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第6話 スモーキークォーツの慈愛5
しおりを挟む「落ち着きましたか?」
「……ええ」
ソファーに腰かけているアルバータはそう答えたものの、その目は虚ろだった。無理もない。ずっと一緒にいたエイベルを失ってしまったのだから。
それでも、マイは仕事をしなければならない。
「こちらがリサイクル制度で交換できる聖石になります。どれになさいますか?」
マイはいくつかの聖石が並べられたトレイをテーブルの上に置いた。もちろん、どれも同じスモーキークォーツだ。ただ、アルバータが所持していたものとは色が違う。
アルバータは小さい声で言った。
「私にはもう眷属付きの聖石はないけど……?」
「はい。ですが、私がすぐに手配をしていれば、このような事態にはならなかったので……無償で聖石アクセサリーをご用意します」
「……そう。ありがとう。でも、なんでもいいわ。あなたがテキトーに選んで。あ、ペンダントはやめてちょうだい。ブレスレットにして」
「……分かりました。では、手首回りのサイズを測らせて下さい」
アルバータは無言で右手首を差し出した。マイは腰袋から巻尺を取り出し、彼女の手首のサイズを測る。
「ありがとうございます。一週間後にはご用意しておきますので」
「よろしく」
アルバータはそう言うと、ソファーから立ち上がって店の出入り口へ向かった。その足取りはふらふらとしていて、いかにショックを受けているのかが分かる。
マイもソファーから立って、彼女を外まで見送った。
「ありがとうございました。……あの、アルバータ様」
立ち去っていこうとしたアルバータは足を止め、力のない顔で振り返る。
「何?」
「エイベル様のこと……本当に残念です。ですが、エイベル様はおっしゃっていました。アルバータ様には幸せになってほしいと。今はおつらいでしょうが、どうか元気を出して下さい。エイベル様はそう望んでいると思います」
「……そうね」
それでもアルバータの虚ろな目は変わらない。こんな月並みな言葉では、彼女の心に響かないようだ。もっとも、今は誰が何を言ってもそうかもしれないけれど。
アルバータの姿が見えなくなるまでマイは店の前で頭を下げ続け、ほどなくして店内に戻った。客はいなくなったが、ずっと壁に寄りかかって立っている祓魔騎士がいる。マイから事情を聞くためだろう。
ちなみにこの祓魔騎士とは顔見知りだ。神学校時代の同期であり、名をイアンという。見た目は緑色の髪をしていて、ややつり目の双眸は黄褐色だ。顔立ちは……神学校の女子からはイケメンと称されていたが、マイにはいまいちピンとこない。
「クロスリー、一体何があった?」
これまで空気を読んで黙っていた祓魔騎士――イアンが、本題を切り出した。
マイは表情を曇らせたまま、事情を説明する。アルバータがリサイクル制度を利用するために来店してきたことから、アルバータが悪魔に憑りつかれたところをエイベルが祓って消滅したことまで。
話を聞いたイアンは一喝した。
「相手が聖石を持っているかどうか確認するのは、基本中の基本だろう! 今回は運よく悪魔祓いに成功したからいいが、もし悪魔化していたらどう責任を取るつもりだったんだ! ミスなんて言葉じゃ済まされないぞ!」
「……うん」
俯くマイの表情から反省していることが伝わったのか、イアンはそれ以上は小言を言わず、代わりにため息をついた。
「はあ……それでなんでお前は、客の注文にすぐ応対しなかったんだ」
「だって……リサイクル制度だよ? 楽園(エデン)行きがどういうことか、イアン君だって分かってるでしょ?」
「う……それは、まあ……」
楽園(エデン)行き。それは……実は、総本山へ送られてそこで思念解除師という特殊な聖職者の力により、無に帰すことを指す。つまりは消滅させられるということだ。一般人に知らされている、同じ眷属が集まる世界で幸せに暮らせるという話は大嘘なのである。
これは、真実を知ってしまうと、眷属に愛着を持つ人々が眷属を消滅させまいと聖石を身内に受け継がせる習慣ができてしまい、神託教団の収益が損なわれるから隠しているのではないか、というのがオーレリアの推測だ。
ともかく、楽園(エデン)送りの真実は、決して口外してはいけない聖職者のみぞ知る話。もっとも、エイベルにはバレてしまっていたのだが。
「私、アルバータさんに考え直してほしくて……」
「気持ちは分からなくはない。だが、リサイクル制度というものがある以上、聖石細工師であるお前には避けて通れないことなんじゃないのか。これから先も、リサイクル制度を利用する客は現れるだろう。まさか、承っていないとでも言うつもりか」
「……分かってるよ。私も覚悟を決めなきゃいけないことくらい。でも、やっぱりさ、心が痛むよ。眷属だって一つの命なのに」
「それでも俺達がどうこうできることじゃない。それに……聖石だって無限にあるわけじゃないんだ。使い回さなければ、世界中の人々に行き渡らないかもしれない。仮に本当に楽園を作ったとして、眷属には基本的に死はないから、土地がいくらあっても足りなくなるだろうしな」
「じゃあ、眷属付きの聖石のまま売るとか……」
「眷属は自分を生み出してくれた人に深い情を抱く。新しい主人に懐くかどうか、分からないだろう。それはそれで新たな問題になる」
「………」
結局、神託教団の収益のことを抜きにしても、リサイクル制度が理にかなっているということか。
イアンはすっと身を翻した。
「まあ、とにかく今回の件は上層部に報告しなきゃならない。じゃあな」
立ち去って行こうとするイアンの背中に、マイはどんっと額をぶつけた。それにはイアンは驚いた様子で顔だけをマイに向けた。
「どうした」
「泣き言、言ってもいい?」
「……仕方ない。同期のよしみで聞いてやるよ」
「ありがとう……」
先に礼を言ってから、マイはこれまで我慢していた心情を吐露した。
「私……エイベルさんを見殺しにしちゃった…ぁ……」
マイが悪魔を祓おうとした時に言われたエイベルの制止の言葉に、聖術を使うのを躊躇してしまった。楽園(エデン)行きで逝くより、アルバータのことを守って逝った方がエイベルは幸せなのだろうか。そんな一瞬の迷いが、エイベルを殺した。
「客はリサイクル制度を利用しようとしていたんだろう。結果は同じだった」
「でも、アルバータさんは言ってた……エイベルさんに謝ろうと思ってたって…っ……きっと、キャンセルしようとしたんだよ……」
アルバータに憑りついた悪魔をマイが祓っていたら。
いや、そもそもアルバータが他に聖石を持っているのかの確認を怠っていなかったら。
そうしたら――二人は仲直りして、今も一緒にいたかもしれない。そんな二人の可能性をマイは奪ったのだ。
「お前は知らなかったんだ。仕方のないことだ」
「仕方なくない……仕方なくなんてないよ…っ……」
ポロポロと涙が零れ落ちた。堰を切ったように溢れ、止まらない。
すすり泣くマイにイアンは顔を正面に向けて、言う。
「なら、お前はもう聖石細工師をやめるのか?」
「……そういう、わけじゃ……」
「つらいのは分かる。だが、いつまでも引きずるな。といっても、そのエイベルとやらのことを忘れろと言っているわけじゃないぞ。故人を偲ぶと言うだろう。死を乗り越えた上で、前へ進め。それが弔いになる」
「……そう、かな」
「俺はそう思う。死者は生者の記憶の中でしか生きられない。忘れないことがお前にとっての償いにもなるんじゃないか」
償い。
その言葉はマイの心に重くのしかかった。けれど、それでいいのだと思う。イアンの言う通り、今回のことを忘れてはならない。
同じ失敗は繰り返さない。――もう二度と。
「五分だけ背中を貸してやる。それで立ち直れ」
「イアン君って、優しいけど厳しい人だね」
「どっちなんだ、それは」
「両方を兼ね備えてるってことだよ。……ありがとう」
イアンの背中に額を当てたまま、マイはそっと目を閉じた。
「こちらがご用意したものです」
それから一週間後、店にやって来たアルバータに、マイは制作した聖石ブレスレットを差し出した。アルバータは早速右手首に嵌め、付け心地を確かめる。
「いかがでしょうか」
「うん、ちょうどいいわ。ありがとう」
微笑んで返すアルバータの表情には力が無い。着ている服は新しい物だが、髪はボサボサで顔もすっぴんであり、装いを整える気力もないらしい。よほど、エイベルの死が堪えているのだろうな、とマイは思った。
「あの、アルバータ様。こちらも受け取って下さい」
マイは小さな鍵をアルバータに差し出した。それにはアルバータは目をぱちくりさせる。
「何、これ」
「エイベル様が消滅した日に、店内を掃除していたら床に落ちていた物です。エイベル様が消える直前に立っていた所に落ちていたので……エイベル様の遺品かと思われます。ですから、アルバータ様に」
「……そう。ありがとう」
「それから、アルバータ様。申し訳ありませんでした」
「何が?」
「エイベル様が消滅した件です。あの時、私でも悪魔を祓うことはできました。そうしていたら、エイベル様は消えなくて済んだのに、と」
目を伏せて告げるマイに、アルバータは少々呆れた顔をした。
「あなた、バカ正直な子ね」
「……謝罪しないと気が済みませんから」
好きなだけ責めてほしい。アルバータにはその資格がある。
けれど、アルバータはやれやれと言いたげな顔をして腕を組んだ。
「私、あの時の記憶はおぼろげながらあるのよ。あの時、エイベルが自分でやると言ってあなたを止めたのでしょう。あなたはその意思を尊重した。違う?」
「それは……」
「あなたが気に病む必要はないわ。全部……私の自業自得よ。あんなに私を大事にしてくれていたエイベルを手放そうとしたから。だから罰が当たったの」
「………」
「はい、これ。あの祓魔騎士に返しておいて」
アルバータはイアンから借りていた聖石ペンダントをマイに渡し、「じゃあね」と身を翻した。マイは慌てて先回りして店の出入り口の扉を開け、店を出て行くアルバータを外まで見送りに出る。
「ありがとうございました」
マイは深々と頭を下げ、アルバータを見送った。
(アルバータさん……エイベルさんの死を乗り越えられるといいな)
そして、どうか幸せを掴んでほしい。
アルバータの背中が見えなくなってから、マイは店内に戻った。カウンターで椅子に座って新たな客を待っていると、
「あ、イアン君」
呼び鈴が鳴ったかと思うと、イアンが顔を出した。もしかして、アルバータに貸していた聖石ペンダントを受け取りに来たのだろうか。
そう思って、カウンターまでやって来たイアンに聖石ペンダントを渡す。
「はい、イアン君。アルバータさんに貸してくれてた聖石だよ。ありがとう」
「おう。そうか、新しい聖石を受け取りに来たのか」
イアンはマイから聖石ペンダントを受け取って懐にしまう。そして、疑わしい目でマイを見下ろした。
「ちゃんとした物を作れたんだろうな」
「むう……失礼な。私はちゃんとお師匠様に技術を叩き込まれているんだから」
「その師匠って、オーレリアという名か? 彼女がこの店の店主だそうじゃないか。この前といい、今日といい、姿が見当たらないが……」
不思議そうな顔をするイアンにマイは苦々しく言う。
「それが……私に店を任せて旅とやらに出ちゃって」
「……それは災難だな」
そうとしか言えないという顔でイアンは言ってから、本題を切り出した。
「ところで、この前の件の話なんだけどな」
「え……も、もしかして何か処分があるとか?」
「いや、お前は新人だし、初めての客相手だった。情状酌量の余地があるということで処分はない。だが、しばらく見守り役という名の監視が必要だろうということになってな、その役目に俺が選ばれた」
「えーっと、それってつまり……」
イアンは腕を組み、頷いた。
「そうだ。しばらく俺はこの店に通って、お前の仕事ぶりを監視することになった」
「えぇえええええ!?」
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