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第13話 アズライトの忠節6
しおりを挟む「ブレット! 大丈夫!?」
「はい。少し体が怠いですが、問題ありません。……マイ様、それから祓魔騎士の方も。我々を助けていただいてありがとうございました」
ブレットはマイ達に向かって深々と頭を下げた。客が立っているのに店主の自分が座っているのはおかしいだろう、と席を立っていたマイは「いえ、お二人ともご無事で何よりです」と笑みを返す。
「すみません、体が怠いのは治癒術をかけた影響です。ですが、一晩休めば治りますからご安心下さい」
「ああ、そうなんですね。いえ、これであの怪我が治ったのですから、安いものです。お気になさらず」
申し訳なさそうな顔をして謝るマイに、ブレットは穏やかに微笑んだ。そして、俯いているカミラに向き合う。
カミラもまた、申し訳なさそうな顔でブレットに謝罪した。
「ブレット。私も……ごめんなさい。あんな目に遭わせて」
「お嬢様もお気になさらず。私の意思でしたことですから。それに、謝りたいのは私です」
「え?」
「申し訳ありません。途中からですが、お嬢様達の話を立ち聞きしてしまいました」
「!」
言葉を失うカミラにブレットはそっと目を伏せた。
「……お嬢様がどこかご自分に自信をお持ちではないことは、気付いていました。ですが、その理由までは見抜けなかった。消えてしまいたい、と思うほどに苦しんでいらしたことにも全く気付けなかった。執事失格です」
そう言ってから、ブレットは真っ直ぐカミラを見つめる。
「お嬢様。お嬢様は我慢強く、優しい方です。デートしている間は私に一服しろとミルクティーを頼んで下さったり、この店で出されたマズ……いえ、個性的な味の紅茶を無理してまで飲もうとしたり……こんなこともありましたね。庭の生えた野花を踏んだ私に、花が可哀想でしょうと注意しました」
「そんなの、大したことじゃ……」
「小さなことも積み重なれば、それは大きな美徳となります。ですが、そうおっしゃられるのなら、私のことはどうでしょう?」
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「はい。親に捨てられ、餓死を待つしかなかった私に、お嬢様は執事にならないかと声をかけて下さりました。そして本当に旦那様に頼み込み、私を召し抱えて下さった」
「……お姉様だって同じことをするわよ」
「そうかもしれません。ですが、実際に手を差し伸べて下さった、私の命の恩人はお嬢様です。それが事実です。あの時、私は決めました。この方のことは命を懸けても守る。そして願わくはずっとお傍にいて支えたいと。私にとってお嬢様はそう思える価値のある方です。……それではダメでしょうか?」
「………」
なんと言ったらいいのか分からない。そんな戸惑った顔をしているカミラに、ブレットは優しく笑いかけた。
「一緒に考えましょう。お嬢様が心から笑っていられる方法を。そのために屋敷を出る必要があるというのなら、私もお供します。たとえ、世界の果てまでも」
「…っ……」
カミラはぎゅっと唇を噛み締めていた。その目からは今にも涙が零れ落ちそうで、泣くのを必死に堪えているといった表情だ。
しかし、やがて涙がつっと頬を伝った。
「私、を……泣かせ、るなんて生意気なのよ…っ……」
カミラはそう言ってから、子供のように泣きじゃくった。ずっと、ずっと、一人で抱えていた心を吐き出すように。
「姉妹っていうのも色々あるんだねえ」
「そうだな」
カミラとブレットが店を出た後。マイはカウンターの椅子に座って、イアンは腕を組んで壁に寄りかかった状態で、やりとりをしていた。この店は王都の外れにあるので人通りは少なく静かなため、大きな声を出さずとも互いの声は聞こえる。
「イアン君は兄弟いるの?」
「弟がいる」
「あー、なんか納得かも。イアン君って面倒見いいもん」
しっかりとしていて頼りになり、そして何か包容力のようなものがある。下に弟がいたからなのだとすればそれも納得だ。
「そうか? まあ、確かに弟の面倒はよく見ていたが……そういうお前はどうなんだ」
「私は一人っ子。だからずっと、お姉ちゃんか妹が欲しいって思ってたけど……カミラさんの話を聞いたら、なんだか考えちゃうね」
優秀な兄姉、あるいは弟妹に劣等感を抱いて苦しむ。兄弟とは難しいものだ。きっと、カミラ以外にも似たような悩みを持つ人はたくさんいることだろう。
「イアン君はカミラさんの気持ちが分かる?」
「俺の場合は、弟とは年が離れているからか、張り合うなんて感情はなかったな。まあ、人それぞれだろう。……ところで、クロスリー」
「何?」
「大通りを歩いている時に言っていた、この世界に来てからとか、元の世界ではとか、あれはどういう意味なんだ?」
そういえば、そんなことを口走ってしまっていたことをマイは思い出す。どうやら気になっていたらしい。特に隠すことでもない、とマイはけろりとして言った。
「えっとねえ、二年半前に聖女召喚の儀式がこの国で行われたでしょ? 私、その巻き添えで召喚されてこの世界に来た異世界人なんだよ」
「は?」
いつも仏頂面なイアンには珍しく、ぽかんとした顔をしている。
「……それ、本当なのか?」
「信じられない?」
「う……いや……、……ん? 待てよ。そういえば、聖女のサトコ様は黒髪黒目の美しい方だと聞く。お前も黒髪黒目だな」
マイは照れてみせた。
「やだ、イアン君ったら。美しいだなんて」
「都合よく言葉を切り取るな! 俺が言っているのは、同じ黒髪黒目だなということだ!」
「あはは、分かってるよ。冗談、冗談」
「まったく……」
明るく笑うマイに対して、イアンはため息をつく。その表情はまるで、妹の悪戯を仕方ないな、と受け入れる兄のようだ。
「信じてくれた?」
「……まあ、そんな嘘をつく理由もないだろうしな。だが、それが事実なら元の世界に帰らないのか?」
「帰りたくても帰れないんだよ。私はもうこの世界で生きていくしかないの」
イアンは眉尻を下げた。
「そう、なのか。なんと言うか……災難だな。知らなかった、お前も苦労していたんだな」
「え、何、私が苦労してなさそうに見えるみたいな」
「……自分の性格を客観的に見ろ」
「どういう意味!?」
それではまるで、マイが悩み事などない、能天気な性格のようではないか。失礼な。マイにだって悩み事の一つや二つある。あまり背が伸びなかったとか、紅茶を上手く淹れられないとか。
心の中で反論しつつ、マイは店の扉に視線を向けた。すると、自然に口角が持ち上がっていたようだ。イアンは首を傾げた。
「どうした。いつにもまして上機嫌だな」
「あ、うん。カミラさんの悩みが解決した……わけじゃないけど。でも、ブレットさんが受け止めてくれて、もうカミラさんは一人で苦しまなくていいでしょ? それに私も少しは二人の力になれたんじゃないかなって思うと、なんだか嬉しくて」
「……そうか。そうだな」
イアンはふっと柔らかい笑みを浮かべて、マイと同じように店の扉に顔を向ける。
カミラとブレットが出て行った方向へと。
「カミラちゃん!」
聖石店『クロスリー』を後にして、ブレットとともに屋敷へ向かう帰り道。道の向こうから気遣わしげな顔をした姉が駆け寄って来て、カミラは目を瞬かせた。
「お姉様。どうしたの?」
「大丈夫!? やだ、目が真っ赤じゃない。やっぱり、あの男のせいだね!?」
「あの男……?」
誰のことを言っているのだろう。それにのほほんとした姉にしては珍しく、なんだか怒っている様子である。何かあったのだろうか。
内心首を傾げるカミラに姉は答えた。
「カミラちゃんの婚約者だった、あの男のことだよ! 振られたんでしょ!?」
「え、どうして知っているの?」
「さっき、うちに来たんだよ。なんの用かと思ったら、私に付き合ってくれないか、カミラちゃんとは別れたからって」
「ああ、そういうこと……」
カミラと別れてすぐ姉にアプローチするとは、彼もそれだけ姉に夢中なのだろう。姉の美しさを前にすれば、それも無理からぬことだろうけれど。
「それで……どうしたの?」
彼からの告白を受け入れたのだろうか。恋人が欲しいと言っていたし、優しそうな人だと好印象だったようだし。
姉が彼と付き合うことになっても、口を出す資格はカミラにはない。まあ、彼のことなど今はもうどうでもよくなっているので気にしないが。
けれど、姉からは予想外の言葉が返ってきた。
「もちろん、断ったよ! 妹から姉に乗り換えるなんてろくな男じゃないし、――何より私の可愛いカミラちゃんを傷付けた男なんて許せないもの!」
「え……」
私の『可愛い』カミラちゃん。
……思えば、昔からそうだった。姉はカミラのことをずっと可愛がってくれた。あれだけ優秀なのだ、こんな不出来な妹を見下してもおかしくないのに、姉の態度にそんな感情を垣間見たことは一度もない。
「お姉様……」
「ふふ、腹が立ったから引っ叩いてやったよ。もう二度と顔を出すなってね」
「…………なさい」
「え?」
「ごめんなさい、お姉様…っ……」
許してほしい。一瞬でも、いなくなってしまえばいいのに、と思ったことを。
けれど、それを口には出さない。言えば、絶対に姉を傷付ける。世の中、言わない方がいいこともある。だから、カミラはただ謝った。
そんなカミラを、姉は不思議そうな顔で見て。
「どうしたの? あ、もしかして私に迷惑かけたって思ってる? だとしたら全然、そんなことないよ、気にしないで」
「……うん」
「さあ、屋敷に帰ろう? お父様とお母様も心配して待ってるよ」
姉はカミラの手を引いて、ゆっくりと先に歩き出した。カミラは引っ張られるまま、その後ろをついていく。
――幼い頃、一緒に歩いていた時と同じように。
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