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第5話 スモーキークォーツの慈愛4

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(どうしよう……)

 アルバータの聖石を握り締めたまま、マイはソファーに座って考え込んでいた。
 一向に新しい聖石アクセサリーを作る気配がないことを訝しんだのか、同じくソファーに座っているエイベルが声をかける。

「マイちゃん、客からの注文品を作らないの?」
「え、えっと……その……」

 なんと返したらいいのだろう。言い淀むマイにエイベルはふっと笑った。

「ありがとう」
「え?」
「ごめんね。ちょっと思念を読ませてもらったわ」

 思念を読む。それは相手の考えていることを読むということだ。
 思念体である眷属には、そういった能力がある者がいるという。ただし個体差はあり、人間の心はもちろん、動物や植物の心を読むことができる眷属もいれば、まるで思念を読めない眷属もいるそうだけれど。

「……エイベル様は思念を読めるんですね」
「強い思念だけよ。例えば、妻子への愛が薄くて不倫相手に入れ込んでいる男の正体は、見抜けなかったしね」
「それって、もしかしてアルバータ様の恋愛事情ですか?」
「ええ。あの時は見抜けなかった自分に腹が立ったわ。その八つ当たりも込めて、相手の男を殴り飛ばしたけどね~」

 殴り飛ばした時はすっきりしたわあ、とエイベルは笑う。マイは果たして笑っていいのか分からず、「アルバータ様のことを大切に思っているんですね」と無難に相槌を打った。

「そうね。赤ん坊の頃から見守ってきたのだもの。幸せになってほしいと思っているわ」

 エイベルは優しい笑みを浮かべる。その表情は慈愛に満ちていて、どれだけアルバータのことを大切に思っているのか伝わってくる。

(こんなに思っていてくれるのに……)

 アルバータは何故、今になって手放そうとしているのか。
 内心疑問に思うマイに、エイベルは話を続けた。

「……でもねえ、あの子、男運が悪くて。いえ、男を見る目がないと言った方がいいのかしら。とにかく、惹かれるのはダメンズばっかりで困ったものだわ」
「ダメンズ、ですか」
「ええ。浮気、DV、ギャンブル、借金。それでもアルバータのことを好きなのなら、まだマシだったわ。けど、それさえもなかった」

 思念を読めるエイベルだ。相手の男性に恋愛感情がないことも分かるのだろう。

「そのことをアルバータ様に伝えてきたんですか?」
「最初は言わないわ。付き合っているうちに恋愛感情が芽生えることもあるし、あの子が自分で気付いて学習するべきだと思うから。でもそうね、相手のダメンズぶりが加速してきたら、やめなさいと忠告するわ。ま、ろくに聞いてくれないけど」

 エイベルは肩を竦めてみせた後、目をそっと伏せた。

「……今回もね、あの子に貢がせる男がいるんだけど、その金を確保するためにあの子は働き過ぎて過労で倒れてしまって。これはやばいと思って、ついどれだけ尽くしてもあんたの思いは報われないって言っちゃったのよねえ。それで頭にきて、あたしを楽園(エデン)送りにしようと決めたみたい」
「そう、だったんですか……」

 エイベルを鬱陶しいと言っていたのは、自分の恋愛に口を挟まれるからかもしれない。恋は盲目というし、どんなにダメンズでも好きな人のことを悪く言われるのは嫌だったのだろう。
 けれど、と思う。

「そういう事情でしたら、なおさらアルバータ様に考え直していただいた方がいいんじゃないでしょうか。今はただ、感情的になって冷静ではないだけだと思います」
「いえ、いいの。新しい聖石を用意してあげてちょうだい」
「どうしてですか! 楽園(エデン)送りになったら、もう……!」

 必死に食い下がるマイに、エイベルは困ったような顔をして。

「……もう自信がないのよ。あたしじゃ、あの子を幸せに導いてあげられない。でも、新しい聖石から違う眷属が生まれたら、それが変わるかもしれないでしょ?」
「でもだって、エイベル様はこんなにもアルバータ様のことを大切に思っているじゃないですか! アルバータ様にはエイベル様が必要です!」
「ふふ、ありがとう。でも、本当にもういいの。あの子の望み通り楽園(エデン)へ行くわ。あの子の幸せな姿を見届けられないのは残念だけど……」
「そんな……」

 エイベルの決意もまた、固そうだ。
 うなだれるマイは、どうにかこの二人のすれ違いを解消できないか、と二人が店にやって来た時の会話を振り返る。すると、疑問が生まれた。

「あの……アルバータ様は自分だけの新しい聖石が欲しいと言っていましたが、今、身に付けている聖石もお祖母の形見とかなんですか?」
「今、身に付けている聖石……?」

 エイベルははっとした顔になって、その顔はみるみるうちに青ざめていった。

「マイちゃん、お願い! あたしの聖石をアルバータの所へ持って行って!」
「え?」
「あの子、あたしの他に聖石なんて持っていないわ! だから今、何も身に付けていないはずなのよ!」
「ええ!?」

 それはまずい。この世界において、聖石は悪魔から身を守る必需品だ。
 あまりにも堂々と聖石を置いていったから、てっきり他に聖石を身に付けているのだろうと勝手に思い込んでしまっていた。マイのミスだ。
 マイはアルバータの聖石を持って――眷属は自身の聖石を持ち歩くことはできない――、慌ててエイベルとともに店を出ようとした。
 その時。

(ん!? 悪魔の気配……!?)

 そのことにエイベルも気付いたのだろう。二人は足を止めた。
 悪魔の気配はこの店に向かってきている。身構える二人の前に、店の扉が開いて姿を現したのは――。

「アルバータ!?」

 そう、アルバータだった。全身から黒いもやが出ており、額には角が生えている。しかし、その角はまだ透けていることから、悪魔化まではいっていないと推察された。

「エい……べル……」
「アルバータ、しっかりしなさい!」

 店の戸口の前に崩れ落ちたアルバータの下へ、エイベルはすぐさま駆け寄る。マイもその後ろに立った。

(まだ、今なら祓える!)

 マイは神学校で祓魔科に在籍していた。聖石細工師になるために必要だったことで、そこでは聖力の扱い、そして悪魔祓いの仕方をきっちり学んでいる。
 聖術を発動しようとしたマイに、けれどエイベルは止めた。

「待って、マイちゃん。私がやるわ」
「え、でも……」

 戸惑うマイにエイベルはふっと笑って。

「楽園(エデン)送りになって逝くより、この子を守って逝きたいの」

 その言葉にマイは、聖術を使うのに躊躇してしまった。その一瞬をついて、エイベルはアルバータに向かって聖術を発動する。
 白光の魔法陣がアルバータの体の下に出現したかと思うと、彼女の体は白い光に包まれた。やがて光が消えた時には角は消え、黒いもやもなくなっている。悪魔祓いに成功したのだ。
 けれど、その代償は重いものだった。

「大丈夫? アルバータ」
「う……エイ、ベル……?」

 顔を上げたアルバータの目の前にはエイベルがいる。しかし……その体は透き通っており、いくつもの小さな白い光が周囲に浮いている。
 いつもとは様子が違うことに、アルバータは戸惑いの表情を浮かべた。

「え、何? どうしたの?」
「……アルバータ。あんたはいい女よ」
「え?」

 エイベルは慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、そっとアルバータの頬に手を触れた。

「だからあんたを大事にしてくれない男なんて、あんたから切り捨てなさい。男なんて星の数ほどいるんだから。いつか、あんたを大事にしてくれる男と出逢えるわ」
「な、何? 急にどうしたの? それになんで体が透き通っているわけ……?」
「最期に一つアドバイス。結婚して幸せになる、じゃなくて、一緒にいて幸せだと思える人と結婚すること。結婚なんてね、スタートに過ぎないんだから。大変なのはその先よ」

 アルバータの頬に触れていたエイベルの手が、ゆっくりと消えていく。そのことにエイベルは少し寂しそうな顔をして、けれど笑った。

「あんたと過ごした時間、楽しかったわ。じゃあね、あたしのだ――」

 何か言いかけたところでエイベルの体が一際強い白光を放ち、弾け飛ぶようにその体は消え失せた。
 と、同時に再び店の扉が勢いよく開き、

「おい! 悪魔の気配がしたが、大丈夫か!?」

 祓魔騎士の制服に身を包んだ少年が駆け込んで来た。しかし、悪魔はもういない。祓魔騎士はそのことに訝しんだ顔をしたが、目の前にうつ伏せになっているアルバータが聖石を身に付けていないことに気付いたのか、懐から聖石のペンダントを取り出して彼女の首にかけた。
 けれど、アルバータはそんなことに構わず、立ち上がってマイに詰め寄った。

「ねえ! どういうこと!?」
「……エイベル様は聖力を使い果たして、消滅しました」
「え……?」

 何を言われたのか分からない。そんな顔をするアルバータの目の前に、マイは彼女の聖石を掲げてみせた。淡茶色の宝石にはヒビが入っており、それは聖石が壊れたことを意味していた。聖石が壊れれば、眷属は消滅する。眷属とはそういう存在だ。
 目の前に突き付けられてアルバータはそのことを理解したようだったが、なおも言う。

「も、戻せるのよね!?」
「一度壊れた聖石は直せません。仮に直せたとしても……エイベル様はもう戻ってきません」

 そう告げるマイの面持ちは沈痛だ。
 一方のアルバータは鈍器で殴られたような表情を浮かべていた。そして、へなへなとその場に座り込む。その目には涙が滲んでいた。

「嘘……嘘、でしょう。私…っ……謝ろうと思っていたのに。ひどいことを言ってごめんって……それでまた一緒にいようって……う、ぁ……うぁあああああああ!」

 アルバータの悲痛な泣き声が、店内に響き渡った……。

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