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第18話 アパタイトの恋心4

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「いっただきまーす」

 店の応接間のソファーに座っているマイは上機嫌で、色鮮やかな具が挟まったサンドイッチを頬張った。「おいし~」と幸せそうな顔をするマイに、隣に座っているイアンはため息をつく。

「毎度のことだが、なんで俺の弁当をつまみ食いするんだ……」
「だって、おいしいんだもん。それにいいじゃない、減るものじゃないし」
「減るんだよ、食い物なんだから! 二階が居住スペースなんだろう、自分で作って食えよ!」
「今、ちょっとダイエット中だから、つまみ食いくらいでちょうどいいの。それに二階にいる間にお客様が来店したら困るし」

 その言い分には、イアンは呆れた様子だった。

「この状態で来店されても困ると思わないか?」
「その時はすぐに片付ければいいじゃない。それにお師匠様なんて、このソファーに座って紅茶を飲んでよく一服してたよ?」
「……この師匠にしてこの弟子あり、か」

 もう何も言うまい。イアンはそう悟ったような顔をして自身もサンドイッチを食べ始めた。ちなみにイアンは一人暮らししているそうなので、この弁当はイアンの手作りだ。

「なんか紅茶が飲みたくなってきた。イアン君、淹れて~」
「だから、俺はお前の母親じゃないんだぞ」

 と言いつつも、イアンも飲み物が欲しくなったのだろうか。紅茶を淹れるために奥へ下がっていった。イアンのことだから、きっとマイの分も淹れてくれるだろう。
 楽しみに待っていると、来客を告げる呼び鈴が鳴った。マイは慌ててソファーから立ち上がって、店の出入り口に顔を向ける。すると、来客はシェリル一人だった。

「いらっしゃいませ。シェリル様、また何かご用ですか?」

 さすがに注文品を受け取りに来たわけではないだろうと思い、そう訊ねると、シェリルは申し訳なさそうな顔で謝った。

「すみません、お食事中に……」
「え! あっ、気にしないで下さい! すぐに片付けますから!」

 慌ててテーブルの上に広げたイアンの弁当を片付けようとすると、シェリルは「いえ、いいんです」と表情を柔らかくして言う。しかし、すぐにまた眉尻を下げた。

「あの、大変申し訳ないんですけど、今朝の注文をキャンセルすることはできますか?」
「大丈夫ですけど……何かあったんですか?」
「婚約が破談になったんです。それで必要なくなったので」

 ここは「それは残念ですね」と言うところだろう。けれど、シェリルの表情がどこか安堵しているように見えて、マイは違う言葉を口走っていた。

「よかったですね」
「え?」
「あ、いえ……なんだかほっとしているように見えるので。今朝、来店された時も浮かない顔をしていましたし、結婚に乗り気じゃなかったのかなあ、と」
「………」
「事情はよく分かりませんが、結婚するのなら一緒にいて幸せだと思える人がいいと思います。……って、ある人の受け売りなんですけど」

 かつてエイベルが遺したその言葉に思うところがあったのだろうか。シェリルは迷うような表情を見せた後、口を開いた。

「あの、マイさん。つかぬ事をお訊きしますが、人と眷属のカップルを見たことはありますか?」

 マイは目をぱちくりとさせた。

「人間と眷属のカップル、ですか? いえ、見たことはありません。まあ、私はまだ働き始めたばかりですし、知らないだけで、世界のどこかにはいるんじゃないでしょうか」
「……そう、でしょうか」

 俯くシェリルの様子にマイはピンときた。女の直感というやつだ。
 もしかして。

「カイル様がお好きなんですか?」
「!」

 シェリルは驚いた顔になったかと思うと、やがてその白い頬に朱が差す。どうやら、図星のようだとマイは察した。

「私でよければ、お話を聞きますよ。こちらのソファーへどうぞ」
「でも、私は何も買っていないのに……」
「構いません。こうして出会えたことも何かの縁ですから」
「……では、失礼します」

 シェリルは来客用のソファーに座った。一方のマイはイアンの弁当をカウンターの上に移動させてから、彼女の向かい側のソファーに腰かける。
 紅茶を用意した方がいいだろうかとふと思ったら、奥からイアンが紅茶を運んできた。奥にいても話が聞こえていたのだろう。シェリルの姿に驚くことはなく。

「こちら、どうぞ」

 と、シェリルに紅茶を差し出した。そして、マイの前にも紅茶を置く。

「イアン君、ありがとう」
「気にするな。……それより深入りするなら責任持てよ」

 イアンはぼそりとそう忠告してから、お盆を持って再び奥へ下がっていった。
 女二人になったところで、シェリルは俯き気味に口を開く。

「……おかしい、ですよね。眷属のことが好きだなんて」
「そんなことはないと思います。眷属も一つの命ですし、一つの人格があります。その人格を好きになることに、人間とか眷属とか関係ないんじゃないでしょうか」
「ありがとうございます。確かにそうかもしれないですね。私もカイルのことを好きな心に迷いはありません。ですから、悩みというのは別にあって」
「と、いうと?」
「私……これまでこの想いが報われなくても構わないと思っていました。ずっと、カイルの傍にいられるならそれで幸せだと。ですが、ちょっと思わぬ出来事があって。その少し後から、はしたないことなんですけど……キスをしたい、もっと触れ合いたい、なんて思うようになってしまったんです」

 キスをしたい。もっと触れ合いたい。
 初恋も経験のないマイには、まだ分からない感情だ。けれど、元の世界ではよく恋愛ドラマを観ていたし、恋愛小説や恋愛漫画も読んでいた。だから、まるで想像がつかない世界というわけではない。
 マイは優しく笑いかけた。

「戸惑われているのかもしれませんが、好きならそう思うのは自然なことだと思います。シェリル様のその感情はおかしくありませんよ」
「ですが……なんだか、片想いしていることがつらくなってしまって」
「でしたら、思い切ってカイル様に想いを伝えてみたらどうでしょう。まずは気持ちを伝えることから始めないと、前に進めないです」
「……そう、ですね」

 シェリルは同意したが、その表情は浮かない。マイはあれ? と内心首を傾げた。

(私のアドバイス、見当外れだった?)

 シェリルが求めていた答えとは違ったのだろうか。
 しかしそれを訊ねる前に、シェリルは「相談に乗っていただいて、ありがとうございました」と頭を下げて話を終わらせてしまった。

「では、失礼します」

 ソファーから立ち上がったシェリルを見てマイも慌てて席を立ち、先回りして店の扉を開ける。そして扉をくぐって外に出るシェリルを、マイは「ありがとうございました」と見送った。

(あんまり力になれなかった、のかなあ?)

 何がいけなかったのだろう。そう考えながら店内に戻ると、イアンが奥から応接間に出てきていて、定位置に立っていた。テーブルの上にティーカップはない。どうやらまた、奥に下げてくれたようだ。

「あ、イアン君。ありが――」
「クロスリー。お前、恋愛相談はド下手だな」

 突然の言葉にマイは面食らう。

「え?」
「よくあんなに軽々しく告白しろ、だなんて言える。客の心に寄り添う店員でいたいんじゃなかったのか?」
「……私、何かまずいこと言った?」
「そういうわけじゃない。ただ、あの女性客の心に全く寄り添えていないと俺は感じた。これは想像でしかないが、彼女は長く眷属に想いを寄せていると察せられる。それまでともに過ごした時間、築いてきた関係性。それらを告白することで壊すかもしれないという恐怖心を、お前には想像できないか?」
「あ……」

 イアンの言いたいことをマイは理解した。
 そうか。現実では、恋愛ドラマや恋愛小説、恋愛漫画のように必ずしも好きな相手とハッピーエンドを迎えるとは限らない。シェリルがカイルのことを好きでも、カイルはシェリルのことをそういった目で見ていない可能性もある。
 振られるかもしれない。拒絶されるかもしれない。これまでの関係が崩れてしまうかもしれない。シェリルの頭にはそういった不安があったことだろう。
 それなのに、マイはイアンの言う通り、軽々しく告白したらどうだと言うだけだった。全く彼女の心に寄り添えていない。だからシェリルもおそらく浮かない顔をしていたのだ。

「わ、私、シェリルさんに謝って来る!」

 店番よろしく、とイアンに言ってマイは店を飛び出した。そんなマイに、

「……俺はこの店の従業員じゃないんだが」

 と、イアンは深々とため息をついたのだった。

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