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第4話 スモーキークォーツの慈愛3
しおりを挟む(あいつがいないって、こんなに快適なことだったのね)
常に身の回りに張り付いていたエイベルがいない。それはこれ以上ないほどの解放感があり、アルバータは上機嫌で集合住宅(アパート)の部屋に戻った。
(さて……着替えなくちゃね。勢いでドレスのままであの店に行っちゃったけど、変に思われたかしら)
仮にそうだとして、けれど、いまさら気にしてもどうしようもないことだ。アルバータはまあいいかと忘れることにして、普段着に着替えた。結い上げていた髪もほどいて、ごく一般的な街娘へと戻る。……化粧は少々濃いかもしれないが。
(ドレスも店に返しに行かなくちゃ。それとも、次に出勤する時でいいかしら。いや、でも勤務中に倒れちゃったから、店長達も心配しているだろうしねえ……)
とりあえず、店長にだけはもう大丈夫だ、という旨を伝えた方がいいかもしれない。そのついでにドレスを返そう。
そう決め、アルバータは朝食を食べてからドレスを持って再び部屋を出た。その足取りは自分でも驚くほど軽い。
(快適、快適。一人っていいものね)
エイベルのことを、いかに鬱陶しく思っていたことが分かろうものだ。
そんなことを思いながら、歓楽街へ向かっていると、その途中で店長と遭遇した。
「アルバータちゃん?」
「店長!」
店長といっても、まだ三十路前後と若い男性だ。従業員に分け隔てなく優しい人で、面倒見もいい。ゆえに従業員から慕われている。それはアルバータも例外ではなかった。
「あの、昨日は突然倒れて申し訳ありませんでした。これ、お借りしていたドレスです」
「わざわざありがとう。気にしなくていいよ。それよりもう大丈夫なのかい?」
「はい。一晩休んだらすっかり元気です」
「それならよかった。……ん?」
店長はきょろきょろと周囲を見回してから、目をぱちくりさせた。
「アルバータちゃん、エイベル君は?」
「あいつなら聖石店にいます。リサイクル制度を利用しようと思って」
「ええ!?」
信じられないことを聞いた、という顔で店長は目を見開く。そして、やがて戸惑ったような様子で訊ねてきた。
「ほ、本当に……? 何かあったのかい?」
「いえ、以前から鬱陶しいと思っていたんですよ。それに話したことがあるかもしれませんが、祖母の形見でお古でして。いい機会だから、新しい聖石が欲しいなあと思って」
「……アルバータちゃん、余計なお世話かもしれないけど、彼を手放さない方がいいと思うよ?」
「え?」
今度はアルバータが目をぱちくりとさせた。
「どうして、ですか」
「昨日のことだけど、彼は倒れたアルバータちゃんのことを本当に心配していた。医者に診てもらって単なる過労だから大丈夫と言われた時も、本当に安堵した様子でね。自分を大事に思ってくれる子のことは、それ以上に大事にした方がいい」
「………」
「それに昨日のことだけじゃないだろう。アルバータちゃん、前に僕に話してくれたじゃないか。これまでろくな男に巡り合わなかった、散々泣かされてきたって。きっとそのたびにエイベル君がアルバータちゃんのことを陰で支えてくれたんじゃないのかい?」
「あ……」
そうだ、その通りだ。
浮気、DV、ギャンブル、借金。好きになる人がことごとくダメンズばかりで、アルバータは泣かされてきてばかりだった。しかし、ずるずると付き合わずに済んだのは、エイベルが傍にいて支えてくれたからに他ならない。
アルバータはエイベルに甘えているのかもしれないと気付いた。傍で支えてもらうことは、決して当たり前のことではないのだ。店長が言いたいのもそういうことだろう。
「……そう、ですね。考え直します」
「うん、そうするといい。ところで、アルバータちゃんってエイベル君以外の聖石を持っていたのかい?」
「いえ、持っていませんが……?」
だから、新しい聖石が欲しい、とリサイクル制度を利用しようとしていたのではないか。
どうしてそんなことを訊いてくるのだろうと首を傾げると、店長は慌てた様子で言った。
「じゃあ今、聖石を持っていないのかい!?」
その言葉でアルバータははっとした。聖石を持っていない。それはこの世界では非常に危険な状態だ。悪魔に憑りついてくれと言っているようなものである。
「アルバータちゃん、早くエイベル君を返してもらった方がいいよ!」
「は、はいっ。じゃあ、失礼します!」
店長と別れ、アルバータは急いで来た道を引き返した。
早くあの店へ戻らねば。早く聖石を身に付けたいという思いもあるが、何よりもし、あの聖石細工師が新しい聖石アクセサリーを作っていたら、キャンセルできなくなってしまうかもしれない。
『一時の感情で聖石を手放すのはよくないです。眷属がいるのならなおさら。失ってから大切さに気付いても遅いんです』
あの聖石細工師が言っていた言葉が思い出される。
(エイベルに謝らなきゃ)
楽園(エデン)送りにしようとしてごめん、と。
許してくれるだろうか。また、傍にいてくれるだろうか。
振り返れば、これまで随分と支えてもらった。口うるさくはあったが、エイベルだけはいつもアルバータの味方でいてくれた。子供の頃にいじめに遭った時も、両親の反対を押し切って実家から王都へ来ようとした時も。
こんなこともあった。もう五年ほど前のことだろうか。エイベルが珍しくやめなさいと言わない男性と付き合ったと思ったら、なんと男性は既婚者だった。ようやくまともな恋愛ができていると思っていただけに、アルバータはショックで泣き明かした。
けれど、いつか妻と別れてくれるかもしれない。そう思って付き合いを続けようとしたアルバータを、エイベルは「人の道を外れた真似だけはやめなさい」と叱り、その上でその男性を殴り飛ばした。
『あたしの大事なアルバータを巻き込まないでちょうだい!』
あれほど激昂したエイベルを、アルバータは後にも先にも見たことがない。
――あたしの『大事』なアルバータ。
改めて思う。やはりアルバータはエイベルに甘えているのだ。自分のことを大切に思ってくれる、それがどれだけありがたいことかアルバータは気付いていなかった。ずっと、ずっと、あまりにも近くにいすぎたから。
そんなことを考えながら雑踏の中を歩いていると、ふと好きな人の声が耳に入って、アルバータは思わず足を止めた。周囲を見回すと、喫茶店のテラス席に彼と……彼の友人だろうか。彼が数人の男性と話しているところを見つけた。
「お前さ、また女から金を騙し取ってんの?」
「うん。今回の女はチョロイぜ。水商売まで始めてさ」
「お前、バレて刺されても知らねえぞ~」
「そんなヘマはしねえって」
彼と男性達は楽しげに笑っている。お金を騙し取る、という言葉が引っかかってアルバータは聞き耳を立てた。
「で、今度はなんて名前の子なの?」
男性の質問に彼は言った。
「アルバータ」
そこから先は、不思議と喧騒に紛れて声が聞こえなくなった。しかし、仮に聞こえていたとしても、アルバータの頭には入ってこなかっただろう。
アルバータは茫然と呟いた。
「嘘……」
また……また、なのか。
また、アルバータはろくでもない男に引っかかっていたらしい。
エイベルの言うことが正しかった。どれだけ尽くしても……思いが報われることなどなかったのだ。
(好きだった、のに……)
周りのみんなは幸せそうに恋愛しているのに、どうしてアルバータだけがこうなのだろう。どうしてアルバータだけが報われないのだろう。
(どうして、私だけ……)
立ち尽くしたままのアルバータの耳に、嘲笑うような声が聞こえた。
《――見ぃつけた》
「え? ――きゃあああああ!」
突然、アルバータを黒い光が包み込んだ。すると、全身に激痛が走り、体が……熱い。とてもではないが立っていられず、アルバータはその場にしゃがみ込んだ。
《体を寄越せ、女》
「う……い、いやっ」
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(誰か……助けて……)
そう思った瞬間、真っ先に思い浮かんだのはエイベルの顔だった。
「エイ、ベル……」
アルバータはなんとか立ち上がり、よろよろと歩き出した。
――エイベルがいるはずの、あの店へ向かって。
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