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第1話 聖石店『クロスリー』

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 人生というのは何が起こるか分からない。
 街ですれ違った女性が財布を落としたことに気付いて声をかけようとしたら、突如その女性の足元に魔法陣が現れて、運悪く魔法陣の端っこにいたばかりに中世ヨーロッパ風の異世界へと飛ばされたりだとか、その女性は異世界においてなんと聖女でもう元の世界へ戻ることはできないことが発覚したりだとか。
 というわけで日下部舞ことマイは、異世界で残りの人生を過ごすことになってしまった。異世界転移だなんてどこのファンタジー小説だと突っ込みを入れたい。
 けれど、二年半も経てば異世界での生活にも慣れるものである。

「お師匠様~!」

 王都の外れにある二階建ての建物へと、マイは上機嫌で駆け込んだ。中には客の応対用のソファーに座って紅茶を飲んでいる女性がおり――年は二十代後半頃だ――、彼女はマイに気付くとその美しい顔に笑みを浮かべた。

「おかえり、マイ」
「ただいま帰りました! これ見て下さい、お師匠様!」

 じゃーん、とマイは一枚の紙を女性に向かって広げてみせた。紙には異世界の文字で『卒業証書』と書かれてある。
 マイは満面の笑みだ。

「無事に神学校を卒業できました! これでお師匠様と一緒にこのお店で働けますよ!」
「おめでとさん。よく頑張ったな」
「えへへ」
「卒業証書は大切に保管しておけよ。聖石細工師として働くのに必要なものだ。たまーに祓魔騎士が抜き打ちチェックで卒業証書を見せろ、ということがあるから気を付けろ」
「はーい」

 マイは卒業証書をくるくると丸めて紐で縛ってから、女性の向かい側のソファーに腰かけた。ソファーとソファーの間にはガラスのテーブルがあり、女性の前にティーカップの受け皿が置かれている。
 優雅に紅茶を飲む女性の名は、オーレリア・クロスリー。緩やかに波打った赤い長髪と焦げ茶色の瞳を持つ美しい淑女だ。そのほっそりとした手首には、宝石が埋め込まれたブレスレットが嵌められており、ちなみにマイも同じように宝石が付いたブレスレットを身に付けている。これはマイが異世界転移してすぐにオーレリアがくれたものだ。
 というのも、この世界には魔界が隣り合わせに存在しており、悪魔に憑りつかれるのを防ぐために聖力を込めた宝石――聖石と呼ぶ――を、肌身離さず付けていなければならないのだ。ゆえにこの世界の人々はみな、一人一つは聖石を所持している。
 そしてその、宝石に聖力を込めてその聖石を様々なアクセサリーに加工する、という仕事をする職業が聖石細工師である。オーレリアは聖石細工師であり、この聖石店『クロスリー』の店主だ。
 マイはのほほんと笑った。

「それにしても、月日が経つのは早いものですね。お師匠様と出会ってもう二年半かあ」
「そうだな。お前が店の前で倒れているのを見つけた時は驚いた。それも異世界から来たなんて言うのだもんな。頭でも打っておかしくなっているのかと思ったぞ。まあ、事実だったわけだが」
「私も異世界転移しただなんてビックリしましたよ。それももう帰れないっていうし」
「巻き添え召喚、だったか。災難だったな」

 そう、当時十五歳だったマイはこの国シルトネヴァの聖女召喚の儀式に巻き込まれて異世界転移したのだという。本来ならば神託教団の総本山へと飛ばされるところを、巻き添え召喚だからか、この店の前に気絶して倒れていたそうで、オーレリアが介抱してくれたのだ。
 それから少し経ってから、聖女サトコがマイを捜してやって来て、マイが巻き添え召喚されたこと、もう元の世界へは帰れないことを教えてくれた。彼女がどうしてマイのことを知っていたのかというと、彼女はこの国に召喚される前に神の世界とやらで神様から話を聞き、謝っておいてくれと頼まれていたのだという。
 というわけで、この世界で生きていかなければいけなくなったマイだが、マイにも聖力があるということで、オーレリアに弟子入りして聖石細工師を目指すことにした。元々マイの将来の夢が貴金属宝石細工工で宝石オタクだったため、なりたいと思ったのだ。
 そして、聖石細工師になるためには聖職者育成機関である神学校の祓魔科を卒業する必要があるということで入学し――オーレリアからお金を借りて――、二年の教育課程を経て今日無事に卒業したというわけである。

(ようやく働ける……お師匠様に借金もあるし、頑張ろう)

 聖石細工師として必要な技術は、この二年半でオーレリアからみっちり叩き込まれている。すぐに戦力……になれるわけではないかもしれないが、それでも弟子入りした当時に比べたら遥かに使い物になるはずだ。
 この時、マイはこれからオーレリアとともにこの店で働くのだと疑わなかった。
 けれど、翌朝。

「え……?」

 住居である二階のテーブルに置かれてあるメモを見たマイは、呆然と立ち尽くした。なんと、そのメモにはオーレリアの字で、

『私は旅に出る! この店は任せた!』

 と、書かれていたからである。

「嘘、でしょ……?」

 一人でこの店を経営しろというのか。神学校を卒業したての、弟子に。
 マイはしばらく放心していたが、やがて現実を受け入れると叫ばずにはいられなかった。

「お師匠様のバカァァァァ!」

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