではここにいなさい」
「……はい」
そうしてシェリルの父が空き部屋を出て行こうとした時だった。店部分である一階からシェリルの母の慌てたような声が届いた。
「あなた! それにカイルも! 今すぐ一階に下りてきて! ジェフリー様がいらっしゃったわ!」
それにはカイルとシェリルの父は互いに顔を見合わせた。……婚約は破談になったはずなのに、まだ何か用があるのか。
「無視するわけにはいかんな。行くぞ、カイル」
シェリルの父はシェリルの聖石ペンダントを手に持った。先に部屋を出て一階へ下りていくシェリルの父の後にカイルも続く。すると、カウンターの前に険しい顔をしたジェフリーが立っていた。
「これは、これはジェフリー様。うちのカイルが乱暴なことをしてしまって、申し訳ございません。お怪我の方は大丈夫ですか?」
低姿勢でまずは詫びるシェリルの父に、ジェフリーは「ふん」と鼻を鳴らした。
「大丈夫に見えるか? 見ろ、僕の美しい肌が赤く腫れ上がっているだろう!」
確かにカイルが殴った左頬がまだうっすら赤い。しかし、腫れ上がっているというのは大袈裟だろう、とカイルは内心呆れた。
「本当に申し訳ございません……。それでうちにどのようなご用がおありなのでしょうか。婚約を破談にする件なら手紙が届きましたが……」
「その眷属のことで話がある」
ジェフリーは腕を組んで、カイル達を上から見下すように顎を上げ、言った。
「その眷属を楽園(エデン)送りにしろ。さもなければ、父上に言いつけてこの店を潰す」
「「「!?」」」
カイル本人はもちろん、シェリルの父も母も耳を疑った。
カイルが楽園(エデン)行きにならなければ、この店を潰す。本気で言っているだろうことは、ジェフリーの目を見れば分かった。
シェリルの父は困った顔をして口を開く。
「ジェフリー様、それは……」
「僕は本気だ。……別に構わないだろう? 眷属なんてまた生み出せばいい話だ」
眷属を、カイルのことを、軽く扱う発言にシェリルの父は眉を顰めた。そして、しばし押し黙った後。
「……できません」
「は?」
「カイルは大切な家族です。楽園(エデン)送りになどできません。父君に言いつけるというのならご自由に。受けて立ちましょう」
「旦那様……!」
大切な家族。
シェリルの父が毅然と言った、思いがけない言葉にカイルは何かが込み上げてくるのを感じた。振り返ればシェリルの父も母も、眷属として生み出されたカイルをこの家に快く迎え入れ、この十二年間、シェリルと同じように可愛がってくれた。
……その恩を今ここで返さなくてどうする。
「旦那様。俺、楽園(エデン)に行きます」
「カイル!? 何を言って…っ……」
「いいんです。俺はこの家でたくさんの愛をもらいました。その恩返しをさせて下さい」
楽園(エデン)へ行く。
シェリルの父と母のために。
――そして、何よりシェリルのために。
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