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第12話 アズライトの忠節5
しおりを挟む話は少し遡り。
王都の大通りを、マイはイアンと並んで歩いていた。その手には茶葉が入った袋が抱えられている。商店街の店で購入したのだ。
「同じ茶葉があってよかったあ。思ったより高かったけど」
「客に淹れる物だ。お前の師匠は茶葉には気を遣っていたんだろう」
うーん、と思う。単にオーレリアが自分で飲みたかっただけのような気もするが。
「それにしても、この前はあんなに茶葉があったのによくそんなに消費したな。あれから誰も客は来ていないだろう。お前が一人で飲んだのか?」
「イアン君が言ったんでしょ。時間がある時に紅茶を淹れる練習をしろって」
「練習であんなに茶葉を使ったのか!? はあ、頑張るのは結構なことだが、適度という言葉も覚えろ。というか、それだけ練習してまだまともに紅茶を淹れられないのか……?」
呆れた顔をするイアンに、マイは「むう」と頬を膨らませた。
「仕方ないじゃない。この世界に来てからはお師匠様が淹れてくれてたし、元の世界ではティーバッグの紅茶しか飲んだことないんだから」
「は? この世界に来てから? それに元の世界? それ、どういう……」
意味だ、と訊こうとしたに違いない。けれど、その言葉が音になることはなく、イアンは鋭い視線を大通りの先に向けた。マイも表情を引き締める。……この気配は。
「行くぞ、クロスリー」
「うん」
マイとイアンは走り出し、大通りを駆け抜けた。すると、途中から何かから逃げ惑う人々とすれ違う。こちらに向かってくる人の波を逆走して通り抜けた、先に。
「イアン君、いた!」
「ああ。俺が討伐する」
イアンは腰から下げていた剣を抜き、その剣に自身の聖力を込めて聖剣へと変えた。その証拠として、剣の刀身が白い光を帯びている。
駆けていくイアンの後ろをマイも追い、ほどなくして「ああっ!?」と声を上げた。というのも、漆黒の獣に追いかけられていた男女の女性の方が転んでしまったのだ。漆黒の獣はその隙を逃さず女性に襲いかかる……が、男性が彼女を庇って倒れた。
倒れた男性に覆い被さる女性に、漆黒の獣は再び襲いかかったが、
「消えろ!」
イアンが間に合った。聖剣が漆黒の獣の体を真っ二つに切り裂く。すると、漆黒の獣の体は無数の黒い光へと変わって跡形もなく姿を消した。
「大丈夫ですか!?」
マイも急いで二人の下へ駆け寄る。マイの呼びかけに女性は顔を上げ、女性の顔を見たマイは思わず声を上げた。
「カミラ様! それにブレット様じゃないですか!」
そう、男女とはカミラとブレットだった。なんとなく見覚えのあるような二人組だなあとは思っていたのだが、本当にこの二人だったとは。
カミラは泣きそうな顔で言った。
「マイ……ブレットが…っ……」
「怪我をしたんですね? ちょっと診せて下さい」
カミラには体を離してもらい、マイは倒れているブレットの傍にしゃがみ込んだ。そして、出血している腹部に手をかざす。すると、白光の魔法陣が出現し、ブレットの腹部を白い光が包み込んで、光が消えた時には傷口が塞がっていた。
これは癒やしの聖術である。といっても、なんでも治せるというわけではない。あくまで本人の自然治癒速度を高めるという術なので、治せる範囲には限りがある。今回はなんとか治癒できたが。
「カミラ様、もう大丈夫です。怪我は治しました」
「ほ、本当に? ……よかった」
ほっとした様子のカミラ。その胸元にある聖石ネックレスが壊れていることに気付いたマイは、すぐさまイアンを呼んだ。
「イアン君、あの聖石をカミラ様に貸して」
イアンは「おう」と応え、剣を鞘に収めてから聖石ペンダントをカミラの首にかけた。ちなみにその聖石ペンダントはイアンの聖石アクセサリーではなく、教団から支給されているという聖石を失った一般人に一時的に貸すための物だ。
「そっちの男の聖石は?」
「ブレット様の方は大丈夫。イアン君、ブレット様をお店まで運べる?」
ブレットは意識を失っている。治癒術をかけたからなのだが、このまま街路に放置するわけにはいかない。それにカミラだってこちらに訊きたいことがあるだろう。
マイの問いかけにイアンは「任せろ」と返し、ブレットの体を持ち上げた。
マイは地面に座ったままのカミラに声をかける。
「カミラ様、ひとまず当店へお越し下さい。ブレット様のことも運びます。構いませんか?」
「……ええ」
放心気味のカミラとともに、マイ達は聖石店『クロスリー』へと戻った。ブレットのことはイアンが二階の寝台まで運び、マイとカミラは向かい合うようにソファーへ座った。しかし、マイはすぐに何か飲み物を出すべきだろうと一旦奥へ下がる。
(紅茶……は、まだ上手く淹れられないし。他に飲み物もない)
今回は水で我慢してもらおう、とマイはグラスに注いだ水をカミラの下へ運んだ。すると、イアンが一階に戻ってきており、いつものように壁に寄りかかっていた。
「イアン君、ありがとう。それからカミラ様、お待たせしました。すみません、今日はお水ということで」
「いいわ。ありがとう」
カミラはグラスに口をつけ、ふうと息をついた。
「……ブレットは本当に大丈夫なの?」
「はい。今は治癒術をかけた影響で少し眠っているだけですから。すぐに目を覚まされると思います」
「そう。それならいいの。それで……私を襲おうとしたあの黒い獣、なんだったの? 普通の狼じゃないわよね?」
その通りだ。そうでなければ、聖剣で傷付けることはできない。
マイは再びカミラの向かい側のソファーにちょこんと座って答えた。
「あれは魔眷属といいます」
「魔眷属?」
「はい。一般的な眷属を正式には聖眷属というのですが、その相反する存在が魔眷属です。眷属とは反対に負の思念……憎しみ、悲しみ、妬み、などの後ろ向きな思念から生み出されます。悪魔に近い存在ですね」
マイの説明にカミラは眉尻を下げた。
「……もしかして、私が生み出した、の?」
「カミラ様の聖石が壊れていたことから察するに、おそらくは」
「…………そう」
そっと目を伏せるカミラに、マイは優しく語りかけた。
「何があったのか話していただけませんか? 悩みがおありでしたら聞かせて下さい。少しでもお力になりたいです」
「………」
「魔眷属は眷属以上に滅多に生み出されない存在ですが、また生み出してしまうとも限りません。今回は運よくお助けできましたが、次は分からないです。カミラ様の身を守るためにも、打ち明けていただけませんか?」
「……確かにそれで人様に迷惑をかけるわけにはいかないわね」
カミラはそっと息をついた。ようやく話す気になってくれたようだ。
「私にはね、姉がいるの。美人で、頭がよくて、運動もできて、なんでもそつなくこなす、それでいてそのことを鼻にかけない優秀な姉がね」
カミラはそう語り始めた。
優秀な姉のことを、幼い頃は自慢に思っていたという。自分も姉のようになりたい、姉に近付きたい、その一心で姉のやることなすこと真似をしていたと。
しかし、カミラは姉のようにはなれなかった。何をしても姉には敵わなかった。姉への思いはいつしか劣等感に変わり、努力することさえやめた。
「けれど、こんな私を好きだと言ってくれる恋人ができた。そして、半年ほど交際してから結婚してほしいとプロポーズされたの。素直に嬉しかったし、姉がまだ結婚していなかったから、正直ようやく勝てたなんて思ったわ。ふふ、性格悪いわよね」
「そんなことは……」
「いいのよ。それで恋人が私の両親に結婚の挨拶をしに来てくれたのだけれど、その一週間後……つまり今日、結婚の話をなかったことにしてほしいと言われて振られたの」
「そんな……どうしてですか」
「それがねえ、私の家に来た日に姉と会って話をしたみたいで……それで姉に惚れたみたいね。運命の女性に出逢ったなんて言っていたわ。まあとにかく、その話を聞いて私思ってしまったのよ。お姉様なんていなくなってしまえばいいのにって。その感情が魔眷属を生み出してしまったのかもしれないわ」
カミラはそう話を引き結んだ。
確かにようやく掴みかけた幸せを失ってしまったことは、さぞつらかったことだろう。それを奪ったのが実の姉ならばなおさら。
けれど。
「違うと思います」
「え?」
「それが魔眷属の生み出された理由なら、魔眷属はカミラ様のお姉様を襲っていたはずです。ですが、実際はカミラ様が襲われた。……その続きを話して下さい」
本当はカミラが魔眷属に襲われた理由は見当がついている。しかし、マイはその思いに至った経緯を聞きたい。そして、励ましてあげたかった。
カミラはしばらく押し黙ったが、ここまで心の内を打ち明けたのならもうすべて吐き出してしまおうと思ったのかもしれない。あるいは、やはり他人に迷惑をかけたくないという思いからか、再び口を開いた。
「……姉の笑顔が頭に浮かんだの」
「お姉様の笑顔、ですか?」
「ええ、そう。私の優しい所が好きだって言ってくれた時の姉の笑顔を。そうしたら、一瞬でもいなくなってしまえばいいのになんて思ったことを後悔した。そして気付いたの。消えてしまえばいいのはお姉様じゃない。――私の方だって」
カミラは自嘲するように笑う。
「だって、そうでしょう? なんの取り柄もない、なんの価値もない私がいなくなったところで、誰も何も困らない。ううん、違う。もういい加減にお姉様への劣等感から解放されたかった。もうこの世から消えてしまいたかった……!」
「カミラ様……」
魔眷属が生み出されたのは、この感情で間違いない。魔眷属が生みの親を襲う。それは生みの親が死にたい、もしくは消えたいと思ったからに他ならない。
マイは慎重に言葉を選んで声をかけた。
「ご自分に価値がないとおっしゃっていますが、ではどうしてブレット様は身を挺してカミラ様を守ったのでしょう?」
「……執事だからでしょう。執事は主人を守ることも仕事のうち。ブレットは自分の仕事をこなしただけよ」
「果たしてそうでしょうか。私は違うと思います。ブレット様にとって、カミラ様が価値のある人だから守ったのだと思います」
「そんなわけ……」
そこへ、
「お嬢様……」
と、いつの間にかブレットが階下に立っていた。カミラはすぐにソファーから立ち上がって、彼の下へ駆け寄る。
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