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第2話 スモーキークォーツの慈愛1

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 エイベルとは、物心ついた時からいつも一緒だった。いや、正しくはアルバータが生まれた時もずっと傍にいたらしいのだけれども。
 子供の頃はエイベルを慕っていた。優しくて、でも叱るべき時は叱ってくれる、共働きで忙しい両親の代わりであるような存在だった。
 けれど、大人になった今では。

「またあの男に会いに行くの? アルバータ、何度も言うけどあの男はやめておきなさい。女から金をせびる男なんてろくな奴じゃないわよ」
「うるさいわね。あの人は夢を追いかけているの。好きな人の夢を応援したいって思うのは当然じゃない」

 身支度を整え、用意したお金を持って、アルバータは集合住宅(アパート)の部屋を出る。その後ろを当たり前のようについてくるエイベルには、もううんざりだ。

(なんでずっと一緒にいなきゃならないのよ。せっかくのデートなのに)

 ついてくるなと言いたいが、エイベルはだ。こればかりは仕方がない。
 つかつかと歩いていたアルバータだったが、彼との待ち合わせ場所が見えたところで、エイベルを振り返った。

「いい? 可能な限り私から距離を取って。他の男と一緒にいたら、彼がいい顔しないでしょう?」
「あら。あたしの心は女よ♪」
「体は男でしょうが!」

 ああ、どうしてアルバータにはこんな女男なのだろう、と思う。猫とか、子竜なら可愛くてよかったのに。
 ついペンダントの聖石を見下ろしてため息をつくアルバータに、エイベルは仕方ないという様子で「……分かったわよ。なるべく離れるわ」と了承した。
 というわけで、アルバータは喫茶店のテラス席に座っている彼の下へと向かった。

「ごめん、お待たせ」
「いや、俺も来たばかりだよ。それにしても、今日も可愛いね」
「そ、そう?」

 好きな人とのデートだ。身なりには気合を入れてきたので、褒められると嬉しい。
 彼と向かい合うようにアルバータもテラス席に座った。すると、目の前にはミルクティーが置かれており、ティーカップからもくもくと湯気が出ている。

「あ、それ先に注文しておいたよ。俺の奢りだから遠慮なく飲んで」

 にこっと笑う彼にアルバータの心はときめく。
 ありがとう、とアルバータも微笑み返して早速ミルクティーに口をつけた。甘いミルクと香り高い紅茶の味わいが口の中に広がって、アルバータはほっと息をついた。

(優しいし、顔はいいし、夢もあっていい男じゃない。エイベルは何が気に入らないのかしら)

 そのエイベルの姿をさりげなく探すと、なんと彼の後ろのテラス席に座っていた。思っていたよりは近いが……街路に黙って突っ立っているのもおかしいだろうから、まあよしとしよう。

「おいしい?」

 彼に話しかけられて、アルバータははっとする。

「え、ええ。甘くてほっとする味だわ」
「そっか。口に合ったのならよかった。ここ、ミルクティーがおいしい店だからアルバータに紹介したかったんだ。ミルクティー、好きだろう?」
「覚えてくれていたのね。出会った時に少し話しただけなのに」
「もちろん。初めて会った時からアルバータのことは可愛いなって思っていたからね」

 照れ臭そうに笑う彼は、なんだか可愛い。

(これ、いい雰囲気じゃない? 今日こそ告白……してきたりして)

 これまで付き合ってきた男性は今思うとろくな男ではなかったが、彼は違う。今度こそいい男と付き合って幸せになるのだ。
 それからは他愛のない話をして、楽しいひと時を過ごした。いつも穏やかな笑みを浮かべている彼だが、別れ際は申し訳なさそうな顔をして言う。

「それであの……いつも申し訳ないけど、お金を貸してほしい」
「もちろん、いいわよ。夢を追うためだものね。はい」
「ありがとう、アルバータ……!」

 用意してきたお金を差し出すと、彼はまた笑顔になる。この笑顔。この笑顔がいい。この笑顔が見られるのなら……アルバータはいくらでも頑張れる。

「夢が叶ったら、絶対に返すから。それで君に……」

 彼はそこで言葉を途切らせ、気恥ずかしそうに笑う。

「……いや、今はやめておこう。夢が叶うまで待っていてもらえると嬉しいな」

 アルバータは目をぱちくりさせた。……これは。

(まさか、夢が叶ったらプロポーズしてきたりして!?)

 脈ありなのは確実だろう。プロポーズとまではいかなくても、告白はしてくれそうな物言いだ。これまで金銭面で協力してきた甲斐があろうというものだ。

「じゃあ、今日はこれで。また会おうね、アルバータ」
「ええ。またね」

 彼は椅子から立ち上がり、その場を立ち去っていった。その背中を見送ってからアルバータも席を立ち、まだテラス席に座ったままでいるエイベルに弾んだ声で話しかけた。

「ちょっと、エイベル! さっきの会話、聞こえた!?」
「聞こえたけど、何?」
「彼、絶対、私に気があるわ! 夢が叶ったら結婚できるかも!」
「……夢、ねえ」

 エイベルの視線は彼が去っていった方向へ向けられている。その目は冷ややかだ。しかし、いつまでも見ていても仕方ないと思ったのか、ふとアルバータを見上げた。

「ところで、いくら渡したの?」
「二十万ガルドよ」
「またそんなに渡して……今まで一体いくら渡しているのよ。騙し取られている可能性も考えた方がいいわ」
「彼はそんな人じゃないわよ」

 お金を騙し取るような人が、ミルクティーを奢ってはくれないだろう。
 むっとして言い返すアルバータに、エイベルはため息をついた。

「はあ、恋は盲目とは言うけど……あんたっていつもそうよね。それで今まで何人の男に泣かされてきたの? 少しは学習しなさい」
「何よ、彼も同じだっていうの?」
「どう考えてもそうでしょう。夢を追っていると言いながら、その夢がなんなのかは教えてくれない。デートのたびにお金をせびる。怪しい匂いがぷんぷんするわ」
「夢について教えてくれないのは、夢が叶った時に私を驚かせたいからよ。きっと、大物になるに違いないわ。私、玉の輿に乗れたりして……!」

 お金がすべてとは思っていないが、それでも庶民にとってお金持ちというのは憧れる。使用人を雇って彼らにかしづかれる生活というのはどんな気分だろう。
 そんな妄想をするアルバータを、エイベルはやれやれと言いたげに見つめつつ、ようやく席を立った。

「まあとにかく、帰りましょうか」
「そうね。夜の仕事もあるし」
「はあ……あの男のために水商売まで始めて。今に見てなさい。絶対ろくな男じゃないから」
「だから違うって言っているでしょう」

 あれこれ口論しながら、二人は集合住宅(アパート)の部屋に帰った。この部屋は家賃が安い代わりに王都の外れにある、綺麗だとは言い難い古い物件である。地方の田舎からやって来た十年前から借りている部屋で、エイベルと二人暮らしだ。

「あー、デート楽しかった~」

 アルバータは上機嫌で寝台へと飛び込む。浮かれた様子のアルバータに、エイベルは「ふん」と鼻を鳴らした。

「また泣かされないといいわね」
「もう、しつこいわよ」

 彼は今までの男とは違う。どうして分かってくれないのか。
 うんざりしつつも一息ついた後は、今度は夜の仕事へ行く支度をした。そして、エイベルとともに歓楽街へと向かう。空は夕暮れに染まっており、そろそろ歓楽街に並ぶ店が開店するような時間帯だ。
 そのうちの一つの店へ従業員出入り口から入ったアルバータは、上司や同僚に挨拶をしてから待合室に入った。そこには待機用のソファーの他に、ずらりと並ぶドレス達、化粧台と身支度を整える環境が揃っている。
 アルバータはドレス姿に着替え、腰まで届く長い髪も編み込みにして化粧も直し、夜の女へと変身する。ちなみにエイベルは廊下で待機だ。この程度の距離なら離れても問題ない。

「アルバータちゃーん、指名入ったよ~」
「はーい」

 待合室を出てエイベルと合流したアルバータは、指名してくれた客の下へと向かった。
 天井から吊るされている豪華絢爛なシャンデリア、広い空間にいくつも並ぶソファーとガラスのテーブル、それぞれの席に男性客と美しく着飾った同僚達が数人ずつ座り、わいわいと賑わっている。
 そんな見慣れた光景の中を進んでいると、

(あ、あら?)

 突然くらりとして、アルバータはその場に倒れた。

「アルバータ!?」

 エイベルの驚いた声を最後に、アルバータの意識は途切れた。




 気付いたら、アルバータは集合住宅(アパート)の部屋に戻っていた。寝台に仰向けで寝ており、心配そうな顔をしたエイベルがアルバータを覗き込んでいる。

「アルバータ、大丈夫?」
「私……どうして家に……」
「職場で倒れたのよ。過労ですって。ゆっくり体を休めば回復するだろうって医者に言われたから、あたしがここまで運んだの」
「そう、なの……」

 アルバータはそっと上体を起こす。エイベルもさすがに勝手に着替えさせるわけにはいかないと遠慮したのだろう。装いは気を失う前のドレス姿だ。
 窓のカーテンの隙間からは陽光が差し込んでいて、どうやら一晩経ったらしい。
 エイベルが窓のカーテンを開けると、一気に部屋が明るくなった。

「……アルバータ」

 真剣な顔をして名を呼ぶエイベルに、アルバータは首を傾げた。

「何?」
「もう何度言ったか分からないけど、本当にあの男はやめなさい」
「あのねえ、だから……」
「過労で倒れたのよ? 運が悪かったら死んでいたかもしれない。分かってる?」
「………」

 確かに少々無理をしていたのかもしれない。それは反省すべきことだろう。
 けれど。

「……私は彼のことが好きなの。諦めないわ」
「アルバータ、目を覚ましなさい。どれだけ尽くしたって、あんたの想いは報われないわ」
「はあ? どうしてそんなことが分かるのよ!」
「分かるわ。だって、あたしは――」

 何か言いかけたエイベルの言葉を遮るように、アルバータはぼそりと呟いた。

「…………り」
「え?」
「もううんざり! いつまでも保護者面しないで! 私はもう大人なの! 自分の恋愛相手は自分で決められる! 私は彼と結婚して幸せになるのよ! これまで我慢してきたけど、もう我慢できない!」
「あっ、ちょっと待ちなさい、アルバータ!」

 エイベルの制止の声を無視して、アルバータはずんずんと歩いて部屋を出た。

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