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第16話 アパタイトの恋心2

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「ありがとうございました」

 マイは店の前で頭を下げ、若い男女の客を見送った。彼らの姿が見えなくなってから、店内へと戻る。その足取りは軽い。
 というのも。

「結婚されるなんて、おめでたい話だねえ」

 定位置にいるイアンに声をかけると、イアンも「そうだな」と同意してくれた。顔はいつものように仏頂面であったが。

「あ、ティーカップ、片付けてくれたんだ。ありがとう」
「奥に下げただけだ。洗うのは自分でやれ」
「分かった」

 ティーカップを洗うのは店を閉めてからにすることにして、マイはカウンターの席へと座って、頬杖をつく。

「それにしても、結婚かあ……憧れるなあ」

 結婚といったら、やはりウエディングドレス。そして教会で式を挙げ、周囲に祝福されながらブーケトスを行う。そういうイメージだ。
 イアンは片眉を上げた。

「お前、恋人がいるのか?」
「え? いないけど?」
「恋人もいないのに憧れるのか? それってなんだか変な気がするが」
「そう? 結婚って女の子の憧れだと思うけどなあ」
「……女の子といっていい年なのかは、突っ込まないでいてやるよ」
「う……」

 この国では十六歳で成人だ。マイは十七歳なので、女の子という表現は確かに適切ではないかもしれない。
 まあともかく、結婚といえば……と、マイはエイベルの言葉をふと思い出した。
 結婚とはスタートに過ぎず、大変なのはその先。だから結婚して幸せになるという発想ではなく、一緒にいて幸せでいられる人と結婚することが大事。
 アルバータに向けられた言葉だが、マイも心に留めておいた方がいいだろう。これまで恋人どころか好きな人さえできたことのないマイだが、いつかは好きな人と結婚したいという願望はあるのだから。

「そういうイアン君は、恋人はいるの?」
「別にいない」
「へえ……神学校では女子に人気あったのに。卒業式に告白されなかったの?」
「何人か告白してきた女子はいたが、断った」
「え、どうして?」
「……そんなの俺の自由だろう」

 それは確かにそうだ。告白されたら付き合わなければいけない決まりなんてない。それに他に好きな人がいるのかもしれないし。
 イアンが話したがらない以上、あまり踏み込んだ質問はすべきでないな、とマイはそれ以上追及しなかった。
 それからほどなくして。

(ん? 馬車の音?)

 馬車の音は通り過ぎはせず、どうやら店の前に停まったようだった。お客様かと思って椅子から立ち上がると、予想通りからん、ころん、と来客を告げる呼び鈴が鳴った。
 扉をくぐって現れたのは、三人の男女だった。十代後半の少年少女に二十歳前後の青年という組み合わせだ。少年が華美で豪奢な貴族服であるのに対し、少女と青年は一般的な平民服で、一体どんな関係性なのだろう、とマイは内心首を傾げた。

(あ、でも後ろの男の人は眷属だ……どっちの眷属だろう)

 マイには眷属であることは分かっても、誰の眷属かということまでは分からない。けれど、少女の後ろにいることから、少女の方の眷属だろうか。
 そんな推測を立てつつ、マイは笑顔で客を出迎えた。

「いらっしゃいませ。こちらのソファーへどうぞ。今、紅茶をお持ちします」

 マイは後ろを振り向いて「イアン君、お願い」と言おうとしたが、イアンはその前に奥へ下がっていった。紅茶はイアンに任せることにして、マイもソファーへと腰を下ろす。
 ソファーは三人までなら座れるのだが、目の前に座っているのは少年と少女の二人だ。眷属である青年は少女の後ろに立っている。
 マイが名乗る前に、少年から話を切り出した。

「オーレリアという腕のいい聖石細工師がいるのは、この店で合っているかな?」

 柔らかい表情で問う少年に、マイは返答に困った。

「えーっと……確かにオーレリアの店はここですが、今は訳あって不在にしていまして。しばらく帰って来ないと思います」

 もしかして、オーレリアをご指名なのだろうか。だとしたら、申し訳ない。
 その通りだったようで、少年は心底残念そうな顔をした。

「おや、そうなのか。それは残念だ。……どうしようか、シェリル。他の店にするかい? この子じゃ、まだ未熟そうだし」
「いえ……私はこの方で構いません」
「そうかい? シェリルは優しいなあ。じゃあそうしようか」

 どうやら、マイに任せることにしてくれたようだ。
 というわけで、マイは名乗った。

「私はマイ・クロスリーといいます。オーレリアの弟子です。まず、皆さんのお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「僕はジェフリー。彼女はシェリルだよ」

 少年――ジェフリーは、自分と少女――シェリルのことしか紹介しない。青年の名前についても再度訊くべきか迷っていると、シェリルが付け加えた。

「後ろにいる彼は、私の眷属のカイルです」
「ありがとうございます。ジェフリー様、シェリル様、カイル様ですね」

 名前と顔を一致させたところで、イアンが紅茶を運んできた。「お待たせしました」と言いながら、三つのティーカップを客の前に、残りの一つをマイの前に置く。

「ありがとう、イアン君」

 マイが礼を述べると、イアンは「いや」と短く返してから、ティーカップを乗せてきたお盆を持って再び奥に下がっていった。本人は渋々としているのだろうが、非常に助かる。

(ジェフリーさんの聖石はやっぱり高価なものだなあ。シェリルさんの聖石は……あ、アパタイトだ)

 アパタイト。和名、燐灰石。
 緑色や褐色の物が多いが、無色、濃青色、紫色、白色、灰色など様々な色の物があり、石言葉には『自己主張ができるように導く』などがある。シェリルの聖石は青の発色が強いネオンブルーアパタイトだ。その爽やかな色合いから『夏の宝石』とも呼ばれ、ジェフリーの聖石には及ばないがそこそこ高価な宝石である。
 とまあ、聖石チェックはそこまでにして、マイは本題を切り出した。

「それで、本日はどのようなご用件でしょうか」
「彼女に新しい聖石アクセサリーをプレゼントしたいと思ってね。いや実はね、僕達結婚するんだ」

 マイは目を丸くした。今日は二組連続で結婚記念品の注文か。

「そうなんですか。それは大変おめでたい話です」
「ありがとう。いやあ、彼女、服飾店の看板娘なんだけど、彼女の女神のような美しさに一目惚れしてしまって。こういうのを運命の出会いと言うんだろうなあ。すぐにプロポーズしたんだよ」

 楽しげに語るジェフリーに対し、シェリルは何も言わない。おとなしい人なのかもしれないと思ったが、それにしてはなんだか表情が暗いなあ、とも思う。彼らの前に来店した、結婚が決まったという男女の客は、どちらも幸せそうだったけれど。

(マリッジブルーってやつかな……?)

 シェリルの様子が気になりつつも、マイは仕事をしなければならない。

「本当におめでとうございます。……では、どのようなアクセサリーにしますか? ペンダント、ネックレス、ブレスレット、指輪、などがありますが……」
「だってさ、シェリル。君は何がいい?」
「……では、ブレスレットでお願いします」
「かしこまりました。では、先に聖石を選んでいただきます。ご予算はいくらくらいでしょうか」
「いくらでも構わない。なるべく高価な物を頼むよ」

 分かりました、と言ってマイはソファーから立ち上がる。ちなみにイアンはいつの間にか戻ってきており、定位置に立っていた。
 奥に下がったマイは、最奥にある金庫の最上段からいくつもの聖石が乗ったトレイを取り出して、急いで客の下へと運ぶ。

「お待たせしました。こちらが当店で高価な部類の聖石になります」

 トレイをテーブルの上にそっと置くと、ジェフリーは「どれも綺麗だねえ」とにこにことシェリルに話しかけた。シェリルは「そうですね……」と微笑んで応えたが、その美しい顔にはやはりどことなく影がある。

(マリッジブルーってこういうもの? なんだか、結婚に乗り気じゃなさそうに見えるような……)

 しかし、客がシェリルだけならばともかく、ジェフリーがいる前ではそんな踏み込んだ質問を投げかけられない。シェリルだって困るだろう。仮に本当に結婚に乗り気ではないとしても、結婚しなければならない事情があるのかもしれないし。
 そんなわけで黙っていると、ジェフリーがシェリルを促した。

「好きな物を選ぶといいよ」
「ありがとうございます。……じゃあ、これで」

 シェリルは即決だった。その聖石にピンとくるものがあったのか、あるいは……どうでもいいからなのか。なんとなく、後者かもしれない、とマイは思った。

「かしこまりました。では、ブレスレットをご所望ということなので、手首回りを測らせて下さい」

 シェリルはすっとマイに手首を差し出した。マイは腰袋から巻尺を取り出し、彼女のほっそりとした手首のサイズを測る。

「ありがとうございます。代金は細工代も含めまして……七十五万ガルドになります。半月後にはご用意しますので、お時間がある時にまたお越し下さい。代金はその時に頂戴します」
「分かった。じゃあ、よろしく頼むよ。……行こう、シェリル」
「……はい」

 二人はソファーから立ち上がった。マイは店の出入り口へ向かう三人の先回りをして扉を開け、店を出て馬車に乗り込む三人へ「ありがとうございました」と頭を下げた。
 立ち去っていく馬車を見送った後、店内に戻ると、ちょうどイアンが奥から出てきたところだった。テーブルの上にティーカップがないことから、また奥に下げてくれたのだろうとマイは察する。

「また、下げてくれたんだ。ありがとう」
「そろそろ洗った方がいいんじゃないか。溜まってるぞ」
「うん。ちょっと奥に下がるね」

 と、奥に下がろうとしたところで、聖石が乗ったトレイがあったことを思い出して、トレイを持って奥に引っ込んだ。トレイを金庫に戻して施錠してから、洗い場に積み重ねられたティーカップをぱぱっと洗う。
 そして応接間に戻って、カウンターの椅子に座った。

「……ねえ、イアン君」
「なんだ。さっきの女が幸せそうに見えなかった、か?」
「あ、イアン君もそう思ったんだ。うん、なんだか気になっちゃって」

 イアンは腕を組んで言う。

「マリッジブルーなんじゃないのか?」
「私も最初はそう思ったよ。でも、聖石を選んだ時に、なんとなく投げやりな印象があったっていうか……結婚に乗り気じゃないのかなって」
「……クロスリー。客を気にかけるのは悪いことじゃないが、かといっていちいち深入りしていたら精神が摩耗するぞ。この仕事を長く続けたいのなら、相手はあくまで客だと割り切ることも必要だと思うが」
「それは……そう、かもしれないけど」

 イアンの言う通りかもしれない。例えば、リサイクル制度のこととか――アルバータ達の一件以来、まだ利用客は現れないが――、割り切ることも大切だろう。
 けれど、と思う。みんな、縁があってこの店を訪れるのだ。マイはその縁を大切にしたいし、客の心に寄り添える店員でありたいと思う。
 そう告げると、イアンはやれやれと息をついた。

「俺の助言を聞く気はないわけか。まあ、好きにしろよ」
「えへへ。ごめんね。でも、ありがとう」

 気遣ってくれるその心は素直に嬉しい。
 のほほんと笑いかけると、イアンはすっと顔を逸らした。また、である。
 マイは首を傾げた。

「イアン君。たまにあるけど、どうして私から顔を背けるの?」
「……お前のアホ面が見るに堪えないからだ」
「アホ面!? ひっどーい!」

 むうと膨れっ面になるマイに、イアンはふっと笑うだけだった。

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