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第11話 アズライトの忠節4
しおりを挟む「じゃあ、娘のことを頼むよ」
「はい」
カミラが聖石店『クロスリー』を訪れてから二日後。予定通り、彼はカミラの両親へ結婚の挨拶をしに来てくれた。特に両親は反対することはなく、カミラ達の結婚を認めた。
父が一緒に昼食を食べていかないかと誘ったが、彼は用事があるとのことで断り、帰るところである。
カミラとブレットは門の所まで彼を見送った。
「今日はありがとう。次はあなたのご両親へ挨拶しなければね」
「……そう、だね」
彼の返答はどことなく歯切れが悪い。そのことにカミラは首を傾げた。
「どうかした?」
「いや……ただ、少し考えさせてほしい」
「考えるって何を?」
「…………じゃあ、また」
彼はカミラの問いかけには答えず、立ち去っていった。カミラはその背中をただ黙って見つめることしかなかった。
そんなカミラにブレットは声をかける。
「なんだか、様子が変でしたね」
「……ええ。お父様とお母様、彼に何か失礼なことを言っていたかしら」
「私の記憶にある限りでは、お二人とも友好的でしたよ」
「そうよねえ……まあ、次に会った時にまた訊くわ。私達も屋敷へ戻りましょう」
そうして屋敷の中へ戻ると、二階から姉が下りてきた。その顔は笑顔だ。
「カミラちゃん! 結婚おめでとう!」
カミラは目をぱちくりとさせた。
「どうして知っているの? お父様かお母様から聞いた?」
「ううん、カミラちゃんの恋人……あ、もう婚約者か。とにかく、彼から聞いたのよ。優しそうな人だったじゃない。よかったね」
「え……」
彼が両親へ挨拶している間、姉は二階の自室にいたはずだ。見送りにだって顔を出さなかったし、どこで会って話したというのだろう。
「彼と会ったの? いつ?」
「カミラちゃんの婚約者がお手洗いに行った時だよ。たまたま私もお手洗いに下りてて、鉢合わせたの。それでご挨拶したら、カミラちゃんの恋人で今日は結婚の挨拶をしに来たって言うじゃない。びっくりしちゃった」
「そう、なんだ」
なんだろう。心がざわつく。
様子がおかしかった彼。そして、彼の「少し考えさせてほしい」とは――。
考え込むカミラの手を、姉は無邪気に笑いながら握った。
「幸せになってね、カミラちゃん」
「え、ええ」
「ふふ。じゃあ私、また自分の部屋に戻るから」
そう言って、姉は再び階段を上って自室へ引っ込んだ。一方のカミラは……その場に突っ立ったままだった。そのことをブレットは訝しんだのか、声をかけてきた。
「どうしました、お嬢様」
「……いえ、なんでもないわ。お父様とお母様の所へ戻りましょう」
結婚を了承してくれたことに感謝を伝えなくては。
それから一週間ほど経った頃だろうか。彼から呼び出されて、カミラはブレットとともに待ち合わせの喫茶店へと向かった。
すると、テラス席に彼の姿を見つけ、カミラは声をかけた。
「お待たせ。話って何?」
「……まず、座ってくれ」
「え、ええ」
なんだか、彼の表情が暗い。そのことにカミラは嫌な予感を覚えた。
そして――嫌な予感とは当たるものだ。彼の向かい側の席に座ってすぐ、カミラに向かって彼は頭を下げた。
「カミラ、すまない! 結婚の話を無かったことにしてくれ!」
「え……」
「この一週間、よく考えた。君とのことを。君は素敵な人だと思う。僕にはもったいないくらいの。君と別れたら後悔するかもしれない。だけど……出逢ってしまったんだ、運命の女性に」
「………」
運命の女性。それが誰のことなのか、カミラは勘付いた。けれど、違うかもしれないとも思って、彼に訊ねた。
「……運命の女性って誰のこと?」
「それは……」
「教えてちょうだい。私には知る権利があると思うわ。もちろん、その人に何か危害を加えるなんてこともしないから安心して。……教えてくれたら、お望み通り別れるから」
「……分かった。相手は――君のお姉さんだ」
カミラは俯き、そっと目を閉じた。……ああ、やっぱりそうか。
あの時から、姉と彼が鉢合わせしたと聞いた時から、そんな不安はあった。彼が姉に惹かれてしまったのではないか、姉を選ぶのではないか、と。
けれど、その一方で信じてもいた。カミラが彼とともに過ごした時間は、そんな簡単に覆るものではないだろう、姉にだって奪われるものではないだろう、と。
そう信じていた、のに。
カミラはゆるゆると目を開け、顔を上げた。
「そう。教えてくれてありがとう」
「……本当にすまない。でも、君なら他にいい人が現れるよ」
「………」
「今までありがとう。じゃあね」
彼は申し訳なさそうな顔で言い、席を立って去っていった。その背中をカミラは見送ることはなく再び俯く。周囲は賑わっており、ざわざわしているはずなのに、不思議とその話し声が聞こえない。
そんな無音の中で、
「お嬢様」
と、ブレットの声だけは聞こえた。
顔を上げるとブレットが傍まで来ており、気遣わしげな顔でカミラを覗き込んでいる。少し距離を置いていたはずだが、話の内容が聞こえていたようだ。
「大丈夫ですか?」
「……ええ。なんとなく、そんな予感がしていたから」
「お嬢様……私から聞いておいてなんですが、大丈夫のようには見えません。立てますか? ひとまず、屋敷へ戻りましょう」
「そう、ね」
カミラはブレットの手を借りて席から立ち上がり、喧騒の中をゆっくりと歩き出した。ブレットはその少し後ろに付き従う。
(私はやっぱり……お姉様には敵わない)
一瞬でも、勝ったと思った自分が滑稽だ。そもそも、ずっと昔に悟っていたことではないか。何をやっても姉に敵うはずないことは。――そう、一生。
その時、カミラはふと聖石店『クロスリー』に、新たな聖石ネックレスを注文したことを思い出して、足を止めた。
「お嬢様?」
カミラはブレットを振り返った。
「……屋敷へ戻る前に『クロスリー』へ行きましょう」
「まだ、ネックレスは出来上がっていないと思いますが……」
「違うわ。注文をキャンセルしに行くのよ。まあ、もう一週間以上経っているからできないかもしれないけれど、一応ね」
「どうしてですか。眷属が欲しいからとおっしゃっていたではありませんか」
「……もういい。もう……いいのよ」
どうせ、眷属だってカミラには生み出せない。だとしたら、二百五十七万ガルドも出費するなんて無駄遣いだ。カミラの小遣いから支払うといっても、元を辿れば親のお金である。聖石だって……他にいい買い手がいるだろう。
ということで、今度は聖石店『クロスリー』へと向かうことにして、カミラ達は再び歩き出した。下を向いて歩を進めながら、カミラは思う。
(どうして、お姉様ばかりが恵まれているの……?)
器量、勉学、運動、あらゆる習い事。何一つ、カミラは姉を上回ることができない。それどころか、姉はカミラから何もかも奪っていく。
自信、向上心、やる気、そして……恋人さえも。
――お姉様なんて、いなくなってしまえばいいのに。
一瞬、そう思ってしまった。けれど、同時に姉ののほほんとした笑顔が脳裏に浮かぶ。
『カミラちゃんのそういう所、好きだな』
優しい、優しい、姉の笑顔。その顔を思い出して、カミラは後悔の念に襲われた。
(私、は――)
その時だった。ピシリ、と何かがひび割れる音が聞こえた気がした。なんだろう、とふいと顔を上げるのと同時に。
「お嬢様! 止まって下さい!」
ぐいっと腕を引かれたかと思うと、ブレットの焦ったような声が耳に届いた。それもそのはずだ。カミラ達の目の前に漆黒の狼のような獣が立っていたのだ。
その漆黒の獣は、「グルルルル……」と唸りながら、ゆっくりとカミラに近付いてくる。どうしてこんな街中に獣が、それも図鑑でも見たことがない獣がいるのか。
周囲からも「な、なんだ!?」とざわめく声が上がっており、みな一目散にその場から逃げていく。
「お嬢様、逃げますよ!」
「え、ええ」
ブレットに手を引かれて、カミラもまた走り出した。
(なんなの、あれ!?)
まさか、悪魔だろうか。もしかしたら、狼が悪魔化したのかもしれない。そして、街中へと侵入してきた、というところだろうか。
ブレットもそう思ったのだろう。走りながら、「お嬢様、教会へ向かいましょう」と口を開いた。
ブレットの考えは分かった。教会には必ず一人は祓魔騎士が常駐している。駆け込んで助けを求めようということだ。聖石店『クロスリー』にも何故か祓魔騎士の姿があったが、今はあの店とは正反対の方向へ走っているので、あの祓魔騎士には頼れない。
(恋人には振られるわ、悪魔に追いかけられるわ、散々な日……って、あ!?)
王都の地面は石畳で舗装されているが、馬車が多く行き来するからか一部欠けている所があったようだ。そこに足が引っかかって、カミラは派手に転んだ。
「いたたた……」
「お嬢様!」
痛みに顔を顰めつつ顔を上げると、ブレットが転倒しているカミラの後方に、カミラを庇うように立った。しかし、その体はすぐにぐらりと傾いてブレットもまた倒れる。
「ブレット!?」
カミラは急いで立ち上がってブレットに駆け寄った。目の前に漆黒の獣がいようが、構わなかった。
ブレットの腹部は真っ赤な血に染まっている。襲われそうになったカミラを庇って怪我をしたということに違いない。
ブレットは掠れた声で言う。
「お嬢、様……お、逃げ……下さい」
「一人だけ逃げるなんてできるわけがないでしょう!」
カミラのせいで怪我をしたのに。こんなカミラを庇ってくれたブレットを置いて一人逃げるなんてことができるはずがない。
そんなやりとりを交わしている間に、漆黒の獣は再びカミラめがけて襲いかかってきた。
(死ぬ……!)
カミラはブレットの体に覆い被さり、ぎゅっと目を閉じた。
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