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第3話 スモーキークォーツの慈愛2
しおりを挟む「よし、と」
店の扉に紐で吊り下げられた木製の表札を、『CLOSE』から『OPEN』へと変える。これで聖石店『クロスリー』、開店だ。
マイは店内に戻り、カウンターの裏にある椅子に腰を下ろした。そして、頬杖をつく。
(はあ……本当に私一人でやっていけるのかな……?)
まさか、オーレリアがいなくなるとは思っていなかった。てっきり、ずっと一緒にこの店で働けるものとばかり思っていたのに。
というか、神学校に入学する時に借りた授業料などの返済はどうすればいいのだろう。旅とやらから戻って来た時にまとめて返せばいいのだろうか。
(お師匠様が帰って来る前に潰れてないといいけど、このお店……)
なにせ、店の経営なんてマイには未知の領域だ。聖石細工師としても駆け出しだし、果たして存続させることができるのかどうか。
はあ、と盛大なため息をつくマイの耳に、やがて来客を告げる呼び鈴の音が響いた。
「あっ、いらっしゃいませ」
まさか、初日から客が来るとは思わず、マイは慌てて椅子から立ち上がった。
客は二十代半ば頃に見える女性と、二十代後半に見える男性の二人だった。女性の方は派手な赤いドレスに身を包んでおり、男性の方はごく一般的な服を着ている。なんだか、ちぐはぐな組み合わせだなあ、という第一印象をマイは抱いた。
そして。
(あ、この男の人、眷属だ……)
聖力を持つ――この世界では加護持ちと呼ばれる――マイには、一目で分かった。
眷属とは、聖石に強い正の思念が宿った場合にそれが具現化した存在である。犬、猫、竜、など様々な姿形を取るが、人型というのは大変珍しい。
(確か眷属って、その聖石からあんまり離れられないんだったよね)
ゆえに持ち主と眷属は常に行動をともにしなければならない。無理矢理離れようとしても、眷属の方の体が勝手に聖石へと近付いていくものだという。
まあともかく、いつまでも客を立ちっぱなしにさせておくわけにはいかない。マイはにこっと笑ってソファーを手の平で指し示した。
「お客様、こちらのソファーへどうぞ。今、紅茶を淹れてきます」
マイは急いで一旦、奥へと下がった。奥には工房と簡易的なキッチンが備え付けられており、今回はキッチンで湯を沸かして紅茶を淹れた。紅茶に関しては、いつもオーレリアが淹れてくれていたのでその手つきはおぼつかない。
(なんか、色が濃いような……ま、まあいいか)
三人分の紅茶をお盆に乗せて応接間に運び、マイはソファーに座っている彼らの前に「お待たせしました」と紅茶をテーブルに置いた。
「ありがとう」
「ありがとう、お嬢ちゃん」
彼らは礼を述べてから、ティーカップに口をつける。すると、二人とも「「うっ……」」と顔を歪めて、一口飲んだだけでティーカップを受け皿に戻してしまった。
マズかったのだろうか。そう思って、彼らの向かい側のソファーに座ったマイも紅茶を一口飲んでみたところ、オーレリアが淹れてくれる紅茶とは程遠い渋い味が口の中に広がって、マイも一口でティーカップを受け皿に戻した。
これは紅茶を淹れるスキルも磨かねばならないようだ。
「紅茶を上手く淹れられなくてすみません」
「気にしなくていいわ。まあ、他の客のために腕を磨いた方がいいとは思うけど」
「……はい」
おっしゃる通り。
マイは改めて女性の顔を見た。美しく整った顔にはばっちりと化粧が施されており、ドレスを着ていることもあって夜の女を思わせる。少々気のきつそうな面立ちだが、マズイ紅茶に文句を言わない辺り優しい人なのだろう。
そして、その胸元には淡茶色の聖石のペンダントがある。
(スモーキークォーツ、かあ)
スモーキークォーツ。和名、煙水晶。
元の世界でも、この世界でも、比較的安価で購入できる宝石である。元の世界では、『最強の魔除け』という石言葉を持ち、古来より悪魔祓いや厄除けのお守りとして使われていたという。
女性もまた、マイを見つめた。その目は少々疑わしそうだ。
「あなた、まだ幼いけど聖石細工師なのよね?」
「はい。まだ駆け出しの新人ですが……あ、そういえば名乗っていませんでしたね。失礼しました。私はマイ・クロスリーです。お二人の名前も伺ってもよろしいでしょうか」
「私はアルバータ。こっちの男はエイベルよ」
「よろしく~」
紹介された男性――エイベルはにこりと笑う。マイも「よろしくお願いします」と微笑み返してから、再び女性――アルバータに視線を戻した。
「アルバータ様とエイベル様ですね。エイベル様は眷属のようですから、ご用があるのはアルバータ様ということでしょうか」
それにはアルバータの目が、感心したものに変わった。
「あら、分かるのね。さすが、加護持ちだわ」
「いえ、大したことでは。それにしても、人間の姿をした眷属をお連れだなんて珍しいですね」
「祖母の形見なのよ。私が生み出したわけではないわ」
「お祖母様の形見、ですか。それもまた珍しいですね。故人の聖石は手放すのが一般的ですから」
もっとも、彼女の聖石は手放さなくてよかったなあ、と思うけれど。
そんなマイの心とは正反対に、アルバータは「そうなのよ」と不満げに口を尖らせた。
「そのせいで私に与えられて、生まれた時からエイベルとずっーと一緒。もうね、鬱陶しいのよね。どこに行くにもついてきて」
「何よ~、子供の頃はあんたの方があたしの後ろをとことこついてきていたじゃない。それなのに、大人になったらこの言い草。薄情なものよね」
エイベルは肩を竦めてみせる。マイは正直、エイベルの話の内容よりその口調に面食らってしまった。オ、オネエだったのか。人型で、さらにオネエの眷属とは珍しいなんてものではない。
「それで……本日はどのようなご用件で当店にいらしたのでしょうか」
雑談もそこそこに、マイは本題を切り出した。すると、アルバータは「あ、そうだったわね」とこの店を訪れた目的を思い出したようで、どこか怒ったような顔つきでエイベルを見ながら口を開いた。
「リサイクル制度を利用したいの」
「え……」
思わずマイは固まってしまった。
リサイクル制度とは、眷属付きの聖石を同等の聖石と交換する制度であり、というか眷属付きの聖石はこの方法でしか手放すことができない。
オーレリア曰く、普通の売却を許可すると、一般人が眷属という付加価値があるのだから高く引き取れ、という考えになるかもしれないことを危惧して定めた決まりではないかという話だ。要するに神託教団の利益を損なわないために、ということだろう。
リサイクル制度で引き取られた眷属付きの聖石は、楽園(エデン)送りとなる。そこは同じ眷属が集まる世界で幸せに暮らせる――というのが、一般人に教えられている話だ。
エイベルも「ええ!?」と考えてもみなかったという顔で驚きの声を上げた。
「ちょっと! あたしを楽園(エデン)送りにする気!?」
「ふん、鬱陶しいあなたが悪いのよ」
「いくらなんでも酷いわ! あたし達、ずっと一緒だったじゃない! これからも一緒にいましょうよ!」
「私はお祖母ちゃんのお古じゃなくて、新しい聖石が欲しいの。いい機会だわ。せいぜいそっちで幸せに暮らすことね」
「アルバータ……」
しゅんとするエイベルにマイは加勢した。
「素敵な聖石じゃないですか。手放すなんてもったいないです。そうだ、ペンダントではなく、ブレスレットにしてみるというのはどうですか? 気分が変わると思います」
「結構よ。さっき、言ったでしょう。私は新しい聖石が欲しいの。自分だけのね」
「でも……楽園(エデン)送りになったら、もう二度と会えなくなってしまうんですよ? 生まれた時からご一緒だったとのことなのに、寂しくはないんですか?」
「もう顔を見なくて済むなんて清々するわ」
「………」
アルバータの決意は固そうだ。さっき、怒ったような顔をしていたことから、何かあったのではないかと察せられる。その問題を解決できたら、考え直してくれるだろうか。
「先程からエイベル様のことを何度も鬱陶しいとおっしゃっていますが、具体的にどのように鬱陶しいのでしょうか?」
マイの踏み込んだ質問に、アルバータは面倒臭そうな顔をした。
「はあ? どうしてそんなことを話さなきゃならないのよ。客がリサイクル制度を利用したいって言っているんだから、さっさと新しい聖石を用意しなさいよ」
「何があったのかは分かりませんが、一時の感情で聖石を手放すのはよくないです。眷属がいるのならなおさら。失ってから大切さに気付いても遅いんです」
「うるさいわね。小娘に説教なんてされたくないわ。――もういい。この聖石を置いていくから、次に来る時までに新しい聖石アクセサリーを用意しておいて。ペンダントでもブレスレットでもなんでもいいから」
アルバータは苛立った口調で言い、首から下げていたペンダントをテーブルに叩きつけるように置いて、席を立った。ずんずんと店の出入り口へ向かう彼女を、マイはペンダントを持って慌てて追いかける。
「あっ、お待ち下さい、アルバータ様!」
「じゃあ頼んだわよ」
アルバータは片手をひらひらと揺らして、店を出ていく。その背中からはペンダントを受け取る気がまるで感じられず、マイは店の前に立ち尽くすしかなかった。
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